無人の校舎の中。
バタバタバタバタッ‼︎ と、響く足音。
その後ろを追いかける異形の獣たち。
栗栖椎菜とジェンマはクリスの群れから逃走する。
「あっ、あれが全部クリスさんですか⁉︎」
「なわけないっす! 師匠の精神じゃ自我の複製には耐えられない! 本体が何処かにいるはずっす‼︎」
数多の動物の姿形を混ぜた混沌獣。
それがざっと数えただけでも三〇体は存在した。
ギョロギョロと肌に浮かぶ瞳を動かし、クリスの声を発する。だが、それら全てはクリス本体ではなく、彼女が使役する怪物に過ぎない。
その上で。
混沌獣全てが無数の異能を保有する。
「ッ、また異能を使うつもりっす!」
「了解です! 一掃します‼︎」
第四の終末摂理───『枯渇』。
あらゆる異能の攻撃を無視して、三〇体の混沌獣を消し飛ばす。
結局、椎菜達に可能な対処法はこれのみ。ジェンマが異能を発動する意図を読み、寸前に栗栖椎菜が殺害する。
ただこれを繰り返す事で、混沌獣共の使用する初見殺しを事前に防いでいた。
しかし、必死の抵抗も大局は動かせない。何度終末摂理を掃射しようと、何体混沌獣を殲滅しようと、数秒あれば彼らは補充される。
「あらあらぁ、逃げるしかできないのかしらぁ?」「そ・れ・と・も、まさか怖気付いたぁ?」「さすがよねぇ? 伊吹に告白する勇気がなくて、折手メアに掻っ攫われた女なだけあるわぁ」
「っ!」
「耳を貸す必要はないっす。あそこに師匠がいない事は分かってるんすから、アレは元々混沌獣に教えさせてた言葉。言うなればインコの鳴き声みたいなもんす」
師匠が一体一体言葉を教え込んでいる様子を想像すると笑えるっすよ、とジェンマはクリスを馬鹿にする。
栗栖椎菜の強張った表情は和らぐ。一方で、ジェンマは軽い口調とは裏腹に、必死に思考を回転させていた。
(お粗末な精神攻撃。……だけど、何を狙っている? こんな獣は六界列強相手には時間稼ぎにしかならない。なにか、自分が予想していない切り札があるはず……)
そもそも、異能の使い方が悪い。
異能の脅威とはそれ自体の力ではなく、どの異能がどんな効果を持っているのか分からないという隠密性にある。
使われるまで効果が分からない。
最悪の初見殺し。テロリスト御用達の兵器。
そう、ジェンマは師匠から教わった。
そのはずなのに、当のクリスは無数の異能を持つ混沌獣を逐次投入で使い潰している。
(『枯渇』の摂理で異能を奪われた時の対策に、異能の情報を開示したくなかった? いや、あり得ないっす。それならそもそも、アダマスさんはこんな対戦表にしなかった。椎菜さんと自分、師匠は二人の天敵のはず)
ならば、発想を逆転させろ。
無数に存在する異能。初見殺しのオンパレード。
作戦会議では誰もが沈黙した絶望的な能力値。
それをドブに捨てても良いと思える何かを、クリスは手に入れているのではないか?
