ベル・クラネルがオラリオにやってきて一番最初に足を運んだのは廃れた教会だった。
建物は崩れ、ガラスは割れ、椅子は腐敗し、至るところに蜘蛛の巣が張り巡らされ、埃が充満していた。
かつては美しかったであろう教会を見上げ、ポツリと呟く。
「ここが、僕のお母さんが好きだった場所……」
ベル・クラネルは実の両親を知らない。
父はモンスターに殺され、母はベルを産んでから亡くなったと育ての祖父から聞かされた。
物心つく前から孤独の身。
そう思っていたがある日やってきた母の双子の姉……お義母さんと、その付き添いできたおじさんと一緒に暮らすことになりベルの生活は一気に花やいだ。
厳しく恐ろしい義母で雑音が大嫌いだったが、妹ーーベルの母親ーーについて話すときはいつも優しい笑みを浮かべていた。
その話の中で、この場所を聞いたのだ。
義母を除けば、唯一と言ってもいい実母の形見のようなもの。それがこの教会だった。
大好きなおじいちゃん、お義母さん、おじさんと離れてしまうのは一日中泣き腫らしてしまうほど悲しいことだったが、来て良かったとそう思えた。
それと同時に、ある思いが心に燻るようになった。
ーーいつか、この教会をかつてのように綺麗にしたい。
母の形見。母との繋がりを大切にしたいから。
何より母が安心して眠れるように、かつての美しさを取り戻したかった。
「そのためにもどこかのファミリアに入ってーーお義母さんとおじさんに誓った『最後の英雄』になるための一歩を踏み出さないと」
そう言えばと、故郷を出る前に義母が言っていたことを思い出す。
ーー【フレイヤ・ファミリア】にだけは絶対に入るな。
『最後の英雄』になると口にした時点で、全てをベル1人で決めるように教育してきた義母と、絶対に口を挟まなかったおじさんが唯一口にしたことだった。
どうしてダメなのか、ついぞ教えてくれることはなかったがとりあえず2人の言うことは聞こうとこれまでの生活で学んでいた。
ブラりとあてもなく歩き出す。
ここは人の気配がしない。
ひとまずベルは声のする方を探し始めた。
「し、視線を感じる……」
廃墟地のような教会とは真反対の賑わう通りに出たベルは自分に向けられる視線の数に冷や汗を流した。
自分が見られる容姿をしているのはなんとなく理解している。
見慣れていたはずの故郷の村でもいつも見られていたから。
だが数の規模が違った。
せいぜい10数人の村と違い、オラリオは世界最大都市。
人の数も桁違いだ。
(だ、だめだ……人混みに酔いそう)
逃げるように路地裏に抜けたベルは、荷物を地面に置くとその場にしゃがみ込んだ。
「ぅぅっ……こんなことで気分悪くしたなんてお義母さんに知られたら……拳骨じゃ済まないだろうなぁ〜」
「アハハ! 自分のママごっつ厳しいんやなぁ」
「そうなんですよ。少し物音立てるだけで拳がーーーーって、誰ですか⁉︎」
「ナイスリアクション……って、うひょおおおおおおおおおおおおおお! 自分エルフやったんかい⁉︎ しかも超絶美少女エルフたんやん! 今日はええ出会いがあるってうちの勘が言ってたからこうしてぶらついてたけど大正解や!」
と、大興奮する人物にベルは少し引いた。
朱の髪と糸目……そして失礼ながら絶壁の胸が特徴の人物は口元をニヤけさせ手をうにょうにょと生き物のように動かし近づいてくる。
だがそんなことよりもどうしても聞き流せない言葉があったベルは大きな声で訂正する。
「ぼ、僕は女の子じゃありません! 男の子です!」
「アハハハ! 自分、神相手に嘘は通用せーへんで。いかに美形のエルフだからってそんな可愛い男がいるわけーーーーう、嘘やない……自分、ほんまに男か?」
「だからそう言ったじゃないですか!」
「り、」
「り?」
「リアル男の娘きたあああああああああああああああああああああああ!」
「なんなんですかこの神様ああああああああああああああああああああ!」
「すまんすまん。興奮してもーた」
