「せきが長引いているな」
箕輪はるかさんが長引くせきに悩まされていたのは2008年ごろ、相方の近藤春菜さんと一緒にお笑いコンビ「ハリセンボン」として人気が急上昇していた時期でした。
ハリセンボン・箕輪はるかさん 私が結核になった話
「まさか自分が…」
お笑いコンビ「ハリセンボン」の箕輪はるかさん。
2009年、せきが長引くため医療機関を受診したところ、なんと診断は肺結核。2か月間の入院生活を余儀なくされました。
かつては死の病と呼ばれた結核ですが、もう過去の病気だと感じていませんか?実は今も日本では年間およそ1万人がり患し、およそ1500人が死亡している大変な病気です。
この病気を乗り越えた箕輪さんの「病(やまい)体験」を聞きました。
(映像センター記者 藤田日向子・映像制作 中野貴世)
お笑いコンビ「ハリセンボン」の箕輪はるかさん。
2009年、せきが長引くため医療機関を受診したところ、なんと診断は肺結核。2か月間の入院生活を余儀なくされました。
かつては死の病と呼ばれた結核ですが、もう過去の病気だと感じていませんか?実は今も日本では年間およそ1万人がり患し、およそ1500人が死亡している大変な病気です。
この病気を乗り越えた箕輪さんの「病(やまい)体験」を聞きました。
(映像センター記者 藤田日向子・映像制作 中野貴世)
せきが止まらない
「せきが長引いているな」
箕輪はるかさんが長引くせきに悩まされていたのは2008年ごろ、相方の近藤春菜さんと一緒にお笑いコンビ「ハリセンボン」として人気が急上昇していた時期でした。
箕輪はるかさんが長引くせきに悩まされていたのは2008年ごろ、相方の近藤春菜さんと一緒にお笑いコンビ「ハリセンボン」として人気が急上昇していた時期でした。
「熱や鼻水、のどの痛みもなかったので、長引くかぜかなとあまり気にとめていませんでした」
ちなみに、どれぐらい長引いていたかというと…。
箕輪はるかさん
「最終的には半年ぐらいせきが止まらない。しかも、なんかこう最初は空ぜきみたいな感じだったんですけど、どんどん激しくなっていって、一回、せきをし始めたら、もう30秒ぐらい止まらないみたいな感じになってきて。それからせきのしすぎで、ちょっと胸が痛くなって、多分肋骨を骨折してたんじゃないかなと思うんですけど」
「最終的には半年ぐらいせきが止まらない。しかも、なんかこう最初は空ぜきみたいな感じだったんですけど、どんどん激しくなっていって、一回、せきをし始めたら、もう30秒ぐらい止まらないみたいな感じになってきて。それからせきのしすぎで、ちょっと胸が痛くなって、多分肋骨を骨折してたんじゃないかなと思うんですけど」
2009年4月になって、ようやく箕輪さんは医療機関を受診しました。
そして精密検査を受けたところ診断は「肺結核」。
医師からは『肺がチーズみたいに溶けているような状態。もう少し遅かったら大変なことになっていたかもしれない』と告げられました。
そして精密検査を受けたところ診断は「肺結核」。
医師からは『肺がチーズみたいに溶けているような状態。もう少し遅かったら大変なことになっていたかもしれない』と告げられました。
箕輪はるかさん
「結核っていう言葉に現実味がなくて。昔の文豪がかかるみたいなイメージだったので、びっくりしました。もう無くなった病気というイメージがあったので、まさか自分が結核になるとはという感じでした」
「結核っていう言葉に現実味がなくて。昔の文豪がかかるみたいなイメージだったので、びっくりしました。もう無くなった病気というイメージがあったので、まさか自分が結核になるとはという感じでした」
結核は感染しても必ず発病するわけではありません。
箕輪さんが発病した原因の1つとして医師からは「栄養が足りていなかったからではないか」と指摘されました。
※結核についての詳しい原因や症状、治療などは記事の後半に記載しています。
箕輪さんが発病した原因の1つとして医師からは「栄養が足りていなかったからではないか」と指摘されました。
※結核についての詳しい原因や症状、治療などは記事の後半に記載しています。
『ハリセンボン』人気者になる
2004年にデビューした「ハリセンボン」。
養成所で出会った近藤春菜さんと箕輪はるかさんの2人で結成したお笑いコンビです。箕輪さんならではの独特な空気感のボケと、「@@じゃねーよ」でおなじみの近藤さんの切れのいい突っ込みで、瞬く間に人気者の仲間入りを果たしました。
箕輪さんが結核と診断された2009年はデビューから5年、漫才の賞レースでも決勝に進出するなど、お笑いコンビとしてまさに勝負の時期。知名度が上がるにつれて仕事もどんどん増えていった時期でもありました。
養成所で出会った近藤春菜さんと箕輪はるかさんの2人で結成したお笑いコンビです。箕輪さんならではの独特な空気感のボケと、「@@じゃねーよ」でおなじみの近藤さんの切れのいい突っ込みで、瞬く間に人気者の仲間入りを果たしました。
箕輪さんが結核と診断された2009年はデビューから5年、漫才の賞レースでも決勝に進出するなど、お笑いコンビとしてまさに勝負の時期。知名度が上がるにつれて仕事もどんどん増えていった時期でもありました。
箕輪はるかさん
「ありがたいことにお仕事をたくさんいただいて、結構忙しくしていて、あまり休みがなかったですね。寝る時間も2、3時間とか結構当たり前になっていたかもしれないです。たまに(休みが)できると、1日中家で寝て過ごすみたいな、疲れがたまっている時期だったと思います」
「ありがたいことにお仕事をたくさんいただいて、結構忙しくしていて、あまり休みがなかったですね。寝る時間も2、3時間とか結構当たり前になっていたかもしれないです。たまに(休みが)できると、1日中家で寝て過ごすみたいな、疲れがたまっている時期だったと思います」
忙しさに加えて、箕輪さんには医師の「栄養が足りていないのでは」という指摘に心当たりがあったと言います。
箕輪はるかさん
「食事は現場に置いてあるお弁当とかをいただいてました。でも、好き嫌いとかもあったりして、食べられるおかずだけ食べたりとかしてました。ご飯は全部残して漬物だけ食べたりとかしてましたね。ある時、春菜と同じ楽屋でお弁当を2つ置いてくれていたのですが、『お肉』と『魚』があったんです。2人とも『お肉』が良かったんで、じゃんけんして私が勝ったんですけど、私がお肉のお弁当開けて、中に入ってるマスカットだけ食べて蓋したんです。その時の春菜は『なんで?!』ってすごい怒ってましたね。私はお肉というか、マスカットが食べたかったんです」
