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哲学者が主張するシミュレーション仮説は、正しいのか?

哲学と理論物理学の違いは、一般の人には少し分かりにくいかもしれません。どちらも論理的に考えながら、この世界についての考えを述べる点でよく似ています。しかし、理論物理学の目的は、最終的に実験や観測で確かめられる予測を立てることです。つまり、実証できる科学の一部なのです。一方、哲学は人文知に分類され、極端に言えば、実験や観測で確かめる必要のない考えを扱うこともあります。

ただし、哲学の主張の中には「今後の実験や観測の検証も必要とせずに、純粋な思索だけで、この世界や宇宙についての科学的な真理を証明している」と人々を誤解させるものがあります。その一例が「シミュレーション仮説」です。

シミュレーション仮説とは、私たちが住んでいる世界は高度な知的生命体によって作られたコンピュータシミュレーションである確率が高いとする考え方です。つまり、私たちの現実は本当の現実ではなく、作られたものかもしれないという、非実在性に関する主張です。

この仮説では、私たちの世界をシミュレーションしている存在の上にも、さらに高次の存在がいて、その存在もまた別の高次の生命体によってシミュレーションされているかもしれないと、考えるのです。また同様に我々の子孫が未来に向けてそのような入れ子構造のシミュレーション宇宙をコンピュータ上で作っていく可能性を論じます。こうした入れ子構造が過去にも未来にも続くとすれば、作られるシミュレーションの世界は無限に存在することになります。そして、その無限性を理由にして、「そのシミュレーション世界の中の一つが私たちの世界である確率は、限りなく100%に近い」という論理が展開されているのです。

この考え方は、部分的には映画『マトリックス』のような世界観を思い起こさせ、知的好奇心を大きく刺激します。しかし、今のところ、シミュレーション仮説を実証する確かな科学的な証拠は何も見つかっていません。つまり、シミュレーション仮説は科学的な理論というよりも、あくまで思索のみに基づいた哲学的な論考の一つにすぎません。現実世界を語っている保証は何もないのです。

「私たちの世界はシミュレーションかもしれない」と主張することはいつでもできますが、それを科学的に検証する手段はありません。「世界はたった5分前に、我々の記憶ごと作られただけかもしれない」といった哲学的な議論と同じように、どんな反論に対しても、このシミュレーション仮説には理論上いくらでも逃げ道を作れるからです。そのため、これを実証科学の枠組みに取り入れて議論すること自体に、そもそも意味がありません。

シミュレーション仮説では「私たちをシミュレートしている高次の存在」を考察しますが、そこでは、その存在が持っている技術は、以下でもみるように、私たちの未来の技術を超えたものであると想定せざるを得ません。これでは、ドラえもんのポケットのように、「何でもあり」の議論となり、科学から大きく逸脱してしまいます。「地球人の祖先は他の星の宇宙人によって超科学的に設計された」とする説とも、本質的に大きな差がありません。

「私たちがシミュレーション世界にいる確率が高い」という主張の根拠も、結局のところ「無限に多くのシミュレーション世界が存在する」という仮定に基づいています。しかし、この無限個のシミュレーション世界の存在自体が科学的な証拠に裏付けられているわけではない点は、何回強調しても良いことだと思います。つまり全体として、このシミュレーション仮説における我々の「非実在性」は、科学として全く検証されていないのです。

一方で、実証科学の物理学の一分野である量子力学が導く「非実在性」には、実験的な根拠があります。

量子力学では、ベル不等式の破れの実験結果に基づいた、厳密な数学的な枠組みのもとで、局所実在性の否定がきちんと証明されているのです。

もしシミュレーション仮説に量子力学のような科学的信ぴょう性を持たせたいのであれば、既存の物理法則を破らずに、完全なシミュレーション宇宙を作ることが可能であることを、たとえば示すべきなのです。

理論物理学では現在、宇宙のシミュレーションがコンピュータ上で行われていますが、これは宇宙の全ての自由度を取り込んで、宇宙全体を再現しているわけではありません。シミュレーションされているのは、宇宙全体と比べてはるかに少ない自由度の時間発展のみであり、その中に意識を持つ生命が生まれ、高度な科学を営むようなシミュレーションではありません。

ただし、未来には人類の技術も大きく進歩するかもしれません。そのため、遠い将来、私たちの子孫がシミュレーション仮説で言われるような知的生命を伴った世界をコンピュータ上に作れる可能性があると考える人もいるでしょう。しかし、その可能性は現実的ではないのです。

MITの物理学者セス・ロイドさんは、「計算の物理学の基本的な結果によれば、宇宙を効率的にシミュレーションできる唯一の物理系は、宇宙そのものである」と述べています。つまり、どれだけ技術が進歩しても、私たちの子孫が作るコンピュータは、それが既存の物理法則に従う以上、その計算能力には限界があるのです。そのため、シミュレーション世界がそのコンピュータ内部で無限に入れ子的に続くという考えは、今の段階で説得力が全くありません。

