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茨城・日立市 人口減に悩むものづくりのまちが持続可能なまちづくりへ 日立製作所は“第二の創業”目指す

  • 2024年8月21日

「地名が社名になっているという重み」「企業と創業地の関係を、新たなステージへ」
日立製作所と、その創業地・茨城県日立市は、連携して新たなまちづくりのプロジェクトを始めました。
100年以上前に創業した大手電機メーカーが、今ひとたび、創業地で目指している成果とは。
そして人口減少に悩むまちが、長年一緒に発展してきた企業とともに描いている未来は。
プロジェクトの現場を取材し、日立製作所の副社長で日立市出身の德永俊昭氏にも話を聞きました。
(NHK水戸放送局 國友真理子)

NHKプラスで配信8/28(水)午後7:00まで

 

「日製」とともに歩んできた日立市

茨城県北部の海沿いに位置する日立市。記録では1902年、当時の日立村の人口は2518人の小さな村でした。

明治時代になると、鉱山の開発で発展。1910年には、鉱山で使う機械の修理工場として日立製作所が創業。

日立市の「大煙突」

企業の成長に合わせてまちも拡大し、地域には日立製作所の社宅が建ち並び、病院や日用品販売店など、グループの事業が人々の生活を支えてきました。まちの人たちは、社名を地名と区別して「ニッセイ(日製)」と呼んで親しんできました。
1950年代から80年代まで、日立市は人口が県内トップ。NHKが1961年に放送した番組の映像でも、多くの人でにぎわうまちの様子がうかがえます。

関連産業も集積し、国内有数の「企業城下町」として発展。
1991年には製造品出荷額が1兆6000億円余りと、県内で最も多く、県全体の14%を占めました。
 

日立駅前の様子

しかし、少子高齢化に加えて、日立製作所が海外やIT事業を強化する構造改革を進めたことも背景に市内の製造業の事業所数は徐々に減少。人口は、ピーク時の75%ほどのおよそ16万人になっています(※ピーク時の人口は合併前の十王町も含みます)。
ことし(2024年)4月には、民間の有識者グループ「人口戦略会議」が、若い女性の人口の減少率を分析した結果、2050年までに若い女性が半減して、人口が急減する可能性があるという「消滅可能性自治体」の一つだと指摘しました。

新たに始まったプロジェクト

まちをいかに存続させるか。
市と日立製作所が一緒に解決していこうと始めたのが今回の取り組みです。

市役所に日立製作所社員が常駐

去年12月に包括連携協定を結ぶと、4月からは市役所に日立製作所の社員5人が常駐。これまでに例のない力の入れようです。

日立市共創プロジェクト推進担当 窪久司課長

日立市共創プロジェクト推進担当 窪久司 課長
日立市はものづくりのまちですが、今後、ものづくりのあり方は変わっていくと考えられ、生き残りをかけて取り組む必要があると感じています。
このプロジェクトは、日立市としてはまたとない機会だと考えています。日立市の課題と、日立製作所が持っている技術や知見をしっかりとマッチさせることが大切だと思っています。
人口減少の中、未来の都市をイメージしながら進めたいです。

「脱炭素・医療介護・交通」3つのテーマ

どのような取り組みを進めるのか。

念頭に置くのが、脱炭素化、医療・介護、交通の3つのテーマです。
人口減少を食い止め、まちを持続的に成長させるために必要と考えました。

脱炭素化の分野では、地元の中小企業などへの再生可能エネルギーの導入を推進し地域経済を強くする。
医療・介護の分野では、オンライン診療などを進め住民の健康を守る。
交通の分野では、電動キックボードなど、次世代モビリティーを導入し、移動しやすい公共交通を実現する。こうしたことなどを目標にしています。

まずは市民の声を集める

プロジェクトを進めるうえで、まず始めたのは地域の人たちへのヒアリングです。
7月には日立駅前のイベントでアンケートを行いました。

アンケートに回答した人に話を聞くと、それぞれが理想のまちの姿を思い描いていました。

10代女性
電気自動車で(災害の)避難のときなどにいろんなものに電気を使えて便利だと聞いたのでそれを進めてほしいです。

40代女性
日立製作所の技術力を、犯罪抑止のためにいかしてくださいというふうに書きました。

女性
人口が減っているので、若い人が住んで、住みたいなと思えるようなまちづくりをしてほしいなと思います。

7月に開かれた会議

3日後、アンケートを分析する会議が開かれました。
期待する分野を尋ねた結果、最も多かったのは「交通渋滞の緩和」でした。

ただ、対応する方策はすぐには出てこず、引き続きヒアリングを進めることにしています。

日立市共創プロジェクト推進担当 樫村裕也 課長補佐
市民の生の声を初めて聞き、有意義な結果が得られたと思います。簡単ではないとは思いますが、できることはあると思います。すべてデジタルが関わってくるので、どう未来につなげていくかというのを考えながら進めていければと思います。

日立市の中小企業は

さらに、プロジェクトに欠かせないのは市内の中小企業です。日立製作所の企業城下町として発展してきた日立市には、多くのメーカーがあります。
こうしたこともあり、日立市は、産業部門からの二酸化炭素の排出量が多いのが課題で、全国では産業部門からの排出が全体の半分以下なのに対し、日立市では7割を占めています。

このためプロジェクトではすでに、中小企業に協力を得て、排出量を減らす取り組みを始めています。具体的には、それぞれの企業で、工場などでの電気の使用量などを入力して二酸化炭素の排出量を計算できるシステムを導入してもらい、どれだけ排出しているか「見える化」します。
そして、削減の方策を考えるのに利用します。このシステムは日立製作所が開発しました。

