誰だよ三井寿に色気が無いとか言ったやつ。ちょっとここにきていっぺん殴らせろ。
三井さんなんてガサツだし色気ゼロだし〜と舐めてたアメリョが三井にメロる話。
アメリョ×大学生三。
リョ渡米後に付き合いだした二人。三さんは色気ないもんねーそこがいいんだけどネ! と思ってるリョ。一時帰国して再会した三にドキドキしちゃってあわわってなる話。
【注意】序盤にアメリョと過去の相手との描写が少しあります
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今夜のDJは失恋でもしたのかやたらとメランコリックな曲ばかりかけている。
すこし離れたところにいる綺麗な顔のブルネットの子が俺たちのグループの様子を伺いだした。小さくてヤンチャな肉食獣。視線が一度は俺の上を滑っていく。俺の同期のエースに既に別の女の子がひっついているのを認めて、今夜はあまり楽しくならなそうという顔をして、連れの女の子と話し始めた。
いつも自作の絵葉書を売って回っているメガネの女の子が今夜もまわって来た。クラブに遊びに来てるやつに絵葉書なんて用はない。たいていのやつに無視されるか揶揄われて終わるのに懲りずに毎回こうして来るのは何か彼女にとって意味があるのだろう。俺はなんでか毎回買う。別に彼女の絵に数年後価値がつきそうってわけじゃない。結局アウェイ同士の連帯感みたいなものが実はあるのかもしれない。部屋に置いてる絵葉書はそろそろ6枚目になった。
さっきのブルネットの子を見ると、退屈を持て余した彼女はふたたびまわりを観察しだした。彼女の視線がふたたび俺たちのグループに届いた時、俺は隣の友人の方を向いて話を聞いているふりをした。チームメイトの肩越し、彼女が俺を見た、とわかった瞬間に視線を合わせた。オーラをコントロールして、俺は興味を持つべき男だと知らせる。彼女は、俺がいたことにはじめて気がついたみたいにその長いまつ毛が囲む瞳を見開いた。──かかった。
目を合わせたまま口角を上げると、彼女もつられたみたいに薄く笑った。そして目を逸らしてまわりとの会話に戻っていく。俺も視線を外して手元の飲み物を煽った。
5分後、彼女が俺のそばまで歩いてきた。
「今夜楽しいね、そう思わない?」
「そうだね」
君がいるからね、という意味を言外に含める。鈍い女の子ではない。伝わったようで数センチ距離が近くなった。
初めての相手は日系3世の一つ年上の女の子だった。
彼女の祖母譲りの日本語は辿々しいものだったけれど、英語に囲まれて生活する中で言葉が通じる安心感はそれが恋だと錯覚するには十分だった。チームのサバイバル競争にアジア人の留学生として必死に食らいついている毎日で、誰かが俺個人に関心を寄せてくれる。そのことが砂漠でペプシのペットボトルを拾ったみたいに嬉しかった。
初めてのセックスには夢中になった。バスケの練習以外の時間はそれで頭がいっぱいになるくらいには。ありったけ消費して、繰り返した結果、お互いにそれ以外はなにも無いことに気づいてしまった。忘れがちだけどペプシを飲んでも喉の乾きは解消されない。彼女が他の男に目移りしだしたことをきっかけに平和的に別れた。
盛場にチームメイトと行くと入れ替わり立ち替わり女の子のグループが寄ってくる。はじめはチームメイトの陰でビビっていたけれど、ガキみたいでいやになって、お馴染みの何でもないふりを発揮するようになった。俺はいつもそうだけど、装っているうちにだんだん板についてくるものだ。馴染んでしまえば変に目立つこともなくなるのだとわかった。
大学バスケの花形選手たちを誘えるのはよっぽど自らもヒエラルキーが上位だと自負している女の子たちだった。はじめの頃、俺に声をかけてくるのは遊びすぎて変わったものを食べたくなった子たちだった。バスキンロビンスの新作みたいなもの。まあいいかと味見をさせてあげるかわりにこっちも味見をさせてもらった。そのうちコツを掴んできた俺は自分から選んで仕掛けることを覚えていった。女の子のパワーと俺のパワーが引きつけ合い、均衡して、やがて俺のパワーで飲み込む。その力の流動は単にセックスの快感とは別の満足感を俺にもたらした。
この外国で、女性に男性だと見られる。留学生という存在ではなく、一人の男だと見られるという感覚は自分を確かなものにした。それはそのままバスケのコートでの自信になった。
魅力があるかのように振る舞うこと、女性を自分に引き込むこと、それはコートでゲームをコントロールすることと通じる。俺にはそれができる。もっとうまくなれる。そう考えて、腕試しをするようになった。
バスケや勉強の支障になるようならすぐやめたけど、そうはならなかった。たまの夜に女の子と遊ぶのは、孤独やストレスを埋めるためにちょうどよかった。享楽に溺れていく留学生の話はどこでも聞いたけれど、俺は自分がそういうものを線引きできるタイプだと知った。きっと辛うじて、なんだけど。ここで調子に乗ったら飲み込まれる予感もあった。
おかげさまで英語でのコミュニケーション能力は上がったし、自分をコントロールするスキルも上がった。面白かったし楽しかった。
男にコナをかけられることもあった。俺の容姿や資質は同性にも通用する。それは正直誇らしくもあった。それに誇らしさを感じる時点で自分は100パーセントのヘテロセクシャルではないなと腑に落ちた。
ある夜のこと、その日は開放的な気分になっていて、暗がりで肩を引き寄せられても俺は逆らわなかった。唇は男と女でそんなに変わらないのだと知った。顔を離して見えた目を見た時、なぜだか三井さんのことが浮かんだ。反射的にグッと彼の肩を押し返した。彼は、なあんだと言って離れて行った。でも次の時、別の男と試してみた。その時も三井さんのことは頭に浮かんだ。
ある程度できるとわかるともういいかと思うようになってきた。絶対に勝てる練習試合みたいなものだ。相手だって練習で本番じゃないのだ。バスケに似てる気がしてたけどバスケの方がダントツで面白かった。
腕試しをする時期は終わったのだ。
そういうことの全部を三井さんには話していた。
