勝者達の一幕。
ふと、目が覚めた。
真っ白な天井が見える。薬品の匂いが鼻にツンとくる。
ここは病院だろうか……? 頭がぼんやりとしている。
「…………ぁ……」
人を呼ぼうとするが声がかすれて出ない。
ナースコールを押すなんて単純な事が思い浮かばず、腕に刺さった点滴の管を適当に取って病室を抜け出す。
パタパタと、スリッパを履いて廊下を歩く。
まるで夢遊病患者のような有様だった。
何か忘れているのに、それが思い出せない。
そもそも、病院にいるってことは怪我とか病気とかで入院せざるを得ない状況だったのだろう。なのに、その理由を覚えていない。
意識がぼーっとして、何も考えられない。自分が誰かということすら気にも留めない。
少しして、休憩室? みたいな所についた。談話室と言った方が正しいかもしれない。
患者やそのお見舞いと思われるような人が沢山いて、椅子に座って話をしている。
「………………あれ?」
ぽたぽた、と。
涙がスリッパを濡らす。
なんでだろう。
何も分からない、けど。
なんか久しぶりに日常に戻ってきた、そんな感じがした。
そんな明らかに健常ではない様子を見て、病院のスタッフが駆け寄ってくる。
しかし、それよりも早く。大きな足音が談話室に響いた。
反射的に、音源へ目線がいく。
その足音の主はよく知る人物だった。
「何処に行ってたの⁉︎
「……
意識が鮮明になる。
記憶を取り戻す。
私の名前は
年齢は十八歳で、大学一年生。
世界一のフィギュアスケーターを目指してるだけの、何処にでもいる普通の女子大生だ。
それから、お医者さんが来て色々検査とかをされて、警察のお兄さんから事情聴取を受けた。
どうやら、私は数週間行方不明になっていたらしい。らしい、というのはその間の記憶が私には無いからだ。
一週間前、私は倒壊したデパートの跡地で発見されたらしい。しかも、救急車ごと救急隊員が殺害されていたり、通報した人が見つかっていないなど事件性がありまくりなのだ。
近頃起こっている連続焼殺事件や連続倒壊事故との関わりも疑われているらしく、めちゃくちゃ詳しく事情聴取を受けた。
まぁ、何も覚えていない私じゃ手がかりにはならないと思うけど。
「行方不明だった時のこと覚えてる? どうしてデパートで倒れてたのか、とか……」
「えーっと……?」
ズキッ、と頭痛が走る。
脳裏に、体を燃やし尽くす紅蓮のイメージが浮かんだ。
(なんで炎? 火傷とか全くなかったのに……)
だけど、それと一緒に思い出したことがある。
炎の中を突っ込んできた黒い少年を。
「なんか、ヒーローに助けてもらった気がする」
「?」
「らしいわよ、
「……俺は、ヒーローなんかじゃねぇよ」
「学校って、やっぱり休みなん?」
「校舎が半壊してますからね……」
校舎の跡地を見て、二人の女子高生は呟いた。
彼女達の名は栗栖椎菜と佐武真尋。
元々同じ部活に所属しており、先輩後輩として親しくしていた二人。しかし、今では失恋同盟として更に仲を深めていた。
「わたしが聞いた話によると、別の場所が見つかるまで休校らしいですよ」
「まあ、全校生徒が入院したし……丁度ええんちゃう?」
「爆破予告とかで休校にならないかなーとか言っている人いましたけど、実際に起こるとそんなに嬉しくなかったですね」
「…………爆破した側が言うことちゃうやろ」
「? あれはわたしじゃなくてディートリヒさんのせいですよ?」
椎菜は不思議そうに首を傾げる。
失恋前よりも図太くなったなぁ……と真尋は感慨深く思った。
