今日はバレンタインデーなので、
人と人の心の繋がりを崩壊させるような話をしたいと思います。
ミュート論twitterの「ミュート機能」についての話をします。 (クソ内輪ばなしね)
(あと物凄い攻撃的な文章ね)
自分がミュート機能を使ってしまっているという話とか その理由とか
自分がミュートにしている人達に対して本当に言いたいこととか
ミュート機能とはなんなのかとか、そういう話を、ミッチリする。
ミュート論
まず
もともと自分は、ミュート機能というモノに対しては、否定的なスタンスでした。
本当に、元々はそんな機能、公式webには無かったわけですよ。 クライアントにのみ、そういう機能があると。
つまり、
「非公式のズル機能」を使って、フォローしているくせに相手のつぶやきを読まないだとか
「相互フォローしているポーズ」だけ取っておいて、実は相手のつぶやきを無視しているだとか、
そのような態度について、自分は「卑怯さ」を感じていた。
そういう
「ズルさ」「一方的な時間の搾取」を、ミュート機能に感じていたワケだ。
だから、自分はクライアント利用からのミュートアピール、
「私ミュート使ってますよ」的なことをアピールしている人を
見かけると、勝手に軽蔑したりしていた。
「まさかお前からフォローしておいて、フォローした相手のことミュートしてないだろうな? こん畜生め!」
「どうせ、大量のフォローバックを期待して、大量フォロー爆撃して、
その挙句、その大量の相互さんに対してミュートとか使ってるんだろ? それってゴミクズじゃないか?」
「他人というものに対して敬意はないのですか?」と。
まぁとにかくそんな感じで、クライアントとかを使って他人をミュートしまくってるような奴に碌なのはいないと、
そう認定してきたワケだ。
自分から相手をフォローしたくせに、相手のつぶやきは一切読まないなんて、
そんなフォロースタイルを公式は許さない、認めるワケないだろうと、そう思っていたのだ。
でも、去年になって、
なんと、ツイッター公式がミュート機能を普通に実装してしまったのだ!え、こんな機能を公式でやっちゃっていいのか?と。 そのフォロースタイルを認めてしまうのか?と。
んで、結局、自分も使ってしまっているのだ。 このミュート機能を。
だが、これだけのことを言ってきたのだから、自分にもミュート機能を使うときの
「作法」のようなモノはある。
◆まず、自分からフォローして相互になった人は絶対にミュートにしない。 (まぁ、当然である) (むしろこれをしている奴は死ねば良い)
言い変えると、自分がミュートにする人は、全員「向こうからフォローしてきた人」である、と。
この理由についても、説明しなければならない。
自分が
どっちが先かを重要視する理由は、
過去にもここで説明した。さらにもう一つの作法
◆ミュートにした人も、リストにはいれて、偶にツイートは確認している。 (まぁこれも必要)完全にもう他人を顧みないのであれば、それは「フォローしている」という行為にあまりにも意味が無いから。
そして、ミュートした相手の「態度」というものが改善されたとしても、ずっと無視していては確認しようが無いではないか。
だから、こういう
「定期的な再チェック」は必要なのである。
まぁこの2つは重要。
というかミュート機能を使っている人は皆、これくらいの事は考えてほしいよ。 コレを言いたい。
でだ、そもそもなんで自分もこんな
「私ミュートしてます宣言」をしているのかというと
それはやはり、ミュートしっぱなしは良くない、と、自分でも思っているからだ。
(だから去年の時点で、ミュートについてはいつか説明すると書いていた)
どこかでミュート使用については明かさなければならないと思っているし、
「自分はこういう人をミュートにしていますから、解除して欲しいなら、こういう人は自分のつぶやきについて考えなおせ」とか
「自分はこういう理由でミュートにしている。 ちゃんと大義名分があるのだ」(
大義名分の無い、絨毯爆撃フォロバ目的野郎にミュートされ返す理由はないぞ!くらいのことを)
言っておきたいのです。
何故なら、そういう「説明」をせずに相手をミュートし続けるというのは、シツレイだと思うし、
なにより、「お互いの関係」に一切の改善が起きないから。
もう、
「無視したから、無視しかえして、それでオシマイ」みたいなのは糞だと思うからだ。
そもそも何故ミュートにするのか。
山ほど理由はあるし、あとから個別に詳しく説明していきたいのだが、
・一つは、ただ五月蝿いということ
・そして、もう一つは、その人のツイートを見ていると不愉快で、そのままにしていると
悪いツイートをしてしまいそうだからこの2つが大きな理由であろう。
特に2つ目が重要。
「この人のつぶやきを無理して読み続けていると愚痴ばっかになってしまいそう」そんな人がいるのである。
(実際、自分は
「王様の耳はロバの耳.txt」という
ツイッターの愚痴メモを書きためている)
(ツイッターをやっているともう、ガマンならないくらいムカつくことばっかり吐き出したくなるので)
(そういうのを吐き出しているのだが)
(このファイル、もう100kbを超えている。 読んでみたい人いますかね?)
