「殺す」
「死ねー!」
「高嶺の花を散らしやがって!」
「何の話だぁぁああああ‼︎」
追手から全速力で逃走する。初めは二年一組の男子だけだったが、途中からは他のクラスや他の学年の男子も追手に加わった。特に、二年八組男子生徒の勢いは段違いだ。鬼気迫る表情で俺を追跡する。捕まったら殴られるどころか、殺されるのではないかと錯覚してしまう。
「廊下は走るんじゃねぇよ!」
階段を滑り降りる。降りた先には男子が集まっており、廊下に逃げ道はない。
「観念しろ六道!」
「殺す」
「お前の周りだけ美少女が多いんだよ!」
俺を囲むのは凶相の男たち。
前方に立ち塞がるのは熊のような体格の男。
確か、柔道部の
「俺は折手さんファンクラブ会長の門脇だ。絶対に逃がさんぞ、二年!」
体格差からして勝ち目はない。
だが、あの夜を超えた俺ならいける!
「邪魔だ!」
「通さん!」
ゴバッッッ‼︎ と、ラリアットで止められる。
普通に無理だった。たった一夜の戦闘経験が毎日積み重ねた筋力に勝てるはずもなかった。
やばい、死ぬ。
しかし、逃げ場はない。正面突破も不可能だった。
……いや、逃げ場はまだ存在した。
「じゃあなッ、非モテども!」
それは
「待てクソが!」
「変態がぁぁ!」
「殺す‼︎」
罵倒を背に逃げる。昼休みもそう長くはない。五時間目さえ始まれば、みんなも落ち着いてくれるはずだ。
校内を必死に駆け抜ける。誰も居なさそうな場所へ、
「はぁッ、はぁッ…………‼︎」
肩で息をする。昨日の疲労も抜けきっていないのに、全力で校内を逃げ回ったせいだ。
走って、走って、走り回る。
やがて、見覚えのない場所に辿り着いた。一年間通った高校だが、こんな場所は見たことがなかった。人気のない上に、よっぽど誰にも知られていない穴場のようだ。
辺りを見回す。そこには……先客だろうか、一人の女子生徒が立っていた。
「初めまして」
「え、はい。初めまして?」
見たことのない女子生徒だった。上靴の色からして三年生。顔立ちからして留学生かハーフとかだろうか。首には十字架のアクセサリーが掛けられている。
青みがかったような黒い髪、ふわっとしたボブヘアのような髪型。目にかかった前髪と、顔に比べて大きめなメガネで隠されているが、話題にならないのがおかしいぐらいの美人。こんな綺麗な先輩が三年にいるとは聞いたことがない。
「えっと、邪魔してすみません」
「いえ、私の所有地ではないので構いませんよ。……貴方のお名前を聞いても?」
「俺は二年一組の六道伊吹です。もしかして、先輩は転校生ですか?」
「……どうして、そう思いましたか?」
「こんな美人の先輩がいたら、噂の一つや二つは絶対に耳に届いてるはずなので」
そう答えると、先輩の顔は綻んだ。
どうやら、冗談として受け取られたらしい。
「お上手ですね。……その通りです、本日より転校して来ました。ブレンダと申します。短い間ですがよろしくお願いします」
「…………ッ‼︎」
クラスも苗字も言わず、ただブレンダという名前を述べる。俺はその名前に聞き覚えがあった。……つい先程、ファミレスで折手メアから聞いた話に登場した名前だ。
話は二時間以上前まで遡る。
「学校でラブコメをしよう」
「なんて???」
そもそも、転生者という脅威が街に潜んでいるのにどうして俺は登校したのか。それは、折手メアのとある提案によるものだった。
「今のボクたちでは、第五位はともかく第四位には太刀打ちできない。第四位が相手ではボクの異能も役に立たないからね。だから、こちらの戦力を集める必要がある」
「……その理屈は分かる。だが、それとラブコメに何の関係があるんだ?」
ラブコメと戦力増強。笑い話と真剣な話。正反対とも言える二つのものに、一体どのような関連性があるというのか。
折手メアは空調の風に長い銀髪をたなびかせ、口の端を吊り上げてドヤ顔でこう言った。
「
恐らく、ヒーローの女性形という意味合いでのヒロインではないだろう。『テンプレート・トライアンフ』という原作において、主人公である俺と恋に落ちる攻略対象。選択肢によっては、俺のことを好きになる女の子。
「キミには三人の
