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万物の3要素 Ver.3.1
万物の3要素 Ver.3.1


さあ、「万物の3要素」の最新版です(第3版)。
そこの、「万物理論」に興味のあるアナタ。
長いけれど、自信作なので、ぜひ読んでいってください。

「万物の3要素」は、ビジネスの基礎、ビジネスの秘訣を解き明かします。
そこの悩めるビジネスマン! 必読ですよ!!

「万物の3要素」で、戦争をなくすことができるかもしれません。
反戦主義者もそうでない人も、ぜひ読んでください!!

また、「万物の3要素」は、何らかの形で「万物理論」に関係してくると思います。
万物理論に興味のある方は、ぜひ読んでください!!

それでは、万物の3要素、開幕です!


 はじめに

 古代のギリシャでは、すべての根源を、四大元素、つまり「空気・火・土・水」の4つに分類していました。また、仏教では、「地・水・火・風・空」を五大元素としているそうです。
 しかし、時代を経るにしたがって、多くの事柄が、3つの要素で十分説明できることに人類は気づきます。「音楽の3要素」や、「物語の3要素」、「国家の3要素」などですね。ほかにも3要素はたくさんあります。
 もちろん、2要素や4要素で表される事柄も、あることはあるのですが、3要素の方が断然多いですし、何より、3要素で説明される事柄は、普遍的なものが多いのが極めて印象的です。
 つまり、世界のほとんどの事柄は、「3要素」で説明できるようなのです。なぜ3つなのだろう。いや、今はその疑問は忘れよう。それはまだ神様しか知らない(僕は無神論者ですが)。
 ここで、一つの疑問が湧いてきます。「3要素」がそれほど普遍的なら、3要素には何か規則的な法則が働いているのではないか。そして、3要素の法則を見つけることができたなら、それは、「万物の3要素」になるのではないか。
 と、少なくとも僕はそう思ったのですが、なぜかとても不思議なことに、歴史上の天才たちはそうは思わなかったのです。哲学者も、科学者も、経済学者も、人類学者も、社会学者も、みなそういう疑問を持たなかったのです。「3要素に何か法則があるのでは?」と疑問を持ったのは、どうやら、人類では僕が最初のようです。歴史上の偉人たちがやってくれないなら、僕がやるっきゃない! と万物の3要素にチャレンジした次第です。


 1. 万物の3要素

 世界は様々な3要素で溢れています。
 音楽の3要素が「リズム・メロディー・ハーモニー」で、国家の3要素が「領域・人民・権力(または主権)」で、物語の3要素が「人物・事件・背景」で、経済の3要素が「ヒト・モノ・カネ」です。他にも、3要素はたくさんあります。
 では、さっそく、3要素の共通項を探ろう。
 まずは、おさらいから。

・音楽の3要素が「リズム・メロディー・ハーモニー」
・物語の3要素が「人物・事件・背景」
・国家の3要素が「領域・人民・権力(または主権)」
・経済の3要素が「ヒト・モノ・カネ」

 これらの3要素は、極めて確度の高いものです。つまり、既に完成されているもので、今後、変更や更新される可能性が極めて低いものです。
 たとえば、音楽の3要素は、作られてから数百年が経ち、歌い手は吟遊詩人から初音ミクまで進化しましたが、その間いっさい変更されておらず、将来的にも変更される可能性が低いものです。つまり、音楽の3要素は現状ですでに完璧なのです。他の3要素も同様でしょう。
 なお、国家の3要素の三つ目が、「権力または主権」と分裂していますが、まあ、一つくらいこういうものがあってもいいのではないでしょうか。あるいは、国家の3要素はまだ不完全で、今後、更新される可能性が高いのかもしれません。

