母校をめぐる騒動と「変革(もしくはDE&I)の名のもとに」
最近、母校(高校)のニュースが取り上げられるようになった。
残念ながら、決していい話ではない。
数年前には共学化すべきという話が俄かに持ち上がって、結局どうなったんだっけ?
そして、数日前には新入生に対する校歌指導が問題視されているというニュースが流れた。
どちらもびっくりものである。
共学化も、なぜいまさらその話題なのか、という感じだ。
何より驚いたのが、校歌指導。あれがトラウマになって中退とは・・・。
もちろん純な自分も何も知らずにおっかなそうな応援団の皆様に校歌指導されて、びっくりした(というか自分には当てないでくれと祈り続けた)のは事実だ。しかし、そこは育ちのいい浦高生(言ってしまった・・)。おっかない中にもジェントルな雰囲気があったのは否めない、とバリバリヤンキーがやりたい放題していた中学の出身者は感じるのだった。
で、ここで論じたいのは、共学化や校歌指導の是非についてではない。
これって、特にビジネスシーンでよく見かける光景だ、ということだ。
例えば、今大流行りのDE&I(Diversity,Equity & Inclusion)。まさに共学化推進や校歌指導見直しの論調は、DE&Iの流れそのものだ。
また、「変革」。両者ともこれまでの伝統に変革のメスを入れるというものに他ならない。
DE&Iとか変革というフレーズは、企業経営をしている人からすれば、必ず日に一回は目にするだけでなく発言するものではないだろうか。
つまり、母校の騒動は、ビジネスシーンで最もホットな話題に直結した話だということだ。
となると、共学化反対とか校歌指導は今のままでいい、とか言っている人はDE&Iの精神に反する抵抗勢力、ということになってしまう。
ちなみに、自分の立場は、母校についてはどちらかと言えば(いやかなり)「DE&Iの精神に反する抵抗勢力」である。
一方、仕事では変革を推進することを推奨したり、DE&Iって大事ですよね、というスタンスの側にいることが多い。
一見相反する立ち位置なのが悩ましいところだ。
と、ひとしきり悩んで今のところ出た結論は、「果たして母校の共学化推進とか校歌指導反対というのは、変革とかDE&Iに合致しているのか、いや合致していない」という孔子もびっくりの反語表現的なものだった。
具体的な話になると長くなるので、これでおしまい。
コメント