したがって、こうした技法を用いた表象は、女性一般に対して、一方的にそれを性的客体として意味づける点で、差別的な女性観の表現と受け取られやすい要素を持つことになります。もちろん表象は他にもさまざまな要素を組み合わせて作られるものですから、上に挙げた技法があれば必ず差別的な表象になるというわけでありません。しかし差別的な表象は多くの場合これらの技法を組み合わせて作られているとは言えるでしょう。実際、そうした技法を取り去れば表象の印象は全然違ったものになります。
図6. 客体化の技法のない表現
大事なことなので繰り返しますが、表象が「性的客体としての女性」という印象を与えるときも、逆に「主体的な女性」という印象を与えるときも、それはそのように作られているのです。
性的な女性表象の累積的抑圧
第三に、「性的客体としての女性」という考えはやはり表象以外の場所でも用いられています。
たとえば女性の胸の大きさを不躾に話題にするようなセクシュアル・ハラスメントには「性的部位への焦点化」にあるのと同様の女性観が含まれているでしょう。労働政策研究・研修機構の調査によれば、さまざまなセクシュアル・ハラスメントの態様の中で「容姿や年齢、身体的特徴について話題にされた」というのはもっとも多く経験されているものです。
また性暴力の被害者に対してしばしば言われる「露出の多い服を着ていたのは誘っていたからでは」「一人で部屋までついていったなら期待していたのでは」などといった二次加害発言には「望まない性的接近のエロティック化」と同様の考えが含まれていると思います。いずれも一方的に性的な関心を向けることで、相手の身体や経験に勝手にエロティックな意味づけをするものです。
そして、「性的客体としての女性」という女性観が表象の中にも表象以外の性差別的な言動の中にも見られるものであれば、そうした性差別的な言動に苦しめられている人にとっては、同じ女性観が前提にされている表象はやはり累積的抑圧を感じさせるものでしょう。
こうして、私たちは性的な女性表象の悪さについて、私たちはその「わいせつ」性とは違った観点から考えることができます。「エロい」ことではなく、表象作成の際に前提とされる女性観の差別性と、同じ女性観のもとでおこなわれる他のさまざまな行為との意味連関の中で表象が与える抑圧性が、性的な女性表象の問題なのです。