 これらの3要素をもとに、万物の3要素を考えてみましょう。
 まずは、並びです。これらの3要素を重要な順番に並べる必要がありますが、……実はもう、重要な順に並べてあります(けっこう苦労しました)。
 音楽において、もっとも重要な要素はリズムだと既に定まっています。だから、一番目に大事な要素はリズムです。これは専門家の意見も一致しており、「リズムの無い音楽はない」とさえいわれるほどです。音楽の中で、無くてもなんとか成立するのがハーモニーです。事実、ハーモニーの無い音楽は世界各地にあるそうです。だから、消去法で、二番目に大事な要素がメロディー、三番目に大事な要素がハーモニーになります。
 次は、物語です。物語において、一番大事な要素は人物です。人物の出てこない物語なんて、まず無いですよね。出てこない場合でも、動物などを擬人化して人物の替わりにしています。次に大事な要素が事件です。事件が起きない物語はまずありませんし、第一、面白くありません。だから、二番目に大事な要素は事件です。そして、三番目が背景です。
 次は、国家です。国家において、一番重要な要素は領域です。領域とは、つまり領土のことです。たとえば、ユダヤ人は世界中にたくさんいますが、かつては固有の領域を持っていなかったために、ユダヤ国民とは呼ばれず、ユダヤ人やユダヤ民族などと呼ばれていました(ユダヤ人がイスラエル国を建国したのが1948年のことです)。つまり、国家においては、人民よりも領域の方が優先するのです。だから、領域が一番大事な要素です。二番目は人民でしょう。いくら権力(または主権)があっても、人民がいなければ無意味です。人民あっての権力(または主権)です。ですから、二番目に大事な要素が人民で、三番目に大事な要素が権力(または主権)です。
 次は、経済です。経済において、一番大事な要素はヒトです。ヒトがいなければ、いくらモノやカネがあっても意味を成しません。だから、ヒトが一番大事な構成要素です。次に大事な要素が、モノです。いくら、大金を所持していても、どこにもモノが売っていなければ、カネに意味はありません。よって、二番目に大事な要素がモノで、三番目に大事な要素がカネです。

・一番目に大事な要素を、「第一要素」と名づけます。
・二番目に大事な要素を、「第二要素」と名づけます。
・三番目に大事な要素を、「第三要素」と名づけます。

 さて、第一要素に共通点はあるのでしょうか。よく考えてみましょう。音楽においてリズムは継続し、物語において人物は継続して登場し、国家において領域は(戦争などが無い限り)継続し、経済においてヒトは継続して消費します。そう、第一要素の共通点は「継続」です。
 第二要素に共通点はあるのでしょうか。音楽においてメロディーは音の高低の変化であり、物語において事件は日常の変化であり、国家において人民は移り変わり変化し(これは島国の日本人には理解し難いですね)、経済においてモノは変化していきます。そう、第二要素の共通点は「変化」です。
 あるいは、「変化」よりも「変動」の方が適切かもしれませんが、これ以降は「変化」で話を進めます。
 第三要素に共通点はあるのでしょうか。音楽においてハーモニーは響きを充実させるものであり、物語において背景は内容を充実させるものであり、国家において権力(または主権)は国を充実させるものであり、経済におけるカネは景気を充実させるものです。そう、第三要素の共通点は「充実」です。
 さあ、これで万物の3要素が出揃いました。

・第一要素が「継続(Keizoku)」です。
・第二要素が「変化(Henka)」です。
・第三要素が「充実(Jujitsu)」です。

 万物の3要素を略するなら、「KHJ」でしょうか。
 もちろん、「継続の3要素」や「変化の3要素」や「充実の3要素」も作れるのでしょうが、今の僕の力では、これが精一杯です。
 なお、音楽の3要素を見ても分かる通り、第一要素の「継続」は絶対になくてはならないものです。いくら他の要素が揃っていても、第一要素が満たせていないと、音楽であれ、物語であれ、国家であれ、存続できません。継続は必須といってよいでしょう。第二要素の「変化」もかなり重要ですが、第一要素ほどではありません。しかし、重要なことに変わりありません。第三要素の「充実」は、別段なくても構わないのですが、あれば豊かになります。
 しかし、第一要素が「継続」、第二要素が「変化」と真逆ですが、考えてみれば、継続している何かが無ければ変化も起こりませんよね。たとえば、毎週末にゴルフに行っている人が、とある週末に旅行に出かけたら、それは間違いなく変化でしょう。ですが、毎週末に違った行動をしている人が、とある週末に旅行に出かけても、それはいつも通りのことです。何せ、毎週末ちがった行動を取っている人なのですから。つまり、継続するから変化が生まれる、ということですね。ところで、変化が充実を呼ぶのはなぜだろう。分からないな。
 また、ダイエットのほとんどは有効だと、何かの本で読んだ記憶があります。ではなぜ、ほとんどの人がダイエットに失敗するかといえば、確か「長続きしないから」と書いてありました。長続きしない、ということは継続ができていないということです。それだけ、継続が重要だということですね。

 これを、コンビニの経営に当てはめてみましょう。いえ、コンビニでなくてもいいのですが、何せ万物の3要素なので、何でも説明できるはずなので、身近なところでまずはコンビニから。

・コンビニは、毎日「継続」して店を営業します。
・コンビニの主力商品は、時間や季節や時代ごとに「変化」します。
・コンビニは、主力商品の関連商品を置いて、店を「充実」させます。

 完璧ですね。
 なお、世の中には、週に一度くらしか店を開かない珍しい飲食店などがありますが、それらの店は、毎日の営業を継続するのではなく、「ありえないほど旨い料理」を継続しているのです。ありえないほど旨い料理を継続するには、毎日の営業は無理なのでしょう。
 次は、雑誌に当てはめてみましょう。

