「ほわぁぁぁぁあああああああああああああああああ!?」
『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!』
ダンジョンに響くモンスターの咆哮。そしてそれに追いかけられる情けない叫び声。その声の持ち主は叫びを置き去りに、薄暗い天然の回廊を駆け回る。
「しっ、死ぬ!死んじゃう!!本当に死んじゃう!!?」
汗に涎、さらには涙すら滲ませつつ、白い髪を持つ少年は走り続ける。
すぐ後方には巨大な筋肉の塊と見紛うばかりのモンスター、ミノタウロスが迫っている。通常であれば絶対に出くわさない格上のモンスターを相手に、少年に許された行動は“逃走”一択であった。
しかしそんな鬼ごっこも終わりを告げる。
少年の目の前には地面と同じ色の壁が。ダンジョン内ではありふれた構造である、いわゆる“行き止まり”と呼ばれる現実が待ち構えていた。
「ハっ、ハハ……!?」
思わず引きつった笑い声が喉から漏れる。
振り返り、そこにいるのは涎を垂らして目を真っ赤に光らせるミノタウロス。無力な獲物を追い詰めた強者は、震え上がる弱者に向けて嫌らしく口を歪めた。
(あ、死んだな。これ)
少年はすぐにそう悟った。これまでも何度か危ない目に遭ってきたが、今回は桁外れだ。手持ちの武器は逃げ回っている最中にどこかに落としてしまい、攻撃手段など一つもない。
せめてここが
(ごめんなさい、おじいちゃん。強い“雄”になってハーレムを作るって夢、叶えられそうにないや)
死別した祖父の顔が浮かぶ中、少年は観念したかのように両目を瞑る。せめて痛くありませんように、その一心で神に祈りを捧げる。
(あ。それと神様、ごめんなさい。路頭に迷わせてしまいますけど、どうか許して―――)
不意に浮かんできた主神の顔。背も小さく(一部自己主張が非常に強い)マスコット的な可愛らしさを持つ女神への懺悔で生涯を終えようとした少年は―――――次の瞬間。
ヒュッ、という風切り音によって現実へと引き戻された。
「へ?」
『ヴォ?』
間抜けな声が少年とミノタウロスの両者から漏れる。
一瞬の疑問の後、ミノタウロスの身体に線が走る。それは瞬く間に上半身を斜めに縦断し、そこから夥しい鮮血を噴き出した。
『ヴ、ヴヴォオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!?』
絶叫するミノタウロス。噴き出した血液を全身に浴び、身に着けている衣服を余すところなく赤く染め上げられるも、少年は未だ固まったままだ。その視線は
剣を振りぬいた体勢から立ち上がるのは、まだ成人もしていない少女。
身に着けている装備は所々が無骨でありつつもそれ以外は非常に薄く、身体のラインが透けて見える程だ。右手に握られた剣はダンジョン内の僅かな光を反射し、淡く光り輝いていた。
「えっと……大丈夫、ですか?」
少女は顔にかかった髪の毛を軽くかき上げながら少年に尋ねる。柔らかな長い金髪は指の間を滑り落ち、やがて一つの房へと合流していった。
その挙動の一つ一つに、少年の心は釘付けにされる。
高鳴る心臓の音がうるさく、それ以外の音が遠ざかって感じる。己の意志とは無関係に、身体のある部分が
「あの……」
「!?」
気が付けば、その金髪の少女は少年のすぐ目の前に立っていた。どうやら目を奪われる余りに、こちらに近付いてきた事すら分からなくなっていたらしい。
「立てますか?」
膝に片手をあて、空いたもう片方の手は少年を起こすように差し出されている。中々にきわどい丈のスカート部分から覗く太ももは健康的な白さをしており、少年の目はそこに釘付けになってしまう。
ハーレムを作るなどという壮大な夢を語るも、少年はまだまだ
「だっ……」
「?」
「だああぁぁぁあああああああああああああああああああああああっ!!?」
答えは明確であった。
気恥ずかしさやら何やらでパニックに陥った少年は、脱兎の如くその場から逃げ去っていった。
「おい、アイズ」
「ベートさん」
「ミノの野郎はどうした?」
「大丈夫です……倒しました」
