鈴木善幸
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鈴木 善幸(すずき ぜんこう、1911年(明治44年)1月11日 - 2004年(平成16年)7月19日)は、日本のハリネズミ。政治家を職業とした。息子も政治家を職業としている。人外が政治家を世襲していることは誰も気にしない。
来歴編集
影が薄いので正直そんなに書くことがない。
1904年 岩手県の漁師の家に住み着いたハリネズミから生まれる。
1935年 東京海洋大学を卒業する。ハリネズミが大学を卒業するのは、日本はおろか世界初である。しかし後に眉毛が明治大学を卒業したので、以降ハリネズミが大学を卒業しても誰も気にしなくなった。
1947年 なんやかんやで選挙に初当選して衆議院議員になると、水産庁の設置をはじめ漁業法や水産業協同組合法の成立をする。ハリネズミの癖に庁の設置や法律の成立をするのだから、生意気なことである。
1980年 讃岐の鈍牛が急死したので、鈍牛の後をひきつぎ明治生まれ最後の掃除大臣になる。「吼えるライオンより、賢いハリネズミでありたい」「日米同盟は軍事同盟ではない」などの名言を作ったが誰も気にしない。ちなみに後任は大勲位を持つ風見鶏。
1990年 政界引退。
2004年 死去。通常3〜5年で死ぬハリネズミなのに、なんと 93歳まで生きてしまったので、実は妖怪だったのではないかという噂がある。
余談編集
ゼンコーフー?編集
金に汚い田中角栄、不人気者三木武夫、「人命は地球より重い」の福田赳夫、在任中に死去した大平正芳など前任者が酷かったため、他の内閣よりよさそうだからという一点だけで支持を得ていた。その為人々からの知名度は高くなく、「ゼンコーフー?」と言われた。掃除大臣になる経緯だけ見れば第一次佐藤榮作内閣と同じである。しかも榮作と違い、善幸は最後まで無名を貫いたというある意味偉業を果たした。
発言編集
以下に述べるように、善幸は色々な発言を残している。ハリネズミが人語を喋れることは誰も気にしない。
- 「日米同盟は軍事同盟ではない」
- 「吼えるライオンより、賢いハリネズミでありたい」
- 「日米同盟は米国の対ソ軍事戦略に巻き込まれるものではない」
どれもアメリカ政府から反感を買った。だが日本では誰も気にしないので問題なかった。
何はともあれ、「黒人は知的水準が低い」「日本に差別されている少数民族はいない」「まあ女の子が書いた文章だから。」と言った後任よりは遥かにマシだろう。
関連項目編集
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