落ちる、落ちる、落ちる。
六道伊吹は20階のビルに相当する高さを落下していた。
《
そのような悪足掻きも、壁までの距離がありすぎて無意味となった。
走馬灯のように今までの人生が駆け巡り。
地面との衝突の瞬間、六道伊吹は目を瞑った。
「………………は?」
一瞬、理解が及ばなかった。
だって、それは衝突ではなかった。
ほんとうに、いつの間にか。気が付かないうちに、六道伊吹は地面に立っていたのだ。
まるで、元からこの地面を歩いていたかのように。
そして、見渡した光景もまた理解不能だった。
六道伊吹は穴に落ちた。その筈だ。
なのに、ここから見える景色は穴に落ちる前と遜色なかった。違いはそれこそ、穴の有無だけ。
「……いや、なんか違うな」
ふと、違和感があった。
穴の有無とは全く別の、大きな違いがあるように感じた。
数秒考えて、それに思い当たる。
「
〈
にも関わらず、見える景色には活気があった。直接住民を視認したわけじゃ無い。気配がしたと言っても、文字通りの意味では無い。
埃が付いていない窓ガラスや遠くから聞こえる車の音が、今もなお人が暮らしている形跡を示す。
『まってー‼︎』
「はッ⁉︎」
びくっ⁉︎ と、反射的に戦闘態勢を取る。
真後ろ。身体が接触していない事が不思議なくらい近くから、甲高い声が聞こえた。気配は一切感じ取れなかった。
「……は?
そこにいたのは、恐らくはブレンダ先輩だった。
ブレンダ先輩の面影はある。だけど、記憶の中の彼女とは姿形が全然違っていた。
『まってよー! おかーさーん!』
『も〜。今日はパパの誕生日だって言ったでしょ〜? 早く帰ってあげないと、パパ泣いちゃうよ〜?』
「………………
母親と思われる人がブレンダ先輩の名前を呼ぶ。その名前はブレンダなんかじゃなかった。なのに、彼女は無邪気な顔で呼び声に応える。
「おいッ、ちょっと待ってくれ‼︎」
側から見れば、幼女に言い寄る不審者。
だけど、俺はそんな事にも頭が回らないほど、脳が麻痺していた。意味不明の連続で、既に参ってしまっていた。
そして、俺の手が幼女の肩を掴む──
「……ッ⁉︎」
──
「何が──」
「────
またしても、気配はなかった。
だが、今度は俺に向けて放たれた言葉だった。
警戒しつつ、振り返る。背後には、修道服に身を包んだベージュの髪の女性がいた。何処か、ジェンマと似た印象を受ける綺麗な女性だった。姉か、それとも母親か。
彼女は
「どっかのお馬鹿さんが異能でもない時間遡行を連発したから、きっと揺り戻しが来ているのねぇ」
「何の、話だ……?」
「貴方がそのままの姿で此処にいるのは驚いたけど、まぁ貴方の世界観を考えるなら当然よねぇ。これは異能ではない、ただの自然現象なのだから」
「ここは何処だッ? ここは……
何となく、気が付いていた。
だから、何処ではなく何と尋ねた。
それでも、否定が欲しくて彼女に尋ねる。
しかし──
「ようこそ、六道伊吹くん。此処は〈
人気があるのも当然だ。
だって、ここはまだ街が放棄される前。
ブレンダ先輩が天命機関に属する事なく、一般人として生きていられた時代だ。
「時間遡行……とは言っても、これは異能じゃなく“奇蹟”と同じ類の自然現象よぉ。大方、第五摂理が不安定化している状況で時間遡行を繰り返したせいねぇ」
「どうッ、すりゃあ……⁉︎」
「気にしないでいいわぁ。これはちょっとした休憩時間。貴方が何かをする必要なんて……
「……はい?」
えらく気が抜ける。
何だこの人? そもそも誰だ?