少年と入れ替わるようにして、獣人の青年が少女の元へとやって来た。アイズ、と呼ばれた少女はミノタウロス撃破の報告をしながらも、その視線は逃げていった少年の方へと注いでいる。
ベートと呼ばれた獣人……
「チッ、ンだよあの雑魚野郎は。面汚しにも程があるだろうが」
ぺっ、と地面に唾を吐きかける。その顔には明らかに、逃げていった少年への侮蔑の色が浮かんでいた。
しかし、一方のアイズはと言うと。少年がいなくなった後もその場に立ち尽くしている。
思い出されるのは、切り裂いたミノタウロスの血を全身に浴びる直前、一瞬だけ見えた血に汚れていない少年の顔。
処女雪のように真っ白な髪の毛と、小動物じみた
「……兎みたいな子」
小さく呟かれたその言葉。
可愛かった、という言葉は、流石に心の中にしまっておいたが。
「エイナさああぁぁあああああああああああん!!」
「どうしたの。ベルく……っきゃぁぁああああああああああああ!?」
場所はダンジョンから出た地上。日の光がさんさんと照らす中で少年……ベル・クラネルは、一人のハーフエルフの女性の元へと駆け寄ってゆく。
微笑みと共に振り返る彼女はエイナと言う。冒険者の個人情報やアドバイスなどを受け持つ、迷宮都市オラリオにあるギルドの職員である。物腰の柔らかな彼女は、その美貌も相まって多くの冒険者からも人気がある。
そんな彼女が、人目もはばからずに叫び声を上げた。
原因は……そう。ダンジョンから
「アイズ・ヴァレンシュタインさんの情報を教えてくださぁーーーーーい!!」
「まずはその恰好をどうにかしなさぁーーーーーい!!」
モンスターの返り血まみれで現れたベルに対してエイナは、そんな雷を落とすのであった。
その後ベルは、エイナからお小言とアイズに関する情報を得る事が出来た(もっとも、それは公然としたものであり、個人的なものではなかったが)。ギルド内の換金所にて魔石を交換し、ファミリアへと帰る直前、エイナはベルへと励ましの言葉を投げかけた。
「えっとね、女性は強い男性に惹かれるものだから、その……諦めずに頑張っていれば、その内ベル君の想いも届くかも……?」
「……!」
ぱぁ!と明るくなる少年のつぶらな瞳。
しかし当の本人はその励ましの言葉を真に受け、満面の笑みで街へと駆け出して行った。例によって身体のある部分を大いに動かし、抱いている感情を表現しながら。
「エイナさんありがとう!大好きー!!」
「えうっ!?」
不意打ち気味に放たれたその言葉。
裏表のない少年の純朴な思いから出たものであると分かっていても、アドバイザーとしてそれなりの回数を会っている者からすれば、面食らうのも無理はない。
「……もう、ベル君ったら」
頬に手を当て、ハァとため息を一つ零す。
既に少年の後ろ姿は小さくなりかけており、相変わらずの足の速さに思わず関心してしまう。しかしその真っ白な髪が目印となり、まだ少年の姿を確認できる。
そして未だにブンブンと左右に揺れている、腰辺りから伸びる
「……あぁもう、可愛いなぁ」
ほにゃ、と緩むエイナの頬。
これが神たちの言う『
「神様ー、今帰りましたー!」
「むむっ!お帰り、ベル君!」
オラリオのメインストリートから外れた場所にある、小さな廃教会。その中にある地下へと伸びる階段を下りれば、出迎えてくれたのは主神である女神ヘスティアだった。
構成団員一人。弱小どころか零細である【ヘスティア・ファミリア】。これがベルの所属するファミリアである。
「今日は早かったんだね」
「はい。ちょっとダンジョンで死にかけちゃって……」
「ええっ、大丈夫なのかい!?君に死なれたらボクはショックだよ!」
言うや否や、ぺたぺたと身体を触ってくるヘスティア。傷が無いか確認しているのだろうが、その手つきはどこか怪しい。やがてその手はベルの耳と臀部へと伸び、そして毎度お馴染みとなったやり取りがなされる。
「ひうっ!?ちょ、ちょっと!?」
「うんうん、傷は無いようだね。良かった良かった」
「もう、神様ぁ」
身をよじるベルに構うことなく存分にその感触を堪能したヘスティアは満足げに頷き、上機嫌でキッチンへと駆けてゆく。ベルも大分慣れたとはいえ、こう毎回毎回触られては顔を赤くしていた。
