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消えてゆく日本

「日本」を見なくなった。
日本の料理屋は、ある。
たくさんあります。
寿司、丼(DON)、北海道料理、なかんずく、日本のカレー(Kare)は人気がある。
なかでもカツカレーは、インドのカレー、チキンティカマサラやバターチキンと並んで、少し寂れたような、照明が少し暗い、ふつーのショッピングモールのフードコートに店を出している。
最後までなかった蕎麦屋と讃岐うどんスタイルのうどん屋、トンカツ屋も、コロナパンデミックの後で出来てきた。
ニュージーランドで言えば、トンカツ屋は二軒だが、なぜか昔から味噌カツを出す店は何軒もあって、もとはファミリーレストランの「とん田」でマーケティングをしていた、とサイトに出ていた日本の人がやっているチェーン店「MUSASHI」のメニューにもあるし、いまでは少なくなった日本からの語学留学やワーキングホリデービザでやってくる若い人たち向けの定食屋のような店にも、たいてい置いてある。
ラーメンは、言うまでもない。
大盛況で、老舗の「タカラ」や「ラーメンDO」や「タンポポ」に加えて、最近、どっと増えて、
NZ政府が定める最低時間給を払っていなかったとかで、摘発されて、全国ニュースになっていたりする。
ほんとうかどうか、経営者が「それでも日本の店よりは、ずっとおおく支払っていて店員も満足だったはずだ」と不平を洩らしたとかで、失笑を買っていた。

しかし、見る観点を変えると、これも「日本ブーム」とばかりは言えなくて、日常の当たり前の食べ物になっている、インド料理店や中華料理店の圧倒的な数の多さに較べると、エスニックグループとして、少数派と言ったほうが実勢に近い。

インド料理店はインドの人たちが多く住むサンドリンガムやパパトイトイに行くと、チャイ、Chaat、ブリヤニ屋に、パンジャビカレー、南インド料理に、フィジー・インディアン、というようなものまで有って、
自分でも、「みっつで2ドル(170円)」なんていう店に、よくcarbフードでカブカブしたバタードポテトやバジ、インドかき揚げを買って、モニさんとふたりで、クルマのなかで、はふはふしながら食べる。

中華料理店は、若い人は、「チャイニーズ」とすら呼ばない人が増えて、
シシュアン(四川)、ガンドニーズ(広東)と地方名を付けて呼ぶが、レモンチキンを出すような味覚音痴のアングロサクソンやマオリを相手にする従来からの「中華料理」店も健在で、
中国だけで完結するダイヴァーシティ世界を形成している。

ところが
静かに退場する日本

この頃、一軒、また一軒と日本料理店が閉店していっていて、見ていると、どうも日本の人がオーナーの店が選ばれたように閉まっていっているもののようです。
理由の第一は80年代には来歴別の移民グループでUKに次いで2位を占めたりしていた日本からの移民が激減したことで、これは管轄官庁である内務省のパブ友に訊くと、どうやらニュージーランド人にとっては、びっくりするような高額だった企業年金がNZのインフレと、円の通貨としての下落で、到底暮らしを贖えない額になって、一方で、価格が3倍〜4倍になった家を売って、日本で暮らしたほうが、母語でうけられる医療サービスもあるし、楽ちんだろうということになって、櫛の歯が抜けるように、いなくなって、日本の人そのものの数が減っている。

ニュージーランドは、ほとんどの国民がいちどは海外で暮らそうと考えている、孤島国家らしい、ノーマッドな国民性を反映して、モールや盛り場には窓に世界の都市への航空料金を貼りだした航空券屋がどこにでもあるが、1999年頃だったか、ある日を境に、「成田」の文字が通常50程も並ぶ目的地から姿を消していた。
大手チェーンが申し合わせたように、成田への表示を止めてヨハネスブルクに変更したからで、
へええ、最近は日本はもう前みたいな存在感がないんだね、と思ったのをおぼえている。

(でもこれは例の日本観光人気で格安航空券として復活するのかもしれません)

当時でも日本語は高校で習得する外国語として、まだ人気があったが、日本に視線を向ける若い人間は、あきらかに減っていた。

日本料理屋で人気があるのは韓国の人が経営する店で、寿司店も、とんかつ店も、日本の人が経営している店は地元人には人気がない。

自分でも、「ああ、これが理由だな」とおもう体験があります。

バルモラルという中華料理店が集まる一角にラーメン店が出来たことがある。
この店のラーメンは「なかなかいける」という新聞記事を読んで、行ってみることにした。
11時開店の店に10分前に着いたら、「店の人が、開店は11時なので、たいへんsorryだが、外でお待ちいただけますか」と流暢で大変丁寧な英語で言う。
なるほど、早すぎましたね、では外で待ちましょう、と言ったものの、sorryなのはこちらのほうで、真冬の歩道に10分も立って開店を待つマヌケな客もないので、隣の矢張り11時開店の四川料理屋に行くと、
「注文は11時になるけど、それでもいいか?」と訊くので、そりゃいいに決まってます、で、
テーブルについて、結局、ラーメンではなくて、宮保鶏丁を食べることになった。