(自分がいつ、誰の、どのツイートにうんざりしたかが分かるようになります)
(
「人に嫌われるタイミング」というのに興味がある人に読ませてやりたい)
まぁ、そんなしょうもない人はリムればすむ話なのだが、
そこでそう単純にはいかないことがあるから、そもそもミュート機能なんて代物が出来たのだろう。
(このことについては、もっと書くべきな気もしているが)
(
「実際、相手からしてみても、リムられるのとミュートで済まされるの、どっちが好きなんだ?」という問題)
(でも本当は、自身のツイートの質を見直すのが一番の課題でしょう??)
で、ここから、個別のミュート案件の説明をします。
「自分はこういう人はミュートします」という宣言であり、
「こういう人は気をつけろ」という勧告であり、
「こういう人は直せばミュート解除するかもしれんぞ」という啓蒙であります。
◆ホントに五月蝿い人定形、ネタ、実況、日常生活の報告、ソシャゲ、ブラゲの糞みたいな結果貼り付け・・・
全く面白くもないことを大量に吐き出す人。 これ、自分には無理です。
脳みそのレイヤーが合いません。
そういう人が面白がっていることを自分は面白いと感じられません。
勿論そんな人は最初からフォロー返さない可能性もあるけど、
ある日突然、静かだった人間が実況厨に変貌するということも実際あるので、
まぁそういう人はその人の
「格」に応じてリムかミュート行きですねということ。
ただ五月蝿い人といっても色んな種類がいますね。
ニコニコで、「自分が何の動画をマイリスしたか」とかのニコレポを、そのままツイッターに連携している人とかもいます。
ああいうのなんかは最悪ですね。 なんか勘違いしているのです。
その人のニコレポを見たい人なら、その人をニコニコ側で「お気に入り」に入れればいいだけの話です。
連携垂れ流し系の人は、とにかくダメです。
本当に見て欲しい動画があるなら、その動画について何か言及すべきなんだよ。 だから無言で動画リンク貼る人はダメなのです。
それこそが、意味のあるツイートってもんだろう??