渡米後、三井さんからは時々思い出したみたいに連絡が来ていた。湘北の練習にダンナたちと顔を出したとか、花道たちの成績だとかを写真つきで送ってくれた。かつての仲間の変わらない笑顔を見られるのは励みになった。宮城どうしてる? 元気にやってるよ。三井さんは? 俺も。──やりとりはいつもあっさりと終わった。
何回目かの連絡のときに『元気だよ』と打ったあと『日本語忘れそう笑』と付け足した。
18年使ってきた日本語をたった1年かそこらで忘れるわけがない。
俺が忘れそうだったのは日本語を話していた自分だった。渡米するまでの自分。何でも吸収してやろうと意気込んで飛んだアメリカ。カルチャーショックもプレイヤーとしての格の差も痛いほど感じながらも、なんとか食らいついた一年目。チームメイトとは馴染めていたし、選手として評価もされるようになってきて表面上はうまくいっていた。パンパンに詰め込んだ袋。サイコーにうまくこなしてる日本人留学生プレイヤー。鏡に写ったそいつを見て、これって俺なんだっけ? と思った。俺は自分を見失いはじめているようで不安になっていた。
それは俺なりのSOSだった。
三井さんはそれをSOSとして受け取ったわけじゃないと思う。
それでも俺の返信に応えて『宮城zoomできんの?』とIDを教えて来た。
三井さんというのは良くも悪くもコレというタイミングを外さない人だった。いわゆる持ってる人ってやつ。試合のときもここだというところに確実にいる人だった。
時差があったけどお互い都合を合わせてPCを繋いだ。画面越しの三井さんは全く変わっていなかった。
よお宮城、とあの低めの声が聞こえたとき、肩に乗っていた重みが軽くなった。そこに重みが乗っていたことなんてそれまで俺は気づいてもいなかった。
三井さんは、キャプテンぶろうとする俺を茶化していた高三の頃とまるで変わらない調子で
『宮城お前たった1年で日本語忘れそうとか、何かぶれたこと言ってんだ?』
とせせら笑った。
『つーか俺は第二外国語落としそうだったつうのに。なんだ嫌味か? ああ?』
「一年ぶりだっつうのにガラ悪ィな。第二外国語って何取ってんの」
『ドイツ語。グーテンターク』
「片言すぎるっしょ」
笑いながら、ああ俺ってこういう笑い方する奴だった、と思った。昨日の会話の続きみたいな他愛ないやりとりが始まった。
話の途中で、三井さんがモニタのやや横に視線をやった。たぶんそこに時計があるのだとわかった。あ、もう終わらなきゃいけないんだ。自分側の時計を確認するともう一時間近く話していた。体感としてはまだ10分くらいしか経っていなかったけれど。
咄嗟にもうちょっと話そうよと言いかけた。だけど唇の裏側を噛んで押し留めた。もう終わり? これっきり? 俺はまた明日からここで誰とも母語で話さない毎日を続けなきゃいけない。置いてけぼりにされるみたいな心細さに襲われて、でもそんな情けないところを人に見せたくはなかった。
『そろそろ切るわ、元気でな宮城』
「うん、三井さんも」
ひら、と手を振る三井さんに手を振り返した。
通信を切る直前、お前が日本語忘れねえようにまた話そうぜ、そう言って三井さんは彼特有のふてぶてしい笑みを見せた。
それをきっかけにしてだいたい隔週一度くらいの頻度で三井さんと通信するようになった。はじめの時は時差を考えずに話しすぎて調整に困ったから、それからは負担にならないように20分程度で切り上げることを互いで決めた。
話の流れで俺の恋愛というか、性生活みたいなものの話もしていた。冒険なんてものでもない。アメリカ育ちのチームメイトたちの生活に比べたら浅瀬を浮き輪でチャプチャプしているようなもんだった。全てを話した──と言ったけれど、さすがに男とするときに三井さんを思い出したことは話せなかった。
『宮城、最近はあんましねーな、女の子の話』
渡米して二年目の冬。年が明けていた。PCのモニタの向こうで三井さんが言った。日本は今早朝で三井さんの肩の向こうでカーテンの隙間から淡白い朝の光がほのかに滲んでいる。
「あー、うん。もういいかなって思って」
力を行使することにハマっていたけれど、それはもういいと感じていた。結局相手が変わるだけでやってることは毎回一緒だ。
「男も女もトロフィーの獲り合いみたいで、気持ち悪いし」
恋愛というより、その場の中で価値があるように見える順に、狙いあって落としていくゲーム。縁日の射的みたいなものだと思う。落とすことに目的はあって、景品はすぐに忘れられて埃をかぶっていく。
「こうなってみると、ちょっとモテて調子に乗ってただけって感じ。ダサ、俺」
うえ、という顔を作って見せた。結局、俺がしてきたことって、日本で言うところの大学デビューってやつなんだろう。あまり自慢できるものではない。経験値はあがったからいいけど。
「次があるかわかんねーけど、あるならもう少し真面目に向き合いたいかもしんねーすね」
思うに、俺は本質的には他者にかなり思い入れてしまうタイプだ。狭い範囲でじっくり付き合う方が向いている。バスケという開放的なチームスポーツのプレイヤーだから、広くうまくコミュニケーションできる部分も育てていかないといけないけど、それだけになるときっとバランスが取れなくなる。
『なあ宮城』
と、三井さんが言った。俺は巡らせていた考えから意識を戻す。
三井さんは真剣な眼差しで俺を見ていた。
『こうやって連絡取るのしばらくやめた方がいい』
「……え」
そんなことを言われるとは思っていなかった。なんとなくこの会話はお互いに習慣になっていて、ずっと続いていくもんだと思い込んでいた。いつかどっちかが今より忙しくなったら頻度が減っていくかもしれないくらいにしか考えていなかった。
三井さんは静かな口調のまま続けた。
『俺はさ宮城が好きなんだよ』
『恋愛対象って意味で』
「……」
俺は何も答えられなかった。三井さんが俺にそういう気持ちを持っているなんて考えたこともなかった。心臓がドッドッと音を立て始める。
三井さんは少し俯いた。
『こうして連絡してくれんの、嬉しいし楽しいけど、ずっと後ろめたかったんだよ』
チラと目線をあげて眉をさげた。
『それに、宮城は悪くないけど、お前のやった相手の話とか聞くのいい加減辛いし』
俺が話しているとき、三井さんはどんな顔をしていただろう。他の話を聞くときと同じ面白がるような表情を浮かべていたような気がする。けど、この人はフェイクもうまいのだと思い出した。