もうひとつ。
全国に展開するニュージーランドでは有名な寿司チェーンで、アメリカ資本らしく、
「店頭に食べたい寿司がならんでいても、フレッシュな寿司を職人に注文してください」が売り物の「サン・ピエール」という、なんでやねん、な名前のチェーン店が家からそんなに遠くないところに出来たので、スーパーの帰りに寄ってみることにした。
「あの支店は日本移民の本場の職人がやってるらしい」という良い噂を聞いていたからです。

「サーモンとアボカドの寿司をつくってもらえますか?」と訊くと、店の主人らしい日本の人が、
台を指さして、「そこにあります」という。
いえ、新しく握って欲しいんですけど、と述べると、
なんだか怒ったように、軽蔑したように、
「これで十分ですよ。さっき握ったばかりですから」という。

この人は、話してもムダだな、と考えたので、ネクストタイム、と述べて店を出てきたが、それ以来、二度と行かなくなって、爾来、そこからクルマで十分ほどのモールにある中国の人達がやっている同じチェーンの店か、アリズリーにある韓国のひとたちがやっている店か、どちらかに行くことになっている。

丁寧ではあるが、多少は日本語が出来て、日本に住んでみたりした人間としては「ガイジンに日本の味なんか判るもんか」という内心がありありとわかる態度で、なんだか楽しくないので、以来、日本の人がやっている店は、恐れて、遠ざけるようになってしまった。

出前で「クロゼン」という、日本の人の母娘らしいふたりでやっているキンピラゴボウまである「惣菜屋」さんから、応援するつもりで、よく出前を取っていたが、これも、どういう理由か、繁盛しているように見えたのに、なくなってしまった。

この店も、最後のころ、バイトの若い人が、多分、文化的な態度物腰の違いから生じた誤解でしょうが、
「ひとをバカにしたような態度をとる」と話題にのぼっていた。

NZは、田舎なので、人の口から口へ、意外な評判が伝わっている。

なんだか延々と食べ物の話を書いてしまったが、日本のプレゼンスは、日本でよく話題になるアニメやマンガよりも、圧倒的に「日本食」なので、許してもらわなければ困ってしまう。

日本語ソーシャルメディアで、よく話題になる、いつのまにか店頭から姿を消した、三菱電機(←むかしは多かった)、シャープ、東芝、日立の名前も、最後まで電子レンジやなんかで頑張っていたパナソニックもあまり見かけなくなって、SONYがプレステやヘッドフォン、75〜85インチテレビで「まだまだがんばるでえ」をしているくらいで、家電でも日本の影は薄くなった。
家でも購入5日で「Made in Japan!」とでっかく書いたシールが貼ってある前面パネルがポロッと取れて落ちた、購入8日でドアのゴム張りがペロリと外れたレンジローバーの記録を更新して最短不具合記録を塗り変えたパナソニックの電子レンジを最後に日本製は買っていない。

いちど、大規模家電店の幹部のおっちゃんに、「日本の家電は、なんで見なくなったんだろう?」と訊いてみたことがあるが、「仕入れ価格が二倍近いもの。それでセールスに、もっと安くしないと売れないよ、と言うんだけど、『日本のものはいいものだから高くても工夫すれば売れます』ばっかりで、本人たちが努力する気はないんだよ。自分勝手な理屈と能書きばかりで、めんどくさいから、日本の会社と付き合うのは二度と嫌だね」と述べていた。

到頭、耐えかねて、そうはっきり申し渡したら、「薄笑いを浮かべた」というのだが、この
「薄笑い」は日本人の失礼さの象徴として、よく出てくる。
日本にいたことがあるので、ああ、あれか、「日本人の謎の微笑」ですね、わかるわかる、
あれは、バカにしているわけではないんだけど、と比較文明講釈を始めるわけにもいかないので、なあんとなく、なるほど、という顔をして頷いているだけです。

日本は急速に大国になって、急速に辺境国に戻っていく。
え?日本は戦前から大国ですよ、という人がいそうだが、戦前の大日本帝国は、ややサイズがおおきい北朝鮮みたいなもので、軍事大国ではあっても、ちょっと農業生産が下がったくらいのことで娘を売春婦に売りとばすのが当たり前の「大国」なんて聞いたことがない。

もともと、言い方がよろしくないが、辺境国にしかひかれない自分としては、返って嬉しいようなものだが、どういうメカニズムによるのか、今回は、経済力/国力の衰退とともに、言語が衰え、視覚芸術の審美能力も衰えて、なんだか場末の風俗店みたいな絵柄のマンガやアニメが溢れだしているように見えるが、ただのこちらの趣味の問題で、「目障りだから目立つところに広告を出すな、絵を置くな」というわけにもいかないので、他人がいるところでVPNを日本にしないくらいで、なにも言わないでいることにしている。

