Morality Is the Enemy of Peace(Stephen M. Walt)のたぶん要約
「道徳は平和の敵だ(スティーブン・ウォルト)」
「概要」
要約のつもりだったが、途中でほぼ全訳にしたほうがいいと思い後半はだいたい全訳
「まとめ」
大抵の紛争の元となる問題は「分割可能で解決可能な問題」だ。しかしこれに道徳的要求を持ち込むと「分割不能で解決不能な問題」に変わってしまう。そうなると、戦争を避けることが難しくなり、停戦をすることも難しくなり、最後は各々の道徳的な要求も満たされず、誰も満足しない形で終わることになる。つまり、道徳的要求を国際政治、紛争に持ち込むのは危険なことなのだ。
「感想」
同意である。だが残念ながら人間は損/得で考えるより、正義/不正義で考える傾向が強い。おそらくこれからも政治指導者は道徳的な言葉で対立を語り、一般人も道徳的な言葉で考え続ける。今まで通りに不幸が量産されていくだろう。
しかたない、にんげんだもの。
あとウォルトのこの議論は常識的でなくパラドキシカルなので、多くの人には理解されない。多くの人はもっと単純明快な話がしたい。正義とか不正義とか道徳とか。
そして人間の道徳偏重はおそらく人間の脳に組み込まれている。
「社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学」
第1パラグラフ
熱心になり過ぎたり、頑固になったり、過度な道徳観念が、困難な国際問題に効果的な解決策を見つけようとする努力の障害となることがよくある。
第2パラグラフ
政治指導者は他国との紛争を非常に道徳的な言葉で表現することが常であり、それによって、具体的だが限定的な利益相反が、より広範な紛争へと変えてしまう。政府が自らの立場を正当化するために道徳的議論を用いると、たとえそれが全員の利益になる場合でも、合意を結ぶことははるかに難しくなる。
第3パラグラフ
フォークランド諸島/マルビナス諸島紛争では島に対する自国の主張を裏付けるために、双方は道徳規範を持ち出した。アルゼンチンは領土主権の規範に依拠し、イギリスは異なる道徳原則、つまり自己決定の規範(住民の大半がイギリスに留まりたいと望んでいる)を持ち出して応じた。
第4パラグラフ
この二つの立場が確立されると、妥協はほぼ不可能になった。島々の経済的価値と戦略的価値は限られているにもかかわらず、両国の大きな政治問題になった。これらの確固たる立場を考えると、軍事衝突はおそらく避けられなかった。
第5パラグラフ(ほぼ要約せず)
道徳的要求は、分割可能で解決可能な紛争を、分割不可能で扱いにくい紛争に変えてしまう。これは、戦争の交渉モデルに対する重要な修正を示唆している。この枠組みでは、ほとんどの紛争は分割可能な問題をめぐるものであるとみなし、合理的に考えれば、各国が互いの能力と決意について完全な情報を持ち、「コミットメント問題」(つまり、取引が守られることを他国に保証できないこと)を克服できれば、相互に受け入れられる解決策に到達できると主張する。戦争が起こるのは、必要な情報が通常は不足しており、各国には情報を偽るインセンティブがあり、争いのある問題の誰がどの程度の分け前を得るべきかを決めるには戦闘が唯一の方法だからである。この枠組みを使用する学者は、妥協が不可能な分割不可能な問題をめぐって戦争が発生することもあると認めているが、そのような問題は比較的まれであると推定されている。ポスト氏の研究は、紛争を非常に道徳的な観点から捉えると、分割可能な問題が分割不可能な問題に変わり、解決が困難になり、戦争の可能性が高まることを示唆している。
第6パラグラフ(ほぼ要約せず)
台湾をめぐる現在の紛争はフォークランド紛争に似ている。
中国は、台湾は自国領と主張し、台湾を自国の管理下に置いた過去の出来事を今や覆すべきだと主張している。この観点からすると、台湾が中国に復帰しない限り、いかなるものも受け入れられない。対照的に、台湾自治の支持者は、台湾人は自らを統治することを望んでおり、中国による統治に反対していると主張する。この見方では、台湾を中国の管理下に戻すことは、そこに住む人々の政治的権利を侵害することになる。どちらの道徳的主張にも一定の正当性があるため、妥協は困難であり、それぞれの立場に満たないものは、基本的な政治原則への裏切りと直ちに見なされるだろう。
第7パラグラフ(ほぼ要約せず)
これをウクライナ戦争で考える。この戦争は、交渉や妥協が可能な一連の具体的かつ具体的な意見の相違から生じた。これらの問題には、ウクライナの NATO 加盟の可能性、ロシアおよび EU との経済、政治、安全保障面での統合の程度、ウクライナ国内のロシア語を話す少数派の地位、ロシア黒海艦隊の基地権、ウクライナ国内のネオナチとされるグループの想定される役割などが含まれる。確かに難しい問題だが、理論上は、いずれかまたはすべてが、双方の核心的利益を満たし、ウクライナとロシアを犠牲の大きい残忍な戦争から救うような方法で解決できた可能性がある。
