80年代~90年代にかけて「最強軍団」と称された、黄金時代の西武ライオンズ。その礎を築いたのは広岡達朗氏であることはよく知られているが、特に厳しく指導したのが食事だったという。長らく正捕手を務めていた伊東勤氏が、その様子をリアルに振り返る。
(本記事は2月10日発売『黄金時代のつくり方 -あの頃の西武はなぜ強かったのか-』より抜粋・編集したものです)
「広岡管理野球」には感謝しきり
唐突ではありますが、あらかじめ言っておきますと、これから西武ライオンズ黄金期を築いた広岡達朗監督の管理野球についていろいろと綴る中で、何か広岡さんに対して否定的な印象を持たれるかもしれません。
でも、私は本当に広岡さんには感謝しております。若いうちに体づくりの基本を叩き込んでくれたこと、レベルの高い野球を目指すために必要な練習を教えてくれたこと、これらは、私がその後の長い間、野球選手として、また野球指導者、そして解説者として生きていく上で、大いに役に立ちました。
そして、強いチームで野球ができたことで得られたものは私の財産になっています。そのことだけははっきり書いておきます。
さて、歴史として西武ライオンズ黄金時代を語る場合、初代監督の根本陸夫さんがプロ野球チームの「現場」を用意し、そこに広岡達朗監督が「ドジャース野球」にルーツがある読売ジャイアンツV9時代のノウハウをつぎ込んだという言い方がされます。私も今現在は、まさにそのとおりだと思っています。