◆ハッシュタグ大喜利をしたり、ふぁぼ乞食、RT乞食、フォロー乞食をしたり、慣れ合いが糞ウザい人#〇〇な人はRTとか
#RTした人を一言で説明するとか
#この絵が気に入ったらRTとか
#RTした人全員フォローするなどなど
本当に乞食みたいなことをしている人。 必死すぎます。
こういう人はもう一発アウトです。 こういうのやめない限り無視します。
こんな糞ハッシュタグ、「よっぽどの馬鹿しかしなさそう」って思うかもしれないけど、
結構意識高い系のツイートする人が突然やったりするから、分からないものである。
◆自己の宣伝に必死すぎる人なんか、自分のpixivの絵が10users増える毎に再ツイートしたり、
100点超える毎に再ツイートしたりする人がいるんですが、見てて恥ずかしいと思う。
(せめて
100usersとか、ランキングに載ったとかなら・・・いやそれでも恥ずかしいか)
(大体
「男子に人気ランキング」とか、誰でも引っかかるんだよ 自慢にもならんのだよ 言うのも恥ずかしいことなんだよ)
あと
自分のツイートを自分でTogetterにトゥギャる人とかも、凄く恥ずかしい人だと思う。
そういう人を目の当たりにすると、なんかこっちが恥ずかしくなってくる。 ゲンナリする。
罪深い気分になってくるのだ。
そのおかげで、自分はpixivに絵を上げても、もう、最初のツイート報告すら出来なくなってしまいました。
どうしてくれるのですか??? (八つ当たり)つまり、
「自己宣伝の必死な人」を見過ぎたせいで、
行き過ぎた
「他人のふり見て我がふり直せ」が発生し、
一切の自己宣伝活動ができなくなってしまったのである。 どうしてくれるのですか???
許せぬ。
これを心理学的に言うと
「シャドウ」という。
自分がガマンしている行為、自分が己に禁じている行為、
そういうのを平気でやらかす人々を目の当たりにしたときに発せられる、どうしようもない嫌悪感のこと。
自分が、自分のブログを更新しても、1割くらいの確率でしかツイッターに報告しなくなったのも、これが原因です。
ブログを更新するときは、よほど他人に読んで欲しい、 読む価値がある、 何か重要な事の宣言である、
「そんなとき以外はツイッターにお出しする必要はない!」と考えるようになりました。
(だって、ブログはそのブログを購読している人が勝手に読んでればいいじゃないか)
(ツイッターが完全にブログの更新報告だけになってる人とかいるけど、当然それもダメ しょうもない)
(そんなのブログの劣化複製通知品でしかない) (RSSかよ)
(ツイッターやるからには、ツイッター上での価値を出していかなきゃダメなのだよ!)
(つまり、通知以外の価値あることをつぶやきやがれと)まぁとにかく、自己宣伝の必死な人は、醜い。
醜い人をずーっと見ているのは、辛い。
なにか
「悪い言葉」を発したくなってしまう。
実際、昔の自分はそういう愚痴がとても酷かった。 悪い言葉を発し続けていた。それを抑えるためには、リムかミュートをするしかないではないか、という話。
リムられるのと小言を延々とを聞かされるの、どっちがいい? ミュートが一番穏便ではないか。
それでも自分が悪いのか??
◆不快な画像をUPしてる人ここで自分の言う
「不快な画像」というのは特殊かも。 (最終的に猫画像とかも危うくなってくる)
まず、二次のエロ絵とか描いてる人とか、アウトです。
これはなんでダメなのかというと、
まぁ普通に
「素人のエロ絵」ほど醜怪なものは無いと思っているからもあるけど。
なんというか、そういうエロ絵を描いてりゃ人気が出る、評価されると思っている感じもイヤ。
一度自分を冷静に客観的に見てみよう。 気色悪すぎるぞ?
あと、「エロ同人描いてる人」とかもワリとアウトです。
そんなんでも一応、ネット上では
「有産層(造語)」のつもりだろうから
フォローは返すかもしれないけど、やはりもう相手はしたくない。
エロ同人を描いている人、その本質はなんなのかというと、
「他人様のキャラを勝手に汚しておいて、名前だけ借りて、人気だけ掠め取って、それで金を儲けている人」ということですよ。
よく、エロ同人を書いている人は、
「浮世絵とか通俗絵がどうの~」とか、
「葛飾北斎だって春画を描いてたから~」とかいって、
自分の糞活動を自己肯定しようとしたりするけど、自分に言わせりゃそんなのは詭弁です。
じゃあオリジナルでやりやがれ!、というだけの話ですよ。
他人様のキャラを汚してウケを取るという行為は、
「ヘイト創作」と呼ぶのです。
そもそも、ネット上でエロ絵を描いて評価されようとするというのが安易です。
「フードポルノ」という概念があります。
SNS上に食べ物の写真をUPして、これまた人の気を引こうとするしょうもない行為であり、
ようやく揶揄され始めている行為です。 (自分はず~~~っと前からウザいと思っていた)
自分はフードポルノをする人も嫌いです。 これまたミュート対象です。
・店に撮影許可は取ったのか?
