172.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」
第34節「東映ビデオ事業③オリジナルビデオ製作の拡大」
1984年12月、東映東京撮影所の企画者吉田達(とおる)が東映ビデオに異動、企画製作部部長に就任します。
吉田はこれまで「不良番長シリーズ」『四季 奈津子』『野菊の墓』などのヒット作を企画したベテラン映画プロデューサーでした。
それまで東映ビデオでは黒澤満プロデューサーが子会社セントラル・アーツで日活撮影所にて映画やテレビ作品の制作を行っており、新たな映画プロデューサーの加入が会社の成長をより加速します。
吉田は、歌手デビュー前のマドンナが出演したフィルム『A Certain Sacrifice』を買い付け『マドンナ in 生贄』というタイトルで発売するなど、まずは買い付け作品のビデオ化から手掛けました。
これまで数多くの映画を製作してきた吉田は、買い付けだけでなく、若手の企画者と共に東映ビデオでのオリジナル映画製作を進めます。
11. オリジナルビデオアニメ(OVA)製作開始
東映ビデオでは、これまで東映製作の劇場用映画、テレビ部実写、東映動画アニメなどの既存作品をビデオ販売の中心として展開してきました。
今後ますます拡大するレンタルビデオ市場での覇権を取るためには、ビデオ顧客層のニーズにあった作品をバリエーション豊富に数多く投入する必要があります。
レンタル市場への本格参入を目指す東映ビデオは、これまでの作品数ではその需要に応えきれない不安があるため、東映ビデオの渡辺亮徳と小黒俊雄は、劇場公開を前提としない、レンタル店向けビデオオリジナル作品の製作を模索していました。
1985年10月、東映ビデオは、個人向けレンタルビデオ市場に本格的に参入することを決定します。
11月、東映ビデオは初のオリジナルビデオアニメ(OVA)『アモン・サーガ』(大賀俊二監督)の製作を発表しました。
この作品は、三菱商事、東北新社、東映と連携して製作する個人向けレンタルビデオ市場を意識した成人向けアニメで、劇場公開にむけて、同時上映作品として東北新社と共同で第2作『愛しのベティ/魔物語』(小池一夫総監督)の製作も決定します。
1986年7月19日、2本立てで劇場公開の後、21日からビデオリリースしました。
『愛しのベティ 魔物語』©小池一夫/叶精作・東北新社・東映ビデオ
2本立て劇場公開
続いて9月にOVA第3作東映動画制作『湘南爆走族 残された走り屋たち』(吉田聡原作・西沢信孝監督)をリリースすると、レンタル店出荷本数が2万3000本となる大ヒットを記録します。
©吉田聡・東映ビデオ
ビデオアニメ「湘南爆走族」は全12作を数える大ヒットシリーズとなりました。
東映ビデオオリジナルアニメ「湘南爆走族」シリーズ一覧
①『湘南爆走族-残された走り屋たち-』(1986年製作)主題歌:湘南爆走族(翔)
②『湘南爆走族II 1/5 LONELY NIGHT』(1987年製作)主題歌:Let's Go Nice 騎士(翔)
③『湘南爆走族III 10オンスの絆』(1987年製作)主題歌:BLACKBOARD JUNGLE(HOUND DOG)
④『湘南爆走族4 ハリケーン・ライダーズ』(1988年製作)主題歌:BOYS OF ETERNITY - 永遠の少年達(杉山清貴)
⑤『湘南爆走族5 青ざめた業』(1989年製作)主題歌:DREAMER AND SCREAMER(LOUDNESS)
⑥『湘南爆走族6 GT380ヒストリー』(1990年製作)オープニング主題歌:アーア湘南(江口洋介)、エンディング主題歌:モノローグ(杉山清貴)
