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浦和高校の記事を読んで故郷の応援歌指導の思い出を綴る

 こんな記事を見かけた。私の母校は浦和高校には比べるべくもないショボい自称進学校だったが、それでも旧制中学ではあったので、全く似たようなイベントがあって私も経験した。思うに、一部の優しい人間の心に傷を与えながら、大多数の人間は事が終われば「伝統」というDV彼氏が時折見せる優しさに騙されて記憶が美化されてしまい、そして大多数の生存者バイアスに裏付けられて今なお生き残っているのだろう。私は「地方の自称進学校あるある」ネタだと思っていたのだが、「経験したことが無い」という人も一定数いるようだ。もう20年近く前の話になるので色々と変化があるのかもしれないが、参考までに以下に私の母校での体験を綴ってみることにする。

 
 3つ上の姉が同じ高校に進学していた。ビビっているとは思われたくないので仔細は聞かないものの、入学早々に何やら恐ろしいイベントがあるらしいことはぼんやりと把握していた。合格発表後に学校ご用達の本屋に教科書や学参を買いに行くと、ご丁寧に校歌・応援歌が吹き込まれたCDが一緒に売られているのである。春休み中に全部暗記した。この校歌・応援歌というやつときたら、戦前の学生のエリート意識を隠すことなくそのまま化石にしたような歌詞で、やたらと漢語調でいやみったらしく、おそらく歌詞を耳で聞いて文意を理解できる現代人はいない。しかもやたら長くて、平均してどの歌も4番くらいまである。それが全部で10曲くらい。どうでもいいが、うち1曲は旧軍の軍歌「歩兵の本領」の替え歌だった。(軍艦マーチを校歌に使っていたのは盛岡第一だったか?)
 ちなみに当時の私はこれらの歌詞を「かっこいい」と思っていた。「髀肉之嘆」とか「燕雀安んぞ」とか「東瀛」とか、「なんか意味がよくわからないけど、難しくてかっこいい!」と本気で思っていたことをここに告白する。分別がついて今では嫌悪感を抱いているが、要は作詞者のメンタリティに難読漢字を覚えたがる男子中学生のそれと共鳴するものがあったということだ。
 
 後になって思うが、こうして無理やり覚えさせられた応援歌の類もほぼ使う機会が無かった。せいぜい「(対外試合や体育祭で)勝ったときに歌う歌」「負けたときに歌う歌」そして「校歌」の3種があれば十分だったはずである。全くもって成長期の青少年の海馬の無駄遣いで、だったら青チャートの典型題と解法でも覚えさせた方が予後に有用であっただろう。

 あれが3月末日だったが4月1日だったか記憶が定かでない。「オリエンテーション」なる行事があった。新入生が体育館に集められて学校側から諸手続きの連絡等も受けていたと思うのだが、応援団の乱入によってそれ以前の記憶は無くなった。教員たちがいそいそと退出していった後、突如すべての暗幕が垂らされ、日中でも薄暗い体育館に応援団が扉を蹴破る勢いで乱入してきたのである。「百聞は一見に如かず」で、以下は時代も県も違う高校の動画だが、本当にこのままだ。どちらかが参考にして真似たんじゃないかと思ったくらい再現されている。もしかすると、このNHKの放送をリアルタイムで見ていたうちのOBが「うちでもやってみよう!」ということでパクって形を似せたのかもしれない。「伝統」なんて蓋を開けてみれば意外にそんな適当な思い付きで始まり、歴史も浅かったりするものである。

 初対面の応援団に「お前ら座れ!」と恫喝され、新入生がすごすごとパイプ椅子に座ろうとすると、「椅子じゃねえ、床だ!」とどやされる。後になって知ったことだが、数年前までは正座が強制されていたものの、骨折者が出たために体育座りに変更されたらしい。この日は列の間を巡回する応援団員と目が合わないように伏せながら、体育座りの状態でひたすら「はい」/「こんにちは」だけ何度も何度も練習させられた。(ちなみに「いいえ」は畏れ多くも上級生に対して使用する機会が無いため練習する必要はない。) 私を含め一部の男子学生が胸ぐらを掴まれたり、女子学生が涙ぐんだりしているうちに長かったオリエンテーションもとうとう終わり、「お前らぜってぇ校歌応援歌覚えて来いよ!(大意)」といったような捨て台詞で幕を閉じたと思う。何も知らないで入学してきた子はさぞかし慌てたことだろう。

