蛇寮の獅子   作:捨独楽

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蛇の毒

 

 朝、ハリーはフクロウが飛び立つよりも早くに目が覚めた。ハリーの体はホグワーツを待ちわびているかのように軽く、目覚めた後寝付くことは出来なかった。

 

 ハリーは屋敷の外に出ると、軽く屈伸をし、膝の筋肉、関節の動きを確かめぼんやりと屋敷の周囲をうろついた。安全のために屋敷の敷地内からは出ず、高く伸びた樹の上に登ってぼんやりとブラック家の屋敷を眺めた。歴史ある家の外観は長くろくな手入れがなされておらず、去年見たときは雨漏りしていたところすらもあったが、近頃は随分と綺麗になっている。

 

(マリーダがシリウスに提案したのかな)

 

 ハリーは何となくそんなことを考えた。シリウスはこの家を嫌い抜いていることは明らかだったが、ハリーがこの屋敷を訪れたとき、去年さんざん罵倒してきたシリウスの母親がハリーのことを罵倒しなくなっていた。シリウスの母親の肖像画には上品なカーテンがかけられていた。ブラック家の屋敷を管理しようという意識がある人が一人でもいるということは、やはり違うのだろう。

 

 ハリーが屋敷に戻り、大広間に向かうとマリーダがいた。ハリーはマリーダに朝の挨拶をした。

 

 ハリーは何となくそんなことを考えた。シリウスはこの家を嫌い抜いていることは明らかだったが、ハリーがこの屋敷を訪れたとき、去年さんざん罵倒してきたシリウスの母親がハリーのことを罵倒しなくなっていた。シリウスの母親の肖像画には上品なカーテンがかけられていた。ブラック家の屋敷を管理しようという意識がある人が一人でもいるということは、やはり違うのだろう。

 

 ハリーが屋敷に戻り、大広間に向かうとマリーダがいた。ハリーはマリーダに朝の挨拶をした。

 

「マリーダ、おはようございます」

 

「ああハリー……おはよう。よく眠れたか?」

 

「はい。いいベッドだったのでぐっすりと眠れました」

 

 

 マリーダは眠たげな目で、なんだかぼんやりとした様子だった。茶色の髪は肩まで伸ばされていたが、いつもなら着けているヘアバンドを今日は着けていなかった。

 

「マリーダ、眠たそうだね」

 

「……ああ。昨日は少し寝るのが遅くなってな。そのせいだろう」

 

(……ふーん)

 

 ハリーはもしかしたらマリーダはシリウスの部屋に泊まったのではないかと思ったが、確証もないことで訊ねるわけにもいかず黙っていた。マリーダはハリーににっこりと微笑んだ

 

「ハリーのことをシリウスは褒めていたよ。自慢の息子だと」

 

「そんな。僕はいつも変なことに巻き込まれてばかりで。シリウスにも心配をかけています」

 

 ハリーは謙遜したが、マリーダは首を左右に振った。

 

「そんなことはない。君は本当に勇敢な少年だ。純血の少女を好きだと言うことの意味を君も理解しているはずだ」

 

 ハリーはマリーダの語調に違和感を覚えた。ハリーはマリーダが純血云々について口に出すのを聞いたのははじめてのことだった。

 

「ダフネは確かに、純血の女の子です」

ハリーは慎重に口を開いた。

 

「だけど、彼女は純血主義ではありません。少なくとも、今は……」

 

「そんなことはない」 

 マリーダはぴしゃりと言った。ハリーはマリーダの口調が真剣なことに驚き、背筋を正した。

 

「ハリー。純血の家に生まれて教育を受け、スリザリンに入るということは、己の立ち位置を表明するにも等しいことだ。純血主義を公に主張したわけではなくても、スリザリンに入った時点で世間は純血主義だと捉える。ダフネという子にも、自分の友人関係があって、すでに人間関係が出来上がっていた。それは君も察していただろう」

 

 ハリーは無言で頷いた。

 

「……そんな環境で君は、彼女を好きだと言った。それが彼女にとってどれだけ嬉しかったか、どれだけ今不安なのか、君には分からないだろう」

 

「それはそうです。僕は、ダフネの痛みを全部知ってる訳じゃない。むしろ全然知らないといってもいい」

 

 ハリーはマリーダの一言一句に耳を傾けた。マリーダがハリーに純血主義に関する話をしてくれたのははじめてだった。

 

「……純血主義がなぜスリザリンで信仰されてきたか。それは、魔法族に純血という一つの基準、絶対的な価値観が必要だったからだ。……誤解をしないでほしい」

 

 マリーダはハリーにそう諭した。

 

「マグル生まれを軽蔑したり、マグルを踏みつけにするわけではない。……ただ、それが尊いと信じ、その枠の中を守ることで、純血主義を信じる仲間たちを守る。それが私の居た時のスリザリンだった」

 

 ハリーの心に、ふと一つの疑問が沸き上がった。

 

「……でも、マリーダさんは純血主義ではない。ですよね?だってあなたはマグルの世界の会社に就職して、そこで働いていたんですから」

 

「そうだ。私はもう純血主義ではない」

 

 マリーダはハリーの言葉を認めた。

 

