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侮辱の責任追及に同定可能性は必要か? 【ネット表現を考える】

ある表現が法的に問題となるとき、よく争点になるのが「その表現は誰に向けられたものか?」ということです。
表現の攻撃対象となっている人物について、実在する特定の人物と同定できることを「同定可能性がある」と言います。

次のSNS上の投稿を考えてみます。

モデルXの投稿
何人もフォロワーとディナーしたけど、●●をプレゼントしてきた男は本当に気持ち悪かった。顔もセンスも絶望的。生理的に無理。思い出すだけで吐きそう。どう育ったらあんな気持ち悪い生物になれるの w

投稿では、フォロワー男性が「気持ち悪い」と罵倒・嘲笑されています。
しかし名前は出ていません。ディナーした日時も場所も不明です。

Xの投稿は、●●をプレゼントした男性にとっては「自分のことを書いている」と理解できるので、この男性にとっては同定可能性があります。
しかし他の読者には同定可能性がありません。

では、Xの攻撃的な投稿に対して仮に法的責任を問おうとするとき、前提として、同定可能性は必要でしょうか。
また、同定可能性は何を基準として判断するのでしょうか。
今回は、「侮辱」とくに民事上の責任について取り上げます。

刑事の侮辱罪は同定可能性が必要

まず、犯罪である侮辱罪(刑法231条)では、同定可能性が必要と考えられます。
そして、同定可能性は、「一般読者において同定できるかどうか」が基準となるでしょう。

詳しい説明は省きますが、侮辱罪は、被害者の「社会的評価(外部的名誉)を低下させる罪」であるとされています。
ある人物の社会的評価を問題とするからには、その表現が当該人物を攻撃しているかどうかは、第三者すなわち一般読者を基準とするのが自然です。

最初に取り上げたXの投稿は、一般読者には誰のことを罵倒しているか分からないので、一般読者には同定可能性がありません。
Xを侮辱罪に問うことは困難でしょう。

なお、類似の罪である名誉毀損罪(刑法230条)も、一般読者の同定可能性が必要なので、成立しません。

民事の侮辱(名誉感情侵害)は同定可能性不要?

民事事件では話は変わります。
そもそも、民事での「侮辱」とは、名誉感情を侵害することです。
最高裁判所によれば、名誉感情とは「人が自己自身の人格的価値について有する主観的な評価」であるとされています。これは社会的評価とは異なる概念です。

さて、Xに悪口を書かれたことを知ったフォロワーの男性が、Xに対し、損害賠償請求をできるかどうか、考えてみます。

結論から言います。
現在の有力な裁判例や見解に従うと、フォロワー男性の請求が認められる可能性は相当にある(確実とまでは言えない)と思います。
ただし、私は、その見解には疑問を持っています。

裁判例を説明します。
福岡地方裁判所 令和元年9月26日判決(判例時報2444号44頁)は、次のように述べました。 ※1
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/977/088977_hanrei.pdf

名誉感情侵害はその性質上、対象者が当該表現をどのように受け止めるのかが決定的に重要であることからすれば、対象者が自己に関する表現であると認識することができれば成立し得ると解するのが相当である。そして、本件でも、対象者である本件記事の男性、すなわち原告は本件記事が自己に関する記事であると認識している。
これに対し、一般の読者が普通の注意と読み方で表現に接した場合に対象者を同定できるかどうかは、表現が社会通念上許容される限度を超える侮辱行為か否かの考慮要素となるにすぎない。」

つまり、「その表現で対象にされている(侮辱されている)のは自分である」と認識していれば、他の読者にとって対象者が同定可能かどうかは問題とならない。これは同定可能性不要説といってよいでしょう。

あとは当該表現が「社会通念上許容される限度を超える侮辱行為か否か」で違法性を判断することになります。
「社会通念上許容される限度」は、主観的に決めるべきではないので、一般人の感受性に照らして客観的に判断されます。そうでないと「傷ついた」と言った者勝ちになってしまい、表現の自由を著しく制約するからです。
この要件が、裁判実務上も最大の論点であることは間違いありません。

そして、判決は、一般読者にとって同定可能性があるか否かは、社会通念上の許容限度を判断する上での考慮要素になると述べています。
つまり、一般読者にとっても対象が同定できるのであれば、その投稿が「社会通念上許容される限度を超える」可能性は高まります。
他方、一般読者には対象者を同定できない投稿は、酷い内容でなければ違法性が認められません。

本判決の前から、侮辱では同定可能性は不要であり、社会通念上の許容限度を判断する一要素に過ぎないという見解は主張されていました。 ※2
研究者から本判決の理論構成に肯定的な評釈も出ています。 ※3

※1 本題と関係ありませんが、判決の立川毅 裁判長は、私の司法修習の民事裁判教官でした。
※2 松尾剛行=山田悠一郞「最新判例にみるインターネット上の名誉毀損の理論と実務〔第2版〕」405頁
※3 田代亜紀・判例評論745号125頁(判例時報2470号)

「#なんか見た」も「主語が大きい」もアウトになる?