「い、いえ……」
落ち着きを取り戻した神相手に、ベルも荒ぶっていた感情を鎮める。
自分の容姿故に間違われるのが日常茶飯事だったが、よもや襲われそうになるとは思っても見なかった。
だから一歩下がっていつでも逃げ出せるように警戒していると、目の前の神は苦笑する。
「ちょ、そない警戒せんでもえーやん。うちが悪かったけど傷つくわ」
「ご、ごめんなさい……びっくりしちゃって」
「いや、悪いんは全面的にうちやから自分が謝る必要はないんやけど……せや、自己紹介がまだやったな。うちはロキや」
「あ、僕はベル・クラネルです」
「ベル・クラネル……ならベルたんやな! それでベルたんはファミリア探しか? 見たところ今日か、少なくとも直近でオラリオきたみたいやけど」
「べ、ベルたん……? あ、はい! 僕、今日オラリオに来たんですけど視線がすごくて、気分悪くなってここに避難してたんです。そしたら神様が来て……」
「今に至る、ちゅうわけやな」
「はい」
そこで会話は途切れる。
ロキと名乗った神がベルの爪先から頭のてっぺんまでじっくり視線を這わしていき、何かに納得したのか1人頷いた。
「神様……?」
「ん? ああ、うちのことはロキでええよ。それより自分、ファミリア探しとるんならうちんところはどうや?」
「ロキ様のファミリアですか?」
意外な神の提案に、きょとんとおうむ返しする。
そんなベルの反応に、ロキは苦笑した。
「名乗った時の反応から分かってないとは思っとったけど……ベルたん。【ロキ・ファミリア】って知ってるか?」
その問いに、ベルは眉を下げた。
「ごめんなさい……何も知らなくて」
「気にしなくてええよ。うちらがまだまだなだけやから」
ベルは村にいた頃、ダンジョンについての勉強はたくさんしてきた。
実際にダンジョンに潜っていた義母とおじさんから徹底的に叩き込まれたが、ファミリアについては教えてくれなかった。
自分たちの口では主観が邪魔をしてベルの選択を狭めてしまう可能性があるからだとか。
自分の目と耳で判断してほしい、とのことだった。
ただ、【フレイヤ・ファミリア】だけはやめておくように2人から再三釘を刺されたが。
「これでもうちのファミリアはオラリオの二大派閥と言われるくらいには大手や! その主神からのスカウトなんやけど、どや?」
(この神様の言っていることが本当なら僕はきっと幸運なんだろう)
オラリオのトップファミリア=世界最強のファミリアだ。
その主神から直々にオファーともなれば冒険者を目指す者ならば迷う余地などないだろう。
特にオラリオに来たその日にこんな路地裏で出会うなど、もはや運命と言っても過言ではない。
しかし、
「お話はすごく嬉しいんですけど返事を今すぐに、というのは待ってもらってもいいですか?」
ベルはやんわりとその場での回答を濁した。
まだ来たばかりというのもあるが、義母たちに言われた通りいろんなファミリアを見てみたかったのだ。
(でも怒ったりしないかな……。「うちの誘いを断るなんて!」って)
僅かに芽生えた心配は、しかし杞憂に終わる。
ロキは人の良い笑みを浮かべてベルの思いを肯定してくれた。
「かまえへんよ。せやベルたんも来たばかりで右も左もわからんやろ? うちが案内したるわ」
「うえ⁉︎ そんなっ、神様にそんなことさせられませんよ!」
「神っちゅうても下界に降りてきたうちらに大した力なんてあらへん。せいぜい恩恵を与える事と子供らの嘘を見抜けるくらいやわ。それにな。これはベルたんのためでもあるんや」
「僕のため、ですか?」
「せや。自分、その耳エルフやろ? それもただのエルフやないーーーーハイエルフや」
当たり前のように言い当てられ、ベルの体がビクッと跳ねる。
エルフであることは細く鋭利な耳を見れば一目瞭然だが、ハイエルフであることを一発で見抜かれたのは、同族を除けば初めてのことだった。
更にロキはベルの秘密を暴く。
