ギンパッ!
モニさんが、「ガメ、ギンパを食べに行こう」と言う。
もう我慢できない、という様子です。
アジアの食べ物は体質にあわないのか、あんまり好きではないモニだが、
ナシカンダルとギンパは好きで、前者は折角できたオークランドゆいいつのナシカンダルレストランが潰れてしまったばかりだが、後者は、よく食べに出かける。
食べに出かける、といっても、オモニ・レストランのようなところに出かけて、dine-inで、店の椅子に腰掛けて食べるわけではなくて、屋内屋台、と呼びたくなる、白菜や大根やイカのキムチやジャプチェ、あれはなんと言うのだろう、豆腐の唐辛子ソース漬けと一緒にハムやチキン、ポークやビーフを巻いた日本の巻き寿司に姿が似たギンパを韓国料理デリで買って、クルマのなかで分け合いっこしながら食べる。
煉瓦造りの、陰鬱を建物にしたようなマウントエデン刑務所から、あんまり遠くないところにあるアジアンスーパーに店を出している「コリアのおばちゃん」が贔屓で、いまの家に越して直ぐからだから、もう14年以上、思い出しては通ったことになります。
おばちゃんは英語を話さないが、自分のところで扱っているメニューの英語名は読めば了解できて、こっちも当初は韓国語が「からきし」だったので、習慣で、英語でテキストメッセージを送ると、作り置きがあっても、新しいギンパをつくって待っていてくれる。
家からクルマで20分ほどのところなので、ガレージやカーポートからテキストしておくと、出来たてのホヤホヤの、新鮮な胡麻油の匂いが、ぷううーんとするギンパが用意されている。
ところが。
All good things must come to an end.
好事魔多し
いつものように、テキストしてみると、「OK」と返答してくれるはずが、なあんにも言って来ません。
「おばちゃん、きっと忙しいんだね。とにかく行ってみよう」と述べあってクルマを走らせてみると、小さな店があった一角は、歯がなくなった口蓋のように暗く虚しくなっていて、
スーパーの中華麺の在庫が積まれている。
えええ、と、ぶっくらこいて、スーパーのレジ打ちの中国人の女の人に尋ねてみると、
「韓国に帰った。急に、いなくなった」と言う。
両親のどちらかが病気になったのか、なにか悪いことが起きたのでないといいね、とモニさんと駐車場に歩きながら、ションボリして、
あーあ、生活の一部だったのに、残念だなあ、
残念残念。残念x2、とふたりで嘆いたのが先週のことでした。
モニさんは、耐えに耐えて、忍び難きを忍び、耐え難きを耐えて、衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所、平静を装っていたが、ついに今朝は、ガバとカウチから起って、「ガメ、ギンパを食べに行こう」という詔勅をくだすに至ったものであるらしい。
こういう場合、ノースショアに行きます。
ワイラウやノースキット、モニとわしの住んでいるところからすると、橋の向こうに渡ったすぐのところで、普段はあんまり行かないので、ちょうどいい、というか、変化が激しいオークランドのなかでも、随分変わったという噂の土地柄なので、日曜で交通量も少ないことだし、グーグルで検索して行ってみようということになった。
1991年の移民法の改正で、それまでの日本人が多かった「あんたいくら持ってるの?」の財産基準の移民制度から、Skilled Migration、技能ベースの移民制度に変わって、韓国からの移民の人がどっと増えた。
1997年の、いわゆるIMF危機、アジア通貨危機が起きると、最も打撃がおおきかった韓国からは、
どっとどっとどっと、どっとx3で移民数が増えて、その後の、韓国国内での、「英語が出来る人が偉い」、英語に極端に重きをおいた評価制度の変化に応じて、英語教育に熱心になった韓国人両親たちの教育熱も相俟って、韓国のひとたちはEFL英語教育が発達したニュージーランドを目指すようになる。
六本木のロアビルの最上階にあったタイレストランで、どこから来たか尋ねるので、中国の人らしいウエイターのひとに、もともとはイギリスだけど、ニュージーランド人みたいなものですね、と述べたら、ニュージーランドが好きだとこちちが言っているのに、妙に熱のこもった強い口調で
「良い人間はニュージーランドに行かない!きみはアメリカを目指すべきだ!」と親切な忠告をしてくれたことがあったが、一般に英語国に、1位アメリカ2位カナダ3位オーストラリア…と順番を付けて、「難しいほうから試してみて、移民できるところに行く」という方式だったらしい中国の人に較べて、韓国の人は初めからニュージーランドの、それもオークランドを目指す人が多かった。
家にも、ロボット・トイレットシートのトイレがひとつくらい作ったほうがいいかも、ということになって、半ば面白がって、客用のトイレに、例の温熱式・洗浄機付きのトイレットシートを導入することにして、韓国の会社のショールームに行ったときに、製品を説明してくれた若い女の人に、クライストチャーチじゃなくて、なんでオークランドなの?と訊くと、
「気候が温暖だし、わたしが家族と来たときには、美味しい韓国料理屋が、もうたくさんあったし、その上に韓国スーパーもいくつかあるから」だと教えてくれた。
おー、韓国料理は、ぼくも好きだな、スープとかチゲ、最高だよね、いつかソウルか釜山に行こうと思っているんだけど、と言いかけたら、おおまじめな顔で、