第8パラグラフ(ほぼ要約せず)
しかし、今日では、この紛争は双方とも、道徳的原則の衝突として広く捉えている。ウクライナと西側諸国にとって、問題となっているのは、第二次世界大戦後の征服反対の規範、「ルールに基づく秩序」の信頼性、そして冷酷な独裁政権に直面して苦闘する民主主義を守りたいという願望である。ウクライナ人にとって、これは国家とその神聖な領土を守るための戦争であり、西側諸国の一部のキエフ支持者にとっては、キエフの勝利を助けることは、西側諸国の秩序が依拠していると思われる道徳的原則を守るために必要である。
第9パラグラフ(ほぼ要約せず)
ロシアの戦争正当化は、NATOがドイツ以外に拡大しないという以前の誓約を破ったという非難、ロシア人とウクライナ人の間には保存しなければならない深い文化的統一性があるという主張、あるいはロシア文化を保存するにはウクライナのロシア語話者の権利を擁護し、ウクライナの恒久的な「非ナチ化」を確保することが必要であるという主張など、ますますロシア自身の道徳的主張に依存するようになっている。これらの主張のいずれかを受け入れる必要はなく、それらが単なる狭い戦略的利益の主張を超えていることを認識できる。ロシアのウラジミール・プーチン大統領とその側近は現在、敵対的な外国の圧力に直面してロシアの国家アイデンティティ(および国家安全保障)を維持するために不可欠なものとしてこの紛争を位置づけている。少なくとも修辞的には、これはドンバスの少数民族の権利やウクライナの地政学的配置をめぐる単なる口論をはるかに超えるものだ。
第10パラグラフ(ほぼ要約せず)
この紛争を道徳的な観点から捉えると和平合意に達するのが難しくなる。なぜなら、完全勝利に至らないことは、これらの重要な価値が犠牲になっていると懸念する批評家からの強力な反発を招くことになるからだ。米国やNATOがウクライナに完全勝利に至らない合意を結ぶよう圧力をかければ、ロシアの屈辱的な敗北とウクライナのNATO加盟だけが正義の要求を満たすと信じる人々からの非難の大合唱に直面するだろう。ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領が今日停戦交渉を試みれば、戦い続けることを求める強硬派によって追い出される可能性は十分にある。プーチン大統領は国内の制約が少ないが、それでも戦争を正当化し国民の支持を維持するために主張してきた道徳的主張と相容れない妥協には警戒するかもしれない。
第11パラグラフ(ほぼ要約せず)
そしてガザがある。ウクライナと同様に、この紛争には多くの具体的な問題が関わっており、何らかの解決策を見つけるための努力が(イスラエル建国よりかなり前から)繰り返されてきた。残念ながら、両者の立場は、最終的には川と海の間にある領土に対する競合する道徳的主張に基づいており、その主張は一方的な歴史物語、宗教的信念、そして相手側が過去に数多くの犯罪を犯し、現在も犯し続けているという確固たる信念を組み合わせたものである。これらの競合する道徳的主張は、ハマスとイスラエル人の極端な反応を引き起こし、イスラエルのユダヤ人とパレスチナのアラブ人の正当な国家的願望を満たす解決策を考案することをはるかに困難にしている。
第12パラグラフ(ほぼ要約せず)
ハンス・モーゲンソーやジョージ・ケナンのような現実主義者は、アメリカの指導者があらゆる対立を道徳的な観点から捉える傾向を嘆き、それが外交政策の有効性を大きく妨げていると正しく認識していた。道徳的な言葉は国民を結集し支持を得るのに有効だが、アメリカがそれ以外の行動を取るたびに偽善的に見えてしまう。実際、その行動は頻繁に起こる。また、外交関係を拒否したり、いわゆる「邪悪」な政権との相互に利益のある取引でさえも重要な道徳原則を守れない卑怯な失敗と見なされたりするため、アメリカ当局が潜在的敵国と効果的に交渉することが難しくなる。
第13パラグラフ(ほぼ要約せず)
紛争は厄介で道徳的に不完全な取引で終わることが多い。一方的な勝利の後でさえ、勝者はしばしば道徳的正当性が要求するよりもいくぶん劣った条件で妥協する。例えば、米国は第二次世界大戦で「無条件降伏」を要求し、それを勝ち取ったが、それは元ナチスの政界復帰を容認(場合によっては積極的に支援)するためだった。米国は日本で戦争犯罪裁判を開き、元日本指導者の一部を処刑したが、昭和天皇は即位したままだった。米国の指導者たちは、戦後東欧で鉄のカーテンが下りていくのを見て満足しなかったが、そこでソ連の支配を受け入れることが戦後平和の代償であることを理解していた。
第14パラグラフ
ガザとウクライナの紛争は、当事者がそれに固執する時間が長いほど、虐殺を終わらせるのは困難になり、最後は誰も完全に満足できない合意で終わるだろう。