東北で学んだはずなのに逆にひどくなった――ファンも巻き込み支援を続けるBRAHMAN・TOSHI-LOWが見た被災地の現実 #知り続ける
震災などの自然災害の被災地で、支援活動を積極的に行うパンクロッカーがいる。BRAHMANのボーカル、TOSHI-LOW(50)だ。彼が主宰する「幡ヶ谷再生大学」という団体では、ボランティアを募って支援活動を行い、多くのBRAHMANのファンも被災地を訪れている。BRAHMANを休止しようとしていたところに東日本大震災が起き、「支援活動中に死んじゃえば楽だな」とまで考えていたTOSHI-LOWが、今も支援活動を続ける理由とは。(取材・文:阿刀"DA"大志/撮影:河邉有実莉/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
こういう商売は人に評価される、ある意味では狂うよね
BRAHMAN・TOSHI-LOW――パンクリスナーの間では1990年代後半から既によく知られた存在だったが、それはあくまでもごく一部に限っての話。しかし、東日本大震災における熱心な支援活動を通じて、TOSHI-LOWとBRAHMANというバンドの名は図らずも広く知られていくことになる。 1995年に結成し、今年30周年を迎えるBRAHMANは、Hi-STANDARD主催の伝説的な野外フェス「AIR JAM ‘98」でサブステージのトリを務めたことで一気に注目を集めた。「AIR JAM ‘98」の開催から10日後にリリースした初のフルアルバム『A MAN OF THE WORLD』がヒット。一躍人気バンドの仲間入りをし、1999年にはメジャーデビューを果たしたのである。いきなり少年から青年になっちゃったみたいな感じ――TOSHI-LOWは当時の自身の環境と心境の変化をそう表現した。
「人から見られてると思ってないから、それまでは好き勝手やってたんだよ。でも、アルバムを出したことで人から見られたり、聴かれたり、自分たちが売ってるものをたくさん買ってもらえたりしてるってことを知ったときに、『やばくね……?』って。なんでかっていうと、『俺たちがやってる音楽って、そんなクオリティーじゃねえじゃん』みたいなさ。そうやって、自分たちがやってることに対して自分でいろいろと気づいてきちゃったんだよね」 しかも、当時はパンクバンドがメジャーデビューすることは悪と見なされ、同じ界隈のバンドやリスナーから大バッシングを受けることが常だった。悪魔に魂を売ったも同然だったのだ。