15年前のドラマ&映画。
テレビドラマアカデミー賞
4部門受賞作品。
超能力を持つ犯罪者集団と
警視庁公安部特殊秘密組織
の戦いの物語。
やがて展開はこの世の「存
在」に関する内容に発展し
ていく。
果たして人類にとっての本
当の敵とは何なのか。
面白い。
最終話に至るまでは、徐々
に刑事ドラマではなくSF
ファンタジーになり、中半
以降は規模の大きい「帝都
大戦」状態になる(笑
そして、最後の最後に瀬文
以外の主要人物のほぼ全員
が死ぬ。全員だ。
この世を救った当麻も死ぬ。
結果としてはスペックホル
ダーは全て二度と物質化で
きない場所に封じ込められ
て現世においては「死ぬ」
し、スペックホルダー=選
民以外の一般人関係者も瀬
文以外は全員死ぬ。
この世のカラクリは説明で
きたが、最終的には一人を
除いてほぼ全ての登場人物
が消滅する映像作品。
そして、時間は巻き戻され
てまた始まる。スペックホ
ルダーが存在しない別な世
界として。
Huluでの最終話の配信は
2025/2/22まで。
全シリーズを飛ばして観
たり、虫食いで観ると流
れは全く分からない。
最初から全てを通しで観
ないと。
最後の最後のラストシーン
で流れる佐野元春(当麻の
父の科学者役)の曲の歌詞
がすべての物語の流れを語
る。
思うに映像作品というのは
ドラマも映画も「パラレル
ワールド」なのではと思う。
作品自身は一定時間に収め
られた「止まった」「過去
の時間」であるが、再生を
するとその中では活き活き
と人々が生きている世界が
描かれている。人が動き、
人がしゃべり、世界が生き
ている。
だが、それは映像に収めら
れた枠内での世界のみの事
だ。
そうした「世界」が現実世
界の場合も実はいくつもあ
る。別な呼び方ではそれは
「パラレルワールド」と呼
ばれる。
これはあながち空想夢想の
絵空事ではなく、宇宙を構
成する要素の可能性として
科学界でも論じられ始めて
いる。
この世の現実の世界も実は
そのようなパラレルによっ
て次元が複合的に作られて
いるもので、全世界を観た
い時に観る事ができる「存
在」からは、現実世界をも
いくつものパッケージに収
めてそれを気まぐれに眺め
ているだけなのかも知れな
い。
今回全編を通して観たSPEC
のシリーズをアナザー編ま
で含めて全て観て、私はそ
う感じた。
それともう一つ感じた。
人類史的には、現実世界の
時の流れはだんだんとゆっ
くりになっている。
というのは、この作品が作
られたのは2025年の現在か
ら15年前だ。
劇中ではスマホではなくガ
ラケーを使ってる事以外は
一切古さを感じさせない。
だが、1970年から15年前と
いったら1955年であり、日
本だけでなく世界中で世の
中の様相がまるで異なる。
現代の2025年から25年前は
プレミアムで2000年。20世
紀の最後の年だ。
だが、ほんのすぐ前の事の
ような世界だ。インターネ
ットも携帯電話も登場して
普及し始めていたし、現代
とさして様相は全く変わら
ない。人間が着ている物も。
だが、ことしから65年前の
1960年春から15年前といっ
たらまだ第二次世界大戦中
だ。全く1960年の戦後の繁
栄時代とは世の中が異なる。
それは時事的国際情勢が異
なるだけでなく、人類史的
な発達度合いの階段の段数
というものがまるで異なる
のだ。
1969年は1945年からほんの
24年後だが、1945年時点で
人類が月面に降り立つなど
誰が想像できた事だろう。
だが、2010年と2025年は
さしてそう変わらない世界
だ。
科学的な進歩度合いという
点において。
20世紀がいかに爆発的な加
速で変化したのかを改めて
痛感する。
そうした時間の進み具合の
感覚は、20世紀には加速度
的だったので、よくある現
象として、近未来を描くも
のでは、ほんの30年後あた
りでも未来は超発達世界の
ような感覚で描かれる事が
ある。鉄腕アトムの世界で
もバックトゥザフューチャ
ーの世界でも。
30年後の未来では車が空を
飛びかっているというよう
な想像をしている。
20世紀というのはそれが非
現実的ではないのではと感
じさせる程の加速度的な科
学技術の発展が実際にあっ
た世界だったのだ。21世紀
などという世紀は近未来な
のに夢のような超未来であ
るかのような錯覚を人類に
描かせた。
だが、現実は21世紀になっ
ても20世紀よりもさほど発
展などはしていない。
それどころか、どんどん歩
みが遅くなっている。
さらには、物理面ではなく
人間の精神面では、進歩ど
ころか退化して、絶対独裁
主義を讃美するかのような
風潮になりつつある。アメ
リカはじめ日本の似非コン
プラ社会正義主義者たちの
跋扈によって。
それは新時代を作るかのよ
うな虚構を見せての前時代
への人類の退化だ。
現代は進歩から反転して、
人類の共存共生意識や博愛
精神の質は退化へ進んでい
る。
それは心の在り方だけでな
く、人類のリテラシーの能
力さえも退化に進んでいる。
地球上を俯瞰するに、日本
などは特にひどい。
20世紀の人類の最大の過ち
は核を実用化させた事だろ
う。それは兵器としてだけ
でなく疑似的「平和」利用
としても。
人類に核は扱えない。
よく100数十年前の映像で
航空機が発明される前に
羽根を着けて崖から飛び降
りたりする映像がある。
それを現代人たちは「馬鹿
だなぁ」と観て笑う。
昔はお笑い映像とかの特集
番組でそうした過去の実写
映像が登場した。
だが、遠い将来、現在の私
たちの時代を未来人は観て
それと同じように言うので
はなかろうか。
「こいつら核なんて使って
いたのか。馬鹿じゃなかろ
うか」と。