「あー、それはどういう事だ?」
「本来、時間遡行に巻き込まれているなら肉体や精神自体も若返っているはずよぉ? だけど、貴方は17歳のまま。
……そうか、この人の言う事を信じるなら、これは異能ではなく自然現象。
世界観を貫通する効果はなく、俺が時間遡行することは無い。
「街自体が時間遡行した今、貴方だけが現在にいるわぁ。きっと、時間遡行という概念が存在しない世界観を持つ転生者は貴方だけだったのねぇ。そして、異なる時間軸のモノは交わる事はない。貴方が出来るのは、過去を観測するだけだわぁ」
「なるほどな──だが、それってテメェの話を信用するならだよな?」
こんな意味深な喋り方するヤツが怪しくないわけあるか。
《
「
──
「まさかッ、テメェも……⁉︎」
「いいえ、違うわぁ。わたしに干渉できないのは、さっきの子供とはまた違う理由よぉ」
そう言って、彼女は修道服をたくし上げる。
思わず、目を見開いた。
「簡単なことだわぁ、
「お前は一体……?」
イギリスに相応しい綺麗な
「
黄金時代。
そう呼ばれた時期の
「──元
「ついて来なさぁい」
そう言った彼女を後ろを追う。
街は喧騒に溢れていた。
沈黙した未来の廃墟とは異なり、
「何処に向かってる?」
「過去をぼうっと見続けるのも暇でしょお? だから、貴方にも利益がある行動をしようと思ってねぇ」
「……俺の利益?」
「ええ、そうよぉ。
そう言って、指差した先に。
その男はいた。
──“白”。
それが男を見て初めに浮かんだ言葉だった。
白い髪に、白いスーツ。銀の縁のフレームが細い眼鏡。
柔和な笑みを浮かべているが、何処か胡散臭い印象を受ける。
だが、“白”は見た目だけから思い浮かんだ言葉じゃない。
その男はまるで穢れなき極光のような男だった。或いは、刃毀れなき剣とでも表現しようか。
どんな色にも染まるか弱い白じゃない。どんな色にも染まらない、無垢にして完全な色。悪に屈しない絶対的な清廉潔白。揺るぎない瞳と立ち姿からそんな印象を受ける。
(──どっかで会った事でもあったか?)
その立ち姿に既視感を覚える。
いつか何処かで、俺は彼を見た事があるような……?
「あの男は誰だ?」
「……彼の名はアダマス。当時の
彼がブレンダ先輩の前任者。
もしかすると、既視感はブレンダ先輩の立ち姿とダブったものなのかもしれない。
(……そういや、ブレンダ先輩が前任者の事をちょっとだけ話してたっけ?)
あれは俺がブレンダ先輩と戦った時の事だったか。
なんて言ってたっけ……? 確か……本気を出した誰かに手も足も出ずに殺されたとか……。だれ、だった……け? なにか、わすれて────
「──
意識が戻る。
一瞬、思考が飛んでいた。
彼女が指差す先、そこには二人いた。
どうして気が付かなかったのだろう。
注意しないと分からない、それくらいもう一人の少女は気配が無かった。
それは一〇歳くらいの少女だった。
背丈からすると、もしかしたらもっと幼い子供かもしれない。
少女は銀髪の、美少女で────
『情報は確か何だろうな』
『今までボクが嘘をついていた事が一度でもあったかい? ボクの「原作知識」は完璧だとも。信頼したまえ、
『……私が君を信じられる訳ないだろう。
「思った通りねぇ」
「なん、だ……?」
「第五摂理が破綻しかかっている今なら、彼女が消滅した時間軸から離れるほどその影響は少なくなると予想されるわぁ。
「俺……なんで、泣いてんだ……?」
よく、分からないけど。
きっと、ずっと求めていたモノがそこにある。
無意識のうちに近づく。
無意味と知りながらも手を伸ばす。
そして────
『
「────は?」
間違いなく、そいつは俺に対して言葉をかけた。
「俺、か?」
『私の目線の先には君以外誰も居ないと思うが?』
「……はあッ⁉︎ 待てッ、おかしい‼︎ 時間遡行に巻き込まれた俺が過去を視認できるのはまだ分かる! だけどッ、何で過去にいるお前が俺に話しかけられるッ⁉︎」
『答えてもいいが……そろそろ時間ではないか?』
なにを、と聞く暇はなかった。
景色が不気味に揺らぎ始める。
「何がッ、何が起こってる……⁉︎」
『単なる時間の揺り戻しだ。君が元の時間軸へと戻るだけ。害は無いから気にすることはない』
ノイズと砂嵐に世界が覆われる。
目の前にいるはずの男も、手を伸ばした彼女も見えなくなる。
最後に、こんな声を耳にした。
『では、また会おう。
「生存者リスト」
▽天命機関
ブレンダ
ジェンマ
ロドリゴ
レオンハルト
etc
▽転生者
六道伊吹
“奴隷”
“冥府送り”
九相霧黎
ディートリンデ
フラン=シェリー・サンクチュアリ
ルーアハ
〈
一万を超える一般人、一〇〇を超える転生者、四人も集まった
「
ルーアハ
ディートリヒ・フォン・エルケーニッヒ
クシャナ
折手メア
アドレイド・アブソリュート
ロドリゴ
■■■■(現在はブレンダと名乗る)