「言いたいことは分かった。つまり……三人のヒロインを口説き落とせってことだな⁉︎」
「その通りさ。全く、恋敵の手を借りねばならないとは癪だけどね」
折手メアは腹立たしそうに顔を歪める。俺のヒロインになることを目指しているため、本当のヒロインを呼び寄せることを嫌がっているのだろう。
それでもこの提案をするのは、折手メアなりにこの街で起こる事件を解決しようとしてくれているのだろう。昨日の約束が効いているのかもしれない。さすがのクソ野郎も、昨日の今日で約束を破るなんてことは無いはずだ。
「三人のヒロインには、それぞれ独自のルートが存在する。そのルートにおけるイベントを人為的に引き起こすことで、手っ取り早く彼女たちの好感度を稼ぎ、味方に引き摺り込むのさ!」
「そんな事できる訳ないだろ⁉︎ こちとら彼女いない歴イコール年齢の男子高校生だぞ⁉︎」
「できるできる。画面の向こうのボクさえ惚れさせたんだ、目の前にいるヒロインの好感度を上げるぐらい簡単だろう?」
「んなわけねぇだろ‼︎」
俺は付き合った経験も無ければ、告白された経験も――折手メアという例外はあるが――全く無い。女子を避けているわけでは無いが、幼馴染の椎菜以外とはあまり会話した記憶もない。そんな俺が初対面の女性を惚れさせるなんて事は、逆立ちしたって出来るはずがない。
みんながみんな、折手メアのように頭のおかしいチョロインだと思わないでほしい。一切関わっても無いのに、最初から攻略されているヒロインとかありかよ。
「さて、あらかたの説明は終わったし、あとは三つのルートとヒロインの説明をすればいいかな」
「俺の意見はガン無視かよ、オイ」
何の説明も終わってないし、俺は全く納得していない。折手メアは戸惑う俺を歯牙にも掛けず、歯を剥き出して笑う。
俺の意見に耳を貸す様子はなく、いくら言っても無駄だと察する。一旦、水を飲んで心を落ち着かせる。グラスの中の氷はとっくに溶けきっていた。
「まずは『
「物騒な女だな、俺が恋に落ちるとは思えないぞ」
折手メアは真っ赤な目を輝かせて話す。まだ一日程度の付き合いしかないが、普段よりもテンションが高めな気がする。昨晩から思っていたが、解説するのが好きなタイプなのかもしれない。
「……つーか、第五位をボコったっていうアドっちはこいつのことか?」
「その通り、話が速いね。Aルートではアドっちという運命に出逢うことで、第四位との戦闘に巻き込まれていくストーリー。『テントラ』において一番王道なルートとも呼ばれ、アニメ化もされているよ」
自分の恋愛話が地上波で公開されていることに、言いようのない羞恥心を覚える。俺は暴力を振るう女性は好みじゃないはずなんだけどなぁ。
「次に『
「めちゃくちゃ良い人じゃん。口説く以前に真剣に頼めば力を貸してくれそうだな」
ブレンダさんって人は俺が好きになりそうな女性だ。性格が良い人は理想のタイプだ。これで年上の包容力のある優しそうな先輩だったら言うことなしで理想の女性に当てはまる。
「……ただ、また一つ疑問が増えた。天命機関って何だ? 転生者とはまた別のカテゴリなのか?」
「うーん、アニメに出てくる秘密結社みたいなものだと思ってくれたら良いよ。Bルートではブレンダ……センパイちゃんという理想の女性に関わる事で、天命機関の一員として活躍するストーリー。『テントラ』における様々な裏事情や設定が判明する。コミカライズもされたね」
知らない用語が積み重なっていく。
転生者、異能、世界観。他にも
「ちなみに、センパイちゃんが主人公の
「それはどうでもいい」
マジでどうでもよかった。
心の底から興味がない。
「最後に『
「どうかしたのか……?」
折手メアは珍しく言い淀む。悩むように目を泳がせ、やがて決意を固めたかのように、目を合わせてこちらを真っ直ぐに見つめる。
「三人目のヒロイン、その名は……
一瞬、思考が停止した。
思いもよらない名前だった。
「椎菜が……⁉︎ あいつは俺と同じ一般人なのに、どうしてそんな騒動に巻き込まれるんだ⁉︎」
「このルートは……正直、賛否両論あるストーリーとなっているね。簡単に言えば、転生者になってしまった大切な幼馴染を守るために、キミが他のヒロインやクラスメイトをぶっ殺すルートさ。一番残酷なルートとも呼ばれ、アニメ化もコミカライズもされていない。だけど、『テントラ』のファンの間ではコアな人気があるよ」
