統一教会と創価学会では信者の数は100倍くらい違う。したがって、創価学会の方がはるかに身近。SNSでは、統一教会ではなく、創価学会に解散して欲しいという声が大きい。その点で、創価学会も難しいところに来ている。さらに批判の声は、宗教全般にも及ぶかもしれない。
島田裕巳@7刷決定『教養として学んでおきたい神社』マイナビ新書
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宗教学者で作家の島田裕巳です。仕事柄、宗教にかかわるような事柄が中心になるかもしれませんが、映画や歌舞伎、オーディオプレーヤーなどについて発信していきたいと思います。
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神社に行くと、「二礼二拍手一礼」が正式な作法と強調されている。だが、そのやり方は、明治8年の「神社祭式」で定まったものがもとになっていて、明治以前には存在しなかった。明治以前の神仏習合の時代には、神と仏は同時に祀られていたので、合掌と拍手の区別はできない。
庶民が火葬した遺骨をおさめる墓を建てるようになったのは、戦後になってから。土葬時代は墓など庶民はまったく作らなかった。その点で、墓は高度経済成長が生んだブームの一つ。ブームにはいつも終わりがある。だから、最近になって墓じまいが増えている。ブームの後処理だ。
神社の正しい参拝方法と言われているものは、神社本庁が勝手に押し付けているもので、昔からのしきたりでもありません。
バンス米副大統領が旧統一教会関連行事で講演 「宗教の自由はトランプ政権の重要課題」 sankei.com/article/202502 より 仮に旧統一教会に解散命令が出ると、アメリカから宗教の自由に反するとクレームがつく可能性がある。
生前退位の意向を述べたなかで、昭和天皇が倒れたあとの自粛に言及しているが、当時、皇太子だった現在の天皇は、「過剰な反応は陛下のお心に沿わないのでは」と発言していた。このときの経験が、今日のメッセージに結び付いたのだと思われる。
今神社が盛んに宣伝(啓蒙?)している二礼二拍手一礼という参拝の仕方は、最近になって神社本庁が奨励しているもので、昔はもっと自由だった。なぜ、この参拝の仕方が正しいのか。その根拠は示されていない。原点は、明治8年の『神社祭式』。実質は戦後。
今回の選挙で公明党が比例で獲得した票数は、5,962,971票。600万票を割りました。前回が7,114,282票ですから、100万票以上減っています。低投票率の影響もありますが、かなり党勢が落ちていることがわかります。
岸田首相が言っているように、解散請求が民事の不法行為で行われるんだったら、統一教会以外の宗教団体も同じように請求される可能性が出てくるということになる。どんどん拡大解釈され、差し詰め創価学会などを解散せよという運動が盛り上がるのだろうか。
創価学会で今後懸念されるのは、信者減⇒聖教新聞減・財務減⇒全国の会館維持費用の捻出に困る 今これは天理教が直面していること
創価学会というのは、日本全体に信仰を広める「広宣流布」とか、「国立戒壇の建立」とか、壮大な大義を実現するための宗教団体だったのに、この2つを目標として失い、公明党・自民党を支える選挙に活動の中心を移したことで、宗教団体としての意義を失った。根本的に矛盾した状況にある。
昨日、東大の大学院に入るのは易しいが、放送大学の大学院に入るのは難しいという話を聞いた。年配の人たちが懸命に勉強して入学してくるので、若い世代は太刀打ちできないらしい。今や「勉強の時代」。カルチャーセンターで教えていて、それを感じる。
最近の公明党は、政権にとどまることが至上命題になっていて、そのためなら何でもやる政党になってしまった。バラマキは以前からあるが、宗教的理念にもとづいて結党されたときの理念など、どこにも見られない。創価学会も支持をやめたらどうか。