「食事は現場に置いてあるお弁当とかをいただいてました。でも、好き嫌いとかもあったりして、食べられるおかずだけ食べたりとかしてました。ご飯は全部残して漬物だけ食べたりとかしてましたね。ある時、春菜と同じ楽屋でお弁当を2つ置いてくれていたのですが、『お肉』と『魚』があったんです。2人とも『お肉』が良かったんで、じゃんけんして私が勝ったんですけど、私がお肉のお弁当開けて、中に入ってるマスカットだけ食べて蓋したんです。その時の春菜は『なんで?!』ってすごい怒ってましたね。私はお肉というか、マスカットが食べたかったんです」
当時の箕輪さんは食事よりも仕事で結果を出したい、休みよりも賞レースに向けて新しいネタを作りたい、そんなことばかりが頭にありました。
箕輪はるかさん
「せっかくお仕事いただいたので、頑張りたいっていう気持ちでやってました。現場で笑いを取りたいみたいなことで精一杯で、休まなきゃみたいなことはあんまり考えてなくて、なんとかお笑い芸人としてお仕事をもらって、何かいい結果を出したいっていう気持ちが、すごい先走ってたかもしれないです」
「せっかくお仕事いただいたので、頑張りたいっていう気持ちでやってました。現場で笑いを取りたいみたいなことで精一杯で、休まなきゃみたいなことはあんまり考えてなくて、なんとかお笑い芸人としてお仕事をもらって、何かいい結果を出したいっていう気持ちが、すごい先走ってたかもしれないです」
そして入院生活へ
結核はかつて「国民病」と呼ばれ、日本人の死因の第1位でした。今では治療薬があるものの、決して簡単に治る病気ではありません。
「ハリセンボン」の箕輪さんが結核になったニュースは、当時、大きく報道されました。
箕輪さんは診断を受けたその日から、感染症対応の病室で2か月間の入院生活を送ることになりました。結核の治療では複数の薬を半年間、毎日きちんと飲む必要があります。
治療のかいあって入院から1、2週間ほどたつと、あれだけ苦しんだせきは楽になってきました。
ただ、これまで経験したことのない病気です。不安を感じていました。
「ハリセンボン」の箕輪さんが結核になったニュースは、当時、大きく報道されました。
箕輪さんは診断を受けたその日から、感染症対応の病室で2か月間の入院生活を送ることになりました。結核の治療では複数の薬を半年間、毎日きちんと飲む必要があります。
治療のかいあって入院から1、2週間ほどたつと、あれだけ苦しんだせきは楽になってきました。
ただ、これまで経験したことのない病気です。不安を感じていました。
箕輪はるかさん
「自分の体がどうなっているのかよく分からなくて…。薬で治るって言ってもどれぐらいかかるんだろうかとか、治ったあと普通に生活できるのだろうかとか、そういうのをネットで調べたりしていました。一緒にお仕事した人たちにも検査にいってもらうことになり、直接、すみませんってお伝えできない苦しさもありました」
「自分の体がどうなっているのかよく分からなくて…。薬で治るって言ってもどれぐらいかかるんだろうかとか、治ったあと普通に生活できるのだろうかとか、そういうのをネットで調べたりしていました。一緒にお仕事した人たちにも検査にいってもらうことになり、直接、すみませんってお伝えできない苦しさもありました」
さらにつらかったのは隔離生活でした。
病室は6畳ほど。症状が落ち着いても感染を広げるリスクがないと確認できるまでは一歩も外に出ることができません。
もちろん、仕事は急きょ休むことになりました。先方には直接お詫びをすることも、説明することもできません。
病室は6畳ほど。症状が落ち着いても感染を広げるリスクがないと確認できるまでは一歩も外に出ることができません。
もちろん、仕事は急きょ休むことになりました。先方には直接お詫びをすることも、説明することもできません。
箕輪はるかさん
「もう仕事がなくなるかもしれない。お笑い芸人は代わりはいくらでもいる、そういう世界です。1回忘れられたらもう呼ばれないんじゃないかって、すごく不安でした。体は自由になったけれど、2か月も休んで復帰できるのかなあというのが、一番心配でしたね。当時は1日でも休んだら不安、みたいな感じだったので」
「もう仕事がなくなるかもしれない。お笑い芸人は代わりはいくらでもいる、そういう世界です。1回忘れられたらもう呼ばれないんじゃないかって、すごく不安でした。体は自由になったけれど、2か月も休んで復帰できるのかなあというのが、一番心配でしたね。当時は1日でも休んだら不安、みたいな感じだったので」
病室ではテレビをほとんど見ることができませんでした。自分たちではない誰かが活躍している姿を直視できなかったからです。
入院生活の間に1本でも新しいネタを作りたいと思いましたが、筆を執る手は進みませんでした。
ただ一つ、大きな偶然がありました。
入院生活の間に1本でも新しいネタを作りたいと思いましたが、筆を執る手は進みませんでした。
ただ一つ、大きな偶然がありました。
病室から見えた自分の原点
入院生活を始めた病室。窓から見えるのは東京の街並み、ビルが建ち並ぶ見慣れた風景です。
それでも箕輪さんにとって、そこはある特別な場所でした。
それでも箕輪さんにとって、そこはある特別な場所でした。
箕輪はるかさん
「都会だったんでビルが向かい側にあるんですけど、病室の窓からはビルとビルの間に一応、空も見えて、その下にカフェテラスみたいなとこもあって。それで、そこから見えるところに、昔よくネタ合わせしてた場所があったんです。たまたまだったんですけど、養成所に通っていた時に、よくその場所でネタ合わせをけんかしながらやっていました。それで、寒いからファミレス入ろうかとか言って。なんか懐かしいなと思って。その養成所時代を思い出せよみたいなことなのかなって思ったり」
「都会だったんでビルが向かい側にあるんですけど、病室の窓からはビルとビルの間に一応、空も見えて、その下にカフェテラスみたいなとこもあって。それで、そこから見えるところに、昔よくネタ合わせしてた場所があったんです。たまたまだったんですけど、養成所に通っていた時に、よくその場所でネタ合わせをけんかしながらやっていました。それで、寒いからファミレス入ろうかとか言って。なんか懐かしいなと思って。その養成所時代を思い出せよみたいなことなのかなって思ったり」
その場所で、お笑いの世界で売れることを夢見て一緒に泣き笑いしてきたのが、相方の近藤春菜さんです。
病室では感染対策に十分注意した上で面会が認められました。その病室に真っ先に駆けつけてくれたのも近藤さんでした。
病室では感染対策に十分注意した上で面会が認められました。その病室に真っ先に駆けつけてくれたのも近藤さんでした。
箕輪はるかさん
