漫画とアニメの違和感について考えていたら思いついた写真の新しい捉え方
こんにちは。
更新が結構久しぶりになった気がします。
というのも今引っ越しとか、来月のオンラインコミュニティに向けていろいろと忙しくしているからです汗
とくに来月のコミュニティ用に動画を大量に作っているので
アウトプット過多になっています汗
さて今日はそんな中、
僕の考えが少し整理されたので書きたいと思います。
漫画のアニメ化で僕は結構違和感を感じる方なのですが、
それの正体が少しわかった話+写真をこう捉えたら面白いのか!?
と思った話です。
アニメ化とかの違和感の話は、声が違うとか作画が似てないとかもっと違うところでの違和感です。
でそれを解明していくために考えたんですが、
まずはみなさん、
写真より動画のほうが情報が多くて良いはずだ
漫画よりアニメのほうが声も色も動きもあってよいはずだ
とか考えたことはないですか?
僕はあります。
何をするにも、
情報量は多いに越したことはない
と思っていました。
ただし、頭ではそう思いつつも、
写真や漫画のほうが良いな
と思う体験がたくさんありました。
なぜなのかを考えました。
結論から言うと、
時間軸があると、
想像の余地が減って
思ってたんと違う!!!
が頻発するからだと。
これはもうちょっとこう、
こういう感じだと思う。
とか、
ここのこれ、ちょっとなぁ
こうはならんやろ。
と思うところがどうしても増えます。
情報量が多いということは、
決められた状態がたくさん提供される
また強制的に時間軸を感じるので、
(例えばこの一瞬の時間にこんなにセリフいう時間ないだろ、とか)
時間軸的なタイミングとかの話も出てきてしまう。
とにかく、
自身の想像の余地が少ないんですね。
あー、これは好きなんだけど、
これはちょっとちがうなぁ
にどこかで引っかかってしまう。
(もちろんそれを超えて良いなというものもあります)
一方、
写真のような時間のない表現だと
詳細な表現はわりと受け手にゆだねられる。
それがわかりにくさを生んだりもしますが、
情報が多すぎるよりは不一致は生みにくい。
語られていない情報を補填して楽しむには
鑑賞者が一番納得いく情報として想像されるから
ですね。
漫画の実写化やアニメ化で違和感があったのは、
時間軸という新しい情報が原因
だったのかーと。
そこから少し考えると、
たとえば写真とかを
抽象画のようにただその一枚が抽象かどうかなのではなく、
非常に具体的な描写をしているが、
その一枚絵の前後の時間が抽象化されている時間芸術
と捉えるとおもしろいのかなぁとか。
いやー、言い過ぎたのかな?
とりあえず今回はここまでw
それでは。



コメント
1同感です。くどうしんのすけと言います。
フォローさせていただきましたこれからもよろしくお願いします。