作:幸運の白兎
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◇
オラリオの東と南東のメインストリートに挟まれた第三区画。
そこにはダイダロス通りと呼ばれる貧民街が存在しており、構造がまるで迷路のようになっているため、迷ったら二度と出てこられないとまで言われている複雑な領域でもある。
「はぁ・・・はぁ・・・はぁ」
そして、そのダイダロス通りの一角。
そこでは肩で大きく息をしたベルが明らかに上物であろう短剣をギュッと握り締めながら、正面に居るフルフェイス型のヘルメットを被った男を睨み付けていた。
ベルの体のあちこちには擦り傷を初めとする傷が多数見受けられ、その一部からは血が流れている。
客観的に見て、男との戦いで負った傷なのは明らかであり、事実全くその通りだった。
(いったいなんなんだ、この人!)
そもそもベルからしてみれば、何故このようなことになっているのかが分からなかった。
十分程前、モンスターの脱走したという報せを聞き、ベルはその解決に協力するため、街中を走り回り、脱走したというモンスターを探したのだが、そんなベルの行く先に立ちはだかったのがこの目の前の仮面の男だったのだ。
勿論、最初は交戦するつもりはなく、遠回りにはなるが迂回して先を急ごうとしたのだが、そんなベルにこの男が攻撃を行ったことで、そのまま成し崩し的に戦闘となった。
だが、先程から何度も攻撃しているものの、その悉くは目の前の男は軽く──それも取り回しの難しい筈の大剣で──いなされ、全くダメージを与えられている様子はない。
このことから、目の前の男は少なくとも格下、あるいは同格のレベル5という可能性は無いと言っても良く、おそらく6、最悪7である可能性が非常に高いとベルは推察していた。
しかし──
(レベル6以上の冒険者が居るのは、フレイヤ・ファミリアかロキ・ファミリアだけ。でも、先日見たロキ・ファミリアの幹部の人達にこんな大男は居なかった)
第一級冒険者を有する派閥はオラリオには幾つか存在するが、中でもレベル6以上の冒険者が所属しているのはロキ・ファミリアとフレイヤ・ファミリアの2つだけだ。
あとは噂で闇派閥幹部の生き残りであるディース姉妹がレベル6に至っているという話であったが、姉妹という言葉にあるようにその性別は女性。
それが目の前の男である可能性は無いと言っても良く、更に先日豊穣の女主人で見たロキ・ファミリアの面子にこのような大男は居なかったことから、ロキ・ファミリアの可能性も低い。
となれば、考えられる可能性はただ1つ。
(この男はおそらくフレイヤ・ファミリア。お義母さんが特に注意しろと言っていた派閥)
フレイヤ・ファミリア。
それはロキ・ファミリアに並ぶ都市最大派閥の片割れであり、都市唯一のレベル7が在籍している派閥。
内部抗争が頻繁に起こるらしく、その事から技と駆け引きはどの派閥よりも優れており、連携を重視するロキ・ファミリアとは対称的に個の武力に傾倒する傾向がある。
その為、エリート揃いと名高いロキ・ファミリアの冒険者ですら、仮に同レベルで
(なんでそんな派閥が僕を襲って来たんだろう?・・・いや、今はそんなことはどうでも良い)
そう、襲撃してきた相手が誰で、その襲撃してきた理由がどんなものであろうと、今はどうでも良いのだ。
第一、確認しようとしたところで意味がない。
何故なら、フルフェイス型のヘルメットを被っているということは、自分の正体を知られたくないということであり、そんな相手に『あなたは何者だ?』と聞いたところで、律儀に答えてくれる訳が無いのだから。
ならば、いま重要なのはこの場をどうやって切り抜けるかだ。
(隙を見て逃げる?いや、無理だ。多分すぐに追い付けられる)
まず真っ先に思い付いたのは逃走という選択肢。
だが、これはすぐに無理だと諦めた。
ベルの脚はヒューマンとしては規格外の速さであり、並の獣人をも上回る。
しかし、4度器を昇華させたベルの観察眼は、それを以てしても目の前の男から逃げるのは無理だと判断していた。
せめてレベルがもう一つ上か、あるいはベルの父親が持っていたという“逃走”の発展アビリティが有れば、振り切れずとも見失わせる事くらいは出来ただろうが、そんな事を言っても仕方がない。
(でも、戦っても全く歯が立たないし、そもそも装備だって万全じゃない)
元々、ベルは今日、戦闘はおろか、ダンジョンにすら行くつもりが無かった為に、ヘスティア・ソードはおろか、防具すら持っていない状態だった。
そんな有り様で格上の相手と遣り合うのは無謀でしかない。
・・・いや、厳密に言えば手段を選ばなければ出来ない訳では無かった。
魔法やスキルを使えば、やり方次第ではレベル差を覆せたりもするのだから。
だが、町中でそんなものを使えば、街の人達に危険が及ぶのではないか?