「入院した日の夜にお見舞いに来てくれて、マネージャーさんとキャッキャッと笑いながら来てたんで、いつも通りの感じで接してくれるのが一番嬉しかったなと思います。あんまり深刻な感じだとちょっとこっちも心配になっちゃうっていうのもありますし、仕事先にご迷惑をおかけしちゃうんですけど、春菜だからなんか任せられて安心しました」
「入院した日の夜にお見舞いに来てくれて、マネージャーさんとキャッキャッと笑いながら来てたんで、いつも通りの感じで接してくれるのが一番嬉しかったなと思います。あんまり深刻な感じだとちょっとこっちも心配になっちゃうっていうのもありますし、仕事先にご迷惑をおかけしちゃうんですけど、春菜だからなんか任せられて安心しました」
近藤さんはお見舞いに来るたびに、箕輪さんが好きな昔の刑事ドラマのDVDなどをお土産に持ってきてくれました。
そんな近藤さんがふと口にしたことばが今も胸に残っています。
そんな近藤さんがふと口にしたことばが今も胸に残っています。
箕輪はるかさん
「春菜が世間話をしている時に『やっと普通の友達のような感じで話せた、対等な関係になれたみたいな感じがした』って言ったんです。その当時は結構仕事が忙しくて2人で話す時間があまりなかったんですけれど。ネタ合わせとかすると、ネタに関して言い合いになったりとかしたり。2人とも真剣なのでそうなっちゃうんですけど、結構、私が強く言っちゃったりすることもあって、私のほうがちょっと年上だったりするので春菜も私に気を遣っていたところがあるのかなと感じて…。貴重な体験でした」
「春菜が世間話をしている時に『やっと普通の友達のような感じで話せた、対等な関係になれたみたいな感じがした』って言ったんです。その当時は結構仕事が忙しくて2人で話す時間があまりなかったんですけれど。ネタ合わせとかすると、ネタに関して言い合いになったりとかしたり。2人とも真剣なのでそうなっちゃうんですけど、結構、私が強く言っちゃったりすることもあって、私のほうがちょっと年上だったりするので春菜も私に気を遣っていたところがあるのかなと感じて…。貴重な体験でした」
入院中、近藤さんは病気や仕事の話はほとんどしませんでした。
近藤さんの気遣いが伝わってきたといいます。
近藤さんの気遣いが伝わってきたといいます。
箕輪はるかさん
「私が復帰できるかどうか心配してるっていうことに、春菜はなんか気づいているのかなと思って、不安に思わせないようにしてくれたのかなと思います。仕事の話しちゃうと今働けない状態で焦っちゃうかもという感じになったのかなと思いますね。後からですが、春菜が『はるかが復帰できるようにハリセンボンっていう居場所を残す』って一人で頑張っていたみたいなことを聞いてすごい良い相方だなって」
「私が復帰できるかどうか心配してるっていうことに、春菜はなんか気づいているのかなと思って、不安に思わせないようにしてくれたのかなと思います。仕事の話しちゃうと今働けない状態で焦っちゃうかもという感じになったのかなと思いますね。後からですが、春菜が『はるかが復帰できるようにハリセンボンっていう居場所を残す』って一人で頑張っていたみたいなことを聞いてすごい良い相方だなって」
そこで『けん玉』!?
相方の近藤さんの思い、周囲の人たちの思い、そして復帰して再び舞台に立ちたいという箕輪さん自身の思い。
そうした思いが日々募る中、外に出られない箕輪さんが手に取ったのは、なぜか「けん玉」でした。
そうした思いが日々募る中、外に出られない箕輪さんが手に取ったのは、なぜか「けん玉」でした。
箕輪はるかさん
「明日がどういう1日なのか、もう今日わかる。そんな毎日だったので、その退屈さというか先の見えなさを何とか紛らわしたいみたいな気持ちはありました。それでけん玉。けん玉は小学校の頃にやって、あんまり上手くなれなくて諦めちゃってたんですけど、まあ時間せっかくあるしと思ってやってたら意外とできたんですよ。毎日練習してました。で、看護師さんが来た時にけん玉やるんですか?と言ってくださって、その時にやってみせるとうわーすごいみたいな。すっごい褒めてくれるんです。もう赤ちゃんが立った時みたいな感じで。じゃあ次にいらっしゃった時は別の技をできるようにしようみたいな」
「明日がどういう1日なのか、もう今日わかる。そんな毎日だったので、その退屈さというか先の見えなさを何とか紛らわしたいみたいな気持ちはありました。それでけん玉。けん玉は小学校の頃にやって、あんまり上手くなれなくて諦めちゃってたんですけど、まあ時間せっかくあるしと思ってやってたら意外とできたんですよ。毎日練習してました。で、看護師さんが来た時にけん玉やるんですか?と言ってくださって、その時にやってみせるとうわーすごいみたいな。すっごい褒めてくれるんです。もう赤ちゃんが立った時みたいな感じで。じゃあ次にいらっしゃった時は別の技をできるようにしようみたいな」
退院する頃には検定3段レベルともされる高い難度の技をできるようになっていました。
箕輪はるかさん
「春菜は病室にけん玉置いてあるね、ぐらいで、そんなに見せてはいなかったんですけど、退院した後に私がコンビのネタを全然作ってなくて、それなのにけん玉のピンの仕事が増えたっていう状況があって。それを見て『けん玉!何やってんの?!』みたいな感じのことを言ってました」
「春菜は病室にけん玉置いてあるね、ぐらいで、そんなに見せてはいなかったんですけど、退院した後に私がコンビのネタを全然作ってなくて、それなのにけん玉のピンの仕事が増えたっていう状況があって。それを見て『けん玉!何やってんの?!』みたいな感じのことを言ってました」
いま伝えたいこと
入院から2か月後。検査で周囲に感染させないことが確認でき、箕輪さんは無事退院となりました。
その後の活躍はテレビや舞台などで目にした方も多いのではないでしょうか。
その後の活躍はテレビや舞台などで目にした方も多いのではないでしょうか。
あれからもう16年がたちました。
箕輪さんは今だからこそ、当時の自分と同じ不安を抱えている人たち、どういう病気なのか、本当に治るのか、「結核のことを知りたい」という人たちの役に立ちたいと言います。
箕輪さんは今だからこそ、当時の自分と同じ不安を抱えている人たち、どういう病気なのか、本当に治るのか、「結核のことを知りたい」という人たちの役に立ちたいと言います。
箕輪はるかさん
「いろいろな病気があるので簡単には言えないですけれど、闘病中に不安になる気持ちもすごくわかりますし。不安になったりするけれど、楽しいことなども少しはあって。(入院中に)人と話しているときに、自分がその場にいることを受け入れてくれる人がいるということが、自分の支えになっていたので、看護師さん、先生、家族、友達、そういう人たちと話す時間も大切にしてもらって、つらい時期があっても、光を見て、何か先につなげられたらいいなと思います」