『もうさ、今は話し相手なんていくらでもいるだろ?』
その言葉で初めて、三井さんは俺が発したSOSをちゃんとキャッチした上で連絡をくれていたんだと理解した。
「いないよ、そんなの」
三井さんは首を振った。
『もうちょっと俺の方の気持ちが落ち着いたら、また話そうぜ』
それは三井さんの本心じゃなくて俺を宥めるための言葉だということは俺でもわかった。俺が動揺しないように、感情が軟着陸するように言っているのだ。
ここで頷いたら、二度と三井さんとは繋がらないのだと直感した。たしかにいつかは顔を合わせる日もくるだろう。話せるだろう。でもその時の三井さんはもう今の三井さんじゃないのだ。
「俺たち付き合おうよ」
思わず出た言葉だった。自分の口から出た言葉を頭があとから理解して、そうだ、それがいいと思った。そうすればいい。
「俺だって三井さんがいいよ」
次に付き合うならいつまでも話の途切れないような人がいい。そう思っていた。
男に迫られたとき、三井さんの顔が頭に浮かんだことを思い出した。それを三井さんには言えなかったことも。
三井さんは固まっている。
「好きだよ。好き、なんだと思う」
三井さんの朝の掠れた声や夜中の眠そうな声、あまり深夜に大声をだすと隣の部屋に響くからと笑い声を無理やり押さえ込む時の肩の痙攣、独特の歪な気づかいや、変な間の冗談を、俺以外が受け取るなんていやだった。他の奴に渡したくなかった。
『宮城、それってさ……あー、いや。いいや』
三井さんは少し考えるそぶりを見せたあと、俺を正面から見た。
『じゃあ、俺たち付き合うってことで』
「うん」
頷いて息を吐いた。喉がかなり渇いていた。俺と、三井さんで付き合う。俺と三井さんは恋人になった。正直実感は無い。気づくと手が汗ばんでいて机の下で履いてるスウェットに擦り付けて汗を拭った。
画面の三井さんがブルッと震えて、目にゴミが入ったみたいな仕草をした。
「え、三井さん、どうしたの? 泣いてる?」
「……あー、ちょっと待て。気にすんな」
「なんで泣くの。泣くようなことないじゃん」
三井さんは手で目頭を押さえている。
『ずっと好きだったから……嬉しくて』
「……っ」
横を向いた三井さんは、目元と鼻を袖で拭った。こちらに向き直って、目元を赤くしたまま笑う。
『これからよろしくな宮城』
『……うん。よろしくね』
答えながら俺は自分の心臓が信じられないくらいバクバクと高鳴るのを感じていた。
そんな、泣き笑うほど嬉しいの、三井さん。俺と恋人になれたくらいで。
その時、俺は三井さんに恋をしたのだ。
温かい濁流が胸をいっぱいに満たした。この人を大事にしたい。そういう感情が溢れて粒状の光に溺れそうだった。
背中を向けている母さん、膝を抱えるソーちゃん。どうにかしてやりたくてもできない、身動きもできずに見つめるだけだった子どもの俺。だけど、その画面越し嬉しそうに笑う三井さんは俺が自分で笑わせることのできる存在だった。伸ばした俺の手を握り返してくれる人。俺だけが大切にできるし、俺だけにそうさせてほしいと思う初めての存在だった。
それまでの三井さんに向けていたあいまいで解きほぐせなかった感情がひとつに結晶した瞬間だった。
恋人になったからといって変わったことはあまりなかった。PC越しに話すのが隔週から毎週になったぐらいだ。ほんと、それぐらい。話す内容もそれほど変わらない。けれど、同じ内容でも先輩に話すというのと、恋人に話すのでは違う。相手が自分を好きでいてくれるという裏打ちのもとだと、話す言葉も聞く言葉もなにもかも楽しかった。
だんだん話す時間は伸びていったけど、それでもいつも時間が足りなかった。
三井さんは自分を曝け出すことを恐れない人だった。体育館で泣いたあの日からずっとそうだった。
俺たちはときどき、すこしずつ、心の深いところにあるものを見せ合うようになった。
俺はソーちゃんのことを初めて人に話した。
三井さんはリハビリに行くのをやめた日のことを聞かせてくれた。
三月。アヤちゃんとこっちで会うことになった。大学の春休みを利用した研修で同じ州の都市の大学に三週間滞在するのだという。1日だけ自由行動ができる日があるので俺の住む街まで遊びに来てくれることになったのだ。憧れの女神との再会に俺は高揚した。
練習を早めに切り上げて、ハイウェイバスで来てくれたアヤちゃんを迎えに行った。湘北高校を卒業してちょうど二年。二年ぶりに会うアヤちゃんは相変わらず綺麗でかわいくてその上大人っぽくなっていて俺の気分は最高潮だった。
町や大学を案内してまわって、遅い昼食を食べるために町で一番美味いダイナーに入った。日本にいる友人たちのこと、俺のバスケのこと、アヤちゃんの進路のこと、俺たちは休むことなく喋り続けた。
テーブルの上のものがあらかた無くなって、話すことが一段落してから俺は居住いを正した。
「アヤちゃん、俺、いま三井さんと……付き合ってるんだ」
アヤちゃんには言わないとと思っていた。三井さんにはアヤちゃんと会うことも、俺たちのことを話したいってことも伝えてあった。
「えっ、三井さんって、三井先輩?」
「うん」
「えぇ〜、そうなんだぁ。ねえねえ、いつから?」
アヤちゃんは瞳をキラキラさせて乗り出してきた。同性同士だということには触れずに、ただ単に親しい仲間がくっついたことを知った時の女の子の反応そのもので、それが俺は嬉しかった。たぶん大丈夫だと思っていたけれど、アヤちゃんに嫌悪やあるいは過剰に持ち上げるような反応を示されたりしたら悲しかっただろうから。
「年明けたくらいからだからまだ三ヶ月経ってないかな」
「リョータ一度も帰ってないわよね?」
「うん。三井さんとは時々zoomで話しててそれで…」
こういうはじまりは普通じゃないのかもしれないと思う。二年も直接顔を合わせてないのに恋人になるなんておかしいのかもしれない。実際、仲のいいチームメイトに日本にいる人と遠恋をはじめたと話すとリョータお前修道士にでもなるつもりかと言われたりもした。
「気ィ合うし、うまく言えねえけど他の人とはなんか違うんだよね」
だから変な始まり方だとしても迷いはなかった。誰かと同じであることなんて求めてないし。だいたい俺たちはそもそもの出会いからして普通じゃなかった。