⑦『湘南爆走族7 スポコンマッド・スペシャル』(1991年製作)オープニング主題歌:BOO-HOO LIKE A MONKEY(弾丸BADS)エンディング主題歌:BLUE(田中律子)
⑧『湘南爆走族8 赤い星の伝説』(1992年製作)主題歌:腕の中の永遠(Mana)
⑨『湘南爆走族9 俺とお前のGOOD LUCK!』(1993年製作)主題歌:虹の彼方へ(Mr.Children)
⑩『湘南爆走族10 FROM SAMANTHA』(1995年製作)主題歌:素直がいいよね(JUNCA)
⑪『湘南爆走族11 ケンカの花咲く修学旅行』(1996年製作)主題歌:CHANGE(小林清美)
⑫『湘南爆走族12 完結編 桜吹雪の卒業式』(1999年製作)主題歌:Seed Of Future(杉山清貴)
12. オリジナル実写ビデオ製作開始
『湘南爆走族』の大ヒットでOVAが軌道に乗り始めた東映ビデオは、1987年4月、講談社・スコラと提携し吉田達が企画した初のオリジナル実写ビデオ『ごめんね、Bボーイ』(赤石敏監督・岸本詩代主演)の製作を発表します。
©東映ビデオ
続けて5月には、東映テレビ部の吉川進と吉田達の企画で、水木しげる原作のオリジナル実写ビデオ『ゲゲゲの鬼太郎 妖怪奇伝・魔笛 エロイムエッサイム』(小林義明監督・和田求由主演)の製作を発表。この作品には、別の作品の主人公「悪魔くん」や水木しげるもゲスト出演しました。
©東映ビデオ
『ごめんね、Bボーイ』は6月、『ゲゲゲの鬼太郎 妖怪奇伝・魔笛 エロイムエッサイム』は7月からレンタル店でリリーズされます。
ここから東映ビデオのオリジナル実写ビデオ製作が始まりました。
13. OVAの拡大
東映ビデオは、「湘南爆走族シリーズ」に続いて製作した、池上遼一原作『Crying フリーマン』(1988年・西尾大介監督)、寺沢武一原作『MIDNIGHT EYE ゴクウ』(1989年・川尻善明監督)など、成人向けオリジナルビデオアニメが人気を博します。
©小池一夫・池上遼一/小学館・東映ビデオ
©BUICHI TERASAWA/A-GIRL RIGHTS/東映ビデオ
その後、もとはしまさひで原作『ヤンキー烈風隊』(1989年今沢哲男監督)、きうちかずひろ原作『ビー・バップ・ハイスクール』(1990年)など、ヒットアニメシリーズが誕生しました。
14. オリジナルビデオ「東映Vシネマ」製作開始
OVAが好調に推移する中、東映ビデオ副社長渡辺亮徳と取締役ビデオ第一企画製作部ヘッドプロデューサーとなった吉田達は、実写物オリジナルビデオ「東映Vシネマ」の製作に乗り出します。
「東映Vシネマ」のVは「Video」のVであり、「Victory」のVを意味しており、「Vアニメ」と共に商標登録しました。
1989年3月、「東映Vシネマ」第1弾として吉田が企画した世良公則主演『クライムハンター 怒りの銃弾』(大川俊道監督)がレンタルリリースされ大ヒットします。
評判を呼んだ「クライムハンター」はシリーズ化、3作製作されました。
6月、東映ビデオ副社長の渡辺亮徳が社長に、小黒俊雄が専務に就任します。
8月には黒澤満の企画で「Vシネマ」第2弾仲村トオル主演『狙撃 THE SHOOTIST』(一倉治雄監督)をリリース、この作品は前作『クライムハンター 怒りの銃弾』以上の大ヒットを記録しました。
東映ビデオは、オリジナルビデオ「クライムハンター」「狙撃」の大ヒットで、レンタル店に新たな市場を見出します。
15. 「Vシネマ」ブーム
1990年2月、東映ビデオはビデオ用劇映画ブランド「Vシネマ」の積極的展開を打ち出し、4月から予定される10本のVシネマ作品の製作を発表しました。
そして4月、第1弾として宮崎萬純主演『ブラックプリンセス 地獄の天使』(田中秀夫監督)をリリースします。
©東映ビデオ/東洋レコーディング
