スージー鈴木の『Now And Then』第8回
ボロボロになるまで読んだ本
2025年は、矢沢永吉ソロデビュー50周年となる節目の年だ。
中島みゆき、浜田省吾(バンド「愛奴」として)、山下達郎(バンド「シュガー・ベイブ」として)など、大物音楽家がデビュー50周年を迎えるアニバーサリー・イヤーだが、とりわけ「矢沢永吉50周年」のインパクトは大きいと思う。
50周年を記念して「俺たちの矢沢永吉展」が6月に開催される。「ステージ衣裳・愛用楽器・写真・本人の私物、直筆の譜面展示の他、YAZAWAを支えご賛同を頂けた皆様からYAZAWAに関連する様々な品々を集め」「正式な展示作品」とする展示会だ。面白そうだ。他にも、50周年記念のいろいろな活動が展開されていくのではないか。
さて私(58歳)たち世代は、矢沢永吉の凄みを知っている。矢沢永吉がガンガンのし上がっていく姿を、リアルタイムで見てきた世代である。
しかし、である。矢沢永吉に対するシンパシーに関して、私と周囲とでは、どうも決定的な段差がある気がするのだ。
理由は分かっている。私が思春期の頃、穴が空くほど(実話。綴じるところがボロボロになって買い替えた)熟読してしまったからだ、あの本を――。
『成りあがり』――矢沢永吉という人間に決定的なシンパシーを抱かせる、まさに決定的な一冊だ。