日雇い労働者や路上生活者を支援していた女性が突然姿を消し、遺体で見つかった。15年たっても、理由が分からない。この街とそこで暮らす人たちを愛した「さっちゃん」は、なぜ亡くなったのか――。その真相と彼女が持ち続けた慈しみの心を知りたいと、弟は街角に毎月立つ。
「どうかご協力をお願いします」
大阪市西成区の商店街で2024年11月14日、ミュージシャンの矢島剛さん(44)は道行く人たちにビラを手渡していた。姉祥子(さちこ)さんについてわずかな情報でも得たいと、東京都三鷹市の自宅やライブの開催地などから月命日の前後に訪れている。
医師の祥子さんは07年から、西成区の診療所に勤務。身寄りのない日雇い労働者や路上生活者が多い「あいりん地区」(通称・釜ケ崎)で、医療支援に力を注いだ。
診察を担当していた高齢女性が他界した時には「よく知っている『おっちゃん、おばちゃん』が独りで亡くなるのが悔しくて。どうやったら力になれるか」と悩むことも。路上生活者らの安否を確認する「夜回り活動」にも精力的に携わり、周囲から「さっちゃん」と親しまれた。
釜ケ崎の人々を気遣い続けた祥子さん。しかし、09年11月に診療所を出た後に足取りが途絶え、同16日に同区内を流れる木津川で遺体で発見された。34歳だった。
剛さんによると、遺族には当初、自殺の可能性が高いとの説明が警察からあった。祥子さんが水泳が得意だったことや後頭部に血腫があったという解剖所見などから、自ら命を絶つとは考えにくいと遺族は指摘。12年に容疑者不詳の殺人と死体遺棄の容疑で府警西成署に告訴し、受理された。しかし、捜査に進展はみられないままだ。
剛さんは姉のことを忘れまいと、祥子さんの死後間もなく歌を作った。忙しい時でもライブの観覧に訪れてくれ、記憶の中で変わらぬままの姉。「Good Bye Thank You」と題し、「いつもいつまでも老けないあなただから」「声が聞きたくなるでしょう」とつづった。
姉が突然この世を去り、喪失感に押しつぶされそうになる。そんな時、釜ケ崎で奔走した「さっちゃん」の姿が頭に浮かぶ。剛さんの元にはSNS(ネット交流サービス)を通じ、ファンから悩みが寄せられることも。周囲の人たちを救おうとした姉のように、自身も深刻な相談に長文で返信し、命の大切さを伝えるようになった。
ビラ配りを終えた剛さんや支援者らは、祥子さんが遺体で見つかった木津川の千本松渡船場で花を手向けた。
キリスト教を信奉していた祥子さんのために、この場所で欠かさぬ儀式がある。賛美歌の合唱だ。一刻も早く姉が亡くなった理由が分かるように。そして「さっちゃんの分まで、少しでも社会が良くなる手助けをしたい」と思いを込め、剛さんは口ずさんだ。【中田敦子】