「いろいろな病気があるので簡単には言えないですけれど、闘病中に不安になる気持ちもすごくわかりますし。不安になったりするけれど、楽しいことなども少しはあって。(入院中に)人と話しているときに、自分がその場にいることを受け入れてくれる人がいるということが、自分の支えになっていたので、看護師さん、先生、家族、友達、そういう人たちと話す時間も大切にしてもらって、つらい時期があっても、光を見て、何か先につなげられたらいいなと思います」
そして結核にならないために伝えたいことは…。
箕輪はるかさん
「せきが長引いていたら病院に行ってほしい。ご飯もたくさん食べて、元気に生活してほしいなと思います」
「せきが長引いていたら病院に行ってほしい。ご飯もたくさん食べて、元気に生活してほしいなと思います」
記者
「ちなみに病気を経験して、食事をしっかり取るようになりましたか?」
「ちなみに病気を経験して、食事をしっかり取るようになりましたか?」
箕輪はるかさん
「今は、お弁当もマスカットだけじゃなくおかずもご飯も食べるようになりました。笑」
「今は、お弁当もマスカットだけじゃなくおかずもご飯も食べるようになりました。笑」
結核ってどんな病気?
結核とはどのような病気なのでしょうか。結核予防会結核研究所の加藤誠也所長に聞きました。
結核は「結核菌」と呼ばれる菌を吸い込むことでうつる感染症です。発病すると肺などに炎症がおきて、その後、組織が壊れてしまいます。症状としては長引くせきや、微熱、けん怠感などで重症になると死亡する場合もあります。
かつては「国民病」と呼ばれるほど、日本でも多くの患者がいて、明治時代の俳人・正岡子規や歌人・石川啄木といった著名人も結核に苦しみました。当時は有効な薬もなかったため、命を落とした人も少なくありません。
日本では2021年に人口10万人あたりの「り患率」が初めて10人を切って、WHOの分類で「結核低まん延国」になりました。
ただ厚生労働省の調査では、2023年1年間の結核の患者数は約1万人、死亡者数が約1500人となっていて、決して過去の病気ではありません。さらに海外ではまだまだ多くの患者が出ている国があり、日本でも引き続き注意が必要だということです。
かつては「国民病」と呼ばれるほど、日本でも多くの患者がいて、明治時代の俳人・正岡子規や歌人・石川啄木といった著名人も結核に苦しみました。当時は有効な薬もなかったため、命を落とした人も少なくありません。
日本では2021年に人口10万人あたりの「り患率」が初めて10人を切って、WHOの分類で「結核低まん延国」になりました。
ただ厚生労働省の調査では、2023年1年間の結核の患者数は約1万人、死亡者数が約1500人となっていて、決して過去の病気ではありません。さらに海外ではまだまだ多くの患者が出ている国があり、日本でも引き続き注意が必要だということです。
だれが発症する?
結核は結核菌に感染した人がすべて発病する訳ではありません。多くの場合は免疫によって押さえ込まれるからです。発症するのは10人に1人から2人ほどとされています。
発病のリスクが高いのは、免疫が弱まっている人や高齢者、病気の人など体力が低下している人とされています。最初はせきが続くなどの症状ですが、かぜと紛らわしいため、発見が遅れるケースがあります。
加藤所長によりますと、特に2週間以上せきが続いている場合は、結核の可能性も考えて、早めに医療機関を受診をし、検査を受けたり、適切な治療を受けたりすることが大切だということです。
発病のリスクが高いのは、免疫が弱まっている人や高齢者、病気の人など体力が低下している人とされています。最初はせきが続くなどの症状ですが、かぜと紛らわしいため、発見が遅れるケースがあります。
加藤所長によりますと、特に2週間以上せきが続いている場合は、結核の可能性も考えて、早めに医療機関を受診をし、検査を受けたり、適切な治療を受けたりすることが大切だということです。
検査と治療
結核の検査では、胸部のエックス線検査やたんの検査などを行います。
結核の症状が進行すると、「排菌」といって、せきの「飛まつ」や「たん」の中に結核菌が含まれるようになります。「排菌」がみられる場合は感染を広げないため入院が必要です。
治療は入院する場合でも、入院が必要ない場合でも、まず4種類の抗菌薬を2か月間服用します。その後も薬の種類を減らして4か月間、服薬する必要があります。
結核菌は抗菌薬を正しく使わないと耐性ができてしまうことが知られています。せきなどの症状が治まったからといって、薬を飲むのをやめるなどしてしまうと、薬が効かない耐性菌ができてしまうことがあるので、必ず飲みきることが重要だということです。
結核の症状が進行すると、「排菌」といって、せきの「飛まつ」や「たん」の中に結核菌が含まれるようになります。「排菌」がみられる場合は感染を広げないため入院が必要です。
治療は入院する場合でも、入院が必要ない場合でも、まず4種類の抗菌薬を2か月間服用します。その後も薬の種類を減らして4か月間、服薬する必要があります。
結核菌は抗菌薬を正しく使わないと耐性ができてしまうことが知られています。せきなどの症状が治まったからといって、薬を飲むのをやめるなどしてしまうと、薬が効かない耐性菌ができてしまうことがあるので、必ず飲みきることが重要だということです。
予防
結核の予防には、免疫が低下しないようにすることが重要です。
日頃からバランスの良い食事と十分な睡眠、適度な運動を心がけて、定期的に健康診断を受けることも大事だということです。
日頃からバランスの良い食事と十分な睡眠、適度な運動を心がけて、定期的に健康診断を受けることも大事だということです。
(2月23日「おはよう日本」で放送予定)
映像センター記者
藤田日向子
2010年入局
仙台局や社会部などを経て、現所属
女性の健康や、防災などを継続取材
藤田日向子
2010年入局
仙台局や社会部などを経て、現所属
女性の健康や、防災などを継続取材
映像センター 映像制作
中野貴世
2009年入局
宮崎局、福岡局を経て現所属
暮らし、防災、健康などのコンテンツを制作
中野貴世
2009年入局
宮崎局、福岡局を経て現所属
暮らし、防災、健康などのコンテンツを制作
病の体験について、今後も取材をしていきます。
▼これまでの取材は
▼これまでの取材は
藤あや子さん 子宮体がんを経験 いま伝えたいことは
WEB
特集 ハリセンボン・箕輪はるかさん 私が結核になった話
「まさか自分が…」
お笑いコンビ「ハリセンボン」の箕輪はるかさん。
