戦場での大けがで入院後に自宅に戻ったビクトリア・ゾリチさんの父=2023年7月、ウクライナ中部チェルカスイ州(ゾリチさん提供)
冗談好きだった父は、ロシア側と戦った2度の従軍で心を閉ざした-。ロシアが2022年2月にウクライナに侵攻してから約3年。戦乱の故郷を離れ、日本に留学するビクトリア・ゾリチさん(21)は、今も空襲警報におびえる両親や友人を思うと「平和」を実感できない。母国の惨状を伝える報道は減るが「戦争は終わっていないことを忘れないで」と訴えた。
幼心に記憶に残る父の印象は「自信家」。よく釣りに連れて行ってくれた。父が一変したのは、ウクライナ東部ドンバス地域で起きた14年の紛争だ。親ロ派武装勢力が独立を宣言し、ウクライナ軍と交戦に。ロシア軍による22年2月の全面侵攻につながる戦闘で、父は志願兵として参戦した。
ゾリチさんは当時11歳。「戦死するかも」。父を思い、毎晩泣いた。一時的に帰宅した際「パパ愛しているよ。また会えますように」と、手紙にしたためた。戦場でまな娘のメッセージを胸のポケットに入れ、常に携帯していたと後に聞いた。
翌年帰還した父は、安全なはずの自宅でも「戦場にいるかのようだった」。背後に立つと過剰に反応し、ミサイルの音を想起させる口笛を嫌った。心配する家族をよそに、父は「誰も理解できない」と考え、苦悩を打ち明けることはなかった。
22年2月の侵攻開始後、軍の要請で再び戦場に赴き、精神をさらに病んだ。23年5月に目の辺りに被弾する大けがをし、入院後に自宅に戻った父は、家族に冷たく当たった。「助けたいのに、心を開いてくれないのはとてもつらい」
ウクライナ中部チェルカスイ州に住んでいたゾリチさんは、通学先の大学が福岡県の日本経済大と提携し、学位を得られる制度があると知る。アニメ好きで日本語を学び、訪日が夢だった。「ここでは何が起きるか分からない。新たなチャンスをつかみなさい」。父の助言に背中を押され、23年9月に留学した。
誰も空襲警報やドローンの攻撃におびえない日本に戸惑う日々。「戦争のない国でどう暮らせばいいのか、わからなかった」。母国での戦闘は終わりが見えず、日本にいても「自分には平和は訪れていない」と感じる。
平和とは「将来を思い描き、仕事に行き、恋人や友人をつくり、『平和が今日終わるかもしれない』という恐怖を感じないこと」。4月からは神奈川県の自動車部品メーカーで働く。故郷の平和を願い「日本で安定した生活を築き、家族を支えたい」と前を向いた。
ドンバスの紛争 ウクライナ東部ドンバス地域(ルガンスク、ドネツク両州)では、同国南部クリミア半島をロシアが強制編入した2014年から、両州の親ロ派武装勢力がそれぞれ「人民共和国」を名乗って州の一部を実効支配し、ウクライナ軍と戦闘。即時停戦などを含む合意が結ばれたが履行されず、戦闘が散発的に続いた。ロシアのプーチン政権は22年2月、両方の「人民共和国」の独立を承認した後、ドンバス地域のロシア系住民保護を理由にウクライナに侵攻。ロシア軍は地域の大半を制圧した。