好きなものに育てられた。
吉本ばななさんから「東京にいるなら会おうよ!がむしゃらに奢るよ!」と連絡が来た時は、驚きのあまり小躍りをした。公共の場であるにも関わらず、自分一人では抱えきれない衝撃に「ひょえひょえひょえ〜!」と言いながら、左脳も右脳も踊り狂った。池で釣りをしていたら鯨が釣れた気分だった。釣竿は折れたが、釣竿が折れた喜びでいっぱいになった。本当に嬉しい時や、本当に驚いた時は、頭ではなく身体が動き出すんだなと思った。小躍りできる人生っていいなと思った。人生は何回小躍りをできるかの勝負だなと思った。
自分みたいな罪人が聖人に会ったら消滅するんじゃないかなとビビって、テキーラのショットを煽った。全身がカァーっと火照って「ふおぉ〜!」となった。頭ではなく身体が動き出して「そうこなくっちゃ!」とか「面白くなってきたぜ!」とか「神様ありがとう!」と思える瞬間が、自分は本当に大好きなんだなと思った。思わず小躍りをしてしまう瞬間や、思わずガッツポーズをしてしまう瞬間や、思わず涙が出てしまう瞬間に、本当の喜びや、本当の望みがある気がした。それは、正しさとは少し違う楽しさや嬉しさだと思った。
会う前は散々緊張した。私に会う人もこれほど緊張していたのかなと思ったら「みんな、ごめん」と思った。お会いした時に、吉本ばななさんが話してくれた「愛のあるシャケ弁当には骨がない」の話が最高だった。竹富島に行った時、ばななさんはシャケ弁当を食べた。その時、ばななさんは色々と大変な出来事があって、気持ち的に沈んでいた。愛のあるシャケ弁当には骨がない。愛のないシャケ弁当には骨がある。ばななさんが食べたシャケ弁当には骨があった。一瞬凹んだ。だが、直後に「私は坂爪圭吾のnoteを読んでいるじゃないか」と思ったらモリモリっと力が湧いてきて、シャケの骨が口から出てきた。だから、坂爪さんには直接御礼を言いたかったのですと言われた。
聖人からご連絡をいただくと「もう誰のことも悪く言わない」的な気持ちになる。これまでのすべてを懺悔して、四方八方にごめんなさいと言いたくなる。誰のことも悪く言わない。明日には絶対言うけど今日は言わない。今日にも言うと思うけど気持ちだけは言わない。楽しいなあ。毎日楽しいなあと思った。友達がいなかった私は、映画や音楽や小説が好きだった。映画や音楽や小説に出てくる人たちが、私の友達になり、私の育ての親になった。私を育てたものは、私が好きになった人だった。好きなものができたら、一人ぼっちになることはなかった。友達がいなかった訳ではなかった。友達はこんなにもたくさんいた。映画、音楽、小説、花、鳥、空、海、こんなにもたくさん。私の世界は、私が思うよりも賑やかだった。
吉本ばななさんが私を知ってくださったきっかけは、過去にイタリアの壇珠さんとやっていた往復書簡だった。今日、壇珠さんから連絡が届いた。そこには「往復書簡、激震再開しますか!なんかこう、最近はみんなコンプラを意識して生きちゃってるから、そこに風穴をあける風神雷神としてまたやりとりできたらいいですね!」と書かれてあった(壇珠さん勝手に引用ごめんなさい!)。壇珠さんから連絡が来ただけで、飼い主が帰ってきた時の犬のように、私の尻尾は振り乱れた。好きな人たちが与えるエネルギーは、こんなにも肯定の力にあふれているのかとビビった。楽しいなあ。毎日楽しいなあと思った。友達はこんなにもたくさんいた。映画、音楽、小説、花、鳥、空、海、吉本ばななさん、壇珠さん、こんなにもたくさん。私の世界は、私が思うより賑やかだった。
坂爪圭吾さま
はじめてメッセージします。
「ホームをレスした話」を読み衝撃を受けてから「いつかお会いしてみたい」と思いながら、10年近くなるのにメッセージすら一度も送ったことのない
隠れキリシタンの◯◯と申します。
40代なのに親元にいて自立出来てないダメな大人です。
坂爪さんのお会いした人たちのとの話に何度も救われつつも
「38才なのに大人になれないよーと大泣きした女性」より私はもっと年上なのに大人になれないことに情けなくて今も泣いてるし
自立のためにと祖母からいただいた大金を使いたいように使い切ってしまい
実家から出られてないし
何度も体や精神を病んでは頑張って回復し行動し自立を試みるも
子供のままの自分に嫌気がさし