2009年、せきが長引くため医療機関を受診したところ、なんと診断は肺結核。2か月間の入院生活を余儀なくされました。
かつては死の病と呼ばれた結核ですが、もう過去の病気だと感じていませんか?実は今も日本では年間およそ1万人がり患し、およそ1500人が死亡している大変な病気です。
この病気を乗り越えた箕輪さんの「病(やまい)体験」を聞きました。
(映像センター記者 藤田日向子・映像制作 中野貴世)
せきが止まらない
「熱や鼻水、のどの痛みもなかったので、長引くかぜかなとあまり気にとめていませんでした」
ちなみに、どれぐらい長引いていたかというと…。
箕輪はるかさん
「最終的には半年ぐらいせきが止まらない。しかも、なんかこう最初は空ぜきみたいな感じだったんですけど、どんどん激しくなっていって、一回、せきをし始めたら、もう30秒ぐらい止まらないみたいな感じになってきて。それからせきのしすぎで、ちょっと胸が痛くなって、多分肋骨を骨折してたんじゃないかなと思うんですけど」
「最終的には半年ぐらいせきが止まらない。しかも、なんかこう最初は空ぜきみたいな感じだったんですけど、どんどん激しくなっていって、一回、せきをし始めたら、もう30秒ぐらい止まらないみたいな感じになってきて。それからせきのしすぎで、ちょっと胸が痛くなって、多分肋骨を骨折してたんじゃないかなと思うんですけど」
2009年4月になって、ようやく箕輪さんは医療機関を受診しました。
そして精密検査を受けたところ診断は「肺結核」。
医師からは『肺がチーズみたいに溶けているような状態。もう少し遅かったら大変なことになっていたかもしれない』と告げられました。
そして精密検査を受けたところ診断は「肺結核」。
医師からは『肺がチーズみたいに溶けているような状態。もう少し遅かったら大変なことになっていたかもしれない』と告げられました。
箕輪はるかさん
「結核っていう言葉に現実味がなくて。昔の文豪がかかるみたいなイメージだったので、びっくりしました。もう無くなった病気というイメージがあったので、まさか自分が結核になるとはという感じでした」
「結核っていう言葉に現実味がなくて。昔の文豪がかかるみたいなイメージだったので、びっくりしました。もう無くなった病気というイメージがあったので、まさか自分が結核になるとはという感じでした」
結核は感染しても必ず発病するわけではありません。
箕輪さんが発病した原因の1つとして医師からは「栄養が足りていなかったからではないか」と指摘されました。
※結核についての詳しい原因や症状、治療などは記事の後半に記載しています。
箕輪さんが発病した原因の1つとして医師からは「栄養が足りていなかったからではないか」と指摘されました。
※結核についての詳しい原因や症状、治療などは記事の後半に記載しています。
『ハリセンボン』人気者になる
2004年にデビューした「ハリセンボン」。
養成所で出会った近藤春菜さんと箕輪はるかさんの2人で結成したお笑いコンビです。箕輪さんならではの独特な空気感のボケと、「@@じゃねーよ」でおなじみの近藤さんの切れのいい突っ込みで、瞬く間に人気者の仲間入りを果たしました。
箕輪さんが結核と診断された2009年はデビューから5年、漫才の賞レースでも決勝に進出するなど、お笑いコンビとしてまさに勝負の時期。知名度が上がるにつれて仕事もどんどん増えていった時期でもありました。
養成所で出会った近藤春菜さんと箕輪はるかさんの2人で結成したお笑いコンビです。箕輪さんならではの独特な空気感のボケと、「@@じゃねーよ」でおなじみの近藤さんの切れのいい突っ込みで、瞬く間に人気者の仲間入りを果たしました。
箕輪さんが結核と診断された2009年はデビューから5年、漫才の賞レースでも決勝に進出するなど、お笑いコンビとしてまさに勝負の時期。知名度が上がるにつれて仕事もどんどん増えていった時期でもありました。
箕輪はるかさん
「ありがたいことにお仕事をたくさんいただいて、結構忙しくしていて、あまり休みがなかったですね。寝る時間も2、3時間とか結構当たり前になっていたかもしれないです。たまに(休みが)できると、1日中家で寝て過ごすみたいな、疲れがたまっている時期だったと思います」
「ありがたいことにお仕事をたくさんいただいて、結構忙しくしていて、あまり休みがなかったですね。寝る時間も2、3時間とか結構当たり前になっていたかもしれないです。たまに(休みが)できると、1日中家で寝て過ごすみたいな、疲れがたまっている時期だったと思います」
忙しさに加えて、箕輪さんには医師の「栄養が足りていないのでは」という指摘に心当たりがあったと言います。
箕輪はるかさん
「食事は現場に置いてあるお弁当とかをいただいてました。でも、好き嫌いとかもあったりして、食べられるおかずだけ食べたりとかしてました。ご飯は全部残して漬物だけ食べたりとかしてましたね。ある時、春菜と同じ楽屋でお弁当を2つ置いてくれていたのですが、『お肉』と『魚』があったんです。2人とも『お肉』が良かったんで、じゃんけんして私が勝ったんですけど、私がお肉のお弁当開けて、中に入ってるマスカットだけ食べて蓋したんです。その時の春菜は『なんで?!』ってすごい怒ってましたね。私はお肉というか、マスカットが食べたかったんです」
「食事は現場に置いてあるお弁当とかをいただいてました。でも、好き嫌いとかもあったりして、食べられるおかずだけ食べたりとかしてました。ご飯は全部残して漬物だけ食べたりとかしてましたね。ある時、春菜と同じ楽屋でお弁当を2つ置いてくれていたのですが、『お肉』と『魚』があったんです。2人とも『お肉』が良かったんで、じゃんけんして私が勝ったんですけど、私がお肉のお弁当開けて、中に入ってるマスカットだけ食べて蓋したんです。その時の春菜は『なんで?!』ってすごい怒ってましたね。私はお肉というか、マスカットが食べたかったんです」
当時の箕輪さんは食事よりも仕事で結果を出したい、休みよりも賞レースに向けて新しいネタを作りたい、そんなことばかりが頭にありました。
箕輪はるかさん
「せっかくお仕事いただいたので、頑張りたいっていう気持ちでやってました。現場で笑いを取りたいみたいなことで精一杯で、休まなきゃみたいなことはあんまり考えてなくて、なんとかお笑い芸人としてお仕事をもらって、何かいい結果を出したいっていう気持ちが、すごい先走ってたかもしれないです」
「せっかくお仕事いただいたので、頑張りたいっていう気持ちでやってました。現場で笑いを取りたいみたいなことで精一杯で、休まなきゃみたいなことはあんまり考えてなくて、なんとかお笑い芸人としてお仕事をもらって、何かいい結果を出したいっていう気持ちが、すごい先走ってたかもしれないです」
