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休みなし、ミスれば怒号が飛ぶ…1980年代「西武ライオンズの黄金期」での壮絶な日々に僕が思っていたこと

とにかく暇さえあれば練習というのが、その時代でした。ベテランも最初のうちは顔を出していたかもしれないですが、逆に練習の邪魔になるんです。厳しいハードな練習をするのですが、その練習に当然付いてこられない。だから毎日しんどくて、楽しい思いというのが、ほとんどありません。

そのしんどさを解消してくれたのが、日本一になった瞬間でした。

日本一を勝ち取ったときに、やってきたことは間違いではなかったんだと、あらためてみんなが認識したと思います。

先日、かつてのチームメイト・工藤公康が「当時の広岡野球を思い出すと、やっているときは苦しかったけれど、自分が監督になったとき、やっぱりすごく参考になりました」と言っていました。

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この年齢になって、自分たちが指導者の立場を経験して、やっと理解できたというのはあります。

ただし、また広岡さんの下でやりたいかと問われれば、やりたくないという人がほとんどでしょう。私もそうです(笑)。

嫌がらせのようなゴロ捕球練習

キャッチャーはワンバウンド捕球の練習なども繰り返し繰り返し行います。中でも一番嫌だったのは、ゴロ捕球の練習でした。外野手はまた違う練習になると思いますが、キャッチャーと内野手はこれを延々とやらされました。

300球くらい入った箱が用意され、1球ずつコーチが私の正面に手で投げて転がします。私はそれを捕って、送球します。それだけです。それを1箱終わるまで繰り返します。

簡単な練習のように思えるかもしれませんが、まだ左右に振られるノックのほうが楽なんです。ダイビングキャッチの練習でもしていたほうがずっと楽しい。

伊藤勤著『黄金時代のつくり方』
伊藤勤著『黄金時代のつくり方』(ワニブックス刊)

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