・イチイチ自分が何食ったか垂れ流して何になるのか?
・お前はメシを食べる前に写真を撮らないと気がすまない畑の人間なのか? どういう感性してるんだ?フードポルノ写真をアップする人をみると、
「そういう疑問」が湧き上がるだけです。
「うわー美味しそうですねぇ~」なんて、死んでも思ってやりません。
「孤独のグルメ」のようなプロの仕事とは意味が変わってきます。
あのようなグルメ番組を「自分で選んで視聴する」のとは話が違う。
何の紹介能力も宣伝効果も無い素人が、単に他人の「食欲」を
いたずらに刺激するために、
気を引くためだけに、そういうのを
「飯テロwww」とか面白がって便乗してる、
その勘違いっぷりがムカつくのです。
・・・
とまぁそんな感じで、「フードポルノ」という概念が有り、
その作法とか品位とかリテラシーが問われているワケです。
実際問題、SNSにメシ画像をUPする人はしょうもない人である確率がとても高いです。芸能人でもないのにそういうことをする人は、
「そのような日常切り売り系・報告画像しか発信するネタが無い」ということですから。
(この延長で言うと、
ペットポルノとか、
ランドスケープポルノとか、
ベイビーポルノとかも出てきそうだけど)
でだ、エロ絵をUPするというのは、
フードポルノ以前に「普通にポルノ」であって、もう普通にしょうもないということです。
他人の性欲の
「足元を見ている感じ」。 これがとてもダサい・・・。
需要と供給の問題だとか言うんだろうけど、
やっぱり異常な状態が当たり前になりすぎたんだろうね。 エロパロだけが二次創作なのかと。
まぁそういうのもあって自分は、それまで普通に絵を描いてた人が
エロ絵とか上げるようになると、途端にガン無視します。ああこいつも暗黒面に堕ちたな、と、勝手に思っています。
お前の二次創作愛はアガペーなのか?エロスなのか?と
他にも山ほどある。
◆まとめブログのツイートする人ただ「RTが五月蝿いだけの人」なら、RT非表示の機能があるから、まだ救いがあるけど
普通にまとめブログをURL付きでツイートする人は、もうどうしようもない。 ミュート行き。
おんなじようなことを一体何度言って来たかわからない。
これだけ言っても
ウェーイな感じの人はまとめブログの何が悪質なのかわからないという。
それ系でいうと、最近は
「ネイバーまとめ」を貼る人もウザいです。
あれも悪質だというのに、知らない人は何が悪いのか分かっていないという。
ネイバーまとめが何故悪質なのか、ネイバーまとめにまとめといてください。
◆デマを拡散したあと何の反省もしない人前に
「ダンガンロンパのアニメが打ち切りwww」だとか、
アニメ見てないしゲームもやってないような人が延々と言ってたんだけど
結局ありゃなんだったんだ???
なんで見てないアニメのネガキャンに加担するんだ? 酸っぱいブドウか?
糞うざかったです。
ああいうデマを拡散した人は、謝罪して訂正して切腹すべきだよ。
(
「王様の耳はロバの耳.txt」には、このような文章がいっぱい載っています)
(要はそういうことです)
(こういうことをその都度言いたかったけど、グッと堪えてたんだよ)
(自分がどれだけ耐え忍んできたか教えてやりたい・・・)
◆診断メーカーとかやる人これやる人がゴミであるという認識が、ようやく浸透しきってきたでしょうか?