そして入院生活へ
結核はかつて「国民病」と呼ばれ、日本人の死因の第1位でした。今では治療薬があるものの、決して簡単に治る病気ではありません。
「ハリセンボン」の箕輪さんが結核になったニュースは、当時、大きく報道されました。
箕輪さんは診断を受けたその日から、感染症対応の病室で2か月間の入院生活を送ることになりました。結核の治療では複数の薬を半年間、毎日きちんと飲む必要があります。
治療のかいあって入院から1、2週間ほどたつと、あれだけ苦しんだせきは楽になってきました。
ただ、これまで経験したことのない病気です。不安を感じていました。
「ハリセンボン」の箕輪さんが結核になったニュースは、当時、大きく報道されました。
箕輪さんは診断を受けたその日から、感染症対応の病室で2か月間の入院生活を送ることになりました。結核の治療では複数の薬を半年間、毎日きちんと飲む必要があります。
治療のかいあって入院から1、2週間ほどたつと、あれだけ苦しんだせきは楽になってきました。
ただ、これまで経験したことのない病気です。不安を感じていました。
箕輪はるかさん
「自分の体がどうなっているのかよく分からなくて…。薬で治るって言ってもどれぐらいかかるんだろうかとか、治ったあと普通に生活できるのだろうかとか、そういうのをネットで調べたりしていました。一緒にお仕事した人たちにも検査にいってもらうことになり、直接、すみませんってお伝えできない苦しさもありました」
「自分の体がどうなっているのかよく分からなくて…。薬で治るって言ってもどれぐらいかかるんだろうかとか、治ったあと普通に生活できるのだろうかとか、そういうのをネットで調べたりしていました。一緒にお仕事した人たちにも検査にいってもらうことになり、直接、すみませんってお伝えできない苦しさもありました」
さらにつらかったのは隔離生活でした。
病室は6畳ほど。症状が落ち着いても感染を広げるリスクがないと確認できるまでは一歩も外に出ることができません。
もちろん、仕事は急きょ休むことになりました。先方には直接お詫びをすることも、説明することもできません。
病室は6畳ほど。症状が落ち着いても感染を広げるリスクがないと確認できるまでは一歩も外に出ることができません。
もちろん、仕事は急きょ休むことになりました。先方には直接お詫びをすることも、説明することもできません。
箕輪はるかさん
「もう仕事がなくなるかもしれない。お笑い芸人は代わりはいくらでもいる、そういう世界です。1回忘れられたらもう呼ばれないんじゃないかって、すごく不安でした。体は自由になったけれど、2か月も休んで復帰できるのかなあというのが、一番心配でしたね。当時は1日でも休んだら不安、みたいな感じだったので」
「もう仕事がなくなるかもしれない。お笑い芸人は代わりはいくらでもいる、そういう世界です。1回忘れられたらもう呼ばれないんじゃないかって、すごく不安でした。体は自由になったけれど、2か月も休んで復帰できるのかなあというのが、一番心配でしたね。当時は1日でも休んだら不安、みたいな感じだったので」
病室ではテレビをほとんど見ることができませんでした。自分たちではない誰かが活躍している姿を直視できなかったからです。
入院生活の間に1本でも新しいネタを作りたいと思いましたが、筆を執る手は進みませんでした。
ただ一つ、大きな偶然がありました。
入院生活の間に1本でも新しいネタを作りたいと思いましたが、筆を執る手は進みませんでした。
ただ一つ、大きな偶然がありました。
病室から見えた自分の原点
入院生活を始めた病室。窓から見えるのは東京の街並み、ビルが建ち並ぶ見慣れた風景です。
それでも箕輪さんにとって、そこはある特別な場所でした。
それでも箕輪さんにとって、そこはある特別な場所でした。
箕輪はるかさん
「都会だったんでビルが向かい側にあるんですけど、病室の窓からはビルとビルの間に一応、空も見えて、その下にカフェテラスみたいなとこもあって。それで、そこから見えるところに、昔よくネタ合わせしてた場所があったんです。たまたまだったんですけど、養成所に通っていた時に、よくその場所でネタ合わせをけんかしながらやっていました。それで、寒いからファミレス入ろうかとか言って。なんか懐かしいなと思って。その養成所時代を思い出せよみたいなことなのかなって思ったり」
「都会だったんでビルが向かい側にあるんですけど、病室の窓からはビルとビルの間に一応、空も見えて、その下にカフェテラスみたいなとこもあって。それで、そこから見えるところに、昔よくネタ合わせしてた場所があったんです。たまたまだったんですけど、養成所に通っていた時に、よくその場所でネタ合わせをけんかしながらやっていました。それで、寒いからファミレス入ろうかとか言って。なんか懐かしいなと思って。その養成所時代を思い出せよみたいなことなのかなって思ったり」
その場所で、お笑いの世界で売れることを夢見て一緒に泣き笑いしてきたのが、相方の近藤春菜さんです。
病室では感染対策に十分注意した上で面会が認められました。その病室に真っ先に駆けつけてくれたのも近藤さんでした。
病室では感染対策に十分注意した上で面会が認められました。その病室に真っ先に駆けつけてくれたのも近藤さんでした。
箕輪はるかさん
「入院した日の夜にお見舞いに来てくれて、マネージャーさんとキャッキャッと笑いながら来てたんで、いつも通りの感じで接してくれるのが一番嬉しかったなと思います。あんまり深刻な感じだとちょっとこっちも心配になっちゃうっていうのもありますし、仕事先にご迷惑をおかけしちゃうんですけど、春菜だからなんか任せられて安心しました」
「入院した日の夜にお見舞いに来てくれて、マネージャーさんとキャッキャッと笑いながら来てたんで、いつも通りの感じで接してくれるのが一番嬉しかったなと思います。あんまり深刻な感じだとちょっとこっちも心配になっちゃうっていうのもありますし、仕事先にご迷惑をおかけしちゃうんですけど、春菜だからなんか任せられて安心しました」
近藤さんはお見舞いに来るたびに、箕輪さんが好きな昔の刑事ドラマのDVDなどをお土産に持ってきてくれました。
そんな近藤さんがふと口にしたことばが今も胸に残っています。
そんな近藤さんがふと口にしたことばが今も胸に残っています。
箕輪はるかさん
「春菜が世間話をしている時に『やっと普通の友達のような感じで話せた、対等な関係になれたみたいな感じがした』って言ったんです。その当時は結構仕事が忙しくて2人で話す時間があまりなかったんですけれど。ネタ合わせとかすると、ネタに関して言い合いになったりとかしたり。2人とも真剣なのでそうなっちゃうんですけど、結構、私が強く言っちゃったりすることもあって、私のほうがちょっと年上だったりするので春菜も私に気を遣っていたところがあるのかなと感じて…。貴重な体験でした」