・雑誌は、定期的に「継続」して発行されます。
・雑誌の人気記事は、時代とともに「変化」します。
・雑誌は、人気記事の関連記事を載せて、紙面を「充実」させます。

 これも完璧です。
 次は映画です。

・映画は、新作が「継続」して上映されます。
・映画の人気作の種類は、時代とともに激しく「変化」します。
・映画関係者は、人気作の関連映画を作って、ラインナップを「充実」させます。

 これも完璧ですね。
 次は教育。

・教育は、子供などを「継続」して教えます。
・教育の内容は、時代とともに「変化」します。
・教育は、変化する教育内容の関連品を「充実」させます。

 またまた完璧です。
 次は福祉。

・福祉は、弱者を「継続」してサポートします。
・福祉の内容は、時代とともに「変化」します。
・福祉は、変化する福祉行政のスタッフやサービスを「充実」させます。

 たぶん完璧です。
 人間とは関わりのない無機物はどうでしょう。
 惑星です。

・惑星は、巨大な質量や自転や公転を「継続」します。
・惑星の巨大な質量や自転や公転は、時空を「変化」させ、重力を生み出します。
・惑星の重力によって、輪や衛星が誕生し、惑星が「充実」します。

 苦しいけど、なんとか説明できてますね。
 キリがないのでもうやめます。
 それにしても、万物の3要素ってワンパターンなんだなぁ。それだけ、規則的な法則が働いている、という証拠なのかもしれません。


 2. 万物の3行為

 さて、3要素だけでは物事は始まりません。
 例えば、音楽の3要素をもとに曲を作曲したとしても、演奏されなければ意味がありませんよね。「演奏」を内包する、新たなカテゴリーを作る必要があるようです。ちなみに、「作曲」「演奏」「鑑賞」を「音楽の3方面」というそうです。音楽の3方面をもとに、今度は、「万物の3方面」を作ってみることにします。
 ですが、その前に、「3方面」では何だか分かりづらいので、「3方面」を「3行為」に言い換えることにします。「作曲」も「演奏」も「鑑賞」も一種の行為なので、「3行為」でいいと思います。シンプル・イズ・ベスト、ですね。
 さあ、「万物の3行為」を作りましょう。ところがどっこい、万物の3行為は、実はもう世の中に存在するのです。それは、PDCAサイクルと呼ばれているものです。
 PDCAサイクルとは、ビジネスで有名な、
「計画(Plan)・実行(Do)・評価(Check)・改善(Action)」
のことです。
 この4つの中の、「計画」「実行」「評価」の3つが、万物の3行為であることに気づきました。
「作曲」することは音楽を「計画」することであり、「演奏」することは音楽を「実行」することであり、「鑑賞」することは音楽を「評価」することにほかなりません。

・一番目の行為を、「第一行為」と名づけます。
・二番目の行為を、「第二行為」と名づけます。
・三番目の行為を、「第三行為」と名づけます。

 そして、万物の3行為は次のようになります。

・第一行為が「計画(Plan)」です。
・第二行為が「実行(Do)」です。
・第三行為が「評価(Check)」です。

 もちろん、「計画の3行為」や「実行の3行為」や「評価の3行為」も作れるはずですが、やはり、今の僕の力では、これが精一杯です。さらには、「計画の3要素」や「実行の3要素」や「評価の3要素」も作れると思うのですが、頭がこんがらがって、何がなんだか分からなくなるので、今はここまでにします。
 ところで、PDCAサイクルの「改善」は、いったいどこへ行ってしまったのでしょう。
 それについては、こう考えることが出来ます。音楽には厳密な3要素があります。だから、「作曲」「演奏」「鑑賞」のどの段階でトラブルが起きても、「リズム・メロディー・ハーモニー」というチェックリストが既にあるので、どこを改善すればいいのかは一目瞭然です。ですから、改善というプロセスは特にいらないのでしょう。もちろん、キチンと改善できるかどうかは、努力と才能しだいですが……。
 ところがビジネスでは、「ビジネスの3要素」がハッキリしていません。ということは、何をどう改善したらいいのかは五里霧中の状態なのです。だからこそ、改善というプロセスを強引に組み込まなければならなかったのでしょう。逆にいえば、ビジネスの3要素が確定すれば改善のプロセスはいらなくなる、ということになります。
 それでは、ビジネスの3要素とは何なのでしょう。ビジネスでは、ゆりかごから墓場まで、ありとあらゆる物を取り扱います。結婚相談所では「愛」すら売り買いしています。ビジネスが万物を扱う以上、ビジネスの3要素と万物の3要素は、ほぼ同義語といってよいでしょう。
 つまり、万物の3要素である「継続」「変化」「充実」が、ビジネスの3要素でもあるのです。