今のペースで創価学会が縮小していくと、公明党の得票数は10年で半減する。となれば、公明党は国政選挙で戦うことが相当に難しくなるだろう。
宗教は迫害されると、信仰が強化される。それは、世の中は根本的に間違っていて、自分たちは正しいとするからだ。そのため、迫害されるのは自分たちの正しさの証明にもなる。キリスト教など、迫害史観まで確立した。
解散請求が行われるということは、旧統一教会に支援された自民党の議員が、その阻止にまったく貢献しなかったということで、教団の政界工作になんの意味がなかったことを証明しているように見える。
「二礼二拍手一礼」が神社における正式な参拝の仕方だというのは、比較的最近になって神社本庁が強調するようになったことではなかろうか。若い人ほど作法に忠実というのも、その結果だろう。なぜこのやり方が正式なのか。理論的な説明はされていない。
創価学会は都会の単身者や結婚したての家庭に仏壇を祀らせる運動でもあった。そうした家は先祖がいないので、本尊を祀った。ところが、家で座談会をやるので、幹部は豪華な仏壇を購入するようになり、金のかからないはずの宗教(戸田城聖曰く)が金のかかる宗教に変貌した。
これが江戸時代の伊勢神宮参拝の様子。誰も拍手など打っていません。腰をかがめ、神に相対する。こちらのほうが本来の在り方といえるでしょう。
今、天理教では、戦後に頑張って建てた親里館の維持費の捻出に困っている。天理市に寄付していた額も激減している。創価学会の全国にある会館が、いつかそういう目に合うのではないかと懸念される。
宗教団体への返金が後にかなり自由に返金されるようになったら、墓じまいをして檀家を離れたとき、高額の戒名料の返還を請求できるようになるんだろうか。そんな法律がいったいできるものなのか。
公明党は創価学会の会員の高齢化で、高齢者へのバラマキ政党に堕っしてしまった。その点で、国政からの退場は必然。共産党も弱体化したが、そちらには理念がある。公明党にはもうそれがない。となれば、再生は絶望的。
今は、昔から言われてきた統一教会の問題について、知らない人が多くなったので、おさらいをしている状態になっている。それが終わったらどうなるのか。そこが注目される。
これから宗教団体が政治家を支援することに対して厳しい目が注がれることになる。宗教票をあてにできなくなると、どこに支持者を求めたらしいのか。政治家はどの政党であろうと、難しい立場に追い込まれる。政治の一層の流動化が進むのではないか。
今ある神道の信仰がかなり近代的なものだということは、認識しておく必要のあるポイント。天皇にしても、明治以前は基本信仰は仏教。天皇でさえ、自らの意志ではなく、神道の信仰を強制された面がある。
幸福の科学公式サイトは、大川隆法総裁の死を伝えていない。エルカンターレという神である存在の死をどう位置づけるのか。今、教団ではそれに苦労しているのではないか。たんに亡くなったと報じるわけにもいかない。果たしてどうなるのかが注目される。
新宗教全体、どこも信者を大幅に減らしていて、元気もないので、これから問題が起こる可能性は低い。起こるとしたら、巨大宗教施設を維持できなくなること。バブル期の巨大大仏と同じ運命をたどると、その解体をどうするかで困る。
創価大学の駅伝が強くなったのは、学会員ではない駅伝に強い選手を入れたから。2年間で創価高校出身は東西合わせてたった2人。駅伝に創価大学が力を入れるということは、大学を成り立たせる上で、創価学会があてにならなくなったということ。創価大学の学会離れが進んでいる。
宗教界は、統一教会は自分たちとはまったく別とは考えないで、言われている様々な問題について検討し、それを世間に向けては発言した方がいいのではないか。世間は、宗教全般に問題があると感じている。
