深夜の暗い路地裏で。
ブレンダとアダマスは激突する。
両者は共に無手。
戦闘音は聞こえない。
下手すれば、子供の喧嘩にも劣る睨み合い。
しかし、現代最強と史上最強の殺し合いは既に水面下で始まっていた。
「──
「──
響く足音は体内を揺さぶる振動波。
震える指先はフェイントを誘うフェイク。
漏れる喉音は集中を途切れさせるノイズ。
一挙一動、全てが攻撃。同レベルの敵を相手に兵器はもはや足手纏いにしかならない。
「……このままでは埒が明きませんね」
「ふむ、私も同意見だ。そちらにタイムリミットがあるように、私もまた少しでもこの
不意に、両者の動きが止まる。
素人目には無防備にしか映らない構え。
しかし、分かる。それが成し遂げる結果は予測できずとも、それは最強達が作り上げた必殺の構えであると。
そう錯覚するほどの、速度と轟音。
あるいは超音速に足を踏み入れていたのではないかと思うほどの速度で、ブレンダはアダマスの懐まで潜り込む。
「チッ、《ゾンビウイルス》か!」
「シッ‼︎」
常人には不可能な身体技巧。
肉体の
二つが組み合わさり、コンクリートの壁すら素手で砕く力が一〇〇%加速のために使われる。
アダマスの足の筋肉が硬直する。ブレンダを目で追う事ができても、対処は間に合わない。
インパクト。
弾丸染みた拳がアダマスの顎を撃ち抜く。
(いやッ、躱された……⁉︎)
インパクトの瞬間、既にアダマスの顎は浮いていた。
顎に触れはしたが、骨を砕くほどのエネルギーは全て
爪先。
ブレンダの一撃を吸収した回転が、アダマスの脚を持ち上がらせてブレンダの股を蹴り上げる。
ゾンビの馬鹿力を使って咄嗟に回避する。
──しかし、読まれていた。
回避のためには大きな跳躍が必要だが、それ故に着地点を途中で変更する事はできない。
無防備な滞空中を、アダマスの投げつけた石が襲う。
三つの石それぞれの威力は大きなモノではない。
だが、三点の衝撃波が体内でぶつかり合った事で血液中に気泡が生じる。
「ぁ、がっ‼︎」
ブレンダは無理に大声を出す事で、四つ目の波を生み出して三つの衝撃波を散らす。
血液中に気泡が生じないようなぶつかり方へと攻撃を逸らす。
「はッ、はっ、は──」
ほんの数秒の交錯。
それだけで、息が切れる。
動きはブレンダの方が速かった。
踏み込みも、拳も、回避も。
だが、動きの始まりはアダマスの方が圧倒的に
ブレンダが行動を始めた時には、既にアダマスの攻撃がそこに置かれていた。
史上最強の天使、アダマス。
未来視。あまりにも圧倒的な力。
(ならば、どうする──?)
まずは彼の未来視を超える。
そうしなければ、戦いにすらならない。
作戦会議でも考えた。
しかし、異能を持たぬブレンダには解決法などたった一つしか思い浮かばなかった。
「「
声が被る。
こちらの思惑は筒抜け。
だが、構わない。
アダマスの早さを超えるほどの速さで。
「見せてあげますよ、史上最強」
「ああ、本当に嫌になる」
「
「現代最強ッ! これだから天才は‼︎」
世界を見て回ったアダマスが、これからの世界を任せるに足ると考えた唯一の人間。
ブレンダはアダマスほど賢くない。
ブレンダはアダマスほどの人望はない。
ブレンダはアダマスのように未来は見えない。
だが、その一点のみでは。
走る、
目にも止まらぬ速さ。そして、神さえ欺くほど極まった気配遮断。
