■■■■という少年がいた。
何の変哲もない、平凡な少年だった。
真っ白に漂白された天井と壁。
規則正しく鳴り響く電子音。
鼻にツンとくる薬品の匂い。
彼は生まれた時からこの白い
成人は迎えられないと余命宣告された、儚い人間だった。
つまらない人生だった。
つまらない毎日だった。
───
一二歳の時のこと。
看護師達から隠れてスマホでアニメを見ていた彼は、一つのアニメを見つけた。
それこそが『テンプレート・トライアンフ』。
放映されたのはたった
アニメ化したのはAルートのみ。
『テントラ』は大ヒットした訳ではなく、元のゲームも誰もが知る名作となった訳ではない。コアな人気は得られても、メジャーには成れなかった。知る人ぞ知る良作として、数ある作品の中に埋もれていった。
だけど、少なくとも。
『テントラ』の名は彼の心の奥深くに刻み込まれた。
アニメのBlu-rayを買った。
OPとEDのCDを買った。
原作のゲームを買った。
スピンオフ漫画を買った。
スピンオフ小説を買った。
〈Character Material〉を買った。
キャラクターグッズを買った。
キャラクターフィギュアを買った。
『テンプレート・トライアンフ2』を買った。
同人誌を買った。
作者のインタビューが載った雑誌を買った。
二次創作を読み漁り、専用のSNSアカウントを開設し、『テントラ』の世界を想像して妄想して夢想した。
人生が面白かった。
毎日が楽しかった。
『テントラ』さえあれば、いつまでも生きていけると本気で思った。
───奇跡は、起こらなかった。
享年一八歳。
余命宣告の通り、成人するよりも早く。
■■■■は息を引き取った。
そして、誕生の瞬間にこの世界が『テンプレート・トライアンフ』という作品だと思い込んだ。
理屈はない。
理由はいらない。
だって、『テントラ』に転生したいなんてことは
───奇跡が、起こった。
無限に存在する世界の中で、折手メアはかつてのゲームに酷似した世界へと転生した。
そして、強い思い込みは折手メアに《
この時に、折手メアは決意した。
この
実の所を言うと、前世において『テンプレート・トライアンフ2』の評判は悪かった。
前作から変更になった主人公は、六道伊吹の性格とはほど遠く、見ていて何処かイライラしてくるほど受け身で他力本願な少年だった。
前作のキャラは敵として登場し、六道伊吹でさえもラスボスとして立ちはだかった。前作の
案の定『テントラ2』は炎上したし、ファンからは『蛇足』という通称で呼ばれるようになった。
そして、これを境に『テントラ』に続編が作られることはなかった。『テントラ』というシリーズは
だから、
六道伊吹を中心として新たな物語を自分で創ってやろう、と。
この
『その結末がこのザマだ、折手メア』
折手メアは『六道伊吹』の足元に倒れ伏す。
真っ赤な血は彼女を中心として放射状に広がり、まるで大輪の花が咲き誇るかのように地面を彩る。
手も足も出なかった。
抵抗の意味なんてなかった。
それも当然だ。だって、
《
《
六道伊吹はゲームの主人公ではなく、何処にでもいる普通の男の子だと理解しながら…………それでも、この世界はゲームだと思い込んで現実逃避した折手メアの自業自得の結果。辻褄合わせをするように、異能は
彼こそが折手メアの思い描く
折手メアの憧れを受け止めきれなかった六道伊吹から零れ落ちた理想、絶対に負けることのない無敵のスーパーマン。人型でありながら人間にあらず、理不尽な
『テメェはまだ殺さない。世界を歪めやがったテメェを殺したいのは山々だが、殺しちまうと俺が存在できないからな。俺が気に食わないものを全部ブチ壊すまで、それがテメェの執行猶予だよ』