自民党は創価学会票が欲しくて公明党と連立した。その結果、選挙は安泰。その分、政治家として努力せず、それが今日の不祥事に結びついた。さらに、宗教票に味を占めて、旧統一教会にすがった。そういうことではなかろうか。
池田大作氏の夫人香峯子さんが、「10年以上前に『この後は、妙法に説かれる不老不死のままに永遠に指揮を執る』と語りつつ、幸い全てを託してバトンタッチできました」と述べていることは重要。それ以降の、池田氏のメッセージや声明、歌は、代作だという意味だろう。
神を祀る作法というものは、本来、祀る人間の自由なはずで、神社本庁が一律に、別に根拠のない「二礼二拍手一礼」をあたかもそれが伝統であるかの如く押し付けるところに大きな問題がある。
地元の東京6区から急遽出馬した自民党の候補者。ポスターの色が創価学会の三色旗と同じ。偶然のはずはなく、創価学会員の票だけをあてにしているということでしょう。「自民党を変える」と宣伝カーで連呼していますが、自民党を公明党に変えるんでしょうかね。
墓参りという習慣も、火葬が普及してから。土葬の時代には、庶民は墓など作らなかったし、土葬したところに参ったりはしなかった。戦後、マイカーが普及し、郊外に家族で出かけるようになって、今風の墓参りが普及した。新しいものだけに、伝統がなく、だから無縁墓が増えるとも言える。
創価学会も、『新人間革命』の連載が終わり、『SGIグラフ』は休刊。『創価学会ニュース』も月刊が隔月刊に。これはやはり池田時代の終焉ということだろう。組織のなかに池田氏のような指針を示せる人材がいない。佐藤優氏頼みという事態が生まれているのも、そうしたことが関係している。
この黒澤明の処女作『姿三四郎』で、三四郎の相手になる柔道家の娘が神社で祈っている、このやり方こそが、伝統的な神社での礼拝の作法。立ってやるという考え方は、神さまに対して失礼だと思う。
宗教二世ということでは、エホバの証人の方がはるかに問題が大きいし、信者数でも旧統一教会の5倍くらいある。ただ、エホバの証人は政治にはまったくかかわらないので、世間からの批判を浴びにくい。
これが江戸時代の伊勢神宮での参拝のしかたです。拍手ではなく、合掌だったことがよく分かります。天皇に対して拍手を臣下が打つ、あるいは天皇が神に柏手をうつということはあったようですが、それは特殊なことだったようです。
『源氏物語』に描かれた朝廷の男女関係から考えると、皇位が男系で継承されてきたということが確かなことなのか、疑問を感じる。当時はDNA鑑定もないし。
数年前、創価学会では「SGIグラフ」を休刊にした。「創価学会ニュース」も月間から隔月刊になった。今回は、都道府県のHPの閉鎖。いったい何が起こっているのでしょうか。
池田大作氏が亡くなる ⇒ 創価学会の池田氏をよく知る高齢の会員が選挙活動に熱を入れられなくなる ⇒ 創価学会票が減る ⇒ 自民党の票が減る ⇒ 政権交代が起こる この可能性は、岸田政権の不人気で現実化しそうだね
旧皇室典範で養子を禁止し、戦後の新しい皇室典範では側室を認めなくなった。しかも皇室の藩屏である華族を廃止し、旧宮家は皇籍臣下。そのうえ、万世一系をうたい、摂政についても皇族に限定した。これで皇統の継承がつつがなく進められるはずがない。近代の日本社会は天皇の不在を前提としたのだ。
明治2年に、歴代の天皇としてははじめて、明治天皇が伊勢神宮に参拝した。その際、参道にあった195ヵ寺が廃寺になった。相当に強引な公的な権力による廃仏だった。
神社本庁を離脱するという金刀比羅宮は、庶民信仰の場から、皇室重視の路線をとるようになり、その立場から、神社本庁が生ぬるいとみているのではなかろうか。意外と事態は複雑かもしれない。金刀比羅宮の祭神が大物主で、金毘羅大権現など祭られていないことはあまり知られていない。
