もはや鉄道会社にとどまらず「IT企業」としての顔を持つようになった「JR東日本」のいま
いまJR東日本が、鉄道の域を超えた連携を図り、オープンイノベーションを起こそうとしている。同じ課題に対して他の企業や団体とともに取り組むことで、新しい価値を「共創」しようとしているのだ。 【マンガ】外国人ドライバーが岡山県の道路で「日本やばい」と驚愕したワケ なぜこのような動きが起きているのか。その一端を知るイベント「WCCシンポジウム」が、本年1月21日に東京で開催されたので、その内容から理由を探ってみた。
異業種とともに社会課題に取り組む
結論から言うと、JR東日本がこのような試みをしているのは、鉄道を取り巻く環境が変化し、同社だけで対応するのがむずかしくなっているからだ。そこで鉄道以外の業種との連携を図る場を提供し、鉄道が直面する課題を解決しようとしているのだ。 「WCCシンポジウム」の会場で配られたパンフレットには、「『WaaS共創コンソーシアム』は、1社では解決が難しい社会課題や移動✕空間価値の向上に取り組む場として活動しています」と記されていた。なお、WCCは「WaaS共創コンソーシアム(WaaS Co-creation Consortium)」の頭文字をとった略称だ。 この文章を読んで、いきなり聞き慣れない言葉が出てきて戸惑った人もいるだろう。かく言う筆者も、当初はそうだった。シンポジウムを聴講する前に「WaaS共創コンソーシアム」の公式サイトやYouTubeの動画を見たものの、その内容を十分に理解できなかった。 ただ、シンポジウムでIT企業と連携した3つの具体例の話を聴いたら、ようやくわかった。駅前タクシー乗り場の混雑状況をスマホで確認できるようにする。デジタルツインを活用して鉄道古物を販売する。遠く離れた観光地の様子を体感できるブースを設ける。そうした試みをすることで、移動の利便性や、物品購入や旅行に対する意欲を高め、鉄道全体で新しい価値を創造することが理解できたからだ。
コロナ禍で変わった方向性
JR東日本は、コロナ禍前の2017年から異業種と連携する場を設けていた。そこから現在に至るまでの経緯は若干複雑なので、整理して説明しよう。 同社は、1987年4月に発足して以来、「鉄道の再生・復権」に取り組んできた。社会や交通の変化に適応し、鉄道をよみがえらせることが大きな使命だった。 2010年代に入ると、モビリティ変革の波が押し寄せた。自動車の電動化や自動運転化、電動キックボードなどの新しいモビリティやシェアサイクルサービスの導入、そしてMaaS(マース)アプリの広がりによって、移動の概念が大きく変わると言われた。 そこで同社は、この変化の波に乗るため、2017年9月に「モビリティ変革コンソーシアム」を設立し、活動を開始した。コンソーシアムは、複数の企業や団体などが同じ目的で活動するもので、共同事業体とも訳される。 その目的は、オープンイノベーションを起こすことだった。つまり、業種の垣根を超えて、交通事業者と国内外の企業、大学、研究機関を結びつけ、アイデアや技術、ノウハウを互いに提供し合うことで、新しい価値を創造しようとしたのだ。 いっぽう同社は、翌年の2018年7月にグループ経営ビジョンとして「変革2027」を発表した。これによって、「鉄道を起点としたサービスの提供」から「ヒトを起点とした価値・サービスの創造」に転換することを明言した。 ところが、その後のコロナ禍を機に、鉄道を取り巻く環境が一変した。働き方改革や会議のオンライン化が進み、ライフスタイルが変化したことで、通勤や出張で鉄道を利用する人が減った。今後は日本の総人口や生産年齢人口の減少により、鉄道はますますきびしい状況に追い込まれる可能性が高い。 そこで同社は、活動の方向性を変えた。「モビリティ変革コンソーシアム」の活動を終了し、2023年4月に「WaaS共創コンソーシアム」を新設した。 ポイントは、モビリティ変革ではなく、Well-being(ウェル・ビーング)な社会の実現を目指した点にある。Well-beingは、世界保健機関(WHO)の憲章における健康の定義として使われた言葉だ。