そんな思いがベルに魔法やスキルの使用を躊躇わせていたのだ。
「───来ないのか?」
ベルが思考を巡らせている中、全く動かない相手に焦れたのか、男はそう問い掛けてくる。
それに対して、ベルは武器を構え直す反応を見せたものの、男に攻撃する様子は全く無い。
まだどうすれば良いのか、思考が纏まっていないのだ。
これがダンジョンのような常在戦場の場所ならばそうはならなかっただろうが、このようなモンスターが暴走している状況でまさか人に襲われることになるとは思わず、頭の理解が追いついていなかった。
「ならば、こちらから行くぞ」
男──オッタルはそう言いながら、ベルに対して攻撃を開始した。
◇30分前
時はモンスターの脱走騒ぎが起こる15分程前に遡る。
「───ねぇ、オッタル。私、いま凄く欲しい子が居るの」
オラリオ某所の建物の上。
傍らに居る従者に向かってそう口にするフードを被った銀色の髪をした女神。
彼女の名はフレイヤ。
この世界とは全く別のとある世界では北欧神話とも言われているアーズガルド出身の美の女神であり、その神格は大女神にも匹敵する。
美の女神だけあり、その容姿は滅多な美女には靡きもしない神々ですら魅了されてしまうであろうほど美しく、事実、同郷・異郷問わず、下界に居る大半の男神は彼女の
が、その一方で同じ女神には彼女を嫌う者、苦手とする者は数多く、オラリオの歓楽街を牛耳る女神──イシュタルはその筆頭と言える。
──そして、そんな彼女に話し掛けられた従者の名はオッタル。
彼女が率いるフレイヤ・ファミリアの団長であり、オラリオ唯一のレベル7。
間違いなく今のオラリオにおける最強の冒険者であり、オラリオに限って言うのであれば、彼と一対一で戦って勝てる冒険者は存在しない。
「あの真っ白な髪の子。ちょっと変わった色だったけど、とっても輝いていたわ。是非、私のファミリアに迎えたいくらい」
「──では、我がファミリアの一員として迎え入れましょうか?」
自らが忠誠を掲げる女神の言葉を聞いたオッタルはそう尋ねるが、それに対してフレイヤは意外にも首を横に振った。
「駄目よ。少なくとも、あの子の主神がどんな存在であるかが分かるまでは勧誘はしないわ」
この時点でフレイヤは、彼女の言う真っ白な髪の子──ベルを手にするつもりはなかった。
まあ、主神があまりにもクズなのであれば、白黒エルフやガリバー兄弟の時同様にしがらみを消すために主神を送還して力付くで手に入れることも視野に入れていたが、善神、あるいはそこまで言わずとも彼と波長の合うファミリアに居る場合はソっと眺めるだけに留める事に決めている。
「───とはいえ、何もしないというのも面白くないわね」
あの魂はフレイヤから見てもかなり珍しいほどに美しく綺麗だ。
ちょっかいを掛けるだけの価値は十分すぎるほどにある。
「オッタル。今から私が場を混乱させて機会を作るから、あの子に洗礼を与えなさい」
フレイヤは従者にそう命じる。
最初は怪物祭で使われるモンスターを暴走させてそれを当てようかとも思ったが、あの魂の輝きの大きさからして、かなりの実力者であることは確か。
おそらく並のモンスターどころか、自身のファミリアの幹部クラスでもぶつけなければ勝負にすらならないだろう。
そう判断したフレイヤはオッタルを彼にぶつけることにした。
「ただし、殺しちゃ駄目よ。一方的に襲っておいて殺したなんて言ったら目覚めが悪いから」
だったら襲わなければ良いだろう。
少なくとも、まともな人間がフレイヤの言葉を聞けばそうツッコむ筈だ。
だが、彼女は
人間には及びもつかない思考を巡らす存在であり、それは天界時代はもちろん、全知零能の身となって下界に降りてきた現在も変わらない。
──そして、そんな彼女の言葉を聞いた
「──御身の御心のままに」
◇回想終了
強い。
オッタルはベルに攻撃を行い(勿論、フレイヤに言われたように加減している)ながら、そんな感想を抱く。
(実力は間違いなく第一級冒険者。おそらくレベル6下位。もしくはそれに近いレベル5といったところか?)
それでもレベル7、それも上位のアビリティを持つオッタルにとっては軽くいなせる程度の相手でしかない。
だが、ファミリアの一般団員程度ならば容易に捻れるであろうし、幹部の中でも一番レベルの低いガリバー兄弟ならば、一対一でやり合えば勝てるかもしれない実力が有るのも確かだ。
技と駆け引きに関してはレベルの割には稚拙なところもあるが、それでも形にはなっているところから、おそらくいまベルが持っている短剣は本来の獲物ではないのだろうとオッタルは推測していた。
(ならば、こちらもお前の強さに敬意を表して、最高の“洗礼”を与えよう。だから、乗り越えてみせろ)
かつてゼウス・ヘラに挑んだ自分のように。
オッタルはそう思いながら、ベルに対して更なる攻撃を加え始める。
──そして、一方のベルはそんなオッタルの攻撃に対応することができず、徐々に傷が増えていく。
「がっ・・・ぐっ・・・くっ、クソおぉぉお!!」
あまりに一方的な攻撃に冷静さを失っているのか、ベルは半ばやけになりながらも、攻撃を次々と繰り出していく。
その連続攻撃は冷静さを失っていながらも自身の
だが、オッタルはそれすら許さずにベルの攻撃を軽く捌き続け、やがて一瞬だけ攻撃が途切れた瞬間を狙い、大剣をベルの短剣目掛けて繰り出す。
手加減しながらも凄まじい力と技が込められたその一撃は、
「なっ・・・」
持っている唯一の獲物を砕かれたことによって、ベルは驚きに目を見開く。
だが、それでも流石は第一級冒険者というべきか、すぐに態勢を整えようとするが、そのほんの僅かな隙をオッタルは見逃さない。
「──ここまでか。次に戦う時は最良の状態でやれることを願っている」
そう言いながら、オッタルは手刀をベルの首筋目掛けて叩き込む。
そして、動揺したことで反応が僅かに遅れたベルに、そんな格上の攻撃が躱せる筈もなく、そのままオッタルの手刀をその身に受けてしまい、急速に意識を落としていく。
(ちっ、くしょう)
意識を失う直前、ベルの心に在ったのは、そんな屈辱と悔恨の想いだった。