 ところで、「あれ? ヒト、モノ、カネがビジネスの3要素じゃないの?」というあなた。一例を挙げれば、音楽もまたビジネスの一つですが、「音楽の3要素」と「経済の3要素」は違いますよね。前者は「リズム」「メロディー」「ハーモニー」で、後者が「ヒト」「モノ」「カネ」です。ぜんぜん違います。
 また、経済では次々と新しいビジネスが生まれてきます。古いビジネスには3要素があるかもしれませんが、新しいビジネスを興すとき、何に頼ったらいいのでしょう。
 そうです、万物の3要素を頼ればいいのです。音楽の3要素が音楽に特化しているのに対し、経済の3要素が経済に特化しているのに対し、万物の3要素は、それこそ幅広くすべての事柄に対応しているのです。
 さあ、これが答えです。

◆万物の3要素
・第一要素「継続(Keizoku)」――(もっとも重要な要素)
・第二要素「変化(Henka)」――(2番目に重要な要素)
・第三要素「充実(Jujitsu)」――(3番目に重要な要素)
◆万物の3行為
・第一行為「計画(Plan)」――(最初の行為)
・第二行為「実行(Do)」――(2番目の行為)
・第三行為「評価(Check)」――(3番目の行為)

 いま現在、ビジネスがうまくいってない方は、万物の3要素を参考にしてみてください。ただ闇雲にPDCAサイクルに頼るのではなく、万物の3要素を万物の3行為で廻すようにするのです。
 万物の3要素は、基本中の基本であると同時に、チェックリストでもあります。万物の3要素というチェックリストをもとに、ビジネスを廻していくのです。改善できるかどうかは努力と才能しだいですが……。
「結局、改善はいるの? いらないの? どっちなの!?」という方へ。PDCAサイクルに「改善」はいらないが(PDCでいい)、「計画」「実行」「評価」の各段階で「改善」が必要になる、ということです。万物の3要素というチェックリストをもとに、改善していきましょう。
 もちろん、一番大事なのは継続です。起業する人は、「他と違う商品やサービス」さえ提供できれば事業はうまくいく、と安易に考えて失敗することが多いようです。「他と違う商品やサービス」とは、つまり変化ですよね。それより大事なのが、「他と違う商品やサービス」をどうやって継続するか、ということなのです。どんなに革新的な商品やサービスも、継続できなければ価値を生み出しません。
 ビジネスならば、どのような事業を興し継続するのか。二番目に変化に対応できるか。三番目に充実しているか。万物の3要素は基礎中の基礎です。楽な道は滅多にありません。まあ、僕は楽をしようとして、万物の3要素を作ったのですが。
 そうそう、この万物の3要素と万物の3行為は、まだ確定事項ではないので、ご使用は自己責任でお願いします。


 3. 任天堂の失敗、ソニーの失敗

 任天堂のテレビゲーム機Wiiの売り上げは凄かったですね。前世代の覇権ゲーム機PS2に迫る、物凄い勢いで普及しました。ところが、このWii、PS2とは違った最後を迎えます。PS2は、PS3にバトンタッチするまで次々と潤沢にゲームソフトが発売されたのに対し、Wiiは最後の頃、ほとんどソフトが発売されないという異常事態が起きていました。
 この異常事態は、実は、万物の3要素で説明できます。Wiiの最大の特徴は、振って遊ぶWiiリモコンです。Wiiには、昔ながらのクラシックコントローラもありますが、本体同梱ではなく別売りです。そればかりでなく、クラシックコントローラでは遊べないWiiソフトも少なくないと聞きます。これでは、テレビゲームの「継続」であるクラシックコントローラよりも、「変化」であるWiiリモコンを優先した格好になります。
 思い出して欲しいのですが、万物の3要素の中では、「継続」が一番重要で、「変化」が二番目に重要で、「充実」が三番目に重要です。
 ところが任天堂は、継続よりも変化を優先させ、その結果、Wiiリモコンは当初こそ爆発的な人気になりましたが、次第に飽きられ、最終的には任天堂以外のソフトがほとんど発売されなくなってしまったのです。試合に勝って勝負に負けた典型例でしょうか。
 それでは、任天堂はどうすればよかったのでしょう。Wiiリモコンは確かに素晴らしいひらめきです。ですが、飽きられた時の対策としてクラシックコントローラを同梱し、さらにWiiのソフトのほとんどをクラシックコントローラで遊べるように作っておけば良かったのです。それなら、Wiiリモコンが好きな人はそれで遊び、飽きた人はクラシックコントローラで遊ぶという棲み分けができ、問題は無かったはずです。覇権ゲーム機として、Wiiが飽きられることはなかったでしょう。すべては、「継続」よりも「変化」を優先させた任天堂の自業自得なのです。
 驚くべきことに、任天堂は、Wiiの次世代機であるWii Uでも同じ過ちを繰り返しています。Wii Uでは、ゲームパッドという新しいコントローラを開発し、それは確かに素晴らしいアイディアなのですが、またしてもクラシックタイプのコントローラ(PROコントローラ)を同梱しないという冒険に出たのです。
 さて、「継続」よりも「変化」を優先させた任天堂は、ふたたびテレビゲーム界の覇者になれるでしょうか。

