【死の真相はいまだ不明…】40歳の若さで亡くなった平成の歌姫・ZARD坂井泉水「ファンも遺影のまえで嗚咽した」存在の大きさとは
「負けないで」に励まされた
1994年春の選抜高校野球大会の行進曲に選ばれた「負けないで」など、坂井が作詞した曲をいま改めて聴くと、一つの基本パターンのようなものが浮かんでくる。控えめながらも、明るく健気な気持ちで開かれた未来に向かっていく姿というのだろうか。 当時の朝日新聞の「声」欄に、こんな投稿があった。53歳の女性は「私の葬儀の時には『負けないで』をかけて」と冗談まじりで家族に言っていたという。澄んだ歌声とともに、歌がストンと心に入ったそうである。結婚、子育て、子どもの受験、経済への漠然とした不安……。「学校に受かることも大切だけれど、受かる受からないより、負けないで。自分に負けないで」とエールを子どもたちに送っていたという。 人々の心の支えとなっていた歌手を失った悲しみが日本列島を包んだ。東京・六本木の所属事務所と大阪の関連レコード会社には献花台が設けられ、数千人のファンが訪れたという。バブルが崩壊し、日本が閉塞感に包まれていた1990年代、「負けないで」が若者たちを励ました。制服姿の高校生や会社員、赤ちゃんを抱いた女性らが次々と花束を持って訪れ、記帳した。遺影の前で嗚咽する女性。坂井の存在の大きさを改めて知らされた。 それにしても、坂井は生前、メディアにほとんど露出しなかった。それなのに、多くのファンの心をとらえたのは、先行き不透明なあの時代、軽やかな歌声と普遍的な歌詞に、だれもが自分の体験を重ねることができたからではないだろうか。阪神・淡路大震災、オウム真理教による一連の凶悪な事件、就職氷河期……。東京社会部の駆け出し記者だった私は、世の中がどんより沈んでいる感じだったことを覚えている。 マスメディア出演はほとんどしない…それでも“伝説の歌姫”ZARD坂井泉水(享年40)の歌が愛された理由 へ続く
小泉 信一/Webオリジナル(外部転載)