「まあ俺らいろいろあったけど、こうなってみるとしっくりくるっつうか」
付き合ってると言っても特別に何かしたわけではなかった。ガラッと変わったことはない。好きだとか言葉にしたのも最初のときだけだ。
話す内容だって前と変わらない、なんてことのないものがほとんどだった。けれど、三井さんのよく変わる表情や笑い声は俺の心臓を温め、彼の部屋に入る朝日にほのかに照らされる肩や頬は俺の目を光に染めた。
「へえ、うまくいってるのね」
アヤちゃんが微笑んだ。
「うまくいってんのかなあコレ」
「何言ってんの。顔に出てるわよ、リョータ」
俺は慌てて顔を擦った。どんな表情をしていたんだろう。アヤちゃんの前では常に余裕で飄々とした宮城リョータでいたい。
どんどん頬が熱くなる。
「でもさ、三井さんと俺でって実際どうなんだろとは思うよね」
照れ隠し半分で言った。
「夏に一時帰国する予定だけど、実際会ってさ、なんか、恋人っぽい感じとかそういうの、なんなそー」
「? そう?」
「だってアヤちゃん、三井さんだよ? 色気なんてゼロじゃん。ガサツだし」
背も態度もデカくて笑い声でかくて無神経で。バスケ以外のことはてんで抜けてて。
色っぽい雰囲気とかセクシーさとかそういうものとはあまりに無縁の存在だった。
しいて言えば爽やか? とは言えるかもしれない。顔も…かっこいいかもしれない。黙っていれば。でも黙らないし。
近づいてみると気さくだし面白い人間だから一緒にいたら楽しい、それは間違いない。三井さんと言う人はなんていうか「気の良い兄ちゃん」と表すのが一番合っていると思う。
それに不満なんて全くない。三井さんはそれでいいしそうでいてほしい。
俺はこっちではセクシーだと評されることも多いし、自分でそれを操ることができるという自負もある。その愉しさも知っている。だけど三井さんにそれを発揮する必要はないと思っていた。だって三井さんはそんな俺を知らなくても好きだと言ってくれる人だからだ。
次に帰って会うのは楽しみだけど、きっと恋人らしい雰囲気になんてならないだろう。
心の繋がりがあってお互いを大事にしたい気持ちがあるならそれが一番大切なことだと思う。それだけでいいとオレは思っている。
「まあ別に一緒にいたら楽しいから、そういうのいいんだけどね」
帰っている間に話したいことは山ほどある。バスケだってしたいし。まあ、お互いもう大人だし、もしかしたらいつか、今回は絶対ないけど次とか次の次とか、いつかは、恋人っぽい空気になるのかもしれない……いやならねえな。三井さんだもん。
しばらくぽかんとしていたアヤちゃんが我に返ったみたいに目をぱちぱちさせた。
「えっ、あー、リョータ? 三井先輩に色気がないっていうの? 本気で言ってんの?」
「え、うん。無いでしょ、三井さんだもん」
頭の中で三井さんがガハハと笑う。あーあ、色気ねーな、まぁそこがいいんだけどね……
アヤちゃんはなんでか呆れたような表情をしていた。
「リョータあんたねえ……」
と言いかけた言葉をダイエットペプシと一緒に飲み込んだ。
「まあいいわ」
俺の女神は、にこりと笑って、覚悟しといた方がいいわよと言った。
訪れたばかりの夏に街が喜んでいた。通りの桜の並木は燦々とそそぐ日を受け青々しい葉を広げていた。午後の裏通りを人々が楽しげに行き交っていく。
テラスに置かれた椅子で、彼は手元の冊子を眺めながら、背もたれに身をゆったりと預けていた。頬にまつ毛の影が淡く落ちている。長い腕がテーブルの上の大きな手に繋がる。木漏れ日がチラチラと揺れるのが眩しいのか瞼を細めた。ふとあがった視線が俺を捉えて、ふわりと笑みを浮かべる。
「………ッッッ」
俺はふらつきそうになる脚をなんとか堪えた。アメリカで体幹鍛えといて本当に本当に良かった。じゃないとぶっ倒れてた。
一昨日の夜に帰国した俺は昨日は家族と過ごした。今日は午前中に役所に行ったりして事務的なことを処理して、午後にようやく三井さんと会うことになっていた。夕方からはヤスが声をかけてくれてバスケ部の同級生たちと飲む約束だ。
最後のインカレを終えた三井さんは、大学バスケから引退して、いまは自主練をしつつ卒論を詰めている時期だった。もうしばらくしたら所属予定のプロチームの練習に合流することになっている。
待ち合わせ場所の駅前広場には俺が先に着いた。行き交う人々を、三井さんの姿が見えないかと眺めていた。それなのに俺ははじめ三井さんに気付けなかった。手を振られてはじめて、あ、と思った。三井さん、だ。
「宮城! 宮城おかえり!」
大きな声で呼びかけられる。駆けてきた彼は俺の肩に手を置いた。
「飛行機揺れなかったか? もう時差ボケ取れた?」
「……っス。ただいま」
「おう、おかえり」
ぽんぽんと腕を叩かれた。三井さんは俺を頭のてっぺんから足元まで見て破顔した。
「画面越しで見てたけどまじで身体デカくなったなあ。すげえ」
「まあ、ね」
「とりあえずどっか入ってメシ食おうぜ。俺腹減ってんだよ」
「そすね」
並んで歩き出した。俺は横目で三井さんをチラッと見た。
日本って陽の光が強いんだろうか。なんか眩しい。俺がはじめ三井さんに気付けなかったのはその眩しさのせいだった。三井さんは最後に会った彼が大学一年だった冬とそれほど変わっていなかった。素材の一つ一つは。体つきも髪型もあの頃のままだ。そもそも一週間前にPCモニタ越しに話したばっかりだ。練習帰りの着替えが入ったバッグを背負って、まるで高三の夏の部活の帰り道みたいに俺の隣を歩いている。
「ここらへんたまに通るんだけど、入ってみたい店があってさ。そこでいいか?」
「うん、いいよ」
三井さんが指差した店はテラスのあるカフェレストランといった風情だった。通りの向こうに公園があってそこを眺められる、雰囲気の良い店だった。
テラス空いてますよ、日陰なのでよかったらどうぞ、と言われて案内される。今日はそよ風が吹いているから外でも過ごしやすそうだった。
案内されてすぐに、ちょっとトイレ、と言って俺は席を立った。レストルームの中、よろよろとフラつきながらようやくたどりついた洗面台に手をつく。
(……破壊力やばくね三井寿??)