 その任天堂のライバルであるソニーも、ここのところ不振が続いています。特に、ipodやipadなど、本来ならソニーが開発していてもよさそうな商品の市場をライバルに取られているのが、ソニーにとっては痛いですね。
 これらの失敗は、任天堂の失敗とは別物ですが、やはり万物の3要素で説明できます。任天堂が「継続」より「変化」を優先させて失敗したのに対し、ソニーは「変化」よりも「充実」を優先させて失敗したのです。
 1980年代、ビデオの規格戦争で敗れたソニーは、ベータマックスの失敗から学び、ハリウッドの映画会社などを買収し、ソニー・グループを充実させました。ところがこれが、組織を充実させ過ぎたようで、変化の遅い、いわばイノベーションの遅い会社を作ってしまったのです。
 一例を挙げれば、ソニーは、デジタルオーディオプレーヤー(MP3プレーヤー)をアップルより先行して開発したにも関わらず、大々的な発売を躊躇しました。おそらく、デジタルオーディオプレーヤーが売れた場合、コピーガードの掛かっていないCDはコピーされ放題で、ソニー・ミュージックグループが多大な被害を受けると二の足を踏んだためでしょう。ソニーの心配はもっともだったのですが、そんなソニーを横目に、アップルは鮮やかにipodを発売し、普及させました。
 ソフト部門を売却して本社を身軽にするか、ソフト部門を充実させたまま、それでも変化できる態勢を築くか。ソニーの選択は難しいですね。

 そういえば、世間では税金泥棒で知られる日本の天下り官僚ですが、その官僚組織も、天下り先を充実させすぎて、変化に対応できなくなってしまっているのではないでしょうか。
 いずれにせよ、「3要素の優先順位を間違えると大変なことになる!!」という、偉大な教訓です。


 4. 様々な3要素

 次に、僕が作った3要素を見ていきましょう。
 なお、登場する3要素や3行為は、「第一要素・第二要素・第三要素」、「第一行為・第二行為・第三行為」の順に並んでいます。

・動植物の3要素「欲求・本能・自然」
・人間の3要素「欲望・理性・文明」
(「欲求」は際限があるもの、「欲望」は際限が無いものとします)。

 動植物は、食欲などの「欲求」を継続し、行動の蓄積が知性を変化させて「本能」が生まれ、そして本能は「自然」を充実させる。動植物のいない自然なんて、楽しくないですよね。
 人間は、果てしない「欲望」を継続し、本能を変化させ高次の「理性」を生み、そして理性は「文明」を充実させた。服を着ていない人間なんて、想像できませんよね。
 かなり苦しいけれど、いちおう説明できてます。
 また、人間は、短期的には動植物的な欲求で動き(おいしいものが食べたいなど)、中長期的には人間的な欲望で動く(お金持ちになりたいなど)、と考えると、ケインズ経済学と新古典派経済学をうまく説明できるのではないでしょうか。ケインズ経済学は短期の、新古典派経済学は中長期の経済の説明に有効といわれています。まあ、人間も動物ですから。
 それにしても、3要素の中で最重要な第一要素が、動植物が「欲求」で人間が「欲望」ですか。人間とチンパンジーを隔てたものが、欲望の有無というのが事実なら、なにか不思議な感じがしますね。おっと、欲のかき過ぎにはくれぐれもご用心を。破滅しますよ。
 なお、動植物の3行為は、「成長・発情・子孫を残す」でしょうか。3行為は難しいなぁ。人間の3行為は難しすぎて、僕には分かりません。
 もちろん、僕の考えた動植物や人間の3要素が正しいという証拠はありませんが、何かを考える一助になればと思います。
 なお、人間の3要素は、ネットのとある掲示板の雑談からインスピレーションを得て作ったものです。僕一人の仕事ではないことを付記しておきます。

・SFの3要素「科学・奇想天外・未来志向」
・ファンタジーの3要素「魔法・不思議・懐古趣味」
(「奇想天外」は科学で説明できること、「不思議」は科学では説明できないこととします)。