かつての編集友が教えてくれた「コンビニ人間」の村田沙耶香さんや、安藤茉莉子さんが教えてくれた、多分、内緒な気分で教えてくれたので、ここには書かないほうが良さそうなやはり女の人の小説家、日和聡子さんのようなすぐれた詩人、日本語文学はまだまだ抜きん出た言語芸術として足場を保っているが、長い間、海外でさえ話題になっている、日本の文学賞選考の酷さ(←日本では選考委員の報償で食べている作家がいるので止めたがらない、という不思議な説明が付いていた)や、ネット人気が背景らしい、いかにも世界への認識が浅い西欧世界で流行した意匠思想を持ち込んで、日本語市場で叩き売る一部「文学者」たちの姿を見ていると、十分、心配だが、いまはほとんど村上春樹だけの名前でも、川上弘美、川上未映子、英語の若いプロ作家が集まる文学サークルのフォーラムを覘くと、まだまだ、日本の書き手が頑張っているのが観てとれます。

日本語自体の衰えが激しくて、国語力というより、日本語がそもそも意味を採れなくなっている人がネットでは目立つうえに、文学研究者や作家を名乗る人でも、中等教育で漢文が教えられなくなっているのか、言語史的コンテキストが頭にはいっていなくて、よく言えば「意外な読み方」をする人が珍しくなくなって、我が友、フランス語市場で、フランス語で本を書いて暮らしている不思議な日本人児童書作家千鳥が「性癖」を性的な癖のことだと思い込んでいたフランス人日本語学習者の話をしてくれたが、なんだか、そういう「頭で組み立てたコリクツ」で意味を類推して、ヘンテコリンな受け取り方をしてしまう人は、日本語母語人でもおおくなっているように見受けられる。

かつての、モンティパイソンのイギリスとおなじで、落ち目の国というのは、文化が冴える。
日本も、北海の、世界帝国に戻りつつあるかのような錯覚に陥って、EUを脱退して、見事に辺境の小国に転落しつつあるダメ国に倣って、経済は、当分、スランプが続きそうです。
会社経営思想が古いうえに、政府は事態が把握できておらず、学者たちはスウィフトのラピュータ並のバカバカしさで、なにより教育が古いせいで、続々と20世紀人を、いまだに大量生産している。

言うと日本語人の気分を害するに決まっているのでソーシャルメディアでは言わないが、
昭和なんて、どこがいいのかさっぱり判らないとおもうが、まるで昭和文化が日本人の子宮でもあるかのような郷愁に浸っている。
傍迷惑だったうえに、本人たちも全く幸福に見えない「バブル時代」を憧憬する人までいて、
いったい繁栄はなんのためにあるとおもってるんだろう、と考える。

しかもしかも、しかーも

めんどくさいから、もういちいち具体例は書かないが、女の人は人間でないことになっている、「インドよりもひどい」と日本にいるインドの人がぶっくらこいていた性差別は深まるばかりで、なあんか、希望がない国なっちゃうよね、このままでは、と岡目八目で、やや先を読んでしまう。

気が遠くなる、とおもうでしょうが、まず日本語を立て直したらどうでしょう。
言語がしっかりしないと考えもしっかりしない。
このまま進んでいくと、ありとあらゆる詭弁で、「このままで大丈夫だ」と雄弁に「証明」しながら、あっけなく亡んでいった古代ギリシャ国家群とおなじ運命をたどってしまう。

日本文明の華である文学に拠るのが最も良さそうです。

もしそれが出来なければ、嫌でも、どんなに抵抗しても、公用語は英語に変わって、日本語は「炬燵語」になるでしょうが、英語に言語が変わるということは、これまで馴染んだ日本ではなくなる、ということと同義なので、勧められない、というか、なにを勧めているか判らないことになってしまう。

千里の道も一歩から、と言いたくなるが、そもそも、そういう紋切り型の表現を一切排することから始めないとダメですね

でわ

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コメント

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松島玉三郎
松島玉三郎

なかなかにショックなコラムでした。日本語を豊かに使うよう、努力を楽しく続けます♪

もっちんとっしゅ
もっちんとっしゅ

かつて日本製品が強すぎて「ジャパンバッシング」と言われた過去もありましたが、やがて「ジャパンパッシング」になり、今では「ジャパンナッシング」かと思うくらい、日本国外で日本製品も日本人も存在感がなくなりました。

yu
yu

文学に拠って建て直す事を考えた時にも、本の良し悪しについて語ったり、広めるのにも日本語の衰退がブレーキになってしまう、そういう段階まで進んでるということですね。
小説に限らず、見る目がある人はいても、その「審美眼」の結果が広く共有されることが日本では少ない。それは何故かと疑問を持ちましたが、これも日本語と使用者の衰退だと思うと、実に根深い。

Ooyaguchi
Ooyaguchi

欧州在住ですが日本人留学生、観光客の姿を街中で見かけることは随分少なくなりました。美術館でも日本語のパンフレットはいつの間にか消えてます。バブルの偽りの繁栄で得た財を国民のために投下せず、どんちゃん騒ぎで散財し終わってしまったバカさ加減に当時子供だった私は憤慨したものですが、ここまで落ちぶれるとは予想してなかった。まずは思想の基盤となる言語を取り戻すところから始めないとですね。ただ、個人としての日本人には立派な人もいるのでそれだけは唯一の希望かなと思ってます。

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消えてゆく日本|ガメ・オベールNOTE
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