思わず俺は自分の手のひらを見つめる。
俺はこの手で罪のない人を殺すのか。
…………俺ならやりそうだと思った。俺は目的のためなら手段を選ばないタイプの非道な人間だ。幼馴染を守るという大義名分があれば、いくらでも残酷になれるだろう。人を殺しても罪悪感が湧かないだろうという確信がある。
「…………ん?」
そこであることに気がついた。
折手メアの話を思い返す。
三人のヒロイン。アドレイド・アブソリュート、ブレンダ、栗栖椎菜。
「……なぁ、折手」
「どうかしたのかい?」
「ヒロインの内、学校にいるやつって椎菜一人だけじゃないか?」
元々の話は、俺が学校へ行く理由についてだ。
そして三人のヒロインの内、学校にいるのは戦闘力のない椎菜だけだ。これじゃあ、わざわざ学校へ行く意味がない。
「いいや、他のヒロインとも学校で出会えるよ。詳しくは説明しないけどね、登校してからのお楽しみさ」
「お前ってネタバレ避ける癖あるよな」
今回はそれで誰かが死ぬようなことはないが、重要なことはあらかじめ教えといて欲しい。
折手メアはたくさん解説ができて満足したのか、足をぶらぶらさせて椅子にもたれかかる。グラスはとっくに空になっており、ストローには噛まれた跡がついていた。
「キミだけが頼りだ。キミにしか出来ない事だ。頼む、ヒロインを口説き落としてくれ」
「…………分かったよ」
折手メアも嫌々ながら事件を解決しようと考えている。だったら、俺も全力を出さなければならない。
空気の読めない折手メアでは、味方を増やすなんて出来るはずがない。だから、俺がやるしかない。俺がヒロインを口説き落とすのだ。
「ちなみにアドっちには挑発、センパイちゃんには本心を伝えると好感度が上がるよ。栗栖椎菜の好感度は既にマックスだから、これ以上何かをする必要はない。…………というより、今は下手に好感度を上げないほうがいい」
「うん?」
理解は出来なかったが取り敢えずうなづく。
折手メアは念押しするように言った。
「とにかく、今からキミにヒロインの好む選択肢を教える。その知識を使い、全身全霊でヒロインたちを口説き落としてくれ」
そのヒロインが目の前にいた。
Bルートのヒロイン、ブレンダ。
天命機関とやらに所属する理想の女性。
「……いい天気、ですね…………」
「そうですか? 少し曇っていますが……」
ダメだ、口説く言葉が出てこない。
頭がずっと空回りしている。
“りくどういぶき は こんらん している!”
「大丈夫ですか? 私の名前を聞いた途端、硬直して目が泳ぎ始めましたが……
「い、いや……そんな事ないですよ、ブレンダ先輩。俺たち初対面でしょ?」
「ええ、そうですね。ですが、貴方の友人と私に面識がある可能性もありますよ。例えば、学校で恋人だと噂になっている
……口説く以前の問題だった。
何かをめちゃくちゃ疑われ、探りを入れられている。
いや、正しくは俺ではなく折手メアが疑われていて、俺もその関係者として目をつけられているのだろう。
「……俺と折手はただの同級生ですよ」
「そうでしょうか? 昨晩のことです。転校前で緊張していたので、少し散歩していたのですが……六道君が折手メアさんと歩いているのをたまたま目撃しました。お二人で一体何をしていたのですか?」
そうか、この人は転生者事件の解決のためにこの街に訪れた。そして、その事件に関わりが深そうなデパート倒壊事件が昨晩起こり、現場には怪しげな二人の男女が彷徨いていた。怪しむなと言う方が無理だろう。
「お二人が噂通り恋人関係でも、私は言いふらすようなことはしません。これから関わることもない初対面の先輩ですから、遠慮せず打ち明けてください。それとも……
ブレンダの表情から、俺を心配しているのが見て取れた。俺を敵の一人ではなく、巻き込まれた一般人だと考えているようだった。
そこで気づく。別に口説く必要はないんじゃないか? この優しそうな先輩の目的が転生者事件の解決ならば、正直に事情を打ち明けても手伝ってくれるのではないか?