「ッ、ここは一旦逃げるっす! 自分達の目的は道を切り開く事! 師匠を放っておいても────」
「──残念。時間切れねぇ☆」
真後ろ。
ずっと、クリスはすぐ側に潜んでいた。
ジェンマは即座に理解した。
これが空白の七年間の真相。
全知全能のルーアハすらも欺いた、絶対に気配を悟らせない異能。
「……なるほど、その異能を使いながら攻撃はできない。のこのこと現れて、呑気にわたし達に話しかけた事からも明らかです。嵐の巨人による強襲の時もそうでしたね」
「厳密に言えば、隠れながら攻撃はできないってだけよぉ。ほら、死んだと思ってたキャラが登場して活躍するシーンは派手じゃないと面白くないじゃなぁい」
「………………は?」
奇妙な言い回しだった。
ジェンマにはその既視感の正体が分かった。
クリスが手に入れた、最低最悪の異能の正体も。
「……何のつもりですか? 安全圏から獣を操り、初見殺しを押し付け続ける。それが無数の異能を持つあなたの強みだと言うのに」
「強靭な肉体を持った無数の混沌獣? 初見殺しを押し付ける無数の異能? 必要ないわぁ。無数の異能に勝るたった一つ、最強にして最悪の異能は既にこの手にあるのだから」
「………………師匠、まさか……ッ⁉︎」
たった一言。
クリスは告げた。
「────《ご都合主義》」
それだけで。
クリスは二人に勝利した。
「折手メアの異能! 因果を捻じ曲げ、自身に都合の良いように世界を書き換える現実改変能力‼︎」
「だって、椎菜ちゃんは六界列強なのでしょう? それなら同じ六界列強の異能じゃないと歯が立たないわぁ」
自分が勝つと思えば勝つ。
相手が弱いと思えば弱くなる。
最低最悪の異能。二一世紀最悪と謳われた転生者の力。
かつて、ジェンマは彼女をこう称した。
第一位を除けば、番外位は他のどの六界列強よりも強いと。
それこそが折手メアの全盛期。今となっては失われた《ご都合主義》という名の異能。
その悪夢を、クリスは自由自在に扱う。
彼女が信じるたった一人の原作主人公のために。
「よぉし、こうしましょう。さっき戦った混沌獣達。難なく倒されていたように見えたけど、実は疲労は相当溜まってたんじゃないかしらぁ?」
「なっ、……ッ⁉︎」
「ふっ、ふざけ──っっっ」
声を荒げる気力さえなかった。
顔を上げて相手を睨む、それすらもできない。
疲労が頂点に達した。自分の頭はダンベルよりも重かった。
「疲れたぁ? 酸欠にもなってそうねぇ。頭は回らないんじゃないかしらぁ? 終末摂理に接続する余裕もなくなったわねぇ」
一つ一つ、武器が封じられる。
異能も、身体も、思考も動かない。
あまりにも一方的。
本来、折手メアと他の者にはこれだけの実力差があった。
「実はさっき戦った混沌獣の中には敵を毒死させる個体もいたのよぉ。異能を使う暇もなく一掃したかのように思えたけど、実は異能を受けていたかもぉ? あらあらぁ? 実はそれって疲労じゃなくて毒が回ってきたんじゃないかしらぁ」
ジェンマは無駄だと言った混沌獣との一戦。
しかし、実はこんな仕掛けがあった。
つまり、辻褄合わせ。
先に異能使いとの戦闘を行わせておく事で、都合良くその影響を引用できるようにした。
もはや何でもありだった。
実はこんな異能を持っていた。
実はあの時に異能を使っていた。
実は異能の影響が体を蝕んでいる。
後からこじ付けで設定を捩じ込んで、後の展開を強引に歪める。
(あり、えな……矛盾、設定は……むり、じゃ──)
本来、《ご都合主義》にここまでの自由度はなかった。
その異能は自由に世界を改変する能力ではなく、自分が面白いと思った通りに世界が書き換わる能力。矛盾設定を嫌う折手メアでは、過去にこじ付けで事象を捩じ込んで展開を改変するなんて事はできなかった。
だが、クリスはジェンマの師匠。
彼女もまた精神操作についての技能を持つ。
故に、自己暗示によって《ご都合主義》の影響力を拡張する事など容易かった。
クリスには折手メアにあった唯一の弱点すら存在しない。
六道伊吹だろうと、第四位だろうと、今の彼女には敵わない。
それは対番外位のために精神操作に特化したジェンマとて変わらない。
能力の差は歴然。
立ち向かう事すら許されない。
ジェンマには、もはや解決策は思い浮かばない。
「ふ、ふふ」
なのに。
彼女から漏れたのは笑い声だった。
「凄い。凄いっすね、やっぱり」
「何を、笑っているのかしらぁ?」
「自分には到底思い付かないっす。流石っすね、椎菜さんは!」
栗栖椎菜、彼女は最初から笑みを浮かべていた。
だって、負けるのなんて当然だ。
あの六道伊吹の母親が、栗栖椎菜程度に負けるなんてあり得ない!