「春菜が世間話をしている時に『やっと普通の友達のような感じで話せた、対等な関係になれたみたいな感じがした』って言ったんです。その当時は結構仕事が忙しくて2人で話す時間があまりなかったんですけれど。ネタ合わせとかすると、ネタに関して言い合いになったりとかしたり。2人とも真剣なのでそうなっちゃうんですけど、結構、私が強く言っちゃったりすることもあって、私のほうがちょっと年上だったりするので春菜も私に気を遣っていたところがあるのかなと感じて…。貴重な体験でした」
入院中、近藤さんは病気や仕事の話はほとんどしませんでした。
近藤さんの気遣いが伝わってきたといいます。
近藤さんの気遣いが伝わってきたといいます。
箕輪はるかさん
「私が復帰できるかどうか心配してるっていうことに、春菜はなんか気づいているのかなと思って、不安に思わせないようにしてくれたのかなと思います。仕事の話しちゃうと今働けない状態で焦っちゃうかもという感じになったのかなと思いますね。後からですが、春菜が『はるかが復帰できるようにハリセンボンっていう居場所を残す』って一人で頑張っていたみたいなことを聞いてすごい良い相方だなって」
「私が復帰できるかどうか心配してるっていうことに、春菜はなんか気づいているのかなと思って、不安に思わせないようにしてくれたのかなと思います。仕事の話しちゃうと今働けない状態で焦っちゃうかもという感じになったのかなと思いますね。後からですが、春菜が『はるかが復帰できるようにハリセンボンっていう居場所を残す』って一人で頑張っていたみたいなことを聞いてすごい良い相方だなって」
そこで『けん玉』!?
相方の近藤さんの思い、周囲の人たちの思い、そして復帰して再び舞台に立ちたいという箕輪さん自身の思い。
そうした思いが日々募る中、外に出られない箕輪さんが手に取ったのは、なぜか「けん玉」でした。
そうした思いが日々募る中、外に出られない箕輪さんが手に取ったのは、なぜか「けん玉」でした。
箕輪はるかさん
「明日がどういう1日なのか、もう今日わかる。そんな毎日だったので、その退屈さというか先の見えなさを何とか紛らわしたいみたいな気持ちはありました。それでけん玉。けん玉は小学校の頃にやって、あんまり上手くなれなくて諦めちゃってたんですけど、まあ時間せっかくあるしと思ってやってたら意外とできたんですよ。毎日練習してました。で、看護師さんが来た時にけん玉やるんですか?と言ってくださって、その時にやってみせるとうわーすごいみたいな。すっごい褒めてくれるんです。もう赤ちゃんが立った時みたいな感じで。じゃあ次にいらっしゃった時は別の技をできるようにしようみたいな」
「明日がどういう1日なのか、もう今日わかる。そんな毎日だったので、その退屈さというか先の見えなさを何とか紛らわしたいみたいな気持ちはありました。それでけん玉。けん玉は小学校の頃にやって、あんまり上手くなれなくて諦めちゃってたんですけど、まあ時間せっかくあるしと思ってやってたら意外とできたんですよ。毎日練習してました。で、看護師さんが来た時にけん玉やるんですか?と言ってくださって、その時にやってみせるとうわーすごいみたいな。すっごい褒めてくれるんです。もう赤ちゃんが立った時みたいな感じで。じゃあ次にいらっしゃった時は別の技をできるようにしようみたいな」
退院する頃には検定3段レベルともされる高い難度の技をできるようになっていました。
箕輪はるかさん
「春菜は病室にけん玉置いてあるね、ぐらいで、そんなに見せてはいなかったんですけど、退院した後に私がコンビのネタを全然作ってなくて、それなのにけん玉のピンの仕事が増えたっていう状況があって。それを見て『けん玉!何やってんの?!』みたいな感じのことを言ってました」
「春菜は病室にけん玉置いてあるね、ぐらいで、そんなに見せてはいなかったんですけど、退院した後に私がコンビのネタを全然作ってなくて、それなのにけん玉のピンの仕事が増えたっていう状況があって。それを見て『けん玉!何やってんの?!』みたいな感じのことを言ってました」
いま伝えたいこと
入院から2か月後。検査で周囲に感染させないことが確認でき、箕輪さんは無事退院となりました。
その後の活躍はテレビや舞台などで目にした方も多いのではないでしょうか。
その後の活躍はテレビや舞台などで目にした方も多いのではないでしょうか。
あれからもう16年がたちました。
箕輪さんは今だからこそ、当時の自分と同じ不安を抱えている人たち、どういう病気なのか、本当に治るのか、「結核のことを知りたい」という人たちの役に立ちたいと言います。
箕輪さんは今だからこそ、当時の自分と同じ不安を抱えている人たち、どういう病気なのか、本当に治るのか、「結核のことを知りたい」という人たちの役に立ちたいと言います。
箕輪はるかさん
「いろいろな病気があるので簡単には言えないですけれど、闘病中に不安になる気持ちもすごくわかりますし。不安になったりするけれど、楽しいことなども少しはあって。(入院中に)人と話しているときに、自分がその場にいることを受け入れてくれる人がいるということが、自分の支えになっていたので、看護師さん、先生、家族、友達、そういう人たちと話す時間も大切にしてもらって、つらい時期があっても、光を見て、何か先につなげられたらいいなと思います」
「いろいろな病気があるので簡単には言えないですけれど、闘病中に不安になる気持ちもすごくわかりますし。不安になったりするけれど、楽しいことなども少しはあって。(入院中に)人と話しているときに、自分がその場にいることを受け入れてくれる人がいるということが、自分の支えになっていたので、看護師さん、先生、家族、友達、そういう人たちと話す時間も大切にしてもらって、つらい時期があっても、光を見て、何か先につなげられたらいいなと思います」
そして結核にならないために伝えたいことは…。
箕輪はるかさん
「せきが長引いていたら病院に行ってほしい。ご飯もたくさん食べて、元気に生活してほしいなと思います」
「せきが長引いていたら病院に行ってほしい。ご飯もたくさん食べて、元気に生活してほしいなと思います」
記者
「ちなみに病気を経験して、食事をしっかり取るようになりましたか?」
「ちなみに病気を経験して、食事をしっかり取るようになりましたか?」
箕輪はるかさん
「今は、お弁当もマスカットだけじゃなくおかずもご飯も食べるようになりました。笑」
「今は、お弁当もマスカットだけじゃなくおかずもご飯も食べるようになりました。笑」
結核ってどんな病気?