◆淫夢語つかう人一発アウトです。
・・・etc・・・etc
まぁそんな感じで、ここに書いてきたことは
「ああそういう奴いるよね~」的に大体納得してもらえるかと思います。
(もしくは自分の心が狭いだけ)まぁそれだけの話なのですが。
それでも、自分は「こういうこと」をキチンと言っておきたかった。自分には、他人をミュートする理由がある。 作法がある。 法則がある。 ということを言いたいのです。
何故なら、黙ってミュートにしていると、
アホからミュートし返される可能性があるからです。
心の狭い自分は、これすらムカつくのです。「自分には、そっちからフォローしてきた五月蝿いだけのアナタをミュートする大義名分は、これこれこのようにあるけど」
「なんでアナタなんぞにミュートし返されないとならんのだ???」
「自分は全然うるさくないように、不快なツイートをしないように、こうやって全力で抑えているのに!!!」(昔の自分は本当にうるさかったし、酷いツイートばかりしていた気がするが もう反省したのだ)
「何の努力していないアナタが何故、根拠のない跳ねっ返りだけでミュートし返すことができるのだ???」
「そもそもが、そっちからフォローしてきたのでは無いか???」
「自分が「うるさいアナタ」をミュートするのは、ただの「片思いフォロー状態」に戻っただけにすぎないではないか」
「そちらからしても、リムられるのよりはミュートのほうがマシだろうに!???」
「それともアナタは、アナタのような馬鹿を相手にしてくれる馬鹿だけを集めている馬鹿なのですか????」・・・というような思いが心のどこかにあるのです。
(どんどん文章のテンションがやばくなってきているが)
そもそもの大前提の話。
最近ツイッターやってるときの感覚の話。
最近、ツイッターやってても、
「フォロワーさん全員にミュートされているのではないか」という気分しかありません。
(自分はそれでも平気だが)
そしてこれは、どうやら自分だけが感じている被害妄想ではないらしいです。
全然関係ない外部のコミュニティのトピックでも、
「最近ツイッターの反応が全く無くなったなぁ」というような主張が、とても多く見られるようになりました。
やはり公式にミュート機能が出来てから、このような感覚が皆の間に広まっているようです。
「どいつもこいつも自分のことをミュートにしているに違いない・・・」という疑心暗鬼が、ツイッターには蔓延している。
終わりの始まり。
本当に、
この「公式に」ミュート機能実装というのは、
一番「やらかしてしまった」機能なのかもしれません。
この疑心暗鬼の広がりは凄いとおもう。
しばらく反応が無かった人には、もうミュートされていると勝手に感じてしまう現象。
人と人の心を繋ぎ止めていた重力が崩壊していくのを感じる。
物凄い「アンチATフィールド力」を感じる。
物凄い「57億の孤独」を感じる・・・。
ちょっと前までは「引力、即ち愛!」だったのに、
もはや重力は斥力と転じ、ダークマターは勝手に崩壊してしまったようだ。
何度も言うが、本当に、
公式がミュート機能入れてから、ツイッターの反応というものが激減したと思うのです。マジで。
(実際、
ツイッター全体のPVは下がり続けているらしいし)
(もう落ち目よ オチュメーロフ)

ところで、
自分は↑こういう通知を確認するのが物凄っっっっく嫌いなの、で (この心理現象についてもいつか説明したい) (
「エゴサーチ出来ない病」という風に解説したい)
自分はこの通知が「99+」になるまで毎回毎回放置しています。 なるべく限界までたまってから見るようにしています。 たまりきらないと見ない。
(シツレイすぎる話だけど、これマジ話です)
(自分は、「知らない人」から話しかけられても、何て返していいか分からなくて、すごく怖い)
(だから知らない人から話しかけられても結果的に無視してしまうことばかりである)
(そして、
「無視してしまった」ということに後から気づくのも、もう嫌になってくる)
(だから
確認するのも億劫になってしまった!)
(結局その根本のところを見て見ぬふりするようになってしまったのです)
(自分が自分のブログ全然確認したくないのも、実は同じ理由)
(どうせ嫌なコメントがついてるに決まってるし)
(ちなみに、ミュートしてる人から話しかけられたときどうするかなんて、知ったこっちゃありません)
(だって、相手のことミュートしてるくせに、リプ貰った時だけ通知で確認して対応するとか、一番シツレイだと思いませんか??)