「それは私が学生時代の頃に、闇の帝王が消えて世界が一変したからだ。それまで正しいと信じていた純血主義はたちまちのうちに否定され、私は胸にぽっかりと穴が空いたようになった。その時はじめて、私には純血主義以外に何もない人間だったと気がついた」

 

 

「何もないなんてことはありません」

 

 ハリーはそう言ったが、マリーダはハリーに苦笑した。

 

「……少なくとも当時の私はそうだったんだ。私にはとにかく、縋るものが必要だった。自分の立ち位置を確保して、自分らしく居られる何か……いや、自分らしさを獲得できる何かが」

 

(……)

 

 ハリーの心が少しだけ傷んだ。自分らしさを獲得できる何かがほしい、という気持ちはハリーにも分かるからだ。

 

 ダーズリー家が、バーノンとペチュニアがハリーに何も知らせなかったと知ったとき、ハリーは二人のことを恨んだ。それまでの自分が耐えてきた痛みも、空腹も寒さも、何の意味もなかったと思った。そんなハリーにとって唯一縋るものが、ハグリッドがかけてくれた言葉だった。自分が魔法使いだという言葉と、自分が起こした不可解な現象。ハリーが頼れるものは、魔法という力しかないのだと。

 

 ハリーが魔法使いだと分かったとき、周囲の大人たちはハリーを父親にそっくりだと言った。ハリー自身は父親のことなど何も知らないと言うのにだ。

 

 ハリーには、命をかけて自分を守ってくれた両親に報いたいという思いもあった。両親を超えるような魔法使いになって、生き残っただけではないと証明したいという思いが。

 

(……マリーダさんもそうだったのかな。純血であること以外に、何かが欲しかったのかも)

 

 ハリーはこれまでマリーダを『シリウスのフィアンセ』だと思っていたが、何となく今までより親近感が沸く気がした。マリーダという人のことを少し知れた気がしたのだ。

 

「僕も、スリザリンでは浮いていました。スリザリンらしくなりたいとずっと思ってはいたけれど、両親のことを思うと皆と同じように純血主義を信じることは出来なかった。マグルのことはすぐ嫌いになりましたけど」

 

「……それは……辛かったと思う」

 

 ハリーがそこまで打ち明けることが出来たのは、この場にシリウスが居ないからだった。シリウスの前ではこんな話は出来はしない。マリーダは柔らかくハリーを労った。

 

「……だが、そんなスリザリンらしくない君を好きでいるということは、そのダフネという子も辛いことが多くなる」

 

 マリーダは腕を組みながら言った。

 

「君に純血主義を信じろとか、シリウスのようにマグル趣味を押し付けるつもりは毛頭ない。だが、これだけは心に留めておきなさい。君を好きになってくれた女の子に、君は報いる覚悟はある?『半純血』であっても。半純血と付き合うことで、彼女の名誉が傷付いても」

 

(……僕が……)

 

 マリーダは何かを確かめるように言った。ハリーは迷わず答えた。迷うわけにはいかなかった。スリザリン生として異端なハリーだからこそ、その問題に触れないわけにはいかないのだから。

 

「僕はダフネのことが好きです。……たとえ僕が、純血でなくても」

 

 ハリーは引かなかった。たとえ自分がダフネを傷付けたとしても、ハリーはダフネのことが好きだった。

 

「僕が出来ること全てで、ダフネを守ってみせます。それに」

 

 ハリーは深呼吸して言った。

 

「ダフネが僕の母親を悪く言ったことはありません。僕はダフネを信じます」

 

 その時マリーダの見せた表情はなんとも言いがたいものだった。落胆しているようにも、笑っているようにも見える。やがてマリーダは口を開いた。

 

「スリザリンらしく、ダフネさんを支えてあげなさい。君ならその子を守ってやれるよ、ハリー」

 

 ハリーは頷いた。心の底からそうありたいと思っていたからだ。

 それからシリウスが起きてきた。三人はしばらく静かに朝食を取った。ホグワーツ特急に乗るためにキングスクロス駅に向かうハリーの瞳は、母親のものと同じように翡翠色に輝きながら世界を見つめていた。

 

 

 マリーダは、三人の中で最後に屋敷を出ようとした。その時、狸寝入りを決め込んでいたフィニアス·ナイジェラスの肖像画がマリーダを呼び止めた。

 

「私は君のことを賢い人間だと思っていたのだがね」

 

 フィニアスの声には、いつものような皮肉だけではなく明確な刺があった。

 

「ポッターとグリーングラスのことを思うならば止めるのが筋だろう。なぜ止めなかったのだね」

 

 マリーダはくるりと向きを変え、フィニアスの肖像画に不敵に微笑んでみせた。

 

「それは、ハリーを見てダフネという子供がハリーのどこが好きになったのかを察したからです」

 

「何?」

 

 フィニアスの声に困惑が混じった。

 

「ナイジェラス校長先生。女という生き物は、自分にないものに憧れるものです。そして、自分にないものを持っていて、自分より弱いところのある人間は守ってあげたくなる。……ちょうどシリウスを好いた私のように」

 

 フィニアスは苦い表情のまま、マリーダの背中を見送った。そのまま視線を宙に彷徨わせていたが、ブラック家の屋敷から出るマリーダにお辞儀をするクリーチャーを見ると、フィニアスはまた狸寝入りを決め込んだ。





 スリザリン式教育(洗脳)
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