三井さんはそれほど変わっていなかった。
でもぜんぜん違った。
あの人あんなに綺麗な顔してたっけ? いやしてたな。昔からあの顔だった。キリッとした眉の下のどこか甘さの滲むきれいな二重の目、試合の時は闘志とそれから後半はだいたい疲労しか浮かべていなかったそれがほんのちょっと笑みを浮かべるだけであんなに色が変わるなんて。
隣を歩く三井さんの歩き方を見て、ああ、こういう歩き方をする人だったと思い出した。姿勢がよくてあまり上体を揺らさないパッと目を引く歩き方をする人だった。
歩きながら三井さんは大学選抜チームで行った海外遠征で腹を壊した話なんかをしていた。相変わらず昨日も会っていたみたいな話し方をする人だった。これが自然にできるのは結構すごいことだ。宮城も最初はどうだった? と聞く声が優しくてくすぐったかった。三井さんは声が少し落ち着いて、穏やかな笑い方をするようになっていた。
三井さんが名前を呼んでくれるたびに俺の心臓は妙な音をたてる。俺は『恋人」の三井さんを舐めていた。これって三井さんが俺に惚れてるからこんな甘く響くの? それとも俺が三井さんに惚れてるから?
フーッと息を吐いて俺は鏡に写った自分と視線を合わせた。落ち着け、宮城リョータ。こういう時こそ平気なフリだ。
テラスに戻った俺に三井さんは笑いかけてくれて、それだけで俺はぶっ倒れそうになっていた。そんな甘い笑顔見せてくるなんて…。
「座んねえのか?」
「あ、ヤ、座ります」
三井さんが首を傾げて見上げてくるから、慌てて俺は腰を下ろした。公園を眺められるようにと小さな丸テーブルを囲んでハの字に置かれている椅子に並んで座った。
注文していた料理が並べられて俺たちはそれぞれ食べ始めた。飯は文句無くうまかった。
三井さんが手を止めてこっちに肩を寄せてきた。
「なあ宮城……」
耳元で囁いてくる。直接聞く三井さんの声に鼓膜が痺れた。吐息混じりのその声に俺はゴクリと唾を飲み込んだ。な、何……?
「……う、ん?」
「……この店、メシの量少なくね?」
「だよね!!俺も思ってた!!」
っどーでもいいことをエロい声で言ってくんなよ。ハア無駄に心拍数上がったわ。なんでそんな語尾意味なく掠れさせてくんの? なんかいい匂いするし。イヤたしかに量少ないけどね? 小鳥の餌かなァって思ったよね。わかってただろ、こんなテラス席なんてある店は女子向けなんだって。
「だよなー」
三井さんは呑気に言って身をひいた。ちょうど店員さんが水を注ぎ足しにきたので慌てて愛想笑いを浮かべている。店員さんが去った後
「やっぱさカッコつけずにいつも行ってる定食屋にすればよかったなあ」
ワハハって笑ってる。それは二年前となんにも変わってない顔でホッとする。やっぱりこの偉そうで雑な笑いが三井さんだ。三井さんはグラスを手に取り口をつけた。浮き出た喉仏が上下する。
「……」
「宮城?」
「あ、あー、なに?」
「いやめっちゃ真顔で咀嚼しながらこっち見てくるから」
「え? えっと、日本のメシやっぱうめえなあって」
「おー? そうかそうか」
やっば。めっちゃ見てた。三井さんから目が離せない。わー、横顔きれー……
誰だよ三井さんに色気がないとか言ったやつ。俺だわ。俺でした。
大間違いだわこの大馬鹿者!!! 赤木のダンナが脳内で吠える。いやホント。これはゲンコツ食らうべきだわ昨日までの俺。
こんなに色気あったのかよこの人。ダダ漏れじゃねえか。俺はあの頃何を見てたんだ。俺はアヤちゃんが言っていた『覚悟しといた方がいいわよ』という言葉の意味をしみじみと実感していた。いやほんと俺はなんにもわかってなかったよアヤちゃん…。
「次会う時はバスケしようぜ。自主練付き合えよ」
「いいの? 大学の体育館でしょ。俺入って平気?」
「学生の連れってことで身分証だせば大丈夫。いつもは河田と一緒にやってるって話したよな? 河田さあ今週は秋田に帰ってるんだよ」
大学で河田さんと同じチームになった三井さんはあの調子ですぐに打ち解けたらしい。タッグを組んだ二人は大学リーグで暴れ回り、来年からは別々のプロチームに所属が決まった。
三井さんが河田さんと合うのはなんとなくわかった。三井さんから聞く河田さんはあの見た目のまま大雑把でおおらかで、それでいて繊細な機微を持った人間のようだった。三井さんは基本的にそういう人間を好むし、そういう人間から好かれる傾向がある。
「河田と宮城、会わせたかったな。見ものだったんだぜ今年のインカレの河田と桜木のマッチアップ」
海を挟んで毎週話していたはずだけれど、実際会っても話題は尽きなかった。三井さんに話したいことは次から次に湧いてくるし、お互いの反応で話はどんどん広がっていった。店を変えファミレスに移ってからは高校生のときの気分をお互い思い出したみたいに一層盛り上がった。あっという間にヤス達との集合時間が近づいていた。
まだ全然話し足りなかった。もう少し二人でいたいかも。でもそろそろ出ないとヤス達との約束に遅れてしまう。
「宮城、お前さ」
そんなことを思っていると三井さんが身を乗り出してきた。テーブルについた肘に顎を乗せた。
「このまま俺とフケちまうか?」
「……え? でも」
「冗談だよ」
いたずらっぽく笑うからグラッときた。けど三井さん的には本当に冗談だったみたいで、そろそろ出ようぜと立ち上がって行ってしまった。
翌々日、三井さんの大学の第何だったかの古い体育館に連れて行ってもらった。
並んで練習メニューをこなしていく。三井さんのルーティンワークの内容は聞いていたけど、実際一緒に行うと興味深くて参考になった。
一通り終えたところで三井さんが目をキラキラさせながらボールをパスしてきた。
「宮城! ワンオン!」
「オッケー」
1on1は一本一本が長引いた。お互い一回ボールを持ったらなかなか渡さないし、ディフェンスも絶対に抜かせようとしなかった。コートを縦横無尽に駆け巡るのにリングにだけは届かない。全然点を入れられない。悔しくて燃えてめちゃくちゃ面白かった。