初めから、敗北は織り込み済み。
だから、考えるべきは負け方。
「認めましょう。わたし達じゃ、あなたには勝てない。その異能……最強です。攻略法とか思い付きません」
「……ッ、なら、その笑みをやめなさい」
「やめませんよ。だって、これは勝利宣言ですから」
栗栖椎菜は負けた。
クリスに敗北した。
その事実は変わらない。
しかし、それは戦闘という局地的な敗北に他ならない。
総合的に見れば、栗栖椎菜の勝利は確実だった。
「わたしの目的はあなた達の討伐ではありません。第一位の討伐、そのために伊吹さんが通る道を切り開く事。それを成し遂げるのは、わたしじゃなくたって構いません。始めからあなたは────あなた達は見誤っていた」
クリスも、グレイも、アダマスさえも。
未来が予測できる? 馬鹿を言うな。折手メアの愚行を予測できない精度のそれが何だ。
彼は見逃した、とある未来を。見えるはずがない。予測できる訳がない。だって、彼の未来予測は確率論に基づいてこの世界を演算した結果。
だから、その時点ではこの世界に姿を現していない転生者は予測できない。
かつて、折手メアの転生を予測できなかったように。
今回もまた、アダマスは予測できなかった。
「新しく転生者を生み出す。それだけで、わたしはアダマスさんの予測から抜け出せます」
第四摂理、『枯渇』。
かつてそれを手にした魔王は『転生者製造機』と称された。
「……全部、賭けたというの⁉︎ 見た事もない転生者にッ!」
「信じたんですよ、この街を。わたしが産まれ、伊吹さんが育った布都野町。折手メアが熱狂した物語の舞台。わたしはこの街に暮らすありふれた人々を信じています」
だから、頼んだ。
だから、任せた。
新しく生み出した、その転生者達に。
「ふっ、不可能だわぁ⁉︎ 貴女に転生者を増やす暇なんてなかった! そんな小細工を仕掛ける余裕なんて────」
「──それすらも人任せにできるとしたら?」
そう、時間はあった。
栗栖椎菜は佐武真尋に電話をかけていた。
ならば、他の者にも連絡を送っていた可能性は考えられないか?
「終末摂理の正統接続権の所有者は六界列強です。でも、同じ世界観を持つアドレイドさんだったり、クローンのサササッチさんだったり、擬似接続が不可能な訳ではありませんよね?」
つまる所、それが栗栖椎菜の強みだった。
ただ強いだけじゃない。
ただ賢いだけじゃない。
何でもあり。彼女はいつだって、誰も考えが及ばないような手を打つ。
クリスの頭に一人の人間が思い浮かぶ。
それは栗栖椎菜から産まれた者。
それは栗栖椎菜に終末摂理を奪われた者。
辿り着いた答えに自分でも信じられないみたいに、クリスは震える声で問いかけた。
「……ディートリヒ・フォン・エルケーニッヒ……?」
「…………これが労働、ですか」
「どうしたのかな、急に?」
ディートリンデ──かつてそう名乗り、三瀬春夏冬に全てを売り払った少女は遠い目で崩壊しつつある街を見つめ、小さくつぶやいた。
「いえ。感情を全て支払ったわたしですから嫌という気持ちはもちろん無いのですが、なんですか……この、無の感情は……。いえ、元々感情はないのですけど」
「それはもう感情があるのと同じじゃ……?」
九相霧黎は寂しげに笑った。
ディートリンデの下手な冗談は、自分を気遣ってのものだと分かっていたからだ。
「仕方ないさ。この世界が終わればぼくらも死ぬ。そんなのは、ぼくらに相応しい結末とは認めない」
彼らは転生者を量産していた。
ディートリンデによる擬似接続と、彼女を模倣する事による九相霧黎の擬似接続。
二人がかりで、既に街に存在する約一割の人間が異能を手に入れていた。
それを知った上で、ディートリンデは首を傾げた。
「どうしてこの街の人々は前世の記憶に打ち勝てるのでしょうか?」
本来、無理に異能を引き出した場合、現世の人格は前世の人格によって塗り潰される。
それなのに、たった一人も、前世に屈した人物は存在しなかった。
「この街の人々が特別だから……ではないよ」
この街で産まれた転生者、九相霧黎はそう語る。
「この街は普通の地方都市だよ。ぼくの通っていた高校にはキャラの濃い人がたくさんいたけれど、それでも彼らはありふれた高校生に過ぎなかった。この街の人々と同様にね」
「でしたら、何故……?」
「それは勿論、何かしらの絡繰はあるのだろうね。世界が救われる方向に流れを生み出す原因が」
「いえっ、でも、不可能よぉ! 転生者が生まれたってそれが味方するとは限らない! どんな前世の人間かも分からないような転生者に全てを賭けるなんてッ、そんな博打が成功する訳がない‼︎」
