80年代~90年代にかけて「最強軍団」と称された、黄金時代の西武ライオンズ。その礎を築いたのは広岡達朗氏の指導は非常に厳しいものだったが、「広岡野球」の原点はあのドジャースにあるという。当時まだ駆け出しだった名捕手・伊東勤氏が語る。
(本記事は2月10日発売『黄金時代のつくり方 -あの頃の西武はなぜ強かったのか-』より抜粋・編集したものです)
徹底した反復練習を休みなしで
広岡さんの野球というのは、守備重視でしたから、とにかくプレーは基本に忠実であれ。日々基本練習の反復でした。基本練習って本当につまらないんです。キャッチャーは特にそうです。これを毎日徹底してやらされました。
シーズンに入っても休みというものがありませんでした。移動日でも、移動した先で体を動かしていました。グラウンドがあれば、そこで練習もしました。本当に休むということがありませんでした。
試合のない月曜日も練習していました。こんなに休みがないチームも珍しいと思いました。特別な休みといえば、オールスター休みぐらいです。それだって1日だけとかでしたが。
一番強烈だったのは、レギュラーとして出た1983年の日本シリーズのあと。そこで頑張って日本一になって、これで少し休めると思ったのですが……休みはわずか2日ぐらい。日本シリーズが終わって3日目には、西武第2球場で、秋季練習が始まっていました。
もちろんベテランの選手は、ある程度休み期間はあったように思いますが、我々は練習に参加させられました。