(やっぱりバスケうまいなあこの人)
身体能力やスピードで三井さんより上の選手は何人も見てきた。日本人に限っても三井さんより良い成績を出す選手はいるだろう。だけど『バスケがうまい』とこんなに感じさせるのは三井さんだけだ。三井さんのスリーポイントと同じだ。コンマ何秒の最適解をバチリと嵌めてくる。バスケというゲームのおもしろいところ、それを体現すると三井寿になる。まあ単に俺の好みのプレイヤーってだけなのかもしれないけれど。
高校生のころ俺は三井さんとワンオンで勝負したこともなかった。パスを回せない状況ではあの時の俺に勝ち目はなかった。それが、こうして前よりめちゃくちゃ上手くなっている三井さんと、同等に渡り合えたのは自分の成長を感じられて嬉しい。
「あー! あっちい! 休憩!」
三井さんが叫んで、よろよろとベンチへ向かった。浴びるように飲み物を飲みはじめる。
「あー…、久々に膝がガクガクしてきたわ。めちゃくちゃ走らせるんだもんな宮城」
「三井さんに勝つにはそれっきゃないじゃん」
これは俺なりの褒め言葉だ。俺だって膝に手をつくぐらい消耗している。
スクイズボトルを下ろした三井さんがTシャツの襟ぐりで汗を拭った。裾が捲れて脇腹が見えた。俺は汗ばんだ肌から慌てて目を逸らした。
「……でいいか?」
「……」
「宮城?」
「え? なに?」
「そろそろ終わりにして、帰ろうぜって言ったんだよ。うちでメシ食おーぜ」
「あ、あー、うん」
シャワーを浴びて体育館を出た。
「三井さん、おつかれっす」
二人で構内を歩いていると、正面から歩いてきた男が声をかけてきた。
「おーおつかれ。そっち今から?」
「ハイ。三井さんは自主練終わったんすか?」
三井さんより少し高いくらいの身長で、やたらと整った顔立ちの男だった。会話から三井さんの大学のチームの後輩だと見当をつける。俺は自分の存在に気付かれたくなくてそっと三井さんの陰に移動した。…つもりだったけどあまり意味がなかったみたいだ。そいつは俺に視線をとめると、その目をクワッと丸くした。
「あー! 宮城君じゃん! ◯◯大学の!!」
声がでかい。ニコニコしながら寄ってくる。
「俺、月バスのインタビュー読んだよ。本物だあすごい。三井さん宮城君の先輩って話、本当だったんすね」
「んだよ、信じてなかったのかよ」
「うそうそ。知ってましたって。てゆーか俺伝説の湘北山王戦、生で見てたって言ってんじゃないすか。ねえ?」
ねえ? って俺に同意を求められても。知らねーよ。高校生の頃だったらメンチ切っていたところだが、三井さんの後輩らしいので、首を傾けるだけのギリギリの反応を返した。
「三井さんに憧れてウチの大学選んだんだって言ったじゃないすか」
「お前それ河田にも同じこと言ってただろ」
「えっ聞いてたの?」
「聞いてた」
会話がポンポン進んでいく。仲良さそうだな。
いつもこういうやりとりしてるんだろうなと伝わってくる。なんか、なんていうかさあ…
三井さんが腕時計を指した。
「なあ集合時間大丈夫か?」
「あ、やべ。行きます。おつかれした!」
彼は頭を下げると走り出した。途中で振り返って俺にも手を振ってくる。
「宮城君も! いつかまたね! 邪魔してごめんね!」
最後まで声がでかかったな。つーか邪魔してごめんてなんだ。俺が邪魔されたと思ってるみたいじゃねえか。
ふたたび走り出した後ろ姿はあっという間に消えた。
三井さんが歩き出したので着いていく。
「なんか、悪かったな」
三井さんがチラリと視線を寄越してくる。
「なにがすか」
「宮城ああいう馴れ馴れしいの苦手だろ?」
たしかにそうだ。人見知りしていたのがバレていて気まずいけど、わかってくれてるのがちょっと嬉しい。
「あいつもいい奴なんだけどな」
「ふーん」
いい奴ね。口がうまいだけなんじゃねえの。
なんだこれ。いやな気分だ。態度に出したくないのに。これってアレじゃん。嫉妬じゃん。さっきの奴だって別に三井さんに恋愛感情を持っているとかそんなことはないだろう。バッグにいかにも彼女とペアっぽいデカいキーホルダーついてたしな。だから怪しむとかそういうんじゃないんだけど、三井さんとあんなに仲良さげに話せる後輩がいるというのを目の当りしたことでイライラしてしまっている。あいつはこれまでずっとああして三井さんと話してて、これからもそうしていくんだ。
(あー、ダメだダメだ)
こんなことを考えても仕方ない。
「三井さん、さっきのワンオンさぁ」
切り替えが大事。俺は明るい声を出した。
三井さんの住むマンションに向かっている途中、横断歩道で信号待ちをしているときに彼が声をあげた。
「あ、宮城。見てみろよ」
向かい側に柴犬がいた。緑の首輪をつけた柴犬は飼い主の足元に座って信号待ちをしていた。
「散歩楽しそうだな」
三井さんはすれ違う間ずっと目で追って、振り返って後ろ姿まで見送っていた。犬は尻尾を立てて前だけ見て、てってってっと歩いていった。
「三井さん、犬好きなの?」
「おう。実家でも飼ってるぜ」
犬が好きなことは知らなかった。いろいろ話してきたつもりだけれどまだ知らないことがあるものだ。
「今度会いに行くか? 宮城って犬は平気? うちのやつ吠えたりはしないけど」
実家に誘われるってなんかもうそれアレじゃん…。えー、俺ちゃんとご両親に挨拶とかできるかな。
「大丈夫。何犬?」
「よかった。雑種。子犬の時に俺が拾ったんだよ」
「へえ。いまいくつ?」
「えーと、だいたい5歳だな。俺が……高二ん時に捨てられてるの見つけて…」
三井さんが奥歯に物が挟まったみたいに言った。それがお互いにとってどういう時期か意識してしまったのだろう。もうそれぞれで消化して遺恨なんてないのに。だが三井さんにとっては何もなかったことにはできないのだ。
でも俺にとっては、今はそんなことより
捨て犬を拾う不良って……!!
