カスタマーレビュー

  • 2016年1月29日に日本でレビュー済み
    この本は、「知る人ぞ知る」という状態であった日本の若年エリート社会を見事に描き出した、きわめて問題提起的な著作であると思う。

    近年、辛酸なめ子氏の『女子校育ち』を始めとして、東京の進学校に通うおぼっちゃん・お嬢様たちの生態を描いた本が立て続けに出版されている。たとえば開成高校野球部の内幕を描きドラマ化もされた『弱くても勝てます』は当初はアマチュア野球の「弱者の戦略論」として注目されたものだが、実際の本の内容は、「野球部を通して開成高校の生徒たちの生態を描いた」という点が画期的であった。『弱くても勝てます』というタイトルとは裏腹に、「弱いと『勝てない』」「ではその『弱さ』というのはどこから来るのか?」ということが描かれていたのだ。その「弱さ」というのは受験エリート特有の「ひ弱さ」でもあったと思う。

    それはいいとして、このおおた氏による『ルポ塾歴社会』を読み解く際には、いくつか必要な前提があるのでそれを列挙してみようと思う。

    <学歴社会批判という文脈>
    そもそも日本の一般社会において「学歴社会批判」というのは根強いものがある。大学生の就職活動において企業が学生をふるい分ける際に、「学歴フィルター」と言われるように大学名を裏の選考基準として用いていることは有名である。その学歴フィルターにかからない大学の学生からは「学歴で人を差別するのは不公平だ」という声が上がるわけであり、企業は学歴フィルターを用いていることはおおっぴらにできないので「うちの会社は選考基準に学歴を用いていません」ということを表向きにアピールしたりする。一方でその学歴フィルターの内側にいる学生たちは、「学歴で差をつけるのは当たり前」という感覚を持っていて恩恵も受けているので、学歴差別そのものには異を唱えずむしろ「何も言わずに利用する」。日本社会では「学歴で差別されるのは当たり前でしょ」ということをあからさまに言うことはできない、という構造はそれだけ強固なものがある。

    <学歴社会批判批判という捉え返し>
    そもそも「学歴差別」というものには何の正当性もないわけではない。シグナリング理論など社会科学のなかではいろいろな研究があるのだが、企業内部の経験知としても「学歴である程度のフィルタリングを行うのは、採用活動において一定程度以上の合理性がある」ということが広く認識されている。
    しかし実際に運用されていることとは別に、日本の言論空間では学歴差別はタブーである。そういう状況に対して「学歴差別は当たり前」ということをカウンター的な言説として打ち出す動きがあり、その象徴的な存在が、東大受験を描き2005年にはドラマ化もされた漫画『ドラゴン桜』である。
    『ドラゴン桜』には戦後民主主義的な教育観に対するアンチテーゼの側面がある。戦後民主主義的な教育観の現れのひとつとして「人間を学歴で差別するのは非人間的だ。学歴なんかよりも大事なこと、教育が実現すべき価値がある」という言い方がある。しかしドラゴン桜の主人公・桜木は「そんなのは綺麗事だ。実際に日本社会には厳然として学歴差別があるのだから、そのルートに乗っかった上で上手く活用すべきだ」ということを説いている。この主張には論理的にはかなりの程度の正当性が認められるだろう。

    <さらにその先を「再考」する必要性>
    しかし『ドラゴン桜』では描かれることのなかったものがある。実際の東大受験において、漫画のように無名進学校から東大に合格するのはかなり難しい。東大合格者のほとんどは、東京や関西の有名進学校から輩出されているという現実がある。それに大きく寄与しているのが、「鉄緑会」という有名進学校在学者のみが在籍を許される東大受験専門塾の存在である。そこでは東京の進学校トップ校の生徒たちが集まり、東大に現役合格するための〈ハイ・ソサエティ〉のようなものを形成している(ハイ・ソサエティとは「上流社会」「社交界」という意味である。「ハイソ」の語源)。お互いに競い合い、「東大に行くのが当たり前」という雰囲気と、「東大に受かるためのノウハウ」を共有する。悪い言葉を使えば、インサイダー情報を集めまくり、それでメンバー同士でボロ儲けする投資家クラブのようなものである。

    そして鉄緑会への通塾資格のある有名進学校に通うために、子どもをエリートにしたい教育熱心な親たちは小学校高学年からSAPIXという中学受験専門塾に通わせる。
    要するに私立進学校に通わせるにとどまらず小学校〜高校まで子どもを塾に通わせるなどの多大な教育投資をし、東大に送り出すというルートが、首都圏のエリート社会においてはかなり広範に、そして「公然の秘密」として存在しているのである。

    しかし、本当に親子に多大な犠牲と金銭的負担を払わせ、子どもを東大に送り出そうという今の構造は「正しい」のか? そもそもそうやって東大に入った子どもたちに、今認識されているよりも大きな犠牲を払わせてしまう可能性もあるのではないか?
    『ルポ塾歴社会』は、そういった観点をも丁寧に拾っていくことで、『ドラゴン桜』的な「学歴社会批判批判」の捉え直しを迫っている。

    首都圏進学校エリート社会に関係した人にとっても、「こんな構造があったんだ」ということを全然知らなかった外側の人たちにとっても、今の日本エリート社会の構造を知る上で有益な本である。これを読み終わったときに、「東京のエリート校の子たちが羨ましい!」と思うか、「自分は関わりたくない、こんなことは非人間的だ」「自分の人生で関わらなくてよかった」と思うかは読者の判断に委ねられている。
    なおこの本の読者は、子どもを中学受験させるべきか悩んでいる、もしくは現在子どもが進学校に在学中のご両親が多いと思うが、「こんなことには関わりたくない/非人間的だ」という感想を抱いた人は同じおおた氏による著作『追いつめる親』もぜひ併読されることをおすすめしたい。
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