「可能です。既に流れは生まれているので」
「なが、れ……?」
「お忘れですか? それともご存知ありませんか? わたしはかつて同じ高校に通う生徒全てを転生者に変えて、この街全体を覆う異界化現象を引き起こしました。そして、その異界はわたしの精神の影響を大きく受けていた」
〈星砕戦争〉で生まれた七百人を超える転生者達。
彼らは九相霧黎の手によって既に元に戻っている。
しかし、彼らに宿った異能までもが消え失せた訳ではない。彼ら自身に自覚はなくとも、異能は肉体に残留していた。
だから、今もなおこの街は栗栖椎菜の影響を受ける。
彼女の精神が異界に指向性を与える。
「何となく、上手くいく流れ。何となく、前世の人格よりも現世の人格が優先される流れ。何となく、悪行を我慢して善行を積む流れ。何となく、世界が救われる流れ。この街には現在、そういった流れが生まれています。そういった流れが生まれるように、わたしの精神をジェンマさんに操って貰いました」
「…………ッ⁉︎」
「そして、今もなお転生者は増え続け、彼らは手に入れた異能で人助けでもしてるのではないでしょうか。そうして異能が使われる度に異界化現象は大きくなり、わたしが持つ影響力もまた強くなる」
異界化現象の影響の一つとして、空間の歪みが挙げられる。
そして、その歪み方を自分で制御できるとすれば──
「──わたしは空間に穴を開けて道を作る事ができる‼︎」
『血路界通』。
六道伊吹が歩む第一位へと繋がる道。
数多の犠牲の上に、道は繋がった。
「…………ふ、ふふふふふ。道は繋がった、確かに負けたわぁ」
クリスは負けを認める。
アダマスの予測を超えた功績を認める。
しかし、その口ぶりに諦めは見えなかった。
「でも、無駄よぉ? だって、こちらには《ご都合主義》がある。そんな都合の悪いモノ、とっくに塞がっているわぁ」
現実改変。
それは異界化現象よりも優先される。
どんな努力をしようと、どんな素晴らしい功績だろうと、クリスのちょっとした思考で全ては台無しになる。
「──構いませんよ。既に伊吹さんは通り終えているので」
「…………………………………………は?」
だから、クリスが認知していない内に全ては終わっていた。
「はははっ! 焦って頭が回ってないっすねぇ、師匠! これは勝利宣言っすよ? 既に終わったから悠長に会話してるんすよ、当たり前じゃないっすか!」
「は? そ、そんな訳が……まだ戦いが始まってから十分程度しか経って……………………………………、あ」
クリスは気づく。
気づいてしまう。
「あ、ああっ、あああああああああああああッ⁉︎」
「そうですよ。『枯渇』の摂理は概念すらも消費できる。あなたは混沌獣の一掃だけに終末摂理を使ったと勘違いしていたようですけど────」
「──時間を消費しました」
三時間。
この校内でのみ、それだけの時間が経過していた。
クリスの焦燥が具現化する。
現実改変を伴い椎菜とジェンマを殺す。
だが、もう遅い。血路は通った。命を賭けたバトンは繋がった。
──ただし、一点。
椎菜は言葉に嘘を織り交ぜていた。
道は作った。
しかし、六道伊吹がそこを通ったかまでは把握していない。
《超機動玉座》が粉砕したように、もしかしたら六道伊吹が予想外の襲撃に殺されている可能性だって存在する。
だが、椎菜はそんな可能性を度外視した。
六道伊吹を信じた。
(ふふっ、信じてます。わたしの恋した伊吹さんならっ、わたしの愛する伊吹さんなら絶対に勝ってくれるって)
椎菜はとうの昔に失恋した。
その恋慕の情が残っていないとは言わないが、彼女の胸には新たに全く別の想いが灯っていた。
それが、家族愛。
あるいは母性。
六道伊吹の一挙一動が愛らしい。
六道伊吹の邪智暴虐も誇らしい。
六道伊吹の何もかもが大切で、彼を束縛して世界の何もかもから守ってあげたいし、逆に彼の背中を押して世界に羽ばたいて欲しい。
栗栖椎菜の胸の中で、家族としての愛情がインフレしていた。
「敗因を教えてあげましょうか? 伊吹さんのお母さん」
数秒後に殺される事を知りながら。
栗栖椎菜は勝ち誇って笑う。
「あなたは伊吹さんのお父さんを信じて、伊吹さんを信じなかった。いいえ、そもそもの話、世界を救うために自分が母である事を切り捨てた」
そう、椎菜は信じる。
彼女が真に六道伊吹の母であったのならば、栗栖椎菜程度の策が通るはずがなかったと。
「あなたより、わたしの方が愛情が深かった。ただそれだけです」