「それと、一つだけ間違ってます。入院したの全校生徒じゃありません」
「あー、うちらの事?」
「違います。…………
「………………………………、」
椎菜の兄、栗栖裕也。
〈
彼女の母と兄は死んだ。
父はその犯人を、今もなお追いかけている。
彼女は無駄だと知りながらも、それを告げることができないでいた。それを告げれば、父が折れると分かっていたからだ。
「……その分、伊吹さんが優しくしてくれるのでプラマイゼロです!」
「椎菜ちゃん…………」
空元気だ。
だって、それはむしろ拷問に近い。
失恋したのにも関わらず、家族だからこそずっと関わり続ける。
真尋には何も言えなかった。
真尋は事件には巻き込まれたが、それは自分だけ。帰る家は残っている。
涙を拭うように乾いた風が吹いた。
風は花弁が全て散った桜の木を揺らし、椎菜の髪をぐしゃぐしゃにする。彼女の目元を髪が覆い隠す。
そこでふと、真尋の中で疑問が湧き上がった。
湿った話を変える為にも、話題を逸らす。
「……そう言えば、椎菜ちゃんの金髪は治らんかったん?」
「あー、これですか? わたしも怖くなって天命機関の方に調べて貰ったんですけど、ディートリヒさんの異能が体内に残っているらしいです」
「…………異能が?」
「あと、
椎菜はデモンストレーションとばかりに、《神聖魔法》を唱えた。
彼女の歌に従って、指先に小さく火が灯る。
「なんでも、わたしの異能の所有権が切れてなかったそうなんです。ディートリヒさんが死んだことでガラ空きになった
「あー、ずっと疑問に思ってたことがあってんけどそれで納得がいったわ」
「? 何の話ですか?」
「入院した生徒の話。目を覚ました彼らは、みんな現世の人格を取り戻してたって話やろ?」
誰もが前世の記憶を無くしていた。
誰も、〈
「あれって椎菜ちゃんのお陰やろ? 『枯渇』の摂理で記憶とか、異能とかを奪ったんちゃう?」
しかし。
きょとん、とした顔で椎菜は答えた。
「
真尋はその意味を理解するのに時間がかかった。
「…………え?」
「『枯渇』の摂理によって記憶や異能を奪うことは可能です。
「……じゃあ、あれって誰がやったん⁉︎」
「………………んん?」
椎菜は顎に指を当てて考え込む。
これは椎菜の癖ではなく、ディートリヒの癖だ。
現状、ディートリヒの影響は椎菜からほとんど取り除かれている。しかし、彼の記憶を探るときなどは今のように癖が受け継がれる。
(……塗り潰された現世の人格を戻す方法はないです。それ用の異能でもあれば別ですけど……ディートリヒさんの知る限りでは伊吹さんの《
では、六道伊吹の仕業かと言えば違う。
なんせ、彼は今もなお入院中。そもそも、彼が目覚めるよりも生徒たちが目覚めた方が早かったのだから、異能を使う暇がない。
そして、何よりもまず。
(伊吹さんの異能は一日に六度までしか使えません。
事件は終わったはずだ。
なのに、謎はまだ残る。
「この街にまだ何かが残ってるって言うんですか……?」
世界は何も答えない。
「後始末が多いっす〜! 過労死するっす〜〜‼︎」
延々と続くデスクワークに耐えきれず、ジェンマは椅子から立ち上がって叫んだ。
天命機関は転生者を倒すだけが仕事じゃない。転生者の被害を誤魔化し、被害地の復興を手助けするのもまた重要な仕事の一つだ。
だからと言って、文句なく従事できる訳でもない。
燃え尽き症候群のようにやる気がなくなった今のジェンマにとっては、休む暇のない仕事は苦行と言っても過言じゃない。