一方、同定可能性不要説を推し進めると、ネット上で現在気軽に行われている表現が制約されてしまうという懸念はあります。
たとえばTwitterでは、メンションを付けず、具体的な対象に言及せずに意見をつぶやく投稿がたくさんあります。
「例の件」「あの人(たち)」とぼかしていうこともある。
「#なんか見た」というハッシュタグが使われることもあります。
フォロワーであっても、事情を知らない人には何のことを書いているのかさっぱり分からないことは少なくありません。
一方、その投稿者を長くフォローしていて、かつ事情を知っている人には、誰のことをつぶやいたのか分かることもあるわけです。

「エアリプは無責任、古いインターネットの不健全なコミュニケーションだ」という批判も有力です。
しかし「(一部の)分かる人だけ分かる」方法の意見発信が、現状、不当とまでは言えないように思います。
同定可能性を不要とすると、多くの人には意味がさっぱり分からないツイートも「侮辱」になる懸念があるわけです。

次に、いわゆる「主語が大きい」言説が、責任追及の対象となっていく懸念もあります。
「○○大学OBの医師」
「○○出身の政治家」
「○○地方出身」
といった大きなくくりで対象を一括して批判・揶揄するような投稿は、日常的に行われています。
これらの主語の大きい言説は、その属性を有する人を巻き込むために、否定的意見も多く、投稿者が炎上することも少なくありません。
また、ヘイトスピーチの類は許されないでしょう。

一方において、留保を置かずに歯切れ良く一定の対象を批判する言説のわかりやすさや有用性も、捨てがたいところです。
数年前「保育園落ちた日本死ね」というブログ上の投稿が大きく話題になりました。
また、今夏のオリンピック前には、開催を期待するアスリートの発言が取り上げられたのに対して、「日本のアスリートは甘やかされている」といった否定的投稿がなされたこともありました。
(※各投稿を肯定又は否定する意図はありません)

同定可能性不要説を進めていくと、「主語が大きい」言説は、対象となる属性を有する者を一括して侮辱する行為として法的責任を問い得ることになりかねません。

このように、侮辱(名誉感情侵害)について、(一般読者にとっての)同定可能性という要件を廃し、「社会通念上の受忍限度」のみを違法性の判断基準とした場合、政治的信条を異にする者の間で訴訟合戦が発生するといったリスクが拡大し得ます。
副作用を慎重に考慮しつつ、違法性の要件を議論することが望ましいと考えています。

【専門的議論】同定可能性の基準と考慮要素

法律のテクニカルな話として、同定可能性不要説でも悩ましい場面がある、ということを説明していきます。
※ この項はやや細かい話になります。

モデルXの投稿
何人もフォロワーとディナーした。ある男は本当に気持ち悪かった。顔もセンスも絶望的。生理的に無理。思い出すだけで吐きそう。どう育ったらあんな気持ち悪い生物になれるの w

冒頭の投稿と同じ投稿に見えますが、この投稿では、モデルXがフォロワーの誰と食事したかも分からないのです。
したがって、厳密には、モデルXしか「ある男」が分からないはずです。

しかし、Xと食事をしたことのあるフォロワー男性Yが「気持ち悪いと書いてあるのは自分のことに違いない」と思い込んで、Xに損害賠償請求することは認められるでしょうか。
また、仮に本当にXがYを念頭に置いて「気持ち悪い」と投稿したのだとしても、Xがそれを認めなければ第三者には分かりません。そのような事情に基づいて、損害賠償責任が左右されて良いでしょうか。

前掲松尾=山田405頁は、「独りよがりな理解は認められない」「対象者本人が独自の理解をしても必ずそれをそのまま基準にするわけではない」と述べています。
また、前掲田代129頁も「ここでの同定可能性について、当該表現活動の登場人物は自分を指しているのではないかと過剰に同定するような場合は、論外なはずである」としています。
しかし、そのような限定・例外を置くのであれば、対象者本人の認識を基準とすること自体も疑問の対象とすべきでしょう。

そもそも、上記福岡地裁判決は、本件記事のきっかけとなった別件訴訟の関係者や記者を通じて、本件記事の対象が原告であることが不特定多数の読者にも伝播する可能性があるため、一般読者にとっても同定可能性があったと認定しています。
つまり、福岡地裁令和元年9月26日判決の「(名誉感情侵害は)対象者が自己に関する表現であると認識することができれば成立し得る」という説示は傍論なのです。

以下は、現時点での試論です。
「侮辱(名誉感情侵害)の成否判断においても、前提として、同定可能性は必要である。
そして、同定可能性は、一般読者の普通の注意と読み方(理解力)を基準とすべきである。
ただし、侮辱の同定可能性判断においては、一般読者が知り得る事実のみならず、自身を表現の対象と主張する者が特に認識している事実も基礎とし得る。」

今後の動向について

現在、侮辱罪の法定刑を引き上げることで法制審議会の結論が出ようとしています。
https://www.moj.go.jp/shingi1/shingi06100001_00026.html

今回メインで扱った民事の侮辱(名誉感情侵害)は、法改正の直接の影響は受けませんが、あわせて動向を注視する必要があるでしょう。
私のnoteでもフォローしていきたいと思います。

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