森コーチは、岩国工高から新日鉄光-新日鉄君津(現新日鉄住金かずさマジック)を経て1997年にドラフト2位で西武に入団。1メートル89の長身を生かした速球を武器に、2002年にはリーグ最多の71試合に登板し、リーグ優勝に貢献した。15年に西武の2軍投手コーチとなり、昨年途中から1軍投手コーチとして主にブルペンを担当。多和田、高橋光ら若手右腕の育成に情熱を傾けてきた。
シーズンはまだ半ば。チームは30日からのオリックス3連戦(メットライフ)に向けて、29日に沖縄から本拠地に戻る。悲しみの中、戦いは続く。
「心配していたが、まさかこんなことになるとは。彼とは同じユニホームを着て、ボールも受けた。思い出もたくさんある。あまりに早すぎてショックを受けている」
★藤井将雄氏(2000年10月13日、当時ダイエー投手) 99年は59試合に登板し、26ホールドを記録したが11月に肺がんが発覚。00年は入退院を繰り返し、チームがリーグ優勝を決めた10月7日から6日後の同13日に容体が急変。31歳の若さで亡くなった。
★木村拓也氏(10年4月7日、同巨人内野守備走塁コーチ) 4月2日の広島戦(マツダ)の試合前、ノックをしている際に本塁付近で突然倒れ、意識不明のまま救急車で広島市内の病院に緊急搬送された。「くも膜下出血」と診断され、5日後に37歳の若さで死去した。
★中村勝広氏(15年9月23日、同阪神ゼネラルマネジャー) 脳出血のため、東京都内のホテルで66歳で死去。巨人戦(東京ドーム)で上京中だったが、球団幹部が中村氏の部屋に入って急変に気づき、通報で駆けつけた消防が死亡を確認した。