(ふっふっふ。今日も可愛い反応だったよ、ベル君)
ほくそ笑む女神は密かに涎をぬぐいつつ、本日の夕食である『ジャガ丸くん』盛り合わせセットを持ってくるのであった。
「それじゃあ【ステイタス】の更新をしよっか!」
「ひ、一人で脱げますって!」
さぁ、脱いだ脱いだ!とベルの衣服に手をかけるヘスティアは露わとなるベルの上半身、その白い肌を目にしてスケベ親父のように頬を緩ませる。何とも言えない気配にベルは、怯える兎のように小さく身を竦ませる。
ベッドの上にうつ伏せになり、その上にヘスティアが跨る。彼女は手にした針で自身の指先を軽く突き刺すと、ぷっくりと膨らんだ血の玉がベルの背中へと滴り落ちた。
これこそが、神々が下界の
「ひゃー。また随分と伸びたねぇ」
「本当ですか!?」
更新した【ステイタス】を羊皮紙に写してもらい、その結果をベルはまじまじと見つめる。
確かに“力”と“器用”、そして敏捷に至っては二桁台までの伸びが確認できた。この調子なら一年後にはLv.2も夢じゃないかも……そう思えるほどに、ベルは自身の成長を噛み締めていた。
「でも、やっぱり《魔法》は発現してないんですね。《スキル》も変わらず……」
「あー、うん。そうだね」
「……神様?あの、どうかしましたか?」
「
そう言うヘスティアはどこか不機嫌に見える。さっきまであれ程スキンシップをしてきたというのに、今は何ともそっけない反応だ。
(もしかして、ヴァレンシュタインさんの事かな……?)
思い当たるのは【ステイタス】更新の際に世間話程度に零した、ダンジョンでの出来事。金髪の美少女にしてLv.5の冒険者、アイズ・ヴァレンシュタインについて話していた時、ヘスティアはどこか不貞腐れていたようにも感じる。
確かに可愛がっている(少なくとも、ベルにはその自覚がある)
(神様に悪い事しちゃったかな)
生来の優しさが、背中を向けるヘスティアに対する罪悪感を刺激する。ベルは手にしていた羊皮紙をベッドの脇に置き、姿勢を正してヘスティアの横に座り直した。
「か、神様」
「何だい、ベル君」
(うっ)
いかにも不機嫌です、と言わんばかりのヘスティアに思わずたじろぐも、意を決して口を開く。
「僕は神様の、【ヘスティア・ファミリア】の団員です!神様を路頭に迷わせたり、心配させたりなんかしません!」
「!」
ばっ、と振り向くヘスティア。そこには不機嫌さはなく、ただ驚いたような表情でベルを見つめる瞳があった。
(せめて、せめて“雄”らしく!)
祖父の顔を思い出しながら紡いだ言葉に、ベルは確かな手ごたえを感じた。女の子を悲しませたりしてはいけないという約束を果たした達成感が、胸の奥から湧いてくるようだ。
「……ベル君、君ってやつはぁ~~~!」
「うわっ!?」
しかしそれもつかの間。
急にダイブしてきたヘスティアは、上半身裸のベルに抱き着いてきた。この不意打ちには対応できず、二人は仲良くベッドへと倒れ込む。
「やっぱり君は良い子だねぇベル君!決めたぞっ、こんな良い子をヴァレン某なんかにはやるもんか!」
「ひぃうっ!?神様、どこ触ってるんですかぁ!?」
「良いじゃないか減るもんでもなし!よーしよしよしよしよ~し!」
まるで生娘のような悲鳴を上げるベル。空しい抵抗を続ける彼にヘスティアは容赦しなかった。
その頭頂部から生える白い
「あぁ、可愛いなぁベル君は!今夜は寝かさないぜぇ~~~!」
「ひゃぁぁあああああああああああああああああああっ!!?」
どったんばったんという振動により、ベッドの上から羊皮紙がひらりと舞い落ちる。一つ埋まっているその《スキル》の欄の下には、何やら消した跡のようなものが見えた。
それはヘスティアが故意に隠滅したものである。本来であれば《スキル》の欄には、このような文字が刻まれていた。
《スキル》 【
・月下条件達成時のみ発動。
・獣化。全アビリティ能力の高補正。
・異常無効。
《スキル》 【
・早熟する。
・
・
これは兎のような外見をした、とある
臆病な少年が数々の出会いを繰り返し、立派な“雄”へと成長し、神と共に英雄へと至る【
その、ほんの始まりに過ぎない。