「仕方ありませんわ。わたくしもエヴァの自由時間を圧迫するのは心苦しいですが……」「エヴァは全然いいよ!」「……まあ、やるしかないことですわ。諦めてさっさと終わらせますわよ」
「真面目っすねぇ〜。自分なんかは後始末をほっぽって上層部との会談に向かった隊長が羨まし過ぎて仕方ないっすけど」
「…………優秀すぎるというのも、困りものですわね」「ねー!」
本来ならば後始末は上層部の仕事である。
天命機関の中でも戦闘要員である天使は、転生者の討伐のみが仕事。このような裏方の雑用はする必要がない。
しかし、この二人(三人?)に限っては違う。
片や、精神操作に長けた天使。
片や、情報操作に長けた転生者。
事件を誤魔化すことにおいてこれ以上の者はいない。
ジェンマは諦めて椅子に座った。
黙々とキーボードを叩く。
少しして。
ガチャリ、とドアノブが回った。
乱暴にドアを開けたブレンダは、開口一番に告げた。
「上層部が承認しました。これから、六道君たちは天命機関の正式な協力者です」
それこそが彼女と上層部が会談を行った理由。
それは会談とは名ばかりの、
罪状は転生者を味方にしたこと。
そして、
だが、ブレンダは全ての審問を潜り抜け、逆に六道伊吹を正式な味方として上層部に認めさせた。
「……よく納得させましたわね。上層部のお歴々は兎も角、戦闘員の天使たちは如何なる転生者も許さない過激派ですわ。彼らの造反を防ぐために、少なくとも不可侵程度に収まると思いましたが……」
「私の
「後はリィンちゃんという前例があったのも大きいとは思うっすけど、大部分は彼のお陰っすね」
それは天命機関が二千年間達成できなかった偉業だ。
殺害自体は何度か成功している。
しかし、ヤツらは何度殺そうと転生して蘇る。
延命治療は行えても、根本的解決にまでは至らなかった。
七年前に先代の
その常識がたった一人の少年によって覆った。
転生者であるという事実を加味しても、彼を協力者として迎え入れるには申し分ない。
(あとは、救出した生徒の一人が上層部──
そう思いながら、ブレンダは口にしない。
決定が政治のくだらないパワーゲームによるものだとしても、六道伊吹の努力が報われた事には間違いないからだ。
「ただし、協力者として認めるに当たって条件を飲まされました」
「……四肢を削る、とかではありませんわよね?」
「そこまで非人道的なものではありません。簡単で、まだ納得できるものです」
六道伊吹の生活に影響を与えるものではない。
むしろ、彼の助けとなる可能性もある。
「
近距離戦闘最強のブレンダ。
人間催眠アプリのジェンマ。
その二人と匹敵する超人。
「六道君は
「まあ、どう考えても
とは言え、少しプライベートが侵される程度だ。
監視によってストレスを与えるような生ぬるいレベルの視線は送らない。
「あの……」
「どうしたっすか、エヴァちゃん」
「えっと、あの、派遣される人ってどっちかなって……」
「あー、そりゃ気になるっすよねぇ〜。自分も“
兵器の作製や
しかし、性格的には難がある人物。特に、六道伊吹との噛み合わせが悪すぎる。
「安心してください。派遣されるのは“
「よっ、よかった〜」「……わたくしは、仕事相手を選ぶつもりはありませんわよ」
「またまた〜! リィンちゃんが苦手なのは分かってるっすよ? 彼、典型的な
ワイワイがやがやと姦しい騒音の中。
ふと、ブレンダは一人で考え込む。
(護衛……ですか。六道君は
だが、しかし。
だからこそ、不自然なことがある。
(では、何故彼が昏睡している隙に狙って来なかったのでしょうか?)