結核とはどのような病気なのでしょうか。結核予防会結核研究所の加藤誠也所長に聞きました。
結核は「結核菌」と呼ばれる菌を吸い込むことでうつる感染症です。発病すると肺などに炎症がおきて、その後、組織が壊れてしまいます。症状としては長引くせきや、微熱、けん怠感などで重症になると死亡する場合もあります。
かつては「国民病」と呼ばれるほど、日本でも多くの患者がいて、明治時代の俳人・正岡子規や歌人・石川啄木といった著名人も結核に苦しみました。当時は有効な薬もなかったため、命を落とした人も少なくありません。
日本では2021年に人口10万人あたりの「り患率」が初めて10人を切って、WHOの分類で「結核低まん延国」になりました。
ただ厚生労働省の調査では、2023年1年間の結核の患者数は約1万人、死亡者数が約1500人となっていて、決して過去の病気ではありません。さらに海外ではまだまだ多くの患者が出ている国があり、日本でも引き続き注意が必要だということです。
かつては「国民病」と呼ばれるほど、日本でも多くの患者がいて、明治時代の俳人・正岡子規や歌人・石川啄木といった著名人も結核に苦しみました。当時は有効な薬もなかったため、命を落とした人も少なくありません。
日本では2021年に人口10万人あたりの「り患率」が初めて10人を切って、WHOの分類で「結核低まん延国」になりました。
ただ厚生労働省の調査では、2023年1年間の結核の患者数は約1万人、死亡者数が約1500人となっていて、決して過去の病気ではありません。さらに海外ではまだまだ多くの患者が出ている国があり、日本でも引き続き注意が必要だということです。
だれが発症する?
結核は結核菌に感染した人がすべて発病する訳ではありません。多くの場合は免疫によって押さえ込まれるからです。発症するのは10人に1人から2人ほどとされています。
発病のリスクが高いのは、免疫が弱まっている人や高齢者、病気の人など体力が低下している人とされています。最初はせきが続くなどの症状ですが、かぜと紛らわしいため、発見が遅れるケースがあります。
加藤所長によりますと、特に2週間以上せきが続いている場合は、結核の可能性も考えて、早めに医療機関を受診をし、検査を受けたり、適切な治療を受けたりすることが大切だということです。
発病のリスクが高いのは、免疫が弱まっている人や高齢者、病気の人など体力が低下している人とされています。最初はせきが続くなどの症状ですが、かぜと紛らわしいため、発見が遅れるケースがあります。
加藤所長によりますと、特に2週間以上せきが続いている場合は、結核の可能性も考えて、早めに医療機関を受診をし、検査を受けたり、適切な治療を受けたりすることが大切だということです。
検査と治療
結核の検査では、胸部のエックス線検査やたんの検査などを行います。
結核の症状が進行すると、「排菌」といって、せきの「飛まつ」や「たん」の中に結核菌が含まれるようになります。「排菌」がみられる場合は感染を広げないため入院が必要です。
治療は入院する場合でも、入院が必要ない場合でも、まず4種類の抗菌薬を2か月間服用します。その後も薬の種類を減らして4か月間、服薬する必要があります。
結核菌は抗菌薬を正しく使わないと耐性ができてしまうことが知られています。せきなどの症状が治まったからといって、薬を飲むのをやめるなどしてしまうと、薬が効かない耐性菌ができてしまうことがあるので、必ず飲みきることが重要だということです。
結核の症状が進行すると、「排菌」といって、せきの「飛まつ」や「たん」の中に結核菌が含まれるようになります。「排菌」がみられる場合は感染を広げないため入院が必要です。
治療は入院する場合でも、入院が必要ない場合でも、まず4種類の抗菌薬を2か月間服用します。その後も薬の種類を減らして4か月間、服薬する必要があります。
結核菌は抗菌薬を正しく使わないと耐性ができてしまうことが知られています。せきなどの症状が治まったからといって、薬を飲むのをやめるなどしてしまうと、薬が効かない耐性菌ができてしまうことがあるので、必ず飲みきることが重要だということです。
予防
結核の予防には、免疫が低下しないようにすることが重要です。
日頃からバランスの良い食事と十分な睡眠、適度な運動を心がけて、定期的に健康診断を受けることも大事だということです。
日頃からバランスの良い食事と十分な睡眠、適度な運動を心がけて、定期的に健康診断を受けることも大事だということです。
(2月23日「おはよう日本」で放送予定)
映像センター記者
藤田日向子
2010年入局
仙台局や社会部などを経て、現所属
女性の健康や、防災などを継続取材
藤田日向子
2010年入局
仙台局や社会部などを経て、現所属
女性の健康や、防災などを継続取材
映像センター 映像制作
中野貴世
2009年入局
宮崎局、福岡局を経て現所属
暮らし、防災、健康などのコンテンツを制作
中野貴世
2009年入局
宮崎局、福岡局を経て現所属
暮らし、防災、健康などのコンテンツを制作
病の体験について、今後も取材をしていきます。
▼これまでの取材は
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