金融翻訳者の日記/A Translator's Ledger

自営業者として独立して十数年の翻訳者が綴る日々の活動記録と雑感。

浦和高校の校歌指導の記事を読んで②:記事に書かれていないこと( 2025年2月15日)

浦和高校の校歌指導をめぐる騒動は、徐々に、しかし大きく広がっている模様である。今日も次の記事を見つけた。

https://www.bengo4.com/c_18/n_18440/

という記事では、上級生から新入生に対する「恫喝的な校歌指導」が今も行われている実態が報告され、「止めるべきだ」と訴える卒業生の声も紹介されている。昨日も書いたように、強圧的なやり方で校歌を無理やり覚えさせる方法は、時代の趨勢に合わせて変更していく必要があるのだろう。

ただ、ちょっと待て、とも思うのだ。

浦高の校歌指導がそれほどの「地獄」であったならば、なぜ多くの卒業生が今でも「あの校歌指導は辛かったねえ」と笑って話せるのだろう? 本当に地獄だったら思い出したくもないはずではないか?(もちろん、そういう人もいて、だからこそ今こうした記事が出回っているわけだ)。僕の知る限り、あの校歌指導を「地獄だった、つらかった、思い出したくもない」という(上の記事にあったようなトーンの)声は聞いたことがない。

その秘密は、応援部による校歌指導には「オチ」が付いていたからではないか、と僕は思っている。上の記事にある

「それまで厳しい校歌指導をしていた応援団の態度が軟化するんです。"エンディング"と呼ばれ、応援団が演舞をするのが、伝統です」

という発言は正しいが、しかしかなり抑制的である(記事の趣旨に合わないからかもしれない)。「軟化」どころではない。僕の時代(およそ50年前)、彼らは壇上で新入生に向かって土下座をして詫びたのだから。

どの高校にも新入生向けのクラブ紹介の時間があると思う。浦高にも当然あった。極めて和気あいあいとした雰囲気の中で、文化部、運動部(どういう順番だったかは忘れた)が自分の部活を面白おかしく売り込む時間だ。当然、その中には応援部もある。

司会が「次は応援部です」と言った瞬間、それまで弛緩しざわついていた会場内の雰囲気が一気にピンと張り詰め、シーンとする。全員が「自然と」姿勢を正し、学生服のホックを一番上まで締めて正面を見据えたところに応援部の登壇だ。ずらっと並んだ応援部の団長が「押忍!!」と叫ぶ。新入生も数日前の緊張感マックスのまま「オーーーーーーーーーーーーッス!!!」と喉がはち切れんばかりの大声で答える。……とその刹那、応援団長が突然膝を折り、両手を床につけて頭を下げ「新入生の皆さん、本当にゴメンなさい!!」と謝るのだ。そして数日前まで僕たちを恫喝していた他の応援部員も「どうもスミマセンでした!!」とペコペコし始めるのである。それで気が付くのだ。「あ~やっぱり!」と。

振り返ってみると、あれだけの恐ろしい経験をさせられた後なのに、担任の先生は明るく「お疲れ様、大変だったね」とニコニコしていた。聞くと、1年生の先生方は全員体育館の後ろで「ニヤニヤ」見物していたらしい(僕らは決して後ろを振り向かないのでそんなことは知らない)。「じゃあ、今日は校歌をしっかり覚えて、明日は叱られないように頑張って!」と終始にこやかだった。この辺で「あれ?」と思い始めるのだ。

普通の人間なら「何か裏があるな」と感じるところだが、何しろ入学後まだ日が浅いのでクラスメートとの情報交換もあまりできない。「兄貴がOBの友だちが『校歌指導には裏があるらしいけど、新入生には絶対言うな』と言ってた」な~んて話も入ってくる。そうは言っても、入学書類の中に校歌の紙と一緒に「入学式までに歌えるようにしてきてください」と書いてあったことは事実で、それを気軽に考えて何もしてこなかった自分への後ろめたさもあるし、明日の指導も怖いので、その日の夜は必死に暗記する。そこのところは浦高の新入生。皆真面目なのね。

ただ、初日のショックはやわらぎ、「どうも先輩方の強面は『演出』らしい」という話も伝わっているので、若干心に余裕ができつつ、2日目の指導が始まる頃には全員が詰襟のホックをしっかり締め、真正面を見据えて先輩方の登場を待ち、「オーーーーーーッス!」と腹から声を出し、指導が終わるころには全員が1番から3番まできっちり歌えるようになっている。

そういった過程を経ての「皆さん、ごめんなさーい。どうぞどうぞ応援部に入ってください」という超へりくだりの懇願を見て聞いて、僕たちは「許す」のである。「地獄」が「明るい思い出」に変わる瞬間だ。そして僕ら(少なくとも僕)は、卒業後50年近くたった今も、同窓会の席で「あの時覚えさせられた歌」を、何ともいえぬ懐かしい思い出とともに歌っているのである。本当に、完璧に覚えたのよ。たった2日で。

昨日の僕の投稿を見て、1年後輩のN君が「詰襟のホックが外れていた私は、応援団のS副団長に竹刀をのど元に突きつけられました『ホック!!!』、大人になってからご本人と笑ってこのネタでお話しました!」と書いてくれたけれど、そんな感じだろうか。

もっとも僕とN君も約50年前の経験を話している。「今」はどうなのか?今年初めに浦高関係者と話したところ、今も応援団の「お詫び」は続いているとのこと。上の記事の記者の方の取材と、僕が聞いた現状とどっちが正しいのだろう?とは思った。

もちろん、やり過ぎはよくないし、人によってはあの経験がトラウマになることもあり得るので、あのままでよいとは思わない。時代の流れに合わせて、①事前に厳しい指導であることを告知し、②自由参加制にし、③(合唱部の指導という)オプションを与えるといった改革も必要だろう。

でもね、課題があるからといって、すべてを暗黒に見てしまうのはどうだろうか? この記事には、あの強烈な体験を懐かしく、美しく思い出すOBとして違和感を覚えた次第である。

(余談)
「1日目」の後の休憩時間中に、「2年〇〇組のS、職員室に来なさい」との放送が流れたが、あの時おそらく「やり過ぎ」で呼び出されていた当時の応援団長が、その後外務官僚を経て政治家のスキャンダルに巻き込まれて逮捕。有罪判決を受け、刑期満了後に大ベストセラー作家となった元外務官僚M・Sさんであることを知ったのは、卒業後30年近くたってからだった。

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