本来の龍角散の名前の由来は、江戸末期よりもっと前です。
龍角散自体は江戸時代から現在の秋田市や大仙市(大曲)に店があり、そこで売っていたといわれております。
なお明治4年に藩主と共に江戸に出たというのは、東京側の理屈であり、本によると佐竹義堯が東京に移住したのは明治5年とされます。
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藤井という家は国替時には来ておらず、国替のあとに秋田市、江戸中期から後期には大仙市にいたとされます。
そもそも江戸中期のお殿様が喘息持ちだったとされます。
今、美郷町が盛んにやっている六郷出身
とは説の内の1つですので、ご注意ください。
※資料通りですので、よろしくお願い致します。
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わらび座さんのお芝居の世界観を楽しむ分には問題ありません。
根本的に明治時代は、龍角散は秋田方面で良く売れたと言われ、知名度のない東京側が今の小林製薬と一緒に広告戦略を展開し、現在に至ります。
秋田と龍角散との関係については昭和の昔は良く知られていましたよ。
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それに私自身見聞でしか史実を知りません。
貴方が言ったことをネットで調べましたが貴方のTwitter情報しか出ません。
どっちを信じろと言われれば多くの合致した情報を信じてしまうのが一般的かと思います。
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女の方ですか?物事に多数決の原理は通用しません。
そしてちゃんとした龍角散の歴史の調査をしたことがありますか?
あなたは学芸員さん、調査員さんではないでしょ?
古くからある資料を読んだことがありますか?
そして、こちらは数年前から色んなアカウントとバトルしていましたが。
Feb 8, 2025 · 7:17 AM UTC
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