仮に、宇宙全体をシミュレートできるコンピュータを、遠い未来に建物の一室に収まるほどのサイズで作るとしましょう。この実現には、宇宙に存在するすべての粒子の情報が、計算のためにそのコンピュータのメモリーの中へ完全に保存されている必要があります。しかし、宇宙のすべての物質は量子力学に従う素粒子で構成されており、それらの量子情報を、一部も欠落させることなく、そのコンピュータのような、より小さな量子系の中へ圧縮して保存することはできないのです。したがって、完全なシミュレーション宇宙を作るという主張自体が、物理学的には無理筋となっているのです。

例えば簡単のために、2つの量子ビット系の量子状態がもつ量子情報の自由度を考えてみます。

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図1:2つの量子ビットと、その一般的な状態ベクトル

この系の純粋状態は4個の複素数を係数とする状態ベクトルで記述されます。実数で言うと4×2、つまり8個ののパラメータがあります。ただし状態ベクトルの長さは1であるように規格化される必要があることと、状態ベクトル全体のexp(iδ)のような位相因子は物理的自由度でないことを思い出すと、8-2=6、つまり6個の実数自由度の情報を、この2つの量子ビットの状態は持っています。

この6個の自由度を1つの量子ビットへ壊さずに圧縮して保管できるかというと、それは無理だとわかります。

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図2:1つの量子ビットと、その一般的な状態ベクトル

1つの量子ビットの状態ベクトルは2つの複素係数で指定されますが、やはりベクトルの長さが1であるという規格化条件と、全体の位相因子は物理的ではないという条件から、2×2ー2=2、つまりたった2つの実数自由度しか持っていません。ですので6個の自由度を持つ2つの量子ビットの情報を2つの自由度しか持たない1つの量子ビットに漏れなく保存して、それを使って計算する完全なシミュレーションは行うことができないのです。

2つの量子ビット系に対応するシミュレーションには、2つの量子ビット分以上の自由度を有するメモリーを持ったコンピュータを使う必要があるのです。そして同様の議論から、宇宙を効率的にシミュレーションできる唯一の物理系は、宇宙そのものでしかあり得ないという、セス・ロイドさんの主張も出てくるのです。一つの建物の一室に収まるコンピュータでは、到底できないシミュレーションです。

もし宇宙全体ではなくて、生命を伴った地球サイズのシミュレーションで良いと、仮説自体を弱くしても、地球上に現在存在している全ての量子情報を、やはり地球上の一台のコンパクトなコンピュータの中に保管することはできません。

このようなメモリー不足のために、我々の世界のコンピュータは将来もこの世界や宇宙を効率的にシミュレーションできないのです。同様にそのシミュレーション内部の生命体も、次のシミュレーション世界を彼らのコンピュータ上で作ることはできません。既存の物理法則が成り立つ限り、彼らのコンピュータのメモリーは、どうしても我々の世界のコンピュータのメモリーより小さくなるからです。完全なシミュレーションには、それでは足りません。また既存の物理法則の枠組みの中で仮説をつくらなければ、その仮説は量子力学のような説得力を持てないことも、ここで改めて思い出しておきましょう。

それでもシミュレーション仮説を生き残らせたいのならば、我々をシミュレートしている高次存在が持つ科学は、我々の科学とは全く異なる「超科学」であるとする必要があるのです。シミュレーション仮説とは、結局そういうレベルの議論なのです。

そのような「超科学」を仮定して、高次の存在が我々をシミュレートしていると考えることに、合理的な論理性や説得力は全くないと、私自身は判断をしています。繰り返しますが、高次の存在の超科学が連鎖するシミュレーション世界を作るという前提での、その無限の数のシミュレーション世界を根拠にして、「高い確率で、我々の世界はそのシミュレーション世界の中の一つである」と推論することは、少なくとも根拠のない確率の誤用だと言えるのです。

これ以外にも哲学の分野では、たとえば「宇宙や時間は無限か有限か」といった問題が古くから議論されてきました。18世紀に活躍した哲学者のカントは、この問題を、相互に矛盾する2つの命題が同等の妥当性をもって証明できる「二律背反(アンチノミー)」の例として提示しました。しかし、現代の物理学では一般相対論を用いて具体的な宇宙モデルを構築しています。そのアインシュタイン方程式の解の中には、時間の始まりを示唆するものや、有限な体積を持つ宇宙の解が含まれています。時間の始まりや有限体積をもつ、その宇宙モデルの解自体には論理的な自己矛盾は全くありません。その意味で、当時のカントの論証には、現代科学に通用するような正しさは無かったことが分かります。やはり実証科学は、哲学的な論考においても大きな影響があるのです。

なお現在でも「宇宙に始まりがあるとすると、その前は何だったのか?」という疑問を持ったり、「何もないところに何かが生じるのは直感的に理解しがたい」という意見をおっしゃる方も居ます。しかし、この疑問や意見は飽くまで古い直感や「お気持ち」に基づくものであり、宇宙の始まりという概念を科学的に排除できるものではありません。

科学的な議論を進める上では、実証性や検証可能性を重視することが大切です。シミュレーション仮説には思索やブレインストーミングとしての価値はあるのでしょうが、実証科学との相性はとても悪いと言えます。科学とは、実験や観測によって検証可能な理論を構築し、それを精査していくプロセスであるため、哲学的議論とは異なるアプローチが求められるのです。実証可能性を忘れないことが現代の知の探求においても不可欠な姿勢であると、私個人は思っています。


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Masahiro Hotta
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