これは、単に二酸化炭素の排出量削減につながるだけでなく、市の課題の1つ、中小企業の経営支援にもつながっています。
日立製作所は、2009年、日本の製造業としては当時過去最大の7800億円あまりの赤字となりましたが、子会社の再編など構造改革を進めて「V字回復」。ものづくりだけでなく、デジタル事業の強化も進めてきました。

一方、日立市では、かつてと比べて日立製作所との取り引きが減り、中小企業からは「昔は日立製作所から仕事を受注し、それによって技術が育ってきたが、今は“親離れ”するときだ」「幅広く取引先の獲得を模索している」という声も聞かれます。

こうした中、社会の脱炭素化が進めば、二酸化炭素の排出が多いと仕事の受注に不利になる可能性が出てきます。受注を取りこぼさないためにも脱炭素の取り組みは重要だとして、プロジェクトでは、中小企業と協力することにしています。

日立製作所の考えは

地域のさまざまな課題に、企業と自治体が協力して取り組むこのプロジェクト。
日立市出身で責任者の徳永俊昭副社長に創業地とどのように向き合っていくのか尋ねました。

日立製作所 徳永俊昭 副社長
絶対に変わり得ないことは、日立製作所にとって日立市は創業の地であるということです。さらに言えば、創業地の名前が、会社の名前に入っているわけです。この重みというのは非常に大きなものがあります。
日立グループが成長し続けるということは、日立市や市の産業にとって重要なことだと思います。ここから先に考えなければいけないのは、持続的に日立グループが成長する中で、日立市の産業界のみなさまと、どういうような連携ができるか、どういうふうに一緒に発展することができるかということを継続的に考えていくということだと思っています。

プロジェクトの3つのテーマ「脱炭素化、医療・介護、交通」はそれぞれが大きなもので、目標の達成には10年ほどかかるとみています。それでも、成果を出せると考えている背景には、徳永副社長が日立市で過ごした子ども時代の記憶も関係しています。企業が、人々の生活に深く関わってきたという歴史があるといいます。

日立製作所 徳永俊昭 副社長
小学校には、1クラス40人くらいいたと思うのですが、何らかの形で日立グループとつながりがある人が、そのうち35人くらいはいたと思います。
例えば、朝に移動するときに使うバスも買い物に行くお店も、日立グループの会社が運営していたりと、まさに生活と企業が一体化していたようなまちが日立市でした。
新たな社会というのは、役所が作るわけではないですし、企業が作るわけでもない。やはり市民と一緒になって作っていくことが必要で、日立グループも一緒に協力していく。そういった素地が日立市にはあると考えています。

そして、このプロジェクトは日立製作所の成長にとっても意義があると強調します。

日立製作所 徳永俊昭 副社長
このプロジェクトを、日立製作所の『第二の創業』になるような事業にしたいと進めていますし、日立グループと日立市、あるいは日立の産業とが新たな協力のステージに入る、そういったきっかけにもなると考えています。
日立市と向き合っている課題は、実は日本全体が今あるいは早晩向き合う課題だと思っています。人口減少、CO2の問題、医療の問題、交通問題。日立市で一定のソリューションを見いだす事ができたら、これは間違いなく、日本の課題解決にも直結するというふうに考えています。

取材後記

「水戸局に異動」。
新人時代から5年間勤務した秋田局から水戸局への内示を受けたのはちょうど3年前。日立市を含む県北部の取材を担当することになりました。
「あの“日立”の企業城下町って、どんなところなのだろう」。
そう思いながら初めて日立市を訪れました。しかし、出会ったのは、人口減少率が全国で1番高い秋田でよく見聞きしたことと同じでした。シャッターが降りたままの商店街。日中に歩く人はまばら。「昔は賑わっていたんだよ」という年配の人たち。そして、「この場所はもうだめだ」という言葉。秋田と似た雰囲気を感じて、「ここでもか」と、とても驚いたのを覚えています。
それから3年の間、ことあるごとに日立市を訪れて取材すると、住民のみなさんが、地元が好きで、地元のために働きたいと思っているのをひしひしと感じました。とはいえ、人口減少は進んでいきます。以前のような経済成長やにぎわいは望めないにしても、変化は起きないのか。よそ者ながらそう思っていたときに、日立市と日立製作所が連携するという話を聞き、取材しようと決めました。それから、日立市に行くときは、プロジェクトについて尋ねるようにしました。住民の声はさまざまです。「企業の技術力をいかしてほしい」と期待する声もあれば、「企業の実験台にされるだけなのではないか」という声も。
このプロジェクトで日立市がどう変化していくのか、答え合わせはこれからです。まだ始まったばかりですが、私は少しだけ、変化の兆しを感じています。それを感じたのは、プロジェクトに参加している市の職員の言葉を聞いたときでした。取材の途中に、「日立製作所の社員が常駐して、その働き方にとても驚いた。パソコンでウェブの会議に出ながら、別の作業もこなすなど、効率を意識しながら働いていた。市役所では見かけない働き方だった」と教えてくれたのです。自分たちが当たり前だと思っていることを、“外の常識”で考え直してみて、よりよい方法を探る。働き方だけでなく、まちのあり方についても同じだと思います。こうしたことの積み重ねが、大きな変化につながるのかもしれないと感じています。

NHKプラス配信終了後はこちら

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  • 國友真理子

    水戸放送局 記者

    國友真理子

    2016年入局。
    秋田局で警察・司法などを担当した後、水戸局で県政を担当し、原発や科学研究、医療現場や文化の話題など幅広く取材。

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