「行く必要ない!韓国料理が世界でいちばんおいしいのは、ここですよ!オークランド!」
と述べていた。
そんなふうだったり
あんなふうだったり
韓国の人は、いまではエスニックグループのなかでも、かなりおおきなコミュニティをつくっていて、ノースショアに行くと、クリスチャンが多い韓国の人たちらしく、韓国人専用の趣の教会や、韓国語聖書・キリスト教書籍だけを売っている本屋さんもあります。
二世たちはKPOPマーケティングから脱出して世界市場のスターになることに成功したRoséやゴルファーのリディア・コーのように英語世界でのびのびと力を発揮している「アジア系KIWI」になっている
それやこれや千田是也、ギンパの店を探す、ということになると、自然とノースショアが思い浮かぶ。
グーグルの厄日で、探す店、探す店、グーグルには「OPEN」と出ているのに、実際に行ってみると閉まっていて、がっかりだったが、5軒目で、ようやく開いている店にたどりついた。
どうやらテイクアウェイが中心らしく、テーブルと冷蔵庫に、どっちゃり出来上がった食べ物が置いてある店で、簡易テーブルがふたつ、それぞれに椅子が4つづつ置いてある、「オモニ食堂」という感じの、好感の塊で出来ているような店で、作法どおり、アルミホイルにくるまれたギンパが山積みされている。
奥から殆ど走るように出てきた女の人は、キビキビとした、赤いスカーフを「食堂のおばさん」風に頭に巻いた若い女の人で、モニさんはあとで、
「離婚して、シングルマムとして移住してきたのかも知れない」と不思議な観察を述べていた。
英語ではGimbap、原音に近いカタカナならば「キンパッ」は、左から、ハム、チキン、ポーク、ビーフ、ヴェジタリアン、と書いてあります。
ビーフ、というのは、要するに牛のブルコギで、タクアンやほうれん草のおひたし、ニンジン、卵焼きと一緒に海苔巻き然として、くるっと巻かれている。
日本の海苔巻きと異なるのは、酢飯ではなくて、普通の、素の白飯、ご飯の量は半分以下で、具がダジャレみたいにグッとでかい。
このご飯の量が、海苔巻き寿司として考えても、十分以上においしいのに日本ではそれほど人気がないらしい理由や、逆に、英語国で、徐々に日本の巻き寿司を駆逐し始めている理由でしょう。
閉まっていたが、ノースショアで出かけた「名店」のひとつは、日本の巻き寿司を「ギンパの変わり種」として、バラエティのひとつとして扱っていて、英語で説明が書かれていたりしていた。
モニもわしも、いつものとおりビーフで、アルミホイルを少しずつひんむきながら、若い娘を嬲るヒヒジジイのように、裸にして、一緒に買った伊藤園の「おーい!お茶」を飲みながら、クルマのシートに座って食べました。
おばちゃん、どうしてるかな、と、わし。
おかあさまやおとうさまが亡くなっていたりしなければいいけど,
と、モニ
きっとダイジョブだよ、韓国でも幸せにやってるよ、おばちゃん、運がいい人だもの。アイアムラッキー!って自分で言ってたでしょ
そうだよね、と言うモニさんは、でも、なにがなし、おばちゃんが韓国で笑顔でいることを信じていないように見えました。
なにごとによらず、わしなどより遙かに洞察が深いモニさんには、なにか、モニさんの言葉で判ることがあるのでしょう。
その店の、いかにも家庭料理風のギンパは、もちろん、おいしかったが、少し甘かった。
モニさんは、もっとシブい玄人好みの味が好きなので、言いはしないが、黙っていても、100%満足でないのは判っている。
あるいはギンパがおばちゃんと分かちがたく結びついていて、おばちゃんがつくったのでなければギンパのような気がしないのかもしれません。
おばちゃんがいなくなってしまったので、来週から、またギンパの店を探そうね、というと、
うん、と、寂しげな顔で頷いている。
おばちゃんがいたあとの、心の空洞が出来てしまったことが、納得できないのでしょう。
起こるはずがないことが起きてしまった。
やっぱり、いたほうがよかったなあ、と言ってはいけないことを、弛緩したわしが言ってしまう。
韓国名物豆腐が入ったキムチ入り餃子とでっかい目玉焼きが載ったキムチチャーハンを買って帰った。
おばちゃんの店でいつも買っていたビビンパやジャプチは、その店ではメニューから注文してつくってもらう方式だったので、ものものしく思われて、今回はパスにしました。
ひとは来て、ひとは去るが、
去っていく人を見るのは、どんな場合でも寂しい。
移民国だから、仕方がないことなのだろうけど。
移民の人たちが増えるのには馴れても、去ってゆく人たちがつくる、ぽっかりと口を開けた空洞には、どうしても馴れるというわけにはいかないようでした。
コメント
8いやー、耳は日本人の方が悪そうだけど
聴き取れない音ってあるよねぇ。
あと、聴こえてても
発音できない音とかもあるし。
日本語が標準語基準な様に、韓国語も
ソウルの言葉が韓国語と思ってました😅
移民国の日常は、世界の流れが素直に現れるのだなあ、と読みました。人が来て、人が去る、その普遍的なさみしさと共に。
食べ物という点ではバラエティがあっていいですよ。
キンパも海苔巻きも美味しいです。海苔は不思議な食べ物ですね。祖母が朝鮮の人から教えてもらったという鶏の唐揚げは絶品でしたが 、出会えません。