なんだよそれ少女漫画かよ。目に浮かぶわ、ビニル傘さした短ラン長髪の三井さんがダンボールから子犬を抱き上げる様。
「雨、降ってた…?」
「おう。よくわかったな。あいつ風邪ひいて震えててさ、そのまま捨てて置けなくて、家に連れて帰ったんだよ」
「ほらね!!」
「え? なに?」
思ったとおりだ。
もうやめて優しい不良とか。五年越しにギャップ萌えさせてくんのやめてくれよ。そうだよな、この人ぜんぜん不良向いてなかったんだもんな。捨て犬なんか見かけたら絶対見捨てられないよな。
そうだ。初めて会ったときも一人でいた俺に声をかけてバスケに誘ってくれたのだ。
隣を歩く三井さんの横顔を見上げた。夏の太陽を受けて眩しそうに顔を顰めている顔には、あの日の少年の面影がたしかにあって、俺はここは本当にあの日と地続きの今日なのだと思った。
三井さんの住むマンションは電車で二駅離れたところにあった。3階の角部屋に案内される。ずっとモニタ越しの三井さんの背景だった景色。前にふざけて互いにルームツアーみたいなことをしたことがあるから、だいたいの物の配置なんかは知っていたけれど、実際に見ると感慨深かった。カーテンやベッドカバーは本当はこういう色合いだったんだななどと思う。三井さんの部屋は物が少なくてファブリックもシンプルだった。
「ちょうどよかった。昨日親がこっち来たんだけどおふくろが手土産に食パンくれてさ」
三井さんは手を洗いながら言った。
「最近実家の近所にうまいパン屋出来たらしくて、お裾分けよっつって。俺ぁ所詮食パンだろって舐めてたんだけど、一枚食ってみたらこれがうまくてさあ」
俺が手を洗ってる横で、三井さんが冷蔵庫を開けて中を覗き込んだ。
「鶏ハムと卵あるしサンドイッチ作ろうぜ」
「鶏ハムなんかあるんすか」
「作り置き。…ゆで卵めんどくせーな。スクランブルエッグにしよ。宮城はトマト切って」
渡されたトマトを洗って薄く切っていく。俺の隣で三井さんがボウルに割った卵をチャカチャカとかき混ぜていく。
「宮城片手で卵割れる?」
「割れますよ」
「まじか。やるな」
昔ソーちゃんと練習したのだ。土曜日の昼ごはん。使った卵は責任を持ってソーちゃんが卵焼きを作る約束で、母さんは一人2個ずつ練習していいと言ってくれた。ソーちゃんは二週目でできるようになって、俺は一月後できるようになった。
「何回やってもグシャッてなるんだよな。割って貰えばよかった」
「今度ね」
俺はすごい大発見をした。すげえ、彼氏と一緒にメシ作るのって楽しい。何気なく交わす今度の話とか三井さんがたてる音とか、トマトは綺麗に切れた方を三井さんが食べる方に入れてもらおうとか、そういうの全部が楽しい。みんなこれは体験した方がいい。ちょっとこれは絶対アメリカ帰ったらチームメイトたちに教えてやらないと。
三井さんはフライパンでバターを溶かして卵を炒め始めた。
「これ洗っちゃうね」
手が空いたので俺は調理器具を洗うことにする。
「あ、宮城、袖濡れるぞ」
ダブついたカーディガンの袖が水に触れそうになっていた。三井さんが横に来て袖に手を伸ばして捲ってくれる。ちっか……!! 背中に三井さんの体温を感じて俺は固まった。空気の密度が変わったように感じて顔をあげると、視線が合った。初めての距離だ。あ、目が、綺麗。
「三井さん……」
「……」
俺は出しかけた手を握った。
「…すすいじゃうね、これ」
「おー、サンキュ」
三井さんは何もなかったみたいにコンロの火を消した。
「何これ、うま」
「だろ?」
小麦の味がしっかりするパンももちろん美味しいんだけど、このサンドイッチが美味しい。三井さんと作ったサンドイッチ。
「宮城もう一個食べるか?」
あんまり俺がガツガツ食うからか三井さんが自分の分の一つをくれようとする。
「いいよ、三井さん食べなよ」
「そうか?」
グラスを空にした三井さんは立ち上がった。冷蔵庫の前で麦茶のおかわりをつぐ背中越しに鼻歌が聞こえる。隣に戻ってきた彼に俺は言った。
「ご機嫌じゃん」
「ん? うん」
三井さんは麦茶を一口飲んだ。
「いつもうまいもん食ったら宮城にも食わせてーなって思うんだけど、今日は横にいるから」
びっくりした。だって俺もいつも…
「俺も思うよ。あっちでうまいもん食ったら三井さんにも食わせてえって」
「宮城も思うのか?」
「うん」
三井さんはすこし首を傾げてゆっくり目を細めた。嬉しそうな顔。もう、これ、なんだ。こんなもの俺がもらっていいの。俺はこれを一生自分の部屋の一番日当たりいいところに置いていたい。毎日ずっとそばにいて。
「うまいもんって何食った?」
「えーとね……」
片付けを済ませた後、三井さんが安西先生からもらったという桜木たちの代の試合の映像を見せてくれた。
「前も話したけどこっからの展開が熱いんだよな」
「……ふーん」
たしかにそのゲームは白熱していて、桜木や他の後輩たちの成長も胸を熱くさせるものがあった。だけど俺は正直上の空だった。隣に座っている三井さんの気配をいちいち拾い上げてしまってそれどころじゃない。
帰るとすぐにラフな白いTシャツに着替えた三井さんはリラックスした表情を浮かべている。
もう少し近づいたら三井さんの体温が伝わってきそうな距離だ。あんまり見ないようにしながらも三井さんの首筋とか、肩とか気になって仕方ない。グラスにつける唇の内側が綺麗なピンク色で目を奪われる。
広めではあるけどワンルームだ。隣に響かないように気をつかってか、三井さんはいつもより静かな声で話している。俺にだけ届けばいいちょうどいい大きさの声。本当の二人きりのとき、三井さんはこういう声を出すんだ。深くて、温かい声。
手。手を繋ぎたい。三井さんの象徴みたいな手。大きくて指が長くて、でもバスケ選手らしく突き指ですこし歪んだ手を包みたい。いいかな。いいよな。いや、まだか? 臆するな、リョータ。ソーちゃんが励ましてくれる。さあ、いまだ…!
「見ろよ。ここで安西先生がさあ」
三井さんが身を乗り出してテレビを指差した。俺はスカした手を慌てて頭の後ろに回した。コートで滑った時みたいに心臓が跳ね回ってる。三井さんは俺の動揺なんてどこ吹く風で安西先生の采配について感心しきりで語っている。この安西フリークめ…!