(だから自分は、ミュートした相手のことは、もうキッチリ無視します その方がよっぽど誠実だと思うから)
んで、ミュート機能ができてからというもの、この通知のたまり方が凄い遅くなったと思う。 気のせいだろうか。
いや、それは自分が、自分のツイートをよくふぁぼってくれる人とか
リプをくれる人に限ってミュートにしやすいから、結果的にそういうことになっただけなのかもしれない。
「なんでそんなことするんだよ!!!」「自分のこと良くしてくれてる人をなんでミュートするんだよ!!!」と、
思うかもしれない。
だが逆なのだよ。
自分のtwilogとかを見ていると、「過去によく話した人のリスト」とかが出るのだが、
ああいうのを見てて、つくづく思うのだ。
やはり「ネット上で他人に気安く話しかけてくる人」というのは、
「単に五月蝿いだけの人」だったりする確率が凄く高いということ。
言ってしまえば地雷率が高い。↑
上で挙げた特徴でいえば、
よく他人にリプを投げるような人に限って、
「#フォロワーさんが自分のこと一言で説明してくれる」みたいな糞ハッシュタグを多用してたりするのだ。
ウェーイな感じの人ほど、クソ艦これの報告とかしてるのだ。
全く何なのだ、この糞法則は。
(自分がちやほやされたいだけの人は、「他人も自分と同じようにちやほやされたいのだろう」と考えるのか知らないけど)
(そんなのはとんだ勘違いだということを教えてやりたい)
(つまり「ちやほやされたがっている人」が他人にちやほやしやすいということだ)
(全く鬱陶しい話である)
まぁそういう「気安い人 && 五月蝿い人」を黙らせまくっていくと、結果こうなるワケだけど。
勿論そういうことをしていくと、ふぁぼやリプは減る。
でも自分は、ふぁぼなんかより
「ノイズのない静寂」のほうがよっぽど良い、ということに気づいてしまったのだ。
ふぁぼを
「自分をフォローしつづけさせるためのご褒美」みたいに使う人のツイートなんて、
ガマンして読む価値もないってこと。
そんな人を蹴ってでも、価値あるツイートだけを選んで読んでいかなければならないのだ。この、ゴミのような、ノイズのような情報で溢れかえってしまったネット上だからこそ、そういう「切り捨て」が必要なのだ。
「玉石混交」の中から金言を見出すこと。
「レモン市場」から価値を見抜くこと。
そのような「選別」こそが人間のやるべきことなのだ。 ゴミを見続ける理由はない。「この人のツイート糞うるさいよなぁ・・・」
「でも、そういう人に限ってリプとかふぁぼくれるんだよなぁ・・・」
「だから、リムるにリムれないんだよなぁ・・・」↑
このような思いが、ツイッターをやるにあたって
「贅肉」のような重みになってしまっているのです!!!
もう苦痛なんだよ!!!「SNS疲れ」というのは、要はそういうことだ。
だがそこで疲れて止めてしまったら本末転倒ではないか。
だから、自分は、もう、そういうのは全部捨てるようにした。
今回のミュート宣言は、そういう宣言でもあるのです。
こういう人は相手しない。 こういう人に相手にされることも、もう期待しない。
ミュートとは何なのか。今度は全く別の角度から「ミュート」について考えてみる。 (長い話だなぁ)
これは、一種の
「囚人のジレンマ」なのだと思う。
「この人は本当に自分のツイートを読んでくれているのだろうか???」そういう疑念が産まれたとき、人はどう動くだろうか?