 そして1年1学期が校歌応援歌練習とともに始まる。昼休みと放課後の1日2回、校内放送の「フォ~ン」というブザーに続いて、「応援団運営委員会より連絡する。これより校歌応援歌指導を始める。新入生は××に集合しろ。繰り返す。新入生は全力で××に集合しろ。(うろ覚え)」というアナウンスが入るのだが、アナウンスを待たずに「フォ~ン」の段階で、廊下の端でかねてより待機していた応援団員が大声で恫喝しながら1年生を牧羊犬の如く追い立て始めるため、入学後しばらくはこの「フォ~ン」の音が条件反射でトラウマになる。

 前出の日川高校の動画では全新入生に対して一律の練習期間が設けられていたものと理解したが、私の母校では「覚えたものからイチ抜け方式」であった。ただ、「覚える」と言っても無論ペーパーテストではない。団員にイチャモンを付けられない程度に大声で歌う必要があるのは勿論、指揮をする団員に対する180°の礼の仕方、手の叩き方、校歌のときだけは「お願いします」と叫んではいけず黙礼のみ、等々ろくでもない作法の数々があって、これらもクリアしないといけない。これらの悪意あるトラップをクリアした者だけが校歌までの約10曲を歌い続けることを許される。脱落者はその場で体育座りをさせられ、団員の怒号を聞きながら一連のチャレンジが終わるまで生徒手帳に載っている歌詞を暗記させられる、という流れである。

 私はと言うと、既に歌詞自体はそっくり暗記していたので初日の昼で数々のトラップの感覚を掴んで放課後にはもうクリアできそうな勢いであった。チャレンジの最中、次第に脱落者が多くなるので、生き残った少ない挑戦者に団員の耳目が集中していくことになる。何曲目だったか、団員の掛け声に対して本来は「オッ!」と呼応しないといけないところを、声ばかりデカくて何を言っているのか聞き取れなかったものだから、てっきり「押忍!」と発話しているのかと思ってそのように繰り返していたところ、鼻の穴の大きい団長から「『オッス』じゃねえ、『オッ』だ、座れ馬鹿!」と怒鳴られた。そんな馬鹿な話があるだろうか。日本語の受け答えとして「オッ」なんて言葉が許容されるのはエロ漫画くらいのものである。(オッッッッ♡♡♡) (なお、約1年後にこの団長が駅弁大学に落ちて地元のFランに行ったという話を聞いたときにはほくそ笑んだ。)

 結局、私は2日目に合格した。全体としては1週間の猶予が与えられている。6日目には新入生全体に正式な徽章を与える儀式めいたものがあって、1週間もあればみんな合格するだろうという想定のもとでの制度設計だ。それでも「100%」というのは期せないもので、私の代でも1週間では合格できない子たちも少数ながらいた。彼らはこの儀式に出席できず、別途追練習や追試験があるようなことを聞いたが、私はもうアホらしくなって動向は追わなかったのでよく知らない。

 この練習に合格すると不合格者とは別室に連れていかれ、それまで鬼のように厳しかった団員たちが打って変わって笑顔になり、TV版エヴァの最終回ばりに「おめでとう」と祝福してくれる。これに騙される学生のまあ多いこと。DV被害者の心理そのものである。ちなみに不合格の状態では人権が与えられず、放課後の部活動の見学や体験入部も禁止、辺鄙な場所に学校があるにもかかわらず自転車通学も禁止、という処遇になる。後者については代替手段としてバスを使え、と言われるのだが、学校が費用負担してくれるわけでもなし、微額ではあるがワンチャン在校生が「不利益を被った」と訴えたら勝てるのではないだろうか?