 これはまた見事に真逆ですね。でも、SF小説を出している出版社はたいていファンタジーも扱いますよね。まあ、両者には現実逃避文学という共通点が、ゲフンゲフン……、なんでもありません。僕は、SF小説もファンタジー小説も、どちらも大好きですよ。

・ジャーナリズムの3要素「視点・疑問・時代」

 例えるならこうです。科学専門の記者ならではの独自な「視点」で、難解な事件の「疑問」に鋭く切り込み、その「時代」の特徴を浮き彫りにする。そんな感じです。
 これはあまり自信が無いのだけれど、つまり、「物語の3要素」と「ジャーナリズムの3要素」は対になっていると思ったのです。物語がフィクション、ジャーナリズムがノンフィクションで、コインの裏表だと考えました。ちなみに、物語の3要素が、「人物・事件・背景」です。
 物語の第一要素の「人物」に対応するのが、「視点」だと思います。日本のジャーナリズムのレベルが世界的に見て低いのは、日本の報道に多い、匿名記事が原因ではないでしょうか。「匿名」ということは、独自の「視点」を持っていないということになります。最近は、日本の新聞なども署名記事が増えましたが、今度はスペース不足です。いくら署名記事とはいえ、少ない行数ではさすがに独自色を打ち出せないでしょう。
 物語の第二要素の「事件」に対応するのが、「疑問」だと思います。ジャーナリストは、数多のソースから取材・報道する事件を決めますが、その決め手はおそらく「疑問」でしょう。現に、よくある交通事故などは滅多に報道されず、一般人の好奇心をくすぐる変わった事件が優先して報道されます。疑問度が高ければたかいほど、一般人も興味を示すのではないでしょうか。
 物語の第三要素の「背景」に対応するのが、「時代」だと思います。昔は、教師が体罰をしてもニュースになりませんでしたが、現在では、頻繁に報道されます。ジャーナリストは、時代の変化に敏感なのでしょう。

