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炎上繰り返すポスター、CM…「性的な女性表象」の何が問題なのか

フェミニズムから学べること

「行動する女たちの会」は、フェミニズムに反発する人たちが持っているイメージとは反対に、「法規制より論争を」と主張していました。フェミニズムの観点から表象を批判する側は「わいせつ」批判と自分たちの主張との差異化に気を配り、表象を擁護する側は自分たちが気づけていない差別的な文脈がないか謙虚に学ぶことで、私たちは「エロはゾーニングしろ」「これのどこがエロいんだ」という不毛なやりとりの先へと進まなければなりません。そうやって議論を通じて多くの人が合意できる落としどころを探っていくプロセスは、「表現の自由」が守ろうとしているものでもあるはずです。

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私たちは議論の出発点に立った

以上、性的な女性表象の問題点について述べてきました。けれど、ここで話は終わりではありません。ここで参考にしたイートンの議論に対しても「白人中心主義ではないか」といった批判があります。確かに西洋絵画で性的に描かれているのは多くの場合白人女性です。人種的、民族的マイノリティの女性やトランス女性が表象される仕方/あるいは表象されないという事態については、また違った問題を考えなければなりません。

だからここで書いたことは、表象についての考察の出発点に過ぎません。表象を作り/理解することが、言葉を発し/理解することと同じかそれ以上に(良くも悪くも)豊かな意味を湛えた社会的営みであることを、私たちは本当はよく知っているはずです。女性表象について、それがいったい誰のどのような視点から作られているのかに注意しながらその意味を読み解くことの必要性を、フェミニズムの議論は教えてくれているのです。

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