皇族の減少に歯止めがかからず次世代男子は1人のみ…皇位継承問題が先送りされ続けてきた背景
■「女性・女系天皇」に否定的だった安倍政権 2012(平成24)年末、再び総選挙の結果、第2次安倍内閣が発足すると、またしても皇位継承問題は先送りされた。 安倍首相は経済再生や安保法制を優先し、少子化対策などその他の中長期課題への着手を先送りした。安倍首相はそもそも自民党保守派を基盤としていたため、女性天皇や女系天皇に否定的であったことはよく知られていよう。 すでに述べたように、安倍政権がしだいに長期安定化の兆しをみせはじめていた2016年7月、明仁天皇により突然、「生前退位」の意向が示された。これが翌8月にビデオメッセージとして国民に伝えられたのである。 ただ東日本大震災のときのビデオメッセージとは異なり、それは大きな政治性を帯び、天皇の「おことば」が違憲とみなされる危険すらあった。この「平成の玉音放送」とも呼ばれる「おことば」については、すでにその全体像を示したが、いま少しその背景や意義にふれておきたい(拙著『皇室がなくなる日』)。 ■天皇が宮内庁に問題提起した「生前退位」 そもそも天皇が内々に「生前退位」の意向を示したのは、いつのことだったのであろうか。筆者は各種の報道から、それは意外に早く2009(平成21)年頃ではなかったかと推測し、政府関係者に尋ねたところ、「まだそこまでは」とはっきりしない返事が返ってきた。 2008(平成20)年の末、天皇は外出先で不調を訴え、直ちに皇居に戻り検査の結果、不整脈と診断された。宮内庁の羽毛田信吾長官は会見で、私見としたうえで天皇の「ご心痛」を指摘、それが「皇統」の問題に起因すると忖度した。長官は、「陛下ご自身のお立場から常にお心を離れることのない将来にわたる皇統の問題をはじめとし、皇室にかかわるもろもろの問題を憂慮のご様子」とした(同年12月12日付毎日新聞)。 その後、「生前退位」の報道やビデオメッセージを機に、天皇周辺の取材が行われ、天皇が初めて「生前退位」(天皇は「譲位」の語を使用)を取り上げたのは、2010(平成22)年7月の参与会議であることがわかった。当時、参与会議のメンバーは、天皇、皇后のほか、羽毛田宮内庁長官、川島裕侍従長、それに3人の宮内庁参与、湯浅利夫前宮内庁長官、栗山尚一元外務事務次官、三谷太一郎東大名誉教授であった(「皇后は退位に反対した」『文藝春秋』2016年10月号)。