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休みなし、ミスれば怒号が飛ぶ…1980年代「西武ライオンズの黄金期」での壮絶な日々に僕が思っていたこと

打席に入るバッターも緊張します。こういう練習はベテランはやりませんから、私はよく打席に入りました。バントのサイン、右打ちのサイン、エンドランのサインも出ます。こういう緊張した状況で練習を重ねて、体で覚えたというのは確かにありました。

実際に、この練習は生きました。攻撃時はひとつの進塁を確実に決める。守備のときは、あえてバントをやらせたり、罠にはめたりというのを、狙いどおりに実行できるよう準備をする。強いチームには絶対に必要なことだと思います。

シーズンが終わってから「あの試合のあのプレーが大きかった」と思い出す場面が確かにありましたから。

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歴史的には、巨人がドジャースからこうした戦術や練習法を学び、取り入れて、V9を達成したことに端を発していると聞きます。

他球団にもそれを継承した人がいるのですが、その徹底ぶりからしても広岡さんがその代表格です。そして西武で広岡野球を学んだ選手たちが、また他球団でもそのエッセンスを伝えています。秋山や工藤がソフトバンクで実現したものも、その流れにあったと言っていいでしょう。

巨人→西武→ソフトバンク。黄金時代の根底に、ドジャース戦法の流れがありました。

…その徹底ぶりは、寮生活でも現れます。つづく肉・酒禁止、土瓶のビールをこっそり飲む日々、プロ野球「西武ライオンズ黄金期」のウラで起こっていたことでは当時の球団はやっていなかった厳しい食事制限の画期的な取り組みを明かします。

伊藤勤著『黄金時代のつくり方』
伊藤勤著『黄金時代のつくり方』(ワニブックス刊)

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