「しかも人間とのハーフ……ハーフハイエルフってところか。世にも珍しい子供や」
「っ⁉︎ そ、そんなことまでわかるんですか⁉︎」
「まあな。ベルたんはハーフやのに耳が普通のエルフと変わらんからわかりずらいけどうちらからすればわかる。ベルたんはエルフの血が濃く出たんやね」
下界に降りた神は全知零能の言われているが、文字通り見えているものが、視点が人類とは根本的に違う。
ベルの些細なことまで見破る神の目がベルには恐ろしく感じた。
「エルフは冒険者向けの種族で狙ってる神々も多い。ハイエルフともなれば尚更や。自分が1人でふらっと歩いてたらうちみたいに勧誘する神は絶対出てくる。それが善神ならええけど神っちゅうんは基本自分勝手で何かしら腹に抱えちょる」
「ロキ様もですか?」
「そりゃあうちかて神やし。立場上狙われることもあるから常に何かしらは考えとる。で、オラリオで幅利かせてるうちが隣にいれば大抵の神々は手を引く。【ロキ・ファミリア】に喧嘩を売りたくないからや。そうなればベルたんは安心してオラリオを見て回れるし、うちは変な神にベルたんが騙されないように見張っておける。win-winちゅうことや」
ーーあ、当然、ベルたんが気になったり入りたい思ったファミリアがあったならそっち行ってもええから。それで目くじら立てるほど器小さくないで。
と付け足した。
要は、ベルが公平に自分の思いで判断できるように最大限協力してくれるということだ。
そんなお世話になったのに違うファミリアに行くことは若干、心が痛いが……これもロキのいう「神は何かしら腹に抱えている」ということなのだろう。
ロキの狙いーー隠そうともしていないーーを知った上で、ベルはそれでも親切にしてくれる神に感謝した。
「それじゃあ……ロキ様。よろしくお願いします」
「はぁ〜。足くたくた〜。お布団さいこ〜」
今日から数日お世話になる宿にて、身を清めたベルは荷物を床に置いてふかふかの布団へダイブした。
体の力が抜けて深く沈み込む。
「ロキ様、優しかったなぁ」
体を反転させ、天井を見上げながらロキとの時間を思い出していた。
まず案内されたのは『豊饒の女主人』と呼ばれる酒場だった。
いきなり? とも思ったがロキ曰く食は全てにおいて優先されること、とのこと。
極東の言葉で腹が減っては戦はできぬという言葉があるくらい、食べなければモンスターと戦えない。
そしてこの酒場は少しだけ高いがその分味も、量も、ウエイトレスの質も全てが他と一線を画すという。
「ウエイトレス」の部分で顔がニヤけていたのを見たベルは何となく質の意味を理解した。
まだ会って半刻にも満たない時間しか接していないが何となくあの神のことを少しは理解できた気がした。
次に案内されたのは大通り。
長く広い一本道の左右にずらりと並ぶお店。
そこでは日常生活を送る上で必要なものは大抵揃うと言う。
違う通りに行けば専門的なお店や、食材を扱うお店、それこそ酒場のような飲食店も数多くあるそうだ。
そして何よりオラリオ名物といえばダンジョンの蓋として機能する摩天楼。
上層には武器や防具を扱う【ヘファイストス・ファミリア】が店を構えており、さらにその上には神が住んでいるという。
それ以外にも時間が許す限りいろんなところを見て回った。
オラリオはやっぱり広い。
たくさん回ったと言っても全体で見れば1、2割程度しか見れていないはずだ。
だが冒険者として必要な場所を押さえてくれていた。
「最初にあった神様が親切な人でよかった」
打算はあるのだろう。
恩を売ってファミリアに来てもらいやすくする作戦かもしれない。
例えそうであっても、初めて来たベルからすれば感謝しかなかった。
「確かロキ様はギルドに行けば各ファミリアの概要や募集してるかどうかとか教えてくれるって言ってたから、明日はギルドに行ってみよう…………でもとりあえず今日は……つかれちゃった」
ベルは心地よい疲労と共に、その意識を手放した。