返答はない。
この場に立っている者は『六道伊吹』以外存在しない。
凶悪な
幼馴染の少女を傷つけても、彼は顔色ひとつ変えやしない。
これは、彼が
六道伊吹は善人ではない。
彼の根幹をなすのはあらゆる理不尽を許さない怒りと、それを実際に行動に移してしまえるだけの度胸。たとえ相手が幼馴染であろうとも、条件さえ満たされれば彼の怒りは問答無用で焼き尽くす。
善は成さない。
弱きを助けない。
ただ悪を抹殺し、強きを挫くだけの怪物。
勧善懲悪なんて言葉は似合わない。
勧善が欠落した、懲悪の執行者。
理不尽を嫌う彼は、この世界の誰よりも理不尽なバケモノだった。
今までは、彼の怒りはこの世界における悪人に向けられていた。だからこそ、彼はまるで正義の味方ように振る舞えていた。
だが、今回ばかりはそれはできない。
『六道伊吹』が憤怒を抱いたのは
これこそが
折手メアが憧れた
最期に憧れの姿を見れて、折手メアの一生に悔いなんてなかった。
「───………………ま、っ……て」
───そんな訳、あるか。
『……………………あ?』
べちゃっ、と。
『六道伊吹』のズボンの裾が赤く汚れた。
風が吹くだけで折れそうな細い腕は、人体の構造からして不自然な方向へ捻じ曲がり。水仕事なんてしたこともないような白く美しい手は、赤い血と青い痣と黒い泥で穢され。
それでも、何の抵抗もなく容易く解けそうなほど弱い握力でも、折手メアの手は『六道伊吹』の足首を掴んだ。
「まだ、ボクは…………負けちゃ、いない……ぞっ……‼︎」
『…………そうかよ』
『六道伊吹』は折手メアの首根っこを掴み、ぐいっと無理矢理立たせる。
突如の事によろめいた折手メアはたたらを踏み、そんな隙だらけの彼女の顔面に向かって『六道伊吹』は拳を振りかぶる。反射的に、折手メアは両手で顔を覆う。しかし、それはフェイントに過ぎない。
ドンッ! と、『六道伊吹』が踏み出した足は折手メアの片足を踏み付けた。体勢が大きく崩れ、拳を受け止めることも逃げることもできなくなる。そして、磔にされたかのように動けない折手メアの頭に、今度こそ本命の拳が振り下ろされる。
ゴキャッッッ‼︎‼︎‼︎ と。
頭蓋骨が陥没していても不思議じゃない音が響く。
鼻の骨はくの字に折れ曲がり、鼻の奥からは血が垂れ流れる。学校一と称えられた端正な顔立ちは見る影もない。
一撃。折手メアはなす術なく再び地面に倒れ伏す。
『それで?』
「──────────」
返事はない、当然だ。
前世も含めても殴り合いの喧嘩なんかしたことのない折手メアは、痛みというものに余りにも慣れていない。鼻が折れても立ち上がるような不屈の精神は、彼女には存在しない。
───そう、そのはずだったのに。
「──まだっ、だ…………ッ‼︎」
『…………おいおい、どうなってんだ?』
絶世の美少女と謳われた綺麗な顔は腫れ上がり、乱雑に拭われた鼻血は頬を伝い、宝石のような赤い瞳はくすみ、輝くような銀の髪は血と砂と泥で色褪せ、彼女を見ても折手メアだと一目では分からない有様になった。
汚濁と泥水に塗れたその姿。
『テメェはそんなヤツじゃないだろう⁉︎ 最悪にして最低の魔女‼︎ 思いやりも慈悲の心も何もない‼︎』
「……そうッ、だね……」
『テメェは誰かの為に立ち上がれるような善人なんかじゃない‼︎ そもそもッ、この悲劇をセッティングしたのは全部テメェじゃねぇか‼︎ 自業自得の癖に何を被害者ヅラしてやがる⁉︎』
「あぁ、クソッ……‼︎ 全部事実さ、その通りだよ」
『
「ぐうの音も出ないね……」
『だったらッ、なんで今更立ちはだかるんだテメェはよォォォッッッ‼︎‼︎‼︎』