 ちなみに後日談として、指導を修了した男子の中から、各クラス応援団員1名以上を選出するよう要求された。私は姉伝手の情報しかなく知らなかったのだが、男は目立ってはいけなかったのだった。最速ペースで合格して、誰よりも先に昼休みと放課後の青春を楽しんでいた私とS君の2名がクラスの皆に目を付けられて生贄として推挙された。これで本決まり、というわけではなく、別室に連行されて応援団による超圧迫面接となる。「失礼します!」と叫んで入室すると、3年生の応援団が下駄を履いた足を机の上に放り出してふんぞり返っていた。「出身中学と名前を言え」と言われて私は簡潔に答えたのだが、S君は雰囲気にのまれ動揺したのか「応援団に入るかどうかは……」と聞かれてもいないことを答えだし、「聞いてねぇ!」「ふざけんな!」と怒号を集中して浴びていた。当然私もS君もこんなホモソーシャルに青春を捧げるほどのマゾヒストではないので、何回も何回も問われる「志望しない理由」をひたすら平身低頭説き続け、やっと開放された頃には午後8時くらいになっていた。おかげさまで越境通学の私は午後10時頃の帰宅である。結論から言うと、私のクラスは男子の面接が一巡しても終に志望者が現れなかった。最後の方で面接に召集された男子は単刀直入に「応援団に入るのか?」と聞かれて「いいえ」と答えたところ、「やる気がねえなら来るな!!」と怒鳴られて即帰されたらしい。そちらが要求してきて嫌々出頭しているのに勝手な話である。そして晴れて私のクラスは応援団選出なし、キンタマなしの学級になった。「キンタマなし」と表立って言われたわけではないが、確実にそんな負い目の空気がクラスの男子を覆っていた。しかしこれで大正解なのである。誤った伝統と通過儀礼は当事者が責任をもって断たねばならない。エヴァ最終回に騙された女子が「え~かっこいいのに~、私が男だったら絶対やりたい!」などと放言してきたが、「それならお前がやっとけ!!生徒会に泣きついてでも制度改正して入れてもらえ!!」と言いたかった。数日の指導でも嫌なのに、こんな「1年奴隷・2年人間・3年神様」みたいなリアル男塾に青春の3年間を捧げるのはまっぴらごめんなのである。ちなみに女子らの「応援団熱」は彼らの最大の見せ場である5月の体育祭をピークに冷めていく。薄情なものだ。

 とかく学生というのはまだ精神年齢が低く猿と未分化なので、やたらとマウンティングをしたがる。「みんなが一丸となって、後で思い出になるような行事が欲しい」「新入生に対して通過儀礼を行いたい」というのであれば、こんな恫喝まがいの行事でなくてもよろしい。せいぜい100年ぽっちの歴史など正当化するのに足る理由ではない。そんなに古いものが好きならその辺の石ころでも崇めればいい。若くて数万年の齢を誇る石ころたちが「歴史と伝統」を教えてくれることは請け合いだ。
 ぞっとする話だが、私より半世紀前に卒業した先輩のブログを見るに、昔はこの応援歌指導に加えて「地区会」でも下級生をいじめていたらしい。「地区会」というのはざっくり言えば出身の市町村ごとの縦割りで、私の時代にも存在したが、どんな先輩がいて何を話したのか全く覚えていない。ところが半世紀前の地区会では「◎◎市××中学校出身の△△です!」「「「聞こえねえぞアホンダラー!」」」といった具合に海軍兵学校の如くやいのやいのやっていたらしい。バカだねえ。それでも、このしきたりをどこかで「時代にそぐわないからやめよう」と英断した理知的な先輩がいたはずで、そのおかげで今は本当に形式だけの親睦会になっている。ともすると「伝統」を重んじがちな私たちにとって、勇気づけられる話である。

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浦和高校の記事を読んで故郷の応援歌指導の思い出を綴る|悪源太義平
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