「あの人なら、今の広島をどう言うか」。地元のラジオやテレビでなじんだ司会者も思い浮かぶ顔だろう。そんな一人で「あっちゃん」と親しまれてきた西田篤史さんの思わぬ訃報に接した。68歳▲他界したおとといは、母校の広島修道大が年に1度、校友を迎えるホームカミングデー。西田さんは特別講演に招かれ、錦を飾る日となるはずだった。出番に「穴をあける」のを嫌った放送人だけに心残りだったろう▲学生時代からアルバイトでRCCラジオに出入りし始める。以来、広島弁丸出しで誇りを込め、ローカルタレントと名乗り続けた人だった▲テレビ番組も持ち、司会を任されたRCC「週刊パパたいむ」では最高視聴率33%を取る。ただ、仕事の軸足は広島から動かさなかった。その訳を58歳の時に書いた自伝で明かしている。松山千春さんとの約束らしい。「俺は北海道から離れずに歌い続ける。お前は広島でしゃべり続けろ。広島を元気にしろ」▲「広島に住みたい」と人が押し寄せる街になれば、広島弁の出番も増える―と夢見ていたという。その街は、人口の転出超過にあえぐ。自伝の題名は進行形の「あっちゃん、」。続きがもう読めなくなった。