日本では「人々が身体的・精神的・社会的に満たされた状態が続くこと」などと訳され、生活や社会の豊かさを示すキーワードとして近年使われるようになった。 「WaaS共創コンソーシアム」は、その名の通り「WaaS」の共創を目的としたコンソーシアムだ。同パンフレットには「アセット、データ、ノウハウ、連携の場の提供」を目的としたものであり、「Well-beingに関するあらゆる要素が“つながり、新しい形をつくっていくこと”を大事にしています」と記されている。 つまり、JR東日本は、1つの鉄道会社だけではできないイノベーションを起こすため、他の企業や団体などと連携する場を設けたのだ。 この場は、新しいサービスを生み、その実証実験を行い、最終的に社会実装することを目指している。もちろん、実証実験で見られた課題をフィードバックして、サービスの改良も行う。 「WaaS共創コンソーシアム」は、設立からまだ2年経過していない。ただ、その成果はすでに出始めている。 今回のシンポジウムでは、JR東日本以外の3社(DXCテクノロジー・ジャパン、KDDI、日本電気通信システム)の社員が、それぞれ活動事例を報告した。なお、司会はNTT経営研究所の社員だった。鉄道会社が主催するイベントとしては異色な顔合わせだ。 DXCテクノロジー・ジャパンは、世界最大級の独立系総合ITサービス企業(DXCテクノロジー)の日本法人。発表内容は「タクシー乗り場のリアルタイム混雑可視化」だった。 これは、駅のタクシー乗り場の混雑状況を、利用者にリアルタイムで伝える試みだ。混雑に関する情報は、東京駅などの主要駅のタクシー乗り場をカメラで撮影した映像を解析し、収集する。講演では、利用者がスマホアプリ「NAVITIME(ナビタイム)」を使って混雑状況や待ち時間、他の空いているタクシー乗り場の案内などを把握できるようにした例が報告された。 たとえば東京駅では、丸の内口と八重洲口の両方で実証が行われた。どちらのタクシー乗り場が空いているのかがスマホでわかれば、東京駅で歩き回る手間が省け、移動の利便性が高まる。 KDDIは、携帯電話事業(au)などを手掛ける電気通信事業者。発表内容は「デジタルツインを活用した鉄道古物販売」だった。 これは、現実世界をデジタル空間上に再現するデジタルツインを活用して、鉄道古物を販売する試みだ。講演では、利用者に、まもなく引退する電車(JR東日本のE217系)の車内を歩き回る疑似体験をしてもらい、座席などのほしい部品を購入してもらうという試みが紹介された。 これは、同社が開発した「U(アルファユー)」と呼ばれるサービスを応用したもので、車内を撮影した動画から3Dデータを作成している。大きなメリットは、鉄道古物の在庫管理が容易になる点にある。 日本電気通信システムは、日本電気(NEC)のグループ企業。発表内容は「遠隔五感体験によるUXと購買意欲の向上」だった。 これは、都市部で、そこから離れた観光地にいるかのような疑似体験をしてもらい、旅行や物品購買に対する意欲を高める試みだ。講演では、銀座にある長野県のアンテナショップ「銀座NAGANO」での実施例として、同県の観光名所の一つである戸隠のそば畑の映像と音声を流し、アロマディフューザーを使って花の香りを再現し、没入感を演出した例が紹介された。 いずれも、画像認識やデジタルツイン、ICTといった新しい技術を駆使したものであり、鉄道という域を超えた興味深い試みだ。移動の利便性だけでなく、旅行や購買に対する人々の意欲を高めることにつながりそうだ。
IT企業の顔を持つ鉄道会社へ
最後に、JR東日本の社員が同社の研究開発やDX推進の事例を発表した。 それを聴いて、JR東日本がもはや鉄道会社だけでなく、IT企業としての顔を持つようになったと実感した。ICTやAIを活用する事例が多く報告されたからだ。 今回紹介した「WaaS共創コンソーシアム」は、残念ながらその名前から役割をイメージするのはむずかしい。ただ、今後業種を超えた取り組みによって鉄道の新しいあり方を変える重要な場になることは確かだろう。
川辺 謙一(交通技術ライター)