社会学的に考えると、創価学会の役割は終わったように思える。高度経済成長の時代に都市に流入した下層階級に生活の基盤と識字能力を与えたが、その際には、自分たちが正しいという折伏の論理が必要だった。それが、会員も経済力を身に付け、その必要がなくなり、穏健な教団に変貌しつつある。
神社の社殿の歴史をたどっていくと、現存するもっとも古いものは宇治の宇治上神社の本殿になる。これが11世紀のもの。なかなか全貌が分からないが、神社の社殿が一般化するのは、平安の終わりから鎌倉にかけてのことで、それ以前は本殿も拝殿もなく、鳥居だけがあったところが多いようだ。
宮台真司氏が定年退職直前に戒告処分を受けたのは、勤務先の都立大学が、彼を名誉教授にしないためではないだろうか。
YouTubeで、特定の個人なり団体なりを批判、攻撃し続けることは、登録者を増やし、支持者を増加させることに結びつくが、本人もそれに煽られ、躁状態になって、精神に異常をきたし、最終的には逮捕されることになる。とても危険なことだ。
自民党の支持勢力である圧力団体が次々力を失ってくるなかで、創価学会の力は依然として大きい。いくら公明党の地方議員が減っても、学会の会員は200万人以上で、より多くの票を稼ぎ出す。自民党が公明党を切るなど、その点であり得ない。
もうすぐ、創価学会の池田大作氏の動向が聖教新聞に掲載されなくなって1年が経とうとしている。以前は、近影が載り、動向が報じられていたのだが。
創価学会の池田大作さんが亡くなってから、学会員の活動はかなり低下しているのではないか。聖教新聞を複数部とる家が激減した。聖教新聞公称550万部だが、150万部くらいではなかろうか。朝晩の勤行もしなくなっている会員宅が多いのではないか。
聖教新聞に載っていた創価学会の任用試験の問題をやってみた。50問中6問くらい間違えた。法華経の用語を取り違えている。修行が足りないと反省した。
なぜ神社本庁は、2礼2拍手1礼などという、伝統に根ざしているわけでもない礼拝の仕方を推奨するようになったのだろうか。その根拠、理由はどこにあるのだろうか。それが説明されたことがない気がする。
幸福の科学は、『リバティー』の最新号で、幸福の科学大学の認可が認められなかったことについて猛烈な抗議を展開しているが、それに賛意を示す議員の談話が2つのっている。どちらも次世代の党の議員。この関係はなんだろう?
公明党が自民党に対して、「なぜ統一教会ごときに頼るのか、信頼すべきは日蓮仏法を正しく受け継ぐ創価学会ではないか」と喝破したらカッコいいと思うのだが。
今日の聖教新聞で、池田大作氏が『大百蓮華』に「御義口伝」の講義をはじめるという告知が出ていた。95歳。ギネスものの講義ということになるが、「御義口伝」は、富士門流(日蓮正宗)でしか認められていないもの。日蓮の講義録とされるが、一般には偽書の扱い。
創価学会には、ぜひ教学的にも脱日蓮正宗をしてほしい。座談会などで取り上げられる「御書」(これも学会正宗用語)は多くが写本しかない偽書。「御義口伝」など、日蓮の高い知性を完全に裏切っている。実際の日蓮を知ることが、創価学会には一番必要なことではないのか。一日蓮ファンとしてそう思う。
創価学会も、ずっと池田大作さん頼みだったので、いざ池田さんが亡くなってしまうと、これからどうしていいのか、新しい方向性をまったく示せなくなっているように見える。その社会的な使命が終わりつつあるということでもあるのだろう。
統一教会に解散命令を出せという声が上がっている。ただ、解散になっても、その前に不動産などの資産が信者の誰かに売却されれば、解散の時点で資産は残っていない。一番難しいのは、法人格がなくなると責任の主体が存在しなくなり、賠償などの請求先がなくなること。
創価学会の場合、日蓮正宗と決別し、お寺と僧侶との関係を失ったことが、今になってきいてきている。大石寺を含め、参る場所がないということは、信仰の継続を難しくする。新宗教は皆在家だが、在家教団の弱さが今出ている。