面倒くさいけど面白い人
伊藤 その結果ニュー・センチュリーができて、ひとつはATGの佐々木史朗さんが、東宝系の中で先鋭的な映画をかけられるATGという劇場があるから、根岸さん監督で『遠雷』(’81年)を撮影し、森田さん監督で『家族ゲーム』を撮影しました。次に内田裕也さんが主体となって『十階のモスキート』(’83年)を撮りました。それらが成功したので、あるとき裕也さんが滝田監督に電話をしたという流れですよね? そのときに裕也さんから岡田さんに「ニュー・センチュリーで制作して欲しい」というご相談はあったのでしょうか?
岡田 もちろんありました。もうまったくの裕也さんの推薦企画です。裕也さんという人は結構面倒くさいところはあるのですが、ある種律儀にルールを守ったり、変に礼儀が正しかったりする人なんです。ただ、かなり勝手な自分だけの思い込みで物事を進めるから、非常にややこしいところもあるんですけど、そのややこしいことを我慢すれば結構面白い方で(笑)。その裕也さんが滝田さんを強く推薦してくだすって。「じゃあやろうよ」という、それだけの流れで決まりました。裕也さんと滝田さん主導で進められた企画です。なのでスタート時はニュー・センチュリー自体は噛んでおらず、「裕也さんに頼まれてただ引き受けた」という感じでした。
伊藤 「頭脳警察」の2枚目のアルバムの「頭脳警察2nd」(’72年)に収録されている曲「コミック雑誌なんか要らない」がタイトルの元になっているわけですけど、「頭脳警察」側にはお断りは入れてあったんですか?
滝田 入れていないと思います(笑)。
伊藤 この辺は裕也さんがお決めになったんですよね?
滝田 僕は関与しておりません(笑)。裕也さんは頭脳警察のリーダー・PANTA(中村治雄)さんたちといつもいっしょにコンサートなさっていましたから。たぶんそのあたりのノリでお決めになったのかと。後年、裕也さんの年末のコンサートをお手伝いしていたときにPANTAさんがいらっしゃって。「今さら『タイトルをお借りしてありがとうございました』と言うのも変な話だよな」と思って僕は黙っていました(苦笑)。たぶんコンサート現場で「よろしく」ぐらいのノリで話がついていたんじゃないでしょうか?(笑)。僕はそう解釈しています。
伊藤 裕也さんご自身も「コミック雑誌なんか要らない」をカバーをされました。岡田さんがプロデュースなさった藤田敏八監督の『実録不良少女 姦』(’77年)でそれが大々的に流れて。 だから岡田さんと裕也さんとは昔から役者としてだったり音楽家として繋がりがあったということですよね?
岡田 そうですね。裕也さんとはなんとなくそういうお付き合いはありましたし、面倒くさいけれども面白い、扱いにくいけれどずいぶん助けてもらったし……という関係です。今ごろ上(天国)で笑っているでしょうけど、ユニークな人でしたね。