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黒沢清 トークショー レポート・『台風クラブ 4Kレストア版』(2)

【『台風クラブ』について (2)】

 相米慎二作品は長回しが多いだけに映画全体も長くなって、大幅にカットされてしまうことが多い。

 

黒沢「(『ションベン・ライダー』〈1983〉は、当初の3時間45分あるバージョンには)藤竜也さんの話がいろいろあったんですが、ほぼ全部切られてたんじゃないかな。結構、豪快に。もとの版が判りやすいかはともかく、3時間版はそれなりにバランスが取れている気はしました。デビュー作の『翔んだカップル』(1980)の3時間版もそうですね。長い版が面白いのはエドワード・ヤンテオ・アンゲロプロスに近いものを感じます。ただアイドル映画だし、東宝系で封切られるんですから、3時間は許されないと最初から判ってたわけですよね。『翔んだカップル』はまだデビュー作ですけど、その後も『セーラー服と機関銃』(1981)に『ションベン』に『光る女』(1987)に、何度やっても長くなってしまう。『台風クラブ』(1985)もいろいろあったんだろうと思いますね。晩年はどうだったか判りませんけど」

 

相米作品の現場】

 相米と黒沢氏は、長谷川和彦監督『太陽を盗んだ男』(1979)にスタッフとして参加した。

 

黒沢「制作部のいちばん下で参加して、相米さんを何となく知っていました。本人を知って映画を見るのと、本人と切り離して見るとでは違うんですね(笑)。相米さんは撮影現場で人に甘え倒すというか「判りました判りました、やりますよ」って上手いこと言わせてしまう。人たらしというか、ぶつぶつ文句言いながらもつき合わせてしまう。それでみんな巻き込まれていくんですね」

 

 その後に黒沢氏は『セーラー服と機関銃』の助監督を務める。

 

黒沢「俳優によっては何を言っても変わらない人もいるし、若い人は言えば言うほど変わっていく。相米さんは人によって態度が違っていて驚きましたね。薬師丸ひろ子さんは100回ぐらいやるんですけど、三國連太郎さんは一発OK(一同笑)。いいのそれ?って思いましたけど、100回やっても変わらないからですね」

 相米作品の美術や照明は毎回概ね同じ人だが、撮影の担当者は頻繁に交代している。

 

黒沢相米さんの意図だったかは判りませんが、プロデューサーが変えたがるのはあったと思います。おこがましいですが『セーラー服』でも相米さんがのらりくらりと持っていく方向には、技術スタッフが追いつかないんですね。仙元誠三さんでも「ええっ?」。仕方なく手持ちでガタガタ。バイクに乗って走るとか言われて「ええっ?」。プランが壊れていくわけです。『ションベン・ライダー』のたむらまさきさんでも破綻してるような瞬間が出てくるんですけど。カメラマン自身は面白がっても、プロデューサーとしては見ている人がすごくつらいだろう、ひょっとしてカメラマンを変えたら相米さんの全然違う面が撮れるんじゃないかとプロデューサーが思ったんじゃないかな。

 映画をつくったことのある人は大体判るんですけど、脚本はそれなりに理性的に狙いとして書ける。編集や音入れもある目標に向かって行える。ただそれらを撮影が全部破壊してしまう。こう撮られちゃったらどうしようもないよっていう。そこから何とかつないで1本の商品にしていくのが映画づくりで、多くの監督はひやひやしてるんですね。撮影現場で失敗したら、撮ってるときはいいように思えてもつないだら脚本で伝えようとしたことが何も伝わっていないとか。その恐怖に怯えながら撮ってる。ただ撮影中は誘惑があるわけで、長く回すとこうなるんだ、雨を降らせたらこうなるんだという誘惑が転がっていて。俳優もスタッフも「これやったら面白いよ」って誘惑に乗っていく。そんなことしたら破綻するからやめようって言うのが監督の役目なんです。そのために監督はいるんですよ。長回しにしても使えないから10秒にしようという決断をしなきゃいけない。……相米さんは何であんなことをするんですかね(一同笑)。「みんながいいって言ってるんだからいいんじゃない?」「撮影はこういうものだよ」っていう確信を持って。普通は反省するんですよ、現場であんなことするんじゃなかったっていう。相米さんはそれでいいという確信があった方なんですね」

【その他の発言】

黒沢「(相米作品の中では)『雪の断章 情熱』(1985)が結構好きで、見たときに衝撃を受けましたね。こんなことやっていいのかしらと。ただ世間で言われてることですが、破天荒な相米さんもここまで落ち着いて完成した、破綻のないものを作れるんだという意味では『お引越し』(1993)ですね。栗田(栗田豊通)さんのカメラが、よく相米さんに対抗してというかついていけたなと。あの完成度はすごい」 

 最近は『お引越し』や『夏の庭』(1994)もデジタル修復され、相米作品の国際的な評価が高まっている。

 

黒沢「いまごろかという感じなんですけど、とっくに死んだ人の作品が突如脚光を浴びることはあって映画のすごいことだと思いますけど、相米映画はできたら本人といっしょに経験してほしかった。本人を呼んで世界の人にさらし者にしたかった。本人を前に「こういう人なんですけど、これ撮っていいと思います?」(笑)。でもあの人だからできた映画ですね。

 亡くなったのも随分昔ですね。2001年は相米さんが亡くなったのと9.11が最も強烈なできごとでしたね。

 ぼく以外にも榎戸耕史さんとか、相米さんについて訊かれて仕方なく語る人はいっぱいいますけど、相米さん自身が自作をこういうつもりで撮ったとあまり言わないんですね。「ああ?」とか「タコだからね」とかわけが判らない(一同笑)。外国の人に「タコ」とか言ってもどう訳すの。死んじゃったから、ぼくまで駆り出されて相米さんのお世話をまだしているのかな。3時間版はこうだったとか証言させられる。亡くなって20年以上経っても人に頼るってすごいですね」