ほんの数メートル先にいるはずなのに、何処にいるのか分からない。足音さえも消え、あらゆる感覚器では捉えられず、信じられるのはアダマスの脳が弾き出した予測のみ。
(だから、他の者には任せられなかった。
六道伊吹とは違った才能。
アダマスとは異なる怪物。
ブレンダの特異な点はその技巧。
身体を動かす精度に存在する。
誰しも、思った通りに身体を動かす事なんてできない。
体はブレる。どれだけ簡単な動きでも一〇〇回行えば一回は失敗するし、動き方の理屈を説明されても一発で成功するのは難しい。
しかし、ブレンダにはそれがない。
彼女は身体の芯から指先まで自己を統べている。
それが理論上可能な動きであれば、一発でそれを成功させる。
ほんの僅かでも勝利する可能性があるのならば、その通りに戦況を動かす。
アダマスだからこそ視えた特異性。
彼女によって分岐する可能性は非常に少ない。
どんな状況、どんな逆境においても、たとえ何度繰り返したとしても、
一手。
ブレンダの手刀が迫る。
ここまで来れば小細工による防御など意味はなく、自身の体力を消費するのみ。
アダマスは神速の突きを軽く弾く事で、首へ当たる軌道をギリギリに逸らす。
二手。
死角を突いた膝蹴り。
ブレンダの蹴りを布一枚の距離で躱すため、アダマスはほんの少しだけ後退りする。
三手、四手、五手。
目にも止まらぬ連撃。
膝、手、肘。
全身を稼働させて衝撃を地面へ流す。
この辺りで、少しずつ防御が間に合わなくなり始める。
六手。
連撃に重なる、体内を掻き乱す衝撃の魔手。
肉体接触の瞬間に受けた攻撃。
僅かではあるが神経伝達に遅れが生まれる。
地面から伝わる衝撃や、ブレンダが発する声もまた肉体の痺れを助長する。
ほんの少しずつ、疲労が重なる。
マトモな生者たるアダマスと、ゾンビとなって疲れを感じなくなったブレンダの差は大きい。
ほんの少しずつ、防御が遅れる。
どれだけ先読みして早い動きだろうと、もはやブレンダの速さには追いつかない。
ほんの少しずつ、負傷が生まれる。
細かな傷が出血を生み、徐々にアダマスの命を削っていく。
そして、永劫にも感じられる交錯の果て。
アダマスは自身が致命へ至る未来を知る。
沈黙。
真人間に過ぎないアダマスはそこで死亡する。
「────
ドスッ、と。
重い音がブレンダの内側に響く。
「……如何にゾンビと言えども、脳を完全に破壊されれば再生はできまい」
結局、全てはアダマスの予測通りだった。
戦闘の才能において劣るアダマスでは、現代最強のブレンダを殺せないと知っていた。
現代最強。
アダマスが死んだ瞬間。
その瞬間だけは、ブレンダに隙が混じる。
人間としてのアダマスは此処で死んだ。
脳細胞がブレンダによって破壊された時、アダマスという人間の人格は消えた。
しかし、アダマスという遺志は死なない。
脊椎が、神経が、細胞が、アダマスの肉体に宿る全てが『アダマス』という人間を覚えている。
かつて、レオンハルトという
たとえアダマスが死亡しても、生前のアダマスが行うであろう行動を無慈悲に実行するプログラムがそこにはあった。
動く死体。
哲学的ゾンビ。
細胞の一片でも残っている限り、アダマスは止まらない。
「…………………………なッ⁉︎」
この戦いにおいて初めて、アダマスの予測を覆した事象があった。
「
脳を破壊された筈の彼女はまだ立っていた。
「あり、えない! 君が“私”の予測を超えられる筈がない‼︎」
「ええ、そうですね。不可能でしたよ、
「な、に……?」
「でしたが、いたでしょう?