あの事件から約一週間。
こちらの回復を待つまでもなく、仕掛ける暇はいくらでもあった。
考えられる理由は三つ。
一つ目。六道伊吹の殺害ではなく、徹底的な戦闘の回避を選んだ。
相手は無限の転生を繰り返す怪物。せいぜい百年しか生きられない下等生物に本気を出す必要はない。戦略的に考えれば、百年間引き篭もることが最適だ。
だが、これはあり得ない。第三位は兎も角、プライドの高い第二位が逃げを選ぶ訳がない。
二つ目。これから攻撃を仕掛けようとしている。
攻撃が大規模であり、発動までに準備が必要な場合。つまり、弱っている間に速攻で殺すのではなく、回復しても確実に殺せる手段を用意している場合だ。
この可能性はある……が、これまでの傾向からして準備をするのは第三位だ。用意している攻撃とは別に、第二位による先制攻撃が無ければおかしい。
だから、最も可能性が高いのは三つ目。
「
或いは、上層部は異常事態に気づいていたのかもしれない。
だからこそ、“
「もう行くのか」
「ええ。アンタには随分と世話になったわね」
俺たちは病院の屋上にいた。
理由はアドレイドの見送り。
彼女は今日、この街から去る。
「旅立つって言ったって何の為に? もう、お前が追っていた第四位はいない。お前の権能は……椎菜に渡ったけどさ」
「いいわよ、そんなこと。アイツを殺してくれただけでも感謝してるわ」
「お前も病み上がりだろ? もうちょっとゆっくりしてけばいいのに……」
「……それも、魅力的だったわ。アタシはアンタから精神的な強さを学べるし、きっと天命機関から追われることも無くなるわ」
それなら、ずっとここにいればいい。
そう言おうとして、彼女の声がそれを遮った。
「でも、アタシはアンタに何もしてやれない」
「別にいいよ、そんなもん。人と一緒にいるのに何かする必要なんてないだろ」
「それでも、アタシがやってあげたい。アンタが望んでなくても、アタシはそれを押し付けたいの」
「……めちゃくちゃなヤツだな、相変わらず」
「我を押し通す強さを学んだのよ、何処かの誰かからね」
何処のどいつだ、アドレイドにいらないこと教えやがって。
見つけたらブッ飛ばしてやる。
「アタシはアンタの家族じゃない。ヤンデレ女みたいに、精神的な支えにはなれない。アタシはこの世界に認められた人間じゃない。脳筋女みたいに、社会的な支えにもなれない」
「……誰かの代わりになって欲しい訳じゃない」
「そうね、アタシはアタシにしか成れない。やっぱり、アタシが得意なのは暴力なのよ。だから、暴力でアンタの役に立つわ」
「ん? 護衛ってことか? それなら、なおさら俺から離れる理由が分からない」
アドレイドは首を振った。
何故だか分からないが、何処か俺を憐んでいる様にも見えた。
「強いて言うなら、
「人探しが俺の役に立つ……?」
「ええ、アンタは誰かを探している。だから、アタシは裏に潜って情報を探るのよ」
俺が、探している?
理解が追いつかない。
そんな俺を見て、アドレイドは一つの問いを投げかけた。
「ねぇ、アンタが転生者になった日、共に行動した女──番外位って知ってる?」
「……
ズキッ、とこめかみに頭痛が走る。
胸の奥で心臓が何かを叫んでいる。
だけど、全てを忘れる。
違和感を、そして違和感を感じていたこと自体も忘れてしまう。
「……睡眠は記憶の整理と言われているわ。最初は何かを忘れたこと自体は認識できていた。だけど、記憶の整理と共にその記憶の穴が埋められたのでしょうね」
「……? 今、何の話をしている?」
「アタシは《石化魔眼》の効果で概念的に停止しているわ。だから食事も睡眠も必要ないし、
話についていけない俺を放って、彼女は語る。
まるで、語る事に意味はないとでも言う様に。
「でも、まだ可能性は残っているわ。第五位の討伐によって、『矛盾』の摂理は不安定になっている。今すぐは無理でも、数年か数十年後には摂理自体が破綻するかもしれない。
「…………………………………………」
「だから、アタシはそれを探るわ。アタシはアンタの奴隷よ。魂が繋がっているから分かる。自分でも意識できない願いを、アタシが叶えてあげる」
だから、と。
大輪の笑顔を咲かせて彼女は言った。
「行ってくるわ、
そして、風のようにアドレイドは去った。
何を話していたんだかよく覚えていないけど、俺の頬に涙が伝う。
「……今生の別れでもないってのに、なんで涙なんか流れてんだ?」
それは、今生の別れを思い出しているからだ。
もう逢えない彼女への慟哭と、それを追いかけてくれた彼女への感動が入り混じる。
病院の屋上から、アドレイドが去った街を見下ろして俺は呟いた。
「行ってらっしゃい、アドレイド」
お帰りと言えるように。
魂から俺の気持ちが伝わるように。
だけど、自分自身でも認識できず。
俺の口から弱音が溢れた。
「お前にも、お帰りって言いたかったんだよ」
勝者の言葉とは思えない様な、ありふれた弱音が。
第二章終了…………
勝者達の一幕があれば、
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