・戦争の3要素「正義・軍隊・気運」

 戦争は、国家が行なう殺人ともいわれたりします。
 殺人の3要素は「動機・凶器・機会」で、これを戦争に当てはめると、戦争の「動機」が「正義」です。戦争をする国は、「我々が正義だ!」と必ず言いますよね。戦争にとっての「凶器」はいうまでもなく「軍隊」です。そして、戦争は一人では出来ないので、戦争の「機会」を活かすには市民の「気運」を盛り上げる必要があります。よって、戦争の3要素は「正義・軍隊・気運」になります。第一要素が「正義」で、第二要素が「軍隊」で、第三要素が「気運」です。
 政治家が開戦の「正義」を継続して叫び、「軍隊」の質は時代や経済力とともに変化し、国民の支持が戦争の「気運」を充実させる、といったところでしょうか。
 こうして戦争の3要素を導き出しましたが、ネットの掲示板で、ある方から「戦争は経済に似ている」という指摘を受け、それはもっともだと思ったので、経済の3要素をもとに戦争の3要素の別バージョンを作ろうとしましたが、残念ながら僕の頭脳では無理でした。
 他にも、古代アテナイの歴史家トゥキディデスの戦争の3要素である「利益・恐怖・名誉」や、クラウゼヴィッツの戦争の3要素などがあります。クラウゼヴィッツの戦争の3要素は、「まんがで読破クラウゼヴィッツ・作『戦争論』」によると、「政府の目的・軍隊の才能・国民の支持」とあります。
 トゥキディデスの戦争の3要素、「利益・恐怖・名誉」は、正義の項目だと個人的には解釈しています。殺人の動機が、「怨恨」や「痴情」や「金銭目的」などに分類されるように、戦争の正義も、「利益」や「恐怖」や「名誉」などに分類されるのだと僕は思います。
 クラウゼヴィッツの戦争の3要素と、僕が考えた戦争の3要素はよく似ており、特に、第二要素は、僕が「軍隊」でクラウゼヴィッツが「軍隊の才能」、第三要素が、僕が「気運」でクラウゼヴィッツが「国民の支持」と非常に酷似しています。両者の差は無視していい範囲だと思います。しかし、肝心の第一要素が、僕が「正義」、クラウゼヴィッツが「政府の目的」と食い違います。
 最近の戦争で、イラク戦争を思い出してください。イラク戦争では、アメリカには、「フセイン独裁政権を打倒する」と「オイル利権を手にする」と、「政府の目的」が二つもありました。さらには、イラクとアメリカでは決定的な戦力差があったにも関わらず、イラク戦争は泥沼化しました。何故でしょうか。
 アメリカとイギリスは、「イラクは大量破壊兵器を保有している」という口実で開戦に踏み切ったのですが、結局、イラクからは大量破壊兵器が出て来ませんでした。イラクから大量破壊兵器が出て来なかったので、アメリカとイギリスの「正義」が崩れて、イラク戦争が泥沼化した。そう考えれば筋が通ります。
 つまり、クラウゼヴィッツの戦争の3要素の「政府の目的」は間違いで、これを「正義」と入れ替えれば万事うまく説明できる、僕はそう思います。やはり、戦争の3要素は「正義・軍隊・気運」なのではないでしょうか。
 また、戦争の3要素の第一要素が「政府の目的」だと、とてもまずいことになります。「福祉を充実させたい」も政府の目的、「オイル利権が欲しい」も政府の目的で、その目的が違法でなければ、事実上「政府の目的」に歯止めをかけることができません。違法でないことを取り締まるのは、独裁国家の専売特許です。これが「正義」になると違ってきます。「正義」には歯止めをかけることができるのです。これは、後述します。
 戦争の3要素の第一要素が「正義」になるのが、納得できない方がおられるかもしれません。例えば、A国とB国で戦争が行われ、A国B国とも開戦の動機がムチャクチャで、両国ともに正義が無いように見えたとします。しかし、戦争には、勝った方が正義になるという不思議な法則があります。一般的に、「勝てば官軍 負ければ賊軍」といいますよね。この法則に従えば、A国B国の双方に正義が無かったとしても、勝った方が最終的に正義になるのです。どういうことでしょうか。つまり、戦争そのものが「正義」だと考えれば、「勝った方が正義になる」という不思議な法則も納得できるのではないでしょうか。
「正義の戦争なんて無い!」とお怒りのあなた、今しばらくお付き合いください。
 古代では、村で疫病が流行ると、疫病に罹った人ごと家を焼くことがあったそうです。治療法が無い時代ですし、他の村人に伝染してからでは手遅れで、村が全滅する恐れがあります。疫病に罹った人ごと家を焼くのは、かつては正義の殺人だったのでしょう。
 中世では、「あだ討ち」や「決闘」という風習がありました。僕は、あだ討ちや決闘に明るくないのですが、おそらく、あだ討ちや決闘も、かつては正義の殺人だったのでしょう。
 そして現代、「死刑」は世界的に廃止傾向にありますが、これも正義の殺人といえるでしょう。
 もちろん、すべての殺人が正義であるわけではありませんが、歴史的に見て、正義の殺人は確かに存在します。そして、正義の殺人は、いずれも廃止の傾向にあります。正義の殺人は、もはや時代遅れで、現在ではほとんどが違法なのです。
 転じて、戦争はどうでしょう。自衛戦争が例外として認められるのは当たり前ですが、なぜ、「正義」が付くだけで戦争が合法になるのでしょう。戦争は、勝てば正義なのかもしれませんが、正義の殺人が廃止傾向にあるのに、摩訶不思議なことに、正義の戦争は未だに認められているのです。ここがおかしいのです、ここが!
 正義の殺人を規制するなら、正義の戦争もまた規制するべきでしょう。人類は、正義の戦争という甘美なゲームを手放す時期が来ているのです。
 もしも、僕の仮説通り、戦争が殺人の延長上にあるものなら、現代の法律が「あだ討ち」や「決闘」などの正義の殺人を禁じているのと同様、正義の戦争をすべて違法化すれば(自衛戦争を除く)、世界から戦争が無くなります。世界の国々が自衛戦争しかしないのなら、戦争は起きないはずです。
 このように、正義の殺人であれ、正義の戦争であれ、正義はコントロールできるのです。正義の戦争はもう時代遅れ、ということで禁止できるはずです。政府の目的には歯止めがかけられないが、正義には歯止めがかけられる、ということですね。
 個人的には、「正義の戦争はあるか?」というよくある問いは意味が無いと思います。なぜなら、「あだ討ち」や「決闘」は正義の殺人ですが、現代法では禁じられています。同様に、正義の戦争も、「ある・ない」という視点ではなく、「正義の戦争はどこまで許されるのか?」という視点で議論すべきでしょう。
 戦争の3要素が、僕の考えた通り「正義・軍隊・気運」ならば、正義の戦争を国際法で禁じ、軍縮を進め、戦争の気運を盛り上げるような政府のプロパガンダを監視する組織を作れば、戦争の時代は終わるはずです。特に、正義の戦争を禁ずることが、何よりも重要です。「正義」こそが、戦争の第一要素なのですから。現に、愚かなイラク戦争は正義の名のもとに行なわれました。
 ところで、この方法では、ルワンダの虐殺のような内政的な問題や、9.11同時多発テロのような国際テロ問題を解決できません。やはり、国連軍を作るしかないのでしょうか。なお、国連軍が戦うのは、正義ではなく義務です。
 しかし、戦争と殺人の違いは面白いですね(不謹慎かな?)。すべての戦争は勝てば正義になりますが、殺人は遂行できても正義になるとは限りません。というより、現代では、どんな深い事情があろうと、人を殺せば刑務所行きです。だから、よい子も悪い子も、人を殺しちゃダメだよ!!
 さて、戦争は、殺人の延長上にあるものなのか、経済から派生したものなのか、はたまた、トゥキディデスかクラウゼヴィッツの説が正しいのか、この議論にはまだ結論が出ていません。


