宅浪で東大に入った研究者、地元・釧路と東京の差を「チートじゃん、と思いました」
東大・京大をはじめ全国の大学生協の書店で2024年の年間1位になった書籍『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』(光文社)。筑波大助教で日米文化史を専門とする阿部幸大さんが、人文学などの分野の論文の書き方をイチから伝授しています。初学者から研究者までが論文の書き方を学べるという本書は、どのように生まれたのでしょうか。阿部さんの来歴とともに話を聞きました。 【写真】阿部幸大さんインタビューカットはこちら
東京と地元・釧路の「地域格差」
――東京と地元の北海道・釧路との地方格差について、阿部さんが以前に書いた記事がウェブで話題となりました。改めて、どのような違いがあったのでしょう。 そりゃもう、すべてが違いましたね。文化や情報、あらゆることに不満があったんですが、なによりも釧路には学習参考書の品揃えがいい本屋がないことが辛かった。高校を卒業してすぐ上京して自宅浪人したんですが、しばらくは大型書店でラインナップに感動しながら参考書を吟味する日々を過ごしていました。 たとえば都内の進学校だと、どんな参考書をやってどんな勉強をすればいいのか、東大に入るような高校生がどのくらい賢いのか、どのような本を読んでいて、どんな知識があって、どんな喋り方をするのか、そういった情報が目の前にあるわけですよね。俺の場合は大学進学者が周囲にまったくいない環境で育ったので、そもそも大学生という存在を想像することすら困難でした。東大に入ってから、東大にめちゃくちゃ近い立地の進学校が最強だということを知って、そりゃそうだろ、チートじゃん、と思いました(笑)。 あと俺の場合、たまたま服が好きだったので、中高の頃とかにファッション雑誌を読んで、そこに載っている服はもちろん地元には売っていないわけで、全部東京にしか店がないんですよね。もともとは勉強よりも、その不満が「東京に行かないと始まんねえ」という強い渇望の源泉でした。 ――釧路での10代の頃はどのような日々だったのでしょうか。熱中していたことなどはありましたか。 当時は音楽ばかりやってましたね。その後、大学でもバンドサークルに入っていて。ただ10代の頃は、なんというか、ただの田舎のヤンキーだったので(笑)、いろいろと悪いことばかりして遊んでいました。 ――その一方で、やはり勉強はできましたか。 できたと思います。ただ、当時かなり治安がヤバい中学に通っていたんですが、そこですら学年1番を取ったことはなくて、ダントツだったわけじゃないんですよね。高校は地元のトップ校ではあったんですが、3分の1は就職して、けど3年に1人くらいは東大進学者が出るみたいな、いわゆる「進路多様校」でした。しかしそこでも「あいつは東大だろう」みたいなレベルで成績がよかったわけでもなく。高2の秋に大学進学を考えはじめて、東大を受けようと考えたのは高3の冬で、学力が伸びたのは浪人時代だったんですよね。そのときの独学と急成長の経験が、東大に入ってから自力で論文が書けるようになっていったベースにあります。 浪人時代、まずは「どうやったら俺でも勝てるだろう」と考えたんですね。みんながむしゃらに勉強しちゃうけど、それは危険だと思ってました。あるいは予備校に行くとパッケージ化された勉強方法を与えてもらえて、それは有効ですが、これもまた安心してしまいそうで危ないなと。大学受験には入試問題と解答がある以上、きちんと分析すれば自力で攻略する方法を構築できるはずだという謎の自信があったんです。勉強してしまうまえに、各教科について何をやればいいのか正確に把握するという作業にかなりの時間を使いましたね。