善と悪はひっくり返った。
だけど、そんな筈はないのだ。
折手メアが善人になれる筈がない。
折手メアなんかがヒーローになれる訳がない。
折手メアの心から生まれた『六道伊吹』がその事を一番よく知っている。
だから、だから、だから。
何故か、という
「
『六道伊吹』には返す言葉が無かった。
改心したと思ったか? 珍しく他人の為に戦っているとでも勘違いしたか? そんな訳あるか。人は簡単に変わらない。
折手メアのテンションは最高潮にあった。夢に描いた
『…………ハハハハハハッ‼︎ なんだよ、俺の目が曇ってたぜ。テメェに蓮の花なんか相応しくねぇ、ラフレシアがお似合いだぜクソ野郎ッ‼︎』
『六道伊吹』は強く拳を握り締める。
応えるように、折手メアも感覚のない指を弱く握る。
(『六道伊吹』は言った、ボクが死んだら彼も死ぬと。だったら、後は簡単だ。今更自殺する体力なんて無い。だけどッ、
直後。
血飛沫が舞う激突があった。
結局のところ。
これは一〇〇パーセント、折手メアの私利私欲による戦いだった。
この戦いの結末は決まっている。
『
折手メアは『六道伊吹』に勝てず、しかし、折手メアは死なない限り止まらない。そして、折手メアの死は『六道伊吹』の消滅に繋がる。
故に、折手メアが『六道伊吹』に殺されることのみがこの戦いの終わりだった。
それこそが、折手メアの望みだった。
折手メアは現実から逃げたかった。
つまり、死にたかったのだ。
既に人生の終わりを経験した彼女にとって、二度目の死は恐れる事ではなく、だからこそ現実逃避の為に自殺する事に躊躇なんてなかった。
でも、だけど。
六道伊吹に失望されるのだけは嫌だった。
ただそれだけが怖かった。
だから、栗栖椎菜に立ち向かった。
まるで頑張っているかのようなフリをして、わざと殺されに行った。
だから、『六道伊吹』を生み出した。
自分が死ぬことで相手を道連れにする、なんて。そんな死ぬ為の大義名分を得る為だけに。
「これでハッピーエンドだよ、いぶき」
最期に、彼女は寂しそうに笑った。
ほんの僅か、一パーセントにも満たない心の片隅に。
少しだけ、彼女にも罪悪感があった。
だって、楽しかったのだ。
前世で死んだ一八年間よりも。
今世で生きた一七年間よりも。
『テントラ』を好きになった六年間よりも。
彼と過ごした三日間の方がずっと楽しかった。
だけど、もう遅い。
『六道伊吹』の
眼窩に指が差し込まれ、衝撃が脳を抉り穿つ。
一秒後の
そんな、馬鹿みたいに独りよがりで。
側から見れば吐き気がするような、クソッタレの悲劇ごっこを。
「逃げるなよ、折手。
バギィィッッッ‼︎‼︎‼︎ と。
世界がヒビ割れ、突如現れた右手が『六道伊吹』の手首を掴んで止める。
『テメェ……ッ⁉︎ まさかッ───』
ただ、一言呟いた。
「───《
一瞬だった。
「───いぶ、き…………」
「…………クソ、そんなボロボロじゃ
バサッ、と制服の上着を投げて被せる。
それは、折手メアの服がズタズタで下着が見えていたからか。
それとも、かつて折手メアが鼻血が出た顔を恥ずかしがっていた事を覚えていたのか。
「まって、キミはなんでここに───⁉︎」
「話は後だ。まだ終わってねぇぞ」
『六道伊吹』は消滅した。
では、残る脅威はあとひとつ。
元々、折手メアは何と戦っていたのか。
そうして、今まで息を潜めていた怪物が起き上がる。
「折手を見てたら分かる。殺されたにしては惨状が綺麗すぎるんだ、テメェはよ。なぁ、
「
あっさりと、栗栖椎菜の穿たれた心臓は修復される。
此れにて、折手メアの一人芝居はお仕舞い。
少年と少女は、路上で向かい合う。
静かに、厳かに。
〈
ここからが本番。