「────ッ、まさか!」
アダマスが世界を救うために近づき。
反対に世界に混乱を撒き散らした女。
世界で一番傍迷惑な転生者。
「
彼女だけは、アダマスの予測さえ裏切る。
例えば折手メアの異能、《
ブレンダはその一点にかけた。
アダマスが折手メアの思考を読めない可能性。
折手メアが未来予測を超える可能性。
「初めから、全部
「いいえ? 本気でしたよ。中途半端な気持ちでは貴方に演技がバレるでしょうから、
史上最強が積み上げた準備、覚悟を。
ブレンダすらも主人公だと認識する折手メアの節操の無さが上回った。
脊椎、神経、細胞。
アダマスの遺志が宿った一つ一つを擦り潰す。
「私の勝ちです。いくらアダマスの行動を模倣するとは言え、脳と脊椎を破壊された貴方に未来予測をする事はできない」
「……ああ、認めよう。“私”の負けだと」
アダマスの遺体は潔く頷いた。
もはやこれ以上の抵抗に意味はない。
「「────
「──────────────────は?」
振り向くと、後ろには一人の男が立っていた。
それは、純白の男だった。
白いスーツを纏った、白髪の男性。
銀の眼鏡の奥には、刃のような眼差し。
「………………アダ、マス……?」
前方と後方、死にかけと無傷。
「ほん、もの……?」
「ああ。私は六道伊吹の父にして、元
「……ありえない。あり得ない! 双子とでも言うつもりですか? あるいは片方が影武者だとでも⁉︎ そんな訳がありません! 人類を救う力量の人間が二人もいるはずがない‼︎」
どちらが片方が偽物、ではない。
目の前の男も、先ほどの男も、力量に遜色はなかった。
「私はアダマスだ。だが……君は“自己”をどう定義する? その回答によっては、私はアダマスではないのだろう」
「な、にを……」
「私は“自己”を肉体と精神だと定義した。
そして、アダマスの同僚にはいた。
生命の肉体を自由自在に改造できる異能使いと、他者に電子化した精神を刻み込む事ができる科学者が。
「
だから、彼はアダマスだった。
だから、彼
アダマスと同じ脳、アダマスと同じDNA。
アダマスと同じ心、アダマスと同じ使命感。
ならば、それをアダマスと呼ばない理由はあるまい?
「結局、私は何処まで行っても
「──────、」
「量産に成功したのは私だけだったがな。自己同一性と言うのか、普通の人間の精神は自我の複製に耐えられないらしい。
「……貴方の、オリジナルは何処ですか?」
「知らないな。オリジナルの場所を──
人間、その極地。
それは確かに、人という規格には収まっているのかもしれない。
だけど、自己の崩壊すら恐れないそれをヒトと呼んでいいのかブレンダは分からなかった。
「……貴方が犠牲にした無辜の民も些事だと
「人聞きが悪いな。私は、私が私と成る前の
「そ、んな……」
「彼らもまた私と同じ志を持ち、世界を救いたいと願っていた。しかし、彼らには私のような世界を救うだけの──
「────
「私には君は殺せない」「折手メアの加護を得ているのならば特に」「だが、殺せずとも戦闘不能に追い込めばいい」「私達という物量で君を封殺する」「私が君を殺せずとも、私達は君を倒せる。私達は君達に勝てる」
アダマスは殺せない。
一人、二人を殺しても無意味。
きっとアダマスはここにいるだけではない。
いいや、そもそも、たった一人のアダマスですら苦戦したブレンダが百人を超えるアダマスに勝てる訳がない。
「予測を修正した」「グレイはイヴリンの四肢を落とし、アドレイドと相討ちになる」「
この道は途絶した。
目の前の相手を道連れにする事もできない。
ならば、諦める。
「
一人でも多くのアダマスをこの場に縫い止める。
いつか、誰かが、六道伊吹の通る道をこじ開けると信じて。
(ごめんなさい、六道君。後は任せました)
六道伊吹。
彼の事は正直、あまり好きではない。
最初は事件に巻き込んだ罪悪感もあって庇護対象として優しくしていたが、あまりにもめちゃくちゃ過ぎてこちらの心労が積もるばかり。
これは絶対に恋ではない。あんな心配ばかりかけるようなヒト、好きになる訳がない。
でも、それでも。
彼はきっと一つの理想だった。
極論ではあったけれど、彼の言葉にもまた正義は含まれていて、自分が死んでも彼がまだいるという事がこんなにも安心感を与える。
ブレンダの望んだ形ではないのかもしれない。
それでも、きっと、第一位が世界を終わらせるなんて結末は覆されるから。
(それに、時間稼ぎをするとは決めましたけど──)
ブレンダは挑発的に笑った。
「別に、倒してしまっても構いませんよね?」
直後。
たった一人の現代最強に、百を超える史上最強が殺到した。
残り220分