坂爪さんに会う勇気もすっかり失ってました。
自分のダメ自慢をしたかったのではありません。
20代の頃、会社を鬱で退職し体が少し動けるようになったころ
図書館に通い、そこで吉本ばななさんの本に出会い
比喩ではなく希望の光を見ました(本が発光していた)。
図書館にあるすべての蔵書をむさぼるように読み漁り
みるみる精神が回復してきて、ばななさんに救われたことがあります。
色んなカウンセリングやセラピーを受けても何も癒されなかった部分が
はななさんの本を読むたびに癒されていきました。
(余談ですがその後さくらももこさんのエッセイにも癒され
図書館の蔵書をすべて読みました、お二人がご友人と知り嬉しかった一人です)
命を断つことしか考えられなかった時期に、命を救われたと感謝をご本人に伝えたい、いつかお会いしてみたい、でもお会いすることをイメージするだけで
涙が溢れてオイオイ泣けてくるので無理だなと思うくらいばななさんは
「人生で一度は会いたいけど、好き過ぎて会いたくない人」でもあります。
でも自分の不甲斐なさのせいで好きな人を遠ざけるみたいに
ばななさんから離れてた時期があり、なのにここ最近ずっと
読み続けていた坂爪さんの投稿にばななさんのお名前が!
嬉しくてFacebookのコメントにいいね押してました。
そしたらなんとばななさんの御本が坂爪さんの元に!
坂爪さんの喜ぶ様子に自分のことのようにうれしくなり
ばななさんの粋な言葉にもグッときました。
そしてそんな家宝みたいな大切な本を坂爪さんは独り占めしないで
いつものように分けたいと…
時が止まりました。
なんか吐き気がしました。
一番欲しいものは一番欲しくない
一番会いたい人は会いたくない
一番好きな人には好きと言えない
今までの自分の人生、一番欲しいものを欲しいと言えたことがあるのかな?
と思ったら腹の奥から出たくて長年押し込めてたものが
出てきそうで怖くなりました。
願いを放つことすらせず、一人で心を閉じて
私みたいなダメな人は受け取る資格ないと拗ねていじけていたのは自分で。
いつか会いたいけど会いたくないのは
坂爪さんに対してもそうなんです。
一度だけ千載一遇のチャンスが来たのに
(体調が悪く電車も乗れない自分がギリギリ自力で動ける距離に坂爪さんがいる、という奇跡のタイミングが一度だけありました。坂爪さんのご著者を買った時で「サインが欲しいな」と望んだ翌日のことでした)
ばななさんと同じく「会うことを想像しただけで泣けてきた」ので
ヘタレな私は怖くて連絡することができませんでした。
私にとっての恩人のお二人、ばななさんが坂爪さんに贈った大切な本が
もし私の手元に来たら?とイメージするだけで
ワナワナと手が震えてきて…涙が出てきました。
そして私はまたその一番の願いを世に放つことなく
腹の中にしまって「もっと必要な人がいる」と。
「私は今、昔より元気になったし、本も買おうとしたら買える、
実家でぬくぬく生きてるだけの人。
シングルマザーで明日のご飯代も払えない人もいる
その中でばななさんのファンの方もいるはず、そんな人が受け取るべき」
そしたら先程、坂爪さんの「願いを放て」の言葉を読み
吐きそうになり、手が震えながら 泣きながら
初めてメッセージを打ってます。
ばななさんから坂爪さんに渡ったばななさんの本、
私がこれから前を向いてもう一度歩けるための
勇気になるお守りとして、一冊譲って欲しいです。
もう結果がどうとかではないのですね。
こうして願いを、怖くなるほど一番に欲しいものを欲しいということ
まだ送信はしてないのに
腹からの望みをこうして初めて外に出せたただけで
うれしくてこんなに泣いているんですから。ずっと涙が止まりません
坂爪さん 怒ってくださってありがとう
素直になれなかった私に願いを放たせてくれたこと
心から感謝します
おおまかな予定
2月23日(日)東京都中央区界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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コメント
2骨が喉に刺さったその瞬間ほんとうに坂爪さんnoteをスマホで読んでたからね!
本当のごっつあんですをありがとうございます!