「あの、実は……」
口を開く。全てを話す。
……その、一瞬前のことだった。
「………………ッッッッ‼︎‼︎‼︎」
《異能感知》。
ディートリヒに匹敵する程の異能の反応を感知した。それも、
反射的に身体が駆動し、足が反応の方へと駆け出す。近くにいる校舎裏の転生者の方へ向かう。
そんな俺の腕を、ブレンダが掴んで止めた。
身体が急停止する。
「なッ、何ですか……?」
「六道君……転生者を知っていますね?」
(しまった……‼︎)
今の動きは不自然だった。もしかすると、異能の反応は俺を引っ掛けるための物なのかもしれない。
ブレンダは跡が残るほど、俺の腕を力強く握りしめる。俺を掴んで離さない。
「貴方には三つの選択肢があります」
ブレンダが俺を掴んでいない方の手で、三本の指を立てる。蒼い瞳から放たれた殺気が俺を突き刺す。下手な事を言えば俺は死ぬ。
「一つ、全てを忘れて逃げる。二つ、全てを白状して私に保護される。三つ、……今ここで私に殺される。選んでください」
逃亡か、降伏か、死か。
三つの
何を選ぶか、そんなもの考えるまでもない。
ブレンダの手を振り払う。
「
この街を捨てて逃げたりしない。
勝利を諦めて降伏したりしない。
ブレンダに負けて死にはしない。
俺は誰が立ち塞がろうと止まらない。
「異能の反応は先輩の手によるものか?」
「片方はそうです。ただし、捕らえていた第四位の手駒を解放しただけなので、私がコントロールできるものではありませんが」
「だったら、俺たちが争ってる場合じゃねぇだろ。片方は俺が倒す、もう片方は自分でケリをつけやがれ」
ブレンダの目的も、戦力を増やすという当初の目的も関係ない。今は何よりも、二人の転生者の対処をしなければならない。
ブレンダは怪訝な顔をして尋ねる、
「……六道君は折手メアの手駒でしょう。私と……天命機関と協力しても良いのですか?」
「そんなもん知るか。俺は天命機関とやらについてよく知らないし、お前たちと折手の関係も知らない。俺の目的はただ一つ」
折手メアのアドバイスを思い出す。
言葉を選ぶ必要はない。
心からの想いを吐き出す。
「
作戦内容がシンプルになった。
後のことは後から考える。
今はまず、目の前の問題に取り掛かる。
「……ですが、私は六道君に手を貸しません。いいえ、
「そうかよ。だったら、そこで指を咥えて見とけ。お前らの代わりに俺がこの街を救ってやる」
言い切るや否や、俺は駆け出す。
今度はブレンダに腕を掴まれることもない。
向かう先は遠い方、住宅街にいる転生者。
走りながらスマホのロックを解除する。
ブレンダの協力は得られなかった。
当たり前だ、そもそも俺は協力を取り付ける為にブレンダを口説いていたのだ。それを放り出したのだから仕方がない。原作におけるブレンダがどうであったかは知らないが、この世界の彼女は俺に都合の良い女性ではない。
この世界では運命の出会いはなかった。
ブレンダは理想のヒーローじゃなかった。
守るべき大切な幼馴染は側にはいなかった。
俺の
でも、それでも。
俺は独りぼっちなんかじゃない。
運命でも、理想でも、大切でもない。
それでも、俺の
『マイハニー♡メア』と書かれた連絡先をタップする。正気とは思えないようなふざけた名前だが、ホテルで折手メアが勝手に入れた連絡先である。
「おい、折手!」
『もしもーし、ボクの声が恋しくなったかい? せっかく同じ学校に通っているのだし、クラスに来てくれたら一緒にお昼でも……』
「そんな事はどうでもいい。転生者が二人出た! 俺は住宅街の方に向かうから、折手は校舎裏にいる方を頼んだ!」
『……え、あっ、ちょっと!』
電話をブチ切りして、スマホをポケットの中に収める。これで向こうの転生者は倒せる。折手メアはあんな頭でも一応は
(後は俺が……‼︎)
俺が転生者を倒せば、街に被害は無い上に、ブレンダに俺たちの目的が街を守る事だと分かってもらえる。
一石二鳥の考えを胸に、現場へと向かった。
「えぇ……、マジかぁ……」
六道伊吹に電話を受けた折手メアは、早足で階段を駆け下りる。しかし、その足取りは重かった。
(二人の転生者。もう一人は知らないけど、校舎にいる方は間違いなく佐武真尋。ボクの予定では六道伊吹が戦う筈だったんだけどなぁ……)
自分で仕掛けた爆弾を自分で解除しに行く。
それは早すぎる因果応報だった。
折手メアは今からでも電話をして、相手を交換して貰おうかと思ったが、それは無理だと判断した。できない訳では無い、やると最悪の結果に至るという意味だ。
(ボクがこの状況を作り出したとバレるのはマズイ。ボクが原作を知りながら、事前に防がなかったと思われるのもヤバい。あくまで、ボクにとっても想定外のフリをしなければ……)
六道伊吹との約束を破ったという事実は闇に葬らねばならない。そのため、あらかじめ相手を知っていた言動はできず、バレる前に佐武真尋を倒すしか道はない。
結局、またしても
(しかし……)
折手メアは校舎裏の転生者……佐武真尋のプロフィールを思い出して考える。その原作知識が折手メアに告げていた。
佐武真尋は
即ち……。
「ボクじゃ勝てないな」
クソ野郎は澄まし顔でそう述べた。
『
ヒロイン:
『
ヒロイン:
『
ヒロイン:栗栖
ルートなし
サブヒロイン:佐武