まずこれは、
囚人のジレンマと同じように損得感情をポイント化出来る気がする。
・相互フォローでどっちもミュートしてないなら
お互いにまぁ得をする +1 +1
・相互フォローなのに相手を一方的にミュートしたなら
自分だけがより特をする +3
(相手の五月蝿いのを読まずに済むというメリットがある分、でかい)
そして相手からしてみれば、
自分ひとりだけが人のツイートを一方的に読まさされている状態なので、大損である -2
・相互フォローなのにお互いにミュートしているなら
これはもう、実質的にブロックをしたのと同じであるから、
お互いに損をしている -1 -1・・・
とまぁこんな感じの損得のバランスになっていると思う。
で、戻る。
このような損得勘定の中で、
「この人は自分のツイートを読んでくれているだろうか?」と不安に思った時、
人はどう動くか。ここではなんと、
「自分が先に相手をミュートしておけば大損はしない!」という心理が働くのですよ。
相手に先にミュートされると、自分は
-2の大損である。
が、先に相手をミュートすれば、自分は
+3の大得である。
ならば、とにかく先にミュートにしておけばいいではないか!
後からミュートされ返すことを考えたとしても、
-2を食らうよりは、お互いに-1で手を打った方が、痛手も浅くてすむ!!!!
相手に先に裏切られるよりも、自分が先に相手を裏切ったほうが、損が少ないんだあああ!!!!!!!
これが必勝法だあああああああ!!!!!!!!!!これよ。
こういう行動に陥ってしまうのが、「囚人のジレンマ」。
今のツイッターに蔓延しているであろう
「先制ミュート」の心理は、こういうこと。
ツイッターの反応がどんどん悪くなる。
↓
もう何を呟いても何の反応もない。
↓
もう、誰もかれも、自分の事をミュートしているのかもしれない。
↓
こいつら、人のことミュートしてるくせに、面白おかしくつぶやきやがって・・・ムカつく!
↓
こんなやつ、自分のことを本当にミュートしてるかどうかは分からんが、やはり先にミュートしておく分には、損はないだろう!
↓
ツイッターの反応がどんどん悪くなる。こういう悪循環ですね。
冷戦ですね。
この先、デタントが必要だ。
でもまぁ、「囚人のジレンマ」というのは本当はそれだけの分析では無いはずなのですよ。
本当は、お互いを信じて+1 +1になるのが、
「相互の利益」「合計の幸福量」という観点で見た場合は、一番オトクなのです。
そのことが、忘れ去られている。
皆が、目先の利益、自分だけの利益だけを追い求めるから、
結局 -1 -1の不毛な関係ばっかりの世の中になってしまうのだ。(まぁ、
「人のことミュートしておいてお前は何を言っているのだ?」と怒る人もいるだろうけど)
(自分には大義名分があるから、知らん)
(こういう
「疑心暗鬼からの先制攻撃」とは違うんです)
(ひどい話だ)
んで、
こういうのを乗り越えるのは、
「しっぺ返し理論」と「お互いの学習」と言われている。
が、やはり自分は、馬鹿や五月蝿い人は相手したくないのだ。 馬鹿な人は学習しないし。
というワケでスマンことよ。
お前も馬鹿なくせにだって?
それは分かっているけど、
「じゃあなんで馬鹿なニートをそっちからフォローしたのだ」という話にしかならないのだよ。
自分が今話しかけているのは、そういう人だけを対象にしているから。
とにかく必要なのは、
「自分は不快なツイートをしているかもしれない」
「自分はつまらない人間かもしれない」
「自分は他人に相手されなくて当然な人間かもしれない」そういうことを常に意識するということだ。
自分は、いつだってそう思いながら、生きている。そういう「無知の知」のような認識が必要という話。
無知の知の話をしている人に向かって「お前も無知なくせに!」と言ったって、何にもならない。
そんな感じで、もう和気あいあいとしたツイッターはオシマイです。 サツバツ
ウルサイ馴れ合い民が、また一つSNSを崩壊させたのだ。
で、自分はというと、気になる芸能人さんとか気になる漫画家さんとかのツイートを読んでいるだけで、まぁ満足です。
もうこの世には、伊集院光と水さえあればいいのだ。つまり元の状態に戻っただけですね。
壁にでも話してろよ。今も昔も、自分は壁に話しかけてるような気分でツイッターやってます。
電波文章、 完。
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