落ち着けよ、俺。まだ時間はある。今日は母さんには俺の夕飯のことは気にしなくていいと言ってある。泊まるかもとも伝えてきたから帰らなくても大丈夫なのだ。だけど、三井さんとしてはどうなんだろう。急に泊まりたいなんていやかな。急ぎすぎかな。もちろん最後までしようなんて気はない。でもできることならちょっとだけ三井さんの温度を感じてみたい。
「なあ? すげー試合だったろ?」
「……あ、うん。そうすね」
三井さんがこちらを向いて笑顔を見せるので試合が終わったことがわかった。桜木にはほんっとーに申し訳ないけど、全然集中して観られなかった。結局スコアもわからない。勝ったことは知ってるから許してくれ。
「他のも観るか? ウィンターカップのもあるぜ」
「いや、大丈夫。またでいいよ」
「そうか」
まだいられるよな、と時計を確認したのが間違いだった。三井さんがそれに気づいて声をかけてくる。
「そろそろ帰るよな。駅まで送るぞ。お母さんメシ用意してくれてんだろ?」
「あ、……うん」
あっさりと立ち上がってしまうので、俺は従うしかない。まだ、居たいけど。三井さんは違うんだ。
久しぶりに嗅ぐ日本の夏の夕方の匂いは甘く感じられた。天井からうす紫が透きとおるグラデーション、夜に向かう瀬戸際、町は一瞬静かだった。
「この道よく走るんだけど、水場だからたまに蚊柱に突っ込んじまうんだよ」
「そうなんだ」
川沿いの遊歩道を駅に向かって進む三井さんの背中を見ながら、俺の足は重たかった。
俺、明後日の夜発つんだよ。日本からいなくなるんだよ。
三井さんには帰国前に日程は伝えてある。だけど今日以降の予定は立てていなかった。
明日も明後日も1日中一緒にいてよ。空港まで見送りにきて。そう言いたい。キスをまだしてない。俺たちって付き合ってるんじゃねえの? そういうのはしねえの?
言いたいことはたくさんあるのに言えなかった。三井さんの反応を見るのがこわいから。気のない返事をされたら自分がめちゃくちゃがっかりするのがわかるから。うまく取り繕えないのが目に見えているから。
あっちでいろいろ経験したつもりだったのはなんだったんだろう。童貞に返ったみたいな気分だった。お馴染みのえづく感覚が迫り上がってきて、俺は胸の辺りを撫でた。大丈夫、平気なフリをしろ。
「なあ宮城…?」
「うん」
明日少しでも会えない? と聞こうと口を開いた時、三井さんが前を向いたまま呼びかけてきた。夏の夕暮れの風が俺たちの間を通り抜けた。彼の足が止まったので俺の足も止まる。サンダル履きの脛が綺麗だった。風に短い髪を揺らしながら三井さんが振り返った。
「あのさあ、……もうやめるか?」
「え?」
「付き合うの」
言葉を俺は追いかけきれなかった。脚にぶつかって逃げてくボールみたいに見失ってしまう。
「ずっと様子おかしいじゃん、宮城。なんかビクビクしてるしさ」
三井さんは困ったみたいに笑っている。
「実際会ったら違うなってなったんだろ?」
違うってなにが? どういう意味? 浮かぶ言葉が全部喉までにすら届かない。
三井さんは質問としてじゃなく確認としてそう訊いていた。もう何度も自分の中で問いかけ、答えを出し尽くしたみたいに。あとはもう、俺が頷くだけでいいみたいに。
「あの時は勢いっつうか、お前、寂しかったんだろ? 俺が連絡しないなんて言ったから、焦って勘違いしたんだよな」
「……ちが」
喉につかえてうまく声を出せない。首を振った俺を、三井さんの瞳が押し留めた。
「いいよ。やっぱりさ前みたいな先輩後輩の方が自然だったよな、俺たち」
聞いたこともないほど落ち着いた優しい声だった。しょうがないねと子どもを許そうとする大人みたいな眼差しが俺を撫でる。
「やめようぜ」
優しいのにキッパリとした言い方だった。
「ヤダ」
俺はやっと声を出せた。
「絶対ヤダ。離さないから。三井さんのこと」
俺が一歩踏み出すと、三井さんが後退りする。
「いいって。気にすんなって」
俺はようやく、これまで三井さんは俺が引き返しやすいところにいられるようにしてくれていたのだと気がついた。恋人と、仲のいい先輩後輩との合間の心地良いところ、やめたくなったら戻れるところにいさせようとしてくれていたのだ。
三井さんが首を振った。
「一回口に出したからって責任とろうとしなくてもいいんだぜ」
「そんなんじゃねえ」
俺が付き合おうって言ってからずっと三井さんは不安だったんだ。俺の様子を見て、それが恋愛感情なのか単に寂しさから引き止めたいだけなのか、見さだめようとしていたんだ。俺が勘違いだったと言い出したらすぐに引き返せるように準備していたんだ。
そう思わせた自分が心底バカでぶん殴ってやりたい。
「好きだから離したくねえんだって!」
腕を掴んで三井さんを抱きしめた。ガキみたいな癇癪をぶつけるしかできない。このままどっか行っちゃいそうな彼をどうにかして腕に閉じ込めたかった。
「もうヤダやめるなんて言わないで」
懇願はうめき声になった。
そんな、何かを諦めることを知ってる大人みたいな顔してほしくなかった。傲岸不遜になんでも思い通りみたいな顔しててほしい。三井さんには、わははって雑に笑っていてほしい。
「俺は…っ、三井さん…が、好きで、実際会った三井さんが好きすぎて、どうしたらいいかわかんなくて……」
腕を離さないまま三井さんの顔を見上げた。
「不安にさせてごめん。俺は、勘違いとかじゃなくて三井さんが好きです」
三井さんは頬を赤くした。だけど覗き込んだ瞳は戸惑いを浮かべていて、まだ伝わってないのがわかった。その唇が薄く開きかけるのを遮った。何か言わせる前に伝えないと。
「恋愛感情だからっ。キスとかセックスとかバリバリしたいやつだからっ」
「セッ……」
「あ、」
うわ言っちゃった!!
「あ、いや、それだけじゃないけど、……でも、したい、すごく」
したいよ当たり前だろ。だってすげえ色気あるもん。早く俺のもんにしないと不安だよ。全部全部知りたい。どんなセックスするのか、どんな声出すのか、どういうのが好きなのか。どういう俺が好きなのか。お願い。教えて。
俺にアンタを大切にさせてくれ。
三井さんは耳まで真っ赤にしてきゅっと唇を噛んだ。うそ、かわいい…この期に及んでそんな表情出してくんのかよ…
「……俺もしたい」
多分俺は一瞬気を失った。
「……うん」
それだけ返事をするのが精一杯だった。
気づけばすっかり日は落ちて紺が深くなる空に一番星が瞬いている。
「……帰ろ、三井さんのうち」
「あ、…おう」
俺は彼の手をひいて元来た道を帰っていく。
母上様、やっぱり今夜は夕食はいりません。
祝福してくれ!