続く5月の第2弾、一世風靡セピアの哀川翔初主演作『ネオ チンピラ 鉄砲玉ぴゅ~』(高橋伴明監督)が若者に大ブレイクしました。
『ネオ チンピラ 鉄砲玉ぴゅ~』で主演デビューした哀川翔は、その後「Vシネの帝王」とも呼ばれ、100本以上のVシネマに主演します。
© 1990 東映ビデオ・東北新社
6月第3弾は『太陽にほえろ!』ブルース刑事又野成治初主演『凶悪の紋章』(生島治郎原作・成田裕介監督)でした。
この後、7月清水宏次朗主演『獣のように』(岡康孝監督)、8月仲村トオル主演『狙撃 THE SHOOTIST2』(一倉治雄監督)、9月萩原健一主演『裏切りの明日』(工藤栄一監督)と続きます。
10月からは、リリース作品の好調を受けシリーズ化が進み、清水宏次朗主演『続 獣のように』(岡康孝監督)、世良公則主演『クライムハンター3 皆殺しの銃弾』(大川俊道監督)と月2作品のリリースが始まりました。
11月14日、「Vシネマ」ブームに沸く東映ビデオは続く28作品の製作発表会を開催します。
16. 「Vシネマ」複数ブランド展開
「東映Vシネマブーム」により、1990年後半から東映ビデオのみならず他社によるオリジナルビデオ市場への積極的参入が始まりました。
これによって数多くのビデオオリジナル作品が製作、流通したことで過当競争が生まれ、他社との差別化が求められた東映ビデオは、ここから新ブランドの構築に乗り出します。
1991年5月、新ブランド第1弾「ヤングVシネマ」作品として阿部寛、松下由樹主演『2人のマジカルナイト』(牛山真一監督)をリリースしました。
©東映ビデオ/協同広告
1992年12月、第2弾ブランド「Vアメリカ」作品として製作費5億円をかけたアクション大作、菅原文太、ジョージケネディ主演『復讐は俺がやる DISTANT JASTICE』(村川透監督)をリリースします。
東映ビデオはこの黒澤満製作総指揮作品から世界を視野に入れたビデオ映画製作に取り組みました。
©東映ビデオ/テレビ朝日
同じ12月、第3弾ブランド「Vエロチカ」作品として横須賀昌美主演『マニラ・エマニエル夫人 魔性の楽園』(新村良二監督)をリリースします。
翌年2月には『マニラ・エマニエル夫人 危険な楽園』(新村良二監督)が続きました。
©東映ビデオ
1993年6月、東映ビデオは第4弾ブランド「Vワールド」作品として、黒澤満が製作総指揮した加藤雅也、ジャクリーン・ビセット主演『クライムブローカー』(イアン・バリー監督)をリリースします。
©東映ビデオ
その後「Vアメリカ」では、豊川悦司と売れる前のラッセル・クロウが主演した『逃走遊戯 NO WAY BACK』(1995年劇場公開・フランク・カペラ監督)がイギリスでレンタルチャート1位に輝きました。
©東映ビデオ
また、1996年に劇場公開したマーク・ダカスコス主演『クライング・フリーマン』(クリストフ・ガンズ監督)はフランスでヒットします。
©小池一夫・池上遼一/小学館・東映ビデオ
東映ビデオは、「Vシネマ」「Vアニメ」の他に「ヤングVシネマ」「Vアメリカ」「Vエロチカ」「Vワールド」と4つの別ブランドを立ち上げましたが、過当競争の波は激しく、またバブルが崩壊したことから景気も悪化、やがてこれらのブランドは終息しました。
東映ビデオが立ち上げた「Vシネマ」は、激しい競争のレンタルビデオ市場の中で、ヤクザやエロスなど不良性感度の高い作品や子供向けヒーロー作品などこれまで東映が得意としてきたジャンルの作品を中心に、VHSからDVDの時代に代わっても生き残って行きます。
トップ写真:1990年2月5日「Vシネマ10作品製作発表会」
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