彼女が犯した罪に肯定できる部分は一切ないんだけど、「彼女だけが悪いのか」と考えると、それは違うような気がする。
事件のルポを読むと、彼女は離婚後、自分ひとりで二人の子どもを育てることが経済的にも精神的にも困難であると自覚していた。義実家に呼び出された際も、「自分には子育てができない」と訴えたが、救いの手は差し伸べられなかった。(元夫は養育費すら払っていない)
実家にも頼れる人はいなかった。彼女自身が幼少期からネグレクトを受けて育ち、そもそも「家庭」というものを知らないまま大人になっていた。そんな彼女に対し、周囲の人々は誰一人として手を差し伸べず、二人の子どもの幸せさえ顧みなかった。 代わりに彼女が背負わされたのは、「お前が産んだんだろ」という冷たい言葉と、すべての責任。
子どもの父親からの支えはなく、おじいちゃんおばあちゃんからの助けもない。学歴も職歴もなく、頼れる福祉もない。 そんな状況で彼女が選んだのは、子どもを連れて風俗店の面接を受け、働くことだった。彼女の環境下で残された選択肢は、それくらいしかなかったのかもしれない。
そんな中で、親からも愛し方を教わることのなかった彼女が、子供に愛を与えるというのは非常に困難なことだったのではないだろうか。夜遊びをしていたのも、「ただ遊びたかったから」というわけではなく、どうしようもない現実から逃れるためだったのではないか。
もちろん、「普通はそれでも逃げない」と彼女を理解できない人がいるのもわかる。ただ、彼女はその「普通」を誰からも与えられず、「普通」でいることすら許されなかったのだ。
それでも、彼女が犯した罪は許されるものではない。ただ、「彼女だけが裁かれる社会でいいのだろうか」とは疑問に思う。
子を置き去りにして殺した罪を「育てられないなら産むな」と責めることは簡単だが、「育てられない」と訴えた彼女を放置し、押し付けた者たちには本当になんの責任もないのだろうか。
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