 おわりに

 いかがでしたか。面白かったですか、退屈でしたか、好奇心をくすぐられましたか、それとも腹が立ちましたか。
 もし、この記事を読んで内容が理解できなかったとしても、まったく問題ありません。音楽の3要素は「リズム・メロディー・ハーモニー」ですが、なぜそうなのか答えられる人はほとんどいないでしょう。でも、音楽の3要素を暗記しておくと何かと役に立ちます。
 暗記しておくと、音楽番組を見ながら、
「この新人歌手、リズム感はいいけど、メロディーが死んでるなぁ。そういえば、日本のポップスは、なぜハーモニーが少ないのだろう?」
などとボヤくことができます。
 そう、3要素は、基本的に暗記の領域の学問なのです。なぜそうなるのかは、専門家や哲学者や科学者に任せておけばいいのです。自分が関係する分野の3要素だけを暗記しておけば、それで問題ありません。

 さて僕は、世界にある様々な3要素から法則を見い出し、万物の3要素を作りました。この試みが正しいかどうかは、自分でも分かりません。正しいかどうか、結論が出るまでに時間がかかるでしょう。ですが、他の誰もやらなかったことを自分が先駆けてやった、という充実感があります。
 そこで、これを読んでいる皆さんに提案があります。
 この世の中には、まだ発見されていない3要素や3行為がたくさんあります。「人間の3行為」とか「コンピュータの3要素」とか「男の3要素」とか「女の3要素」とか「ホビットの3要素」とか「ブロニーの3要素」などなど。「万物の3要素」や「万物の3行為」をもとに作ってみてください。時間があったら、ぜひチャレンジしてみてください。
 また、「万物の3要素」や「万物の3行為」以外にも、別のカテゴリーがまだあると思います。例えば「万物の定義」など。見つけて、ぜひ作ってみてください。
 特に、「戦争の3要素」は、誰かが何としてでも完成させなければなりません。戦争の3要素を完成させるだけで、戦争の時代を終わらせるヒントが雨あられと降ってくるはずです。僕は、ガチガチの反戦主義者ではありませんが、やはり、戦争は無い方がいいですよね。
 また、自然と文明を両立させるために、「自然の3要素」と「文明の3要素」も必要です。パソコンやケータイなどの文明の利器は確かに素晴らしい。ですが、われわれ人類は、自然なしで生きていけるようには出来ていません。自然と人間の文明の発達を、両立させる必要があります。
 そして、「平等の3要素」も火急です。人類は、資本主義とは無縁で生きることができないことが冷戦の終了で証明されましたが、同時に、資本主義は格差社会を生む元凶でもあります。文明を進歩させつつも弱者が住みよい社会を築くのは、人類に課せられた永遠のテーマです。資本主義と平等社会の両立、これは極めて難しい課題かもしれませんが、「平等の3要素」か「格差の3要素」が作られれば不可能ではないでしょう。

 なお、最後にひとこと、定義を作るのは大変むずかしいと付け加えて置きます。なぜなら、定義は更新されるからです。
 分かりやすい例が、オレオレ詐欺です。最初、これが流行りだした時は、「なるほど電話でオレオレ言うからオレオレ詐欺か」と得心したのですが、「オレオレ詐欺」は「振り込め詐欺」にバージョンアップし、さらに最近では「母さん助けて詐欺」という名称になりました。オレオレ詐欺は定義ではなく名称に過ぎませんが、定義もまた名称同様に進化していきます。
 あるいは、定義が不完全だから進化するのかもしれませんが……。
 そうした事情もあるのでしょうか、いま現在、音楽のようなありふれたものにさえ厳密な定義がありません。僕が、「万物の定義」に手を出さなかったのは、そうした理由があるからです。定義は、超難しいのです。
 ひょっとしたら、「万物の定義」を完成させることができたなら、ノーベル賞が貰えるかもしれませんよ。
 ええっ! 「お前がやれよ」ですって!? 僕、もう、飽きたんです。
 じゃあね、バイバイ!


おわり


2013年11月8日、記事本文を大幅に加筆・修正